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12…食べかけのあれ
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しおりを挟むそれから数日は特に変わったことも無くて、都合を合わせて計画していた週末のパン屋デートは「残業になった」との連絡がありキャンセルされてしまった。
ギスギスした空気がメッセージにも滲む、自分の中で結論は出ているのだが説得する自信が無い。
「ひとりで行って下さい」、そう告げればイコール『別れ』と捉えられてしまうだろうか。
子供がいる訳ではないので別居婚もありだと思うのだがワガママにされてしまうだろうか。
次に会ったら話さなければ…そう思っていた翌週の平日。
とあるお客さんが私をご指名でご来店された。
「お待たせしました、小動です」
「向かいのオーサキで家電の見積り出してもらったんだけど、買い回りするなら貴女宛に行ってみてって言われたのよ」
「はぁ…見積書、失礼します………あ、」
オーサキの所定の書式で印刷された家電数点の見積書の担当者欄には『栄雅樹』の文字と印鑑。
これは宣戦布告なのかと背筋が凍る。
そして単品ならそこまでではないが総額の値引き額のえぐいこと、これで成約すればほとんど儲け無しかむしろ赤字特価というやつだ。
「(これに張り合えってか…)」
こちとら一介の平社員だというのに副店長ともあろう方が容赦ないな。
しかして徹底対抗を謳っているのだから対応しない訳にはいかない。
上司の指示を仰ぎつつ仕入れ値を割らないようにギリギリまで落として、削ってオマケなんかも付けてムラタ書式の見積書を書き上げた。
「うちはこちらでいけます。ポイントバックがあるのでトータルで見るとオーサキさんよりお安くさせて頂いてます」
「ありがとう、検討してみるわ」
「…よろしくお願いします」
見積書の価格はあくまで「本日中のご成約なら」という条件付きだ。
絶対に作為的なのだろうこの日同様の買い回りのお客さんがこの後2組続いた。
そして悲しいことに定時いっぱいまで粘ってみたがどのお客さんもうちへは戻って来られなかった。
つまりはオーサキの、雅樹さんが出した価格で決まったということだ。
「(…現金特価つよ…悔しい…本当にあんな無茶な値段で売ったの?)」
あぁ腹が立つ。
あのお客さんがオーサキにうちの見積書を持って帰った時に雅樹さんは私の署名を見てほくそ笑んだことだろう。
これが本来のライバル店の在り方だけど、敢えて私指名でぶつけてきたやり口がいやらしくてあの能面スマイルが脳裏に浮かびイラッとした。
立て続けに3件も売り逃したことで私は上からネチネチ言われてしまったし、価格は負けてなかったのだから担当者の技量というかつまりは私が雅樹さんに営業力で負けたということになる。
文句のひとつでも言ってやろうかしら、退勤を打刻してから私の脚は駐車場ではなく道路向こうのオーサキへと向いた。
つづく
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