Fragment-memory of future-

黒乃

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第三話

第五十七節 ひとかけらの奇跡

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 地面に倒れ込むものの意識だけは失ってなるものかと、自分を奮い立たせる。入らない力を無理矢理入れる。たとえ立ち上がれなくても、せめて立ち上がらなければ。
 大剣を地面に突き刺し、支柱代わりにして起き上がった。
 そんな自分に、ヴァダースは冷静に言葉を投げてきた。

「終わりましたね」

 まだだ。まだ終わってなんかいない。
 そう反論したかったが、受けたダメージが思った以上に酷い。呼吸を整えるだけで、精一杯だった。そんな自分をよそに、空間内に声が響く。

「そのようだ」
「こっちもよ」

 ヴァダースの左右に、自分が一瞬見た空間転移の陣が浮かび上がる。陣から放っている赤く輝く光が、誰かの姿を現した。

 光が収束したあと、そこには二人の人物が立っていた。
 一人は見覚えがある。小島のアジトで出会った四天王の一人、カサドル。もう一人は初めて見たが、恐らくカサドルと同じで四天王の一人、なのだろう。
 カサドルも、もう一人はその後ろに控えている真っ黒な人物も、を持っている。
 そのを見て、自分の目を疑った。

 彼らが、手に持っていたものを無造作に床へ放り投げる。
 それらは、床に放り投げられても何の反応も示さなかった。纏っている白い服は赤く黒く汚れに塗れ、見るに堪えないものに成り果てている。所々の、切り刻まれたり焼け焦げた跡が痛々しい。手に持つ武器も、一方は変わり果てた姿になっていた。

 震える口から、言葉が漏れる。

「……ヤク、さん。スグリ、さん……?」

 床に放り投げられた、。それは紛れもなく、ヤクとスグリだった。

 そんな、だって。二人はあの大国、ミズガルーズの国家防衛軍の隊長たちで。とても強くて、頼りになる二人で。いつも不甲斐ない自分を助けてくれる、数少ない人間たちで。
 自分の、憧れで──!!

 ありえない。そう自分に言い聞かせたかった。しかし無情な現実は、自分の目にありありとその揺るがない事実を突きつける。

「こちらも終わりました。女神の巫女ヴォルヴァの青年は、捕獲しておきましょう。その二人も、捕虜とします」
「疑惑、じゃなかったの?」
「ええ。今しがた戦い、女神の巫女ヴォルヴァであることを確認しました」
「成程……。やはり、本物でしたか」

 ヴァダースたちの会話は、まるで頭に入らなかった。

"炎よ焼き払え"クレマシオンッ!!」

 痛む身体を無視して、無理矢理攻撃を放つ。
 薙いだ大剣の軌跡から、炎が噴き出す。それはドラゴンの頭のようにうねり、対峙している人物たちに向かった。
 狙うは、一人。

 ヴァダースを標的にした炎は、彼を飲み込まんと威力を増す。取り出した緑色のダガーを退避しながら放る。両脇にいた人物たちも、回避しつつ迎撃のために構えた。

"破壊を呼び込む衝撃波"エクスプロージオン!」
"絶望へ誘う光持たぬ傀儡"フェアツヴァイフルングシャッテン!」

 自分の立っている地面が爆発を起こす。
 身を翻し、なんとか躱す。

 影のような真っ黒な人物は、銀色に煌めく刃物のようなものを持っている。それを突き出しながら、こちらに突進を仕掛けてきた。
 それに対しては大剣で一度自身をカバーしたのち、振るう。切られた影は、刃物を落として呆気なく崩れ落ちた。

「まだそんな余力があったか……」
「さすが、狂戦士族と言われてるバルドル族ね」

 ヤクとスグリから距離を取ったことを見計らい、二人の傍に向かう。もちろん、レイのことを抱きながら。

「許さない……。三人は絶対に渡さない!」

 近くで見ると、ヤクとスグリの状態が相当悪いことに気付く。そもそも二人の出血は、未だ止まっていない。下手をしたら、失血死してしまうのではないか。
 不安が一気に駆け巡る。悟られないようにと大剣を構えるが、そもそも自身もボロボロだ。目の前のヴァダースたちに、自分一人だけでどうすればいい。

「焦りました。そのような身体で、まだ力を出せるとは……。勇敢とも言えますが、今のこの状況では無謀と言わざるを得ませんね」

 ヴァダースが空間上に、白いエッジを出現させる。
 まったくもって、絶望的な状況だ。

 くそっ……どうして……!
 どうして自分はいつも……。

「死になさい、"悲劇を奏でる白い旋律"トラゲディエコンツェルト!」

 大切な仲間を、守れないんだ!?

 目を瞑る。大怪我を負ってもいい、自分の仲間を守るためなら。
 そう構えていた。

 一瞬、時が止まったような感覚を感じた。

 何かが自分の前で弾かれる音に、意識が現実に戻される。何が起きたのかと前を見据え、またしても目を見開くことになった。

 何故なら目の前に、がいたから。

 風に靡く濡れた漆黒の髪に、長い耳。手に持っているのは、身の丈ほどある大鎌。はためく服の裾には、見覚えがあって。
 見間違えるはずない。何故なら彼女はレイたちと出会う前の、仲間の一人なのだから。

「……グリム……?」

 ぽつりと、彼女の名前を口にする。

「全く……一人だけで奴らを倒せるとでも思ったのか、バルドルの。これだから貴様は考えが甘いというのだ」

 久々に浴びせられる厳しい言葉。自分を決して名前で呼ばず、種族で呼ぶ声。

 偽物じゃない、幻でもない。
 ……本物だ。
 自分と旅をして、カーサに攫われていたグリム本人だ。

 グリム本人であることに、カーサも気付いたようだ。初めて、ヴァダースの表情に幾ばくかの焦りが見えた。

「デックアールヴ……。馬鹿な、貴女は地下牢で留置されていたはず……」
「私を軽く見たな。大鎌を同じ空間に保管していること自体、詰めが甘い。大鎌さえあれば、私は地下牢だろうが地獄だろうが、抜け出せる」

 そう小馬鹿にして、嘲笑するグリム。以前と変わらない彼女の態度に、やや安心と冷静さが戻る。
 そんなグリムは振り返らないまま、指示を出してきた。

「バルドルの、私が奴らを引きつける」

 グリムはポケットから取り出した小瓶を、そのままこちらに投げ渡す。慌ててキャッチをして見てみる。
 彼女の瞳のような、深い青の小瓶だ。中に何やら液体が入っているようだが。何かと尋ねれば、回復薬だと伝えられる。

「とはいえそれは一人分しかない。よく考えて使え」
「で、でも何のために……!?」
「みなまで言わんと分からんのか?とっととそこに伏せてる三人と共に逃げるための、準備をしろと言っている」

 逃げろだなんて、そんなこと。
 そんなこと、できるはずもない。そもそも自分がカーサと戦っているのは、グリムとケルスを助けるためだ。それなのに、今目の前にいる彼女のことを見捨てろと。

「待って!俺はグリムとケルスを助けるためにここにいるんだ!だから一緒に来てくれよ!」
「黙れ。今のこの状況で、都合よくヴァダースとやらが一人も残さず見逃すと思うか?」

 その問いに言葉に詰まる。答えがわかっているからだ。認めたくなくても、揺るぎない答えが。
 満身創痍な身体。大怪我を負って気を失っている三人。必ず隙が生まれてしまう。そこをヴァダースが、見逃すはずがない。グリムのことは勿論助けたい。だが同じくらい、レイたちのことも助けたい。
 言い返せずに拳を握る。反論の余地がないと捉えたのだろう。グリムが大鎌を構えた。

「……理解したのならば、急げ」

 これ以上は何も言うまい。
 言葉にはしなかったが、彼女の背中はそう語ったように見えた。

 悔しさに唇を噛み締める。口の中に広がる鉄の味が、自分の中の無力さを嘲笑っているようだった。
 だが、いつまでも悔しがっているだけではいけない。回復薬を手に持ち、倒れている三人を見る。数は一人分だけ。誰に飲ませるべきか悩んだ。
 数分の逡巡の後、回復薬を飲ませた人物は──。

「ん……」

 ふるり、瞼が揺れる。
 どうやら即効性のある回復薬だったようで、その人物が受けていた傷は綺麗に消えていた。数回の瞬きをして、起き上がる。

「レイ!良かった……」

 自分が回復薬を飲ませた人物は、レイだ。自分たちの中で、治癒術を一番得意とするのが彼だからだ。
 ヤクやスグリに飲ませても回復は出来るだろう。ただし飲ませなかった彼らの中で、確実に一人は命を失う危険があった。ならば今現在の人員の中で、治療の術が一番得意とするレイを一番に回復させ、二人の手当てをお願いした方がいい。

「突然だけどごめん!ヤクさんとスグリさんに治癒術をかけてほしい!」
「え?それってどういう……。っ!師匠!スグリ!!」

 尋ねられる前に、レイは二人の状況を把握できたらしい。言うが早いか、すぐに最大限の治癒術をかけ始める。二人の肌は、血の気がないという状態を通り越して蒼白だ。どうか間に合って欲しい。

 二人をレイに任せて、彼女の名を叫ぶ。

「グリムっ!」

 ヴァダースたち三人の相手をしていたグリムは一度、距離を取った。ちらりと自分の方を一瞥する。その後呪文を詠唱したらしく、術が展開される。

"大地にひれ伏せ見えざる手"グラヴィタツィオン!!」

 彼女が叫ぶと、ヴァダースたちに変化が起きた。まるで地面に足が縫い付けられているようで、身動きが取れていない。指一本動かせないようだった。

「何、コレ……!?」
「重力操作、ですか……!」

 グリムは彼らから目は離さない。ヴァダースたちに術を掛けている間に、別の術の展開しようとしていた。
 それに気付いたのは、足元に浮かび上がった魔法陣を見たせいだ。
 これは、空間転移の陣。

 彼女のしようとしていることが、わかってしまった。

「グリム!!」
「動くな馬鹿者!」

 叱責が飛んでくる。駆け出そうとしたが、足が止まる。

「行け」
「だけ、ど……!」

 どうにも出来ないことはわかっている。
 それでも、手を伸ばさずにはいられない。

「一つだけ教えてやる。……リョースのは、無事だ。しっかりと生きているぞ」
「え……?」

 足元の魔法陣が光り輝く。
 目の前の景色が変わっていく。

「グリム!!」

 手を伸ばす。届かないとわかっていても。

「……待っているぞ」

 それが、消える直前にエイリークが最後に聞いた、彼女の言葉だった。
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