Fragment-memory of future-

黒乃

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第三話

第八十九節 終着点を見据えて

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 夜もだいぶ更けたころ、スグリは裏庭にいた。ヤナギに呼ばれたのだ。
 月夜に照らされた裏庭の松の木が、物悲しげに自分たちを見守っている。

「若様、某の耳にも届いております。ヤクによる、村の襲撃に関して」
「……今のあいつは、手段も目的も混同している。衝動的な自分の意思に突き動かされているように、暴走しているんだ。このまま見過ごすわけにはいかない」
「それはミズガルーズの国家防衛軍部隊長として、ですな」
「当たり前だ」

 その言葉を聞いて、静かに自分に振り向くヤナギ。

「若様自身としては、どうなのです?」
「っ……」
「立場を盾にして逃げようとする、それでヤクの心が救えますか」
「盾になどしていない」
「いえ、しております。某の目を見て、それが言えますかな?」

 その問いかけに思わず目をそらす。ヤナギの眼光は鋭い。真実の奥を見つめる目だ。年老いてもこの眼光だけは衰えることがない。言葉に詰まり、何も言い返せずにいる。

 実際そうだ。部隊長としてヤクを止める。そう思うことで、また逃げようとした。自分自身それに気付いていたが、見て見ぬふりをしていたのだ。以前この村を発つ時、逃げないと決めていたのに。結局自分は逃げてしまっていた。
 レイたちに、刺し違えてもヤクを止めると告げた。その言葉に偽りはない。彼を止めるのは、自分でなくてはならない。それは被害を最小限に抑えるためだ──犠牲者という被害を。

 だが、一人の友人としては?

 友人、いや恋人として付き合いのある彼を、殺してしまっていいのか。とはいえ他に彼を救う手立てが思い浮かばないことも事実。

「若様」

 ヤナギがまっすぐに自分を見据える。彼は懐から小刀を取り出すと、自分に握らせた。

「己の心を、見極めなされ」

 渡されたそれは、再刃された自身の以前の愛刀だった。鞘から引き抜く。
 長剣だった愛刀は、欠けた部分など最初から存在していなかったと言わんばかりの、美しい出来に仕上がっていた。真っ直ぐ研がれた小刀は、月に照らされて輝く。

「この刀の如く、生まれ変われることも出来るのです。若様もヤクもまだ某からしたら、若い青葉。枯らすも芽吹かせるも、自由に選択ができる」
「……諸行無常。万物流転の如く在る姿、天上を円転する星々に同じ。是即ち太極思想、か……」
「左様。歩き出すことに恐怖を抱いて立ち止まるのは、死することと同じにございますよ、若様」

 そう告げると、ヤナギは屋敷内へと戻った。
 一人になる裏庭。見下ろす月は今日は冷たく、風も止まっている。

「俺は……」

 ヤクのことを、どうしたいんだ……?

 その夜仮眠したとき、過去の夢を見た。

 ヤクと初めて出会ったときの頃。全身が傷だらけで、見たことのないきれいな空色の髪をした彼に惹かれた。共に過ごすうちに、必ず守りたいと思うようになった。彼はいつも怯え切った表情で、手負いの獣のようだったことを覚えている。
 ヤクを守るために、自分は家を捨てた。

 後悔はしていない。当時の自分は、彼を全ての脅威から守りたかったから。そのためなら家のことなんて、どうでもよく思えた。彼の笑顔が見たかったのだ。
 初めて彼が笑った時は、嬉しかった。許された気がして。成長したある日、自分の思いを告げた。彼が応えてくれたときは、これは夢なのかと思った。正直忌諱するべき事柄なのにそれを受け入れてくれたヤクを、一層のこと守ると決めて。

 それがいつの頃からか、またヤクが笑わなくなった。

 自分はヤクを守れていると信じたかった。しかしそれは砂上の楼閣だった。何も解決なんてしていなかったのに。結局何からも彼を救えていなかったんだ。ヤクからまた笑顔が消えた原因が、自分にもある事実から目を逸らして。
 とんだ傲慢だ。いつもあいつは、泣いていたのに。心の奥底にある黒い感情が、人知れず育ってしまったことが、今回の暴走の原因の一つだろう。何処にぶつけていいのか分からないその感情を、誰も、自分でさえも受け入れようとはしなかったから。
 それをどうして、否定できようか。

 目を覚ます。朝靄がかかっていた。
 過去の夢なんて久しぶりに見た。

 ──立ち止まることは、苦しみを生み出してしまうこと。そしてその己を縛り付ける枷を外せるのは、己のみということ。

 ベンダバル家の思想を、今一度思い出す。自分もヤクも、過去から立ち止まったままだ。止まった時計のその針を、動かさなければならない。小刀を改めて握る。

 ヤクに対する心が、決まった。

 ******

 屋敷の一角で、部下から受けた報告と地図を見比べる。ヤクが襲撃した世界保護施設の実験施設がある村は、残り二つまで減っていた。残りの村は、森の村フォルストと草原の村プレリエ。どちらも地形を利用した、比較的大きな村である。
 ここガッセ村から近いのは、草原の村プレリエだ。ただヤクがつい数日前ここより近い鉱石洞に救出した子供たちを匿ったことを考えるに、彼が次に襲撃する村はプレリエの方が可能性が高い。ならばと先回りをすることにした。彼よりも早く森の村フォルストに向かい、ヤクを迎撃する。それを──。

「ベンダバル騎士団長お一人で、ですか……!?」

 部下が動揺の色を見せる。そうだと一つ頷き、続けて理由を説明する。

「……女神の巫女ヴォルヴァが言うには、カーサは再びここを襲撃しに来る。そうだな?」

 レイを見据えて確認をとる。今朝仮眠から目覚めたとき、深刻な面持ちでレイが訪ねてきたのだ。夢を見た、と。その夢は予知夢の方の夢であり、内容はこの村が二度目の襲撃を受けるとのこと。それがわかっていながら、全員をこの村から離脱させるわけにはいかない。
 しかし一刻も早くヤクを止めなければならないのも事実だ。こうしている間にも、ヤクは村人の命を奪ってしまう。目的の村を襲撃し終えたら、彼の足取りを掴むための手ががりが無くなる。それだけは避けなければならない。
 さらに言えば、今この場にいる面々の中で彼に対抗しうる力を持つのは、自分だけだ。ならば自分が行くほかあるまい。

「お前たちを信用しているからこそ、俺は一人で行くことができる。この村を必ず守り抜いてほしい」

 しばし沈黙が流れる。やがて一人の老兵がため息を吐く。苛立ちからではなく、どこか吹っ切れるような雰囲気だ。そんな彼が一歩前に出て、断りを入れる。

「ベンダバル騎士団長、少々の無礼をお許しください」
「なんだ?」
「……行ってこい、騎士団長。俺たちは、そんなアンタだからこれまでついてきたんだ。一人で勝手に行動して、解決して、それで俺たちのことを信じてると、いつも言葉にしてくれる。まったくズルいよアンタは」

 にこりと笑う老兵を皮切りに、部下たちが彼に同調する。兵たちの表情は明るい。誰一人として、不満のあるような態度の者がいない。部下の中には、自分より年上の兵もいる。そんな彼らも、自分の立てた作戦に異議を唱えずに送り出そうとしてくれている。自分は良い部下たちに恵まれている、改めて感じた。
 後ろに控えているレイやエイリーク、ソワンも同じように笑っている。

「すまんな、お前たち」
「騎士団長、ここは謝る場面じゃないです」
「……そうだな。恩に着る、お前たち」
「ノーチェ魔術長のこと、必ず連れて帰ってきてください。俺たち、あの人にも伝えたいことがあるんです」
「ああ、心得た」

 彼らの激励を受けて、その場は解散となる。スグリはそのまま、森の村フォルストに向かう準備をした。今回は高機動車よりも馬のほうが早い。屋敷に無事でいた馬の一頭を撫で、手綱などの装備を付けようとした。

 瞬間、脳裏にある光景がきらめく一閃のように駆け巡った。気付いた時には踵を返し、村の巡回をしていたヤナギたちの元へと急いだ。
 脳裏に掠めた光景は、ヤナギの首が地面に落ちる瞬間の映像。己の女神の巫女ヴォルヴァの力が見せた、の先読み。そんなことはさせないと、武器を握る手に力が入る。

 視線の先、ヤナギを先頭に村を巡回している村人の集団を捉えた。彼らの左脇に置かれた燃えた木々の残骸の中で、気配が蠢く。正体はわかっている。この村を襲撃したカーサの手駒だ。

「爺、伏せろ!!」

 叫び声に重なるように、残骸から気配が飛び出す。腕に回転式のカッターが装着されている、木製の人形。木を隠すなら森の中か。
 黒塗りの木で出来た操り人形がヤナギを捉える前に、間に入る。自分が得意とする抜刀術で、呆気なくそれは砕け散った。その騒ぎに控えていた村人が臨戦態勢に入る。
 残骸の奥から声が聞こえてきた。

「いやぁ参ったね。まさか防がれるなんて思ってなかったわ」

 出てきた人物は黒い制服を身に纏っている。恐らく彼が、最初にこの村に強襲を仕掛けたカーサの人間だろう。それにしてもタイミングが悪い。これでは、森の村フォルストに間に合わない。どうするか──。

"瞬け天上の住人達"シュテルネンリヒトッ!!」

 突然頭上を光り輝く球体が飛び、残骸の方へ一斉に落ちていく。土煙が舞う。
 背後から、こちらに向かってくる複数の足音が聞こえる。レイたちだった。エイリークは自分の前で大剣を構え、告げる。

「ここは俺たちが引き受けます!」
「お前たち……!」
「言ったよね。スグリのしようとしていることに邪魔が入らないよう、協力することは出来るって!」

 レイも同じく杖を構え、前を見据える。

「それに、スグリにお願いしたこと……必ず師匠に伝えてほしいから」
「レイ……」
「だから……行って、スグリ!俺たちは大丈夫だから!」

 彼らの声には決意が宿っている。それを信じよう。
 武器を鞘に納め、再び踵を返す。

「頼んだぞ、お前たち!」

 土煙が止む前に疾走する。急いで馬に乗り、村の裏側から駆けていった。
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