Fragment-memory of future-

黒乃

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第三話

第九十節  永遠の悲しみ

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 それは彼が、彼の仲間と再会する前のことまで遡る。

 アウスガールズに点在しているカーサのアジトの一つの、司令官室。その部屋の奥の仮眠室で、彼に馬乗りしたまま告げた。

「ヤク・ノーチェ。貴方はどの人間よりも人間的で、愚かしいほどに愛おしい」

 いつもは氷の術を使い、敵を凍結させることを得意とする彼。しかし今は彼自身がその術にかけられたように、指一本動かせないでいる。瞳だけが、動揺に揺らいでいた。

「そんな貴方だからこそ、私は貴方を愛おしく思うのです。一つ、貴方に提案があるのですが……。聞くだけ、聞いてみませんか?」

 にこりとあくまで人のいい笑顔を見せる。
 疑心暗鬼を隠さずに彼は、訝しげに聞き返してきた。

「提案、だと……」
「ええ、そうです。……世界保護施設に復讐する機会、欲しくありませんか?」

 彼がピクリと反応する。
 カーサにとって、世界保護施設は厄介な組織だ。自分たちが支配下に置こうとしている魔物ですら、彼らは実験のために乱獲している。カーサは、魔物による世界の食物連鎖を良しとしている。それが自然の摂理であることを理解しているからだ。ゆえに捕獲する魔物の数を、ある程度のところで線引きしている。
 しかし、世界保護施設の関係者は傲慢さに加えて貪欲だ。研究の成果のためならば種族の実験や研究、殺処分もどうということはない。実験台へを施すことも、自分たちの知的好奇心を満たす材料になる。そのために多くの魔物を乱獲して生贄として扱う。それでは自然の摂理が壊れていくのも、時間の問題。
 余計な魔物の乱獲はカーサの弱体化にも繋がりかねない。それ以前に、世界のバランスの話にも繋がっていくのだ。これはカーサだけではなく、ミズガルーズ国家防衛軍も危惧していると聞く。

 ヴァダースは、いつかは世界保護施設を殲滅しなければならないと考えている。だが現状としては、世界巡礼を行っているミズガルーズ国家防衛軍の存在によって、そこまで手が回らない。そんな中、興味を惹かれたのがヤク・ノーチェという存在だった。
 彼と初めて対峙した時、彼の心の奥に潜んでいる闇を感じた。その時は理由まではわからなかったが、なんにせよ興味が湧いた。そこから個人的に調べた結果、彼が世界保護施設の実験の被害者だということ、そして女神の巫女ヴォルヴァであることを知った。
 世界保護施設が行う実験内容は、安易に想像できる。彼らからの実験でどれだけ、苦痛な日々を過ごすことになったのかも。よく腐らず大国の軍隊の一部隊長まで上り詰めたものだ、と感心した。
 とはいえ皮肉なことだろう。力ない人間たちの身勝手で人生を振り回されたというのに、今やその人間たちをまとめる立場になっている。それなのに、彼の瞳は闇を孕んでいた。そこであることに気付く。

 己の理性と本能のズレで揺れ動く葛藤。それこそが彼の抱える闇の正体だと。

 彼は恐らく己の過去に縛られている。それなのに一部隊部隊長として、人間の見本となるよう立ち振る舞わねばならない。理性的な彼は確かに、そのように立ち回っているだろう。小島でアジトに潜入したミズガルーズの兵士を見れば、それくらい理解できる。同時に己の本能──欲が膨らんでいるのではないかと推理した。
 過去の経験から、人間がいかに勝手で業の深い種族であることか。文字通り身に染みて理解している彼が、彼らに復讐心を抱いていないわけがない。復讐心とはいかなくとも、負の感情を抱いていることに変わりはない。

 絶妙なバランスの上に立っている彼の天秤を、少し傾けたらどうなるのか。
 それを試したくなったのだ。

「つまりはその前哨戦、と言うべきでしょうか。最低限、このアウスガールズに巣食っている膿を除去出来れば構いません」
「……誰が、そんな提案など……!」
「それでは貴方は、今もなお彼らのせいで苦しんでいる子供たちを見捨てる、というのですか?」

 ヤクに緊張と動揺が襲ったようだ。目が見開かれる。
 ここに拉致する前、彼は一人の子供を身を挺して守った。それほどまでに大切にしていた子供の苦しむ姿を、彼なら簡単に想像が出来るだろう。彼のこの様子を鑑みるに、あと一手でこちらに落ちるだろう。

「彼らの実験道具である子供たちをどうしようが、私は興味ありません。彼らは自分達より力のない者には強く出ますが、逆に対してはとことん弱い。今の貴方なら彼らを殺すなんて容易い」
「っ……!」
「私たちは敵対関係。それは理解していますよ。ですが我々には、共通の敵が存在している。今だけ、私と共闘しませんか?」
「共闘……?」
「私は貴方に、今もなお稼働している世界保護施設の実験施設がある村の情報を、貴方に提供します。ミズガルーズ国家防衛軍では調べが届かなかった、小さな村さえもね。貴方はただそこを強襲してくれれば、それでいい」

 にこり、と笑う。まだヤクは揺れ動いているらしい。理性と本能の狭間で板挟みになり、それでもなお必死に理性で抑え込もうとしているのか。そんな彼を、ひどく美しいと感じた。

「世界保護施設の人間は殺してほしいのですが……。その後の子供たちの処遇は、貴方の好きにして構いません。それに彼らを匿っている村人のことも、貴方に一任しますよ」

 背中を押してみる。ヤクは一度俯き、訊ねてきた。

「……その、言葉……本当だろうな?」
「ええ、もちろん」
「っ……提案に、乗ろう」
「ふふ、ありがとうございます」

 そうして、ヴァダースはヤクと共闘関係となった。実際彼は、こちらが思った以上の働きをしてくれている。
 世界保護施設の実験施設を全壊させ、実験結果やその途中のレポートを全て焼却した。実験施設にいた研究員だけではなく、匿っていた村人全員を皆殺しにしている。確認したが、誰一人として生存者はいなかった。その徹底した破壊ぶりを見て確信した。

 ヤクの復讐心は、彼が想像するよりも大きく膨らんで、成長していたのだと。

 一度、強襲の様子を見たことがあるが、その時の彼は笑っていた。人間が自分の技でバタバタ死んでいく様子が、たまらなく面白いと。そえ笑顔が物語っていた。
 それと同時に、自分自身気付いていないことが滑稽だった。憎い人間を殺しつつも、自分が助けたい子供たちのことを忘れずにいたことも、それに拍車をかけていた。

 ******

 草原の村プレリエの襲撃を終え、彼が子供達を安全な洞窟へひとまず避難させた頃。洞窟の外に出てきたヤクに、次の情報を与える。

「お疲れ様です。次の村で最後ですよ」
「最後……?」
「ええ。次の村の実験施設が、この地に点在している世界保護施設の最後の施設です」
「そうか……」
「これで世界保護施設の力はダウンする。それにここまで大きな損害を被ったら、もうこの地に手を出そうとは思わないでしょう?」

 自分にとってもヤクにとっても、世界保護施設の戦力や彼らの智の結晶とやらが破壊されることは、利益のあることだ。ヴァダース──正確にはカーサにとっては敵対組織への牽制、ヤクにとっては子供の死の連鎖の断ち切り。

「それにしても、貴方がここまでしてくれるなんて正直思っていませんでした。途中で良心の呵責に耐えられなくなるかと思っていたのに」
「……」
「それでも続けたのは、の影響ですか?」

 その言葉を聞き届ける前に、彼は自身の杖をこちらに向けた。術は発動させないものの、向ける瞳の殺気には凍傷しそうなほどの冷たさを孕んでいる。そのことに言及することは許さない、とでも言いたげな表情。
 これは彼の地雷だったか。向けられた杖に手を置き、言葉を続けた。

「これは失敬。ですがその怒りは、最後の村で思う存分発散させてください」
「チッ……」

 ひとまずは抑えたのか、ヤクは杖を下す。胸ポケットから、渡されていた赤い鉱石を取り出した。

「おや、それを使ってしまうのですか?」
「……時間が惜しい。それに次が最後の村だというのなら、それ以降はこれはただの宝の持ち腐れだ」
「そうですか」

 地面に落とし足で踏みつければ、鉱石は割れ空間転移の魔法陣が展開する。赤い光に包まれて、ヴァダースとヤクは草原の村プレリエから姿を消した。

 そして無事に森の村フォルストに到着したが、目の前の光景を見て言葉を失う。ヤクは絶句して、立ち尽くしてしまった。
 何故ならすでに村は、炎に包まれていたからだ。
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