Fragment-memory of lilac-

黒乃

文字の大きさ
17 / 60
第一話

第十七節 寂しさに耐える

しおりを挟む
 ブルメンガルテンから帰還したスグリたち。玄関では、ヤナギが彼らの帰りを待っていたらしく、出迎えを受けた。ヤナギはその帰還した人員の中にアマツがいないことに気付いたが、まずは休息をとスグリに湯浴みを勧める。気を失ったままのヤクとアマツから託された刀を彼に手渡し、スグリはヤナギの勧め通りに湯浴みをすることに。脱出するときは必死で気付いていなかったが、手足が痺れるくらいにひどく冷えていた。
 誰もいない脱衣所で衣服を脱ぎ、静寂が包み込む風呂場に入る。湧かされていたお湯を風呂桶に入れ体を流すと、最初こそは痛みすら感じたが、やがてじんわりと熱が体を覆っていく。あたたかいな、純粋にそう感じる。

 ちゃぷん、と湯船に浸かる。再び静寂が下りる風呂場に天井の水滴が一つ、寂しく落ちた。それが嫌で嫌で、思わず湯に潜る。つい先日まで、ここもあんなににぎやかだったのに。一人で入る風呂が、こんなにも寂しくて静かなものだなんて。そんなこと、知りたくなかった。

 そう思うも、スグリは決して泣くことはしなかった。自分より傷付いているのは明らかにヤクの方だ。泣いたら、ヤクが泣けなくなる。泣かないように守るとは言ったが、泣きたいときに泣けなくなることは、させたくないと感じたのだ。
 それにこれからは、自分も領主として自立していかなければならないのだから。

 湯船から上がったスグリは勢いそのままに髪と体を洗い、用意されていた衣服に着替える。髪を乾かすこともそこそこに、彼はまずヤナギに報告することに。おそらく部屋にいるだろうと考え、ヤナギの部屋に向かう。
 スグリの予想通りで、彼は部屋にいたようだ。廊下に部屋の明かりが漏れていることを確認したスグリは、まずは部屋に入らずに声をかける。

「爺、今いいか?」
「若様。ええ、構いませぬ」
「入るぞ」

 許可をもらい、部屋の中に入る。ヤナギの部屋の奥の襖は開けられている。開かれた襖の部屋には布団が敷いてあり、そこにヤクが寝かせられていた。彼の顔を見たいが、まずはヤナギに事の顛末を報告することが先だ。ヤナギに対面するかたちで座りスグリはゆっくりと、しかし正確に起きたことを話す。

 ブルメンガルテンの研究施設に行くまでは順調だったこと。内部潜入も成功したこと。しかしその途中で出くわした研究員に、すべて壊されたこと。助けるために向かったはずなのに、ヤク以外の彼の仲間は死んでしまった子もいたこと。

 そしてその話を聞いたヤクが暴走を引き起こし、その暴走に巻き込まれてアマツが命を落としたこと。

 スグリから知らされたアマツの訃報に、ヤナギは一瞬息をのんだようだ。彼にとっては、アマツは己の息子でもあった。彼は帰還者たちの中にアマツがいなかったことで、ある程度は予想はしていたらしい。静かに一言、そうでしたかと呟く。

「けど、ヤクは悪くないんだ!アイツは、自分が助けようと思っていた仲間たちが殺されたって知ったことで、我を忘れちゃっただけだから……。だから、ヤクのことは責めないでほしい」
「もちろんですとも。この屋敷内でヤクを責めるような人物はいませんよ、若様。領主様のことについては残念には思いますが、それでもあの方は若様にヤクを託されたのでしょう?」
「うん。この子をお願いするって……そう、言ってた」
「ならば、我らが口を出すことはありませぬ。ご安心召されよ」
「……ありがとう、爺」

 そしてスグリは続けて、その後脱出には成功したがブルメンガルテンはその一面が氷で覆われてしまったこと、それ故にアマツの遺体を持ち帰ることはできなかったことも伝える。ヤナギのそばに控えていた刀に視線を送り、彼に告げる。

「父上の遺体は氷の中で取れないから……。その刀を、遺体の代わりとして埋葬してほしい。それが、父上の意思だったから」
「……かしこまりました。のちほど、手筈を整えましょう」
「ああ……頼む」
「……若様もお疲れでしょう。ひとまず、夕餉までおやすみになられてはいかがです?」
「……そう、しようかな……。悪いな、爺。とりあえずお言葉に甘えるよ」
「ええ。ごゆるりとおやすみくださいませ」

 時刻はまだ昼過ぎ。食欲もあまりなかったスグリはヤナギが提案するように、自分の部屋で少し休むことにした。そろそろと自ら布団を敷き、その上に横になる。今は起きて考え事をするよりも、眠っていたかったのだ。そして何より、今は自分しか知らない彼女──潜在意識に住むヴェルザンディ──に会いたかった。

 ******

 見覚えのある泉と樹木が見える。その傍らに、ヴェルザンディもいた。彼女はスグリに気付くと短く、やぁ、と声をかけられる。それに小さくうなずき返事を返してから、スグリは樹木の方へと近寄った。

「……お疲れ様だったね、スグリ」
「……ありがとな、ヴェル」
「いや、礼には及ばないよ。私は君の願いを聞いただけだからね」
「……そっか」

 それだけ言うと、スグリは伸びていた樹木の枝の上に座る。現実世界ではこんな姿は、もう誰にも見せられない。今度は自分が、村を引っ張らなければならないのだから。それでも弱気になることだってあるのだ。今がその時であり、自分だけしか知らない存在のヴェルザンディになら、安心して弱い姿を見せることができる。そう思ったのだ。

「……厳しいことを言うようだけど。これも運命の一つの結末なんだよ、スグリ」
「結末……?」
「初めて会ったときに、言ったろう?巫女ヴォルヴァの力を求めることは、今の平和な日常には戻れないってことだって」
「うん……」
「それに、キミがヤクと出会ったあの日も。私はある意味で忠告はしたよ、竹藪を進むか否かが、キミの運命の分岐点の一つになる。この先の竹藪に進めばキミは、二度と戦いの運命からは抜け出せない、とね」
「……わかってる……。全部、俺が決めたことだから……決めたことで、決まったことなんだって……わかってるよ……。それに、ヤクを守りたいって思ったのは、俺の本当の、気持ちだから……。それは、本当のことだから……」
「……そっか」

 さらさらと風が吹く。悲しくなるくらいに優しい風だった。

 己の言葉の通り、スグリはこれまでのことが全て自分の判断によって齎されたものであるということは、頭では理解していた。ヤクを優先したことも、後悔はしていない。あの時も、今も。それが自分の為すべきことだということは、誰よりも理解していた。
 しかしまだ彼は十二歳の子供であることには変わりない。ゆえに覚悟できていなかったのだ。突然訪れてしまった肉親との別れに対する、覚悟が。
 今日と同じ明日が来ると信じていた。今日と変わりなく、父親が隣にいてくれるものだと疑わなかった。その淡い希望が目の前で消えた。その衝撃にまだ、心では慣れることはできない。そこまですぐ整理をつけられるほど、スグリ・ベンダバルはまだ成長できていない。

 そのことを、ヴェルザンディは理解していた。
 そしてただでさえ小さい子供の背中が、一層小さく見えたのか。ふわりとスグリのそばに寄ると、彼に膝枕をさせる。突然の行動に、スグリはといえば呆気にとられている。

「ヴェル……?」
「今日はもうゆっくり寝た方がいい。このまま起きてても、思考がぐちゃぐちゃになるだけだぞ?」
「そうじゃなくて、どうして膝枕なんて……別にいいのに」
「おいおい、運命の女神さまの膝枕なんて激レア中の激レアなんだぞ?存分に堪能してくれたまえ」

 そのままよしよし、とまるで親が子供を甘やかすように頭を撫でられる。結局彼女は、自分に膝枕をした理由を話すつもりはないらしい──どうしてもそれが聞きたいというわけではなかったが。言われるがままヴェルザンディの言葉に甘えるように体を預けてみると、どうしようもなく安心している自分がいることも確かだ。人間のようにぬくもりのある温度に、包まれる感覚を覚える。

 心のどこかで思う。まるで母親のようだと──スグリにとってヴェルザンディの存在は母親というより、年の離れた姉のような感覚なのだが。
 もしも母親が生きていたら、自分はこんな風に甘えることがあったのだろうか。そう思考を巡らせようとして、考えをやめた。それはないものねだりだ。あったかもしれないという可能性なだけの話であって、実際にそうすることはできないのだとスグリは幼心に理解していた。

「どうだい、気持ちいいだろう?」
「……あったかい」
「それは何より。暖かくなれば眠気も下りてくるよ。目を閉じてごらん」

 その指示に従って瞳を閉じれば、目の辺りを手で覆われるような温度を感じた。じんわりと筋肉を和らげるような、芯に優しく届くような温度が心地よい。己が一人ではないという安心感に加えて、包まれるような温度。それがあればスグリの眠気が誘われるには、十分な理由だった。寝るつもりなんてなかったはずなのに、今はこの温度に包まれて眠りたいと思う。

 そうして意識を手放す直前に、スグリの耳にはその声が届く。
 慈しむようなヴェルザンディの、「おやすみ」という声が。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

隊長さんとボク

ばたかっぷ
BL
ボクの名前はエナ。 エドリアーリアナ国の守護神獣だけど、斑色の毛並みのボクはいつもひとりぼっち。 そんなボクの前に現れたのは優しい隊長さんだった――。 王候騎士団隊長さんが大好きな小動物が頑張る、なんちゃってファンタジーです。 きゅ~きゅ~鳴くもふもふな小動物とそのもふもふを愛でる隊長さんで構成されています。 えろ皆無らぶ成分も極小ですσ(^◇^;)本格ファンタジーをお求めの方は回れ右でお願いします~m(_ _)m

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...