Fragment-memory of lilac-

黒乃

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第二話

第二十三節 不在の友を思う

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 白い大人たちが自分たちを蔑む目。あげられた拳は振り下ろされて、痛みと恐怖を植え付けられる。口から吐き出されるのは罵倒の数々。何度やめてと言っても聞いてくれない耳。地獄というものがあるのだとするのならば、こんな場所なのかと思っていたくらいだ。

 ──痛い、怖い、苦しい、恐ろしい。

 いや、怖かったのはそれだけじゃない。今でも思い出される。ねっとりとへばりつく、あの生ぬるい感覚。
 本で読んだ犬という動物みたいに荒く息をしながら、抱き着いて、締め上げて、捩じり込んで、吐き出して。体が二つに裂けてしまうと、何度も泣いた。嫌な臭いがする液体を体中にかけられて、その様子を楽しそうに笑って。

 ──気持ち悪い、嫌だ、やめて、こないで……。

 そこからみんなで逃げようと、必死に助けを求めて。その先で出会った人物に少しの安心を覚えて、救おうと手を差し伸べてくれる人たちがいて。頑張ろうって、久々に思えた。あともう少しで、みんな助かるんだ。そう思っていたけど。
 気付いた時には、周りには真っ赤な池が広がるだけだった。赤黒いものが点々と落ちている中で、一人そこに佇んでいる。息苦しい匂いに包まれて、赤黒いものの中で唯一見える白い部分を見て、それが人間の目だということに気付く。

 全員が、自分を見ている。
 どうして自分が生きているのかと、無言で問いかけてくる。
 どうして助けてくれなかったのかと、圧力がかかってくる。

 一人、二人と増えていく中で、ひと際大きく響く声が一つ。

「……どうして、一緒に逃げようねって……言ったのに……」

 大事だった、守りたかった、助けたかった人物の声。
 責めるようなその声を聞くと、自分の犯した罪が再確認されるようで。
 無駄だとわかっていても、手を伸ばさずにはいられないのだ──。

 ******

「っ……!」

 がばり、と跳ね起きて最初に視界に入ったものは、見知らぬ部屋だった。ここはいったいどこなのだろうかと辺りを見回して、自分の隣ですやすやと寝息を立てているスグリの姿が見えたことで、安心する。部屋の窓にはカーテンが引かれてあり、そこからでも差し込んでくる日の光が暖かい。どうやら自分はベッドで寝かされていたようだと、徐々に覚醒する意識の中で考えた。
 スグリが隣にいるということは、少なくともこの場所は安全なのかもしれないと考えていると、不意に部屋の扉が開いた。身を固くして警戒すると、扉の奥からは見知らぬ男性が入ってくる。その人物はヤクが起きていることに気付くと優しい笑みを浮かべながら、ゆっくりと近付いた。

「ああ、目が覚めたか。よかった、心配していたぞ」
「……だ、れ……!?ここ、どこ……?」

 その男性の衣服が白いものではなかったことで、まだ恐怖は抑えられた。恐る恐る尋ねれば、男性はベッドの近くにあった椅子に腰かけ、ヤクの質問に答えていく。

「はじめまして、私はリゲル。ここの孤児院の院長をしている者だ。私の言葉は、わかるかね?」

 その質問に、一つ頷くことで答える。ヤクの反応を確認したリゲルは、一つ一つを丁寧に説明した。

 まず、この場所はこの男性──リゲルが言ったように、親や兄弟を亡くした子供や理由があって家族と一緒に過ごせなくなった子供たちが住んでいる、孤児院であること。リゲルはその孤児院を運営している院長であること。何故ヤクとスグリがそんな場所で寝ていたのか、それは数日前のことにさかのぼる。

 ヤクの記憶の最後にあるのは、孤児院の中に案内されたところまで。その場所までは、スグリと自分を背負っているルーヴァと一緒にいた。そこが安心できる場所だと教えられ、一度周囲を見渡したような気がする。そこで楽しそうに遊んでいる自分と大して変わらないような子供たちを見て、ようやく心が落ち着いたのか。それまでの緊張や疲れが原因なのかは不明だが、自分はその場で気を失ったとのことだった。

「気を失ってから、丸三日経っているのだよ。お前の隣で寝ているスグリは、それはもう気が気じゃないって心配していたぞ」
「……スグリ……」
「もちろん、お前をここまで運んできたルーヴァも同じ気持ちだっただろう。軍の仕事で忙しいというのに、お前の様子を見に訪ねに来ていたのだから」
「っ……」

 その言葉で、あの海の色をした髪の人物を思い出す。スグリはあの人のことを、信用しているのかどうか。もし彼がルーヴァを信用していたとして、自分も同じように信用できるのだろうか。
 実際、自分もよくわからないでいた。確かにあの人物は、記憶の中にいる白い人物たちと違うということは理解していた。優しく微笑みかけ、温かい食事を用意してくれて、ここまで背負ってくれたのだから。しかしどうしても、体が拒否反応を起こしてしまっている。いまだ恐怖は消えないでいる。
 無言のまま俯いたヤクを見て、リゲルは彼の頭を優しく撫でる。その感覚に戸惑いながら彼を見れば、温かい光が宿っている瞳で諭すように話しかけられた。

「……まだ信用できないのも、無理はないだろう。見たところお前は、ひどい扱いを受けてきたのだろうから」
「っ、ど、どうし、て……それ、が……?」
「こう見えて、私も医者をしていてな。年の割に細い手足やお前の体を見て、一目でわかったよ。これは、口にするのも悍ましいことをされていたのだと。それに眠っている間、うわ言のようにごめんなさいと繰り返していたからなぁ……」
「あ……」

 リゲルの言葉を聞いて、思わず口に手を当てる。夢を見ていたのだ。自分が殺してしまった人たちに責められる夢を。スグリは自分は悪くないと言ってくれたが、どうしても殺してしまったという自責の念が消えないのだ。事故であれ何であれ、人の命を奪ってしまったことは、事実なのだから。

「辛かったろうに、なんて言える立場ではないかもしれんがな。少なくともこの孤児院にいる間は、お前は幸せになっていいんだ。そのために逃げてきたって、スグリが言っていたぞ」
「……僕、は……幸せになっちゃ、いけないのに……」
「あまりそう言ってくれるな。それ以上言うと、お前のために一生懸命なスグリを悲しませることになるぞ。友達を悲しませるのは、お前も嫌だろう?」
「……いや、だ……」
「そうだろう?それに、言霊という言葉を知っているか?」

 言霊。初めて聞く言葉に、知らないと首を横に振って答える。
 言葉にも、霊魂が宿るのだそうだ。口から発する言葉に宿ったそれは微力なれども魔術のようなものであり、自分に跳ね返ってくるものなのだと。自分は不幸でいなきゃいけないと口癖のように言ってしまうと、本当に不幸になるように人生が引っ張られてしまうのだと説明を受ける。

「だから、自分で自分の人生の価値を下げてはいけない。わかったかね?」

 人生の価値。そんなもの、自分が持っていてもいいのかと不安になるが。

 ──だから!そんな父上の願いを、勝手に捨てるなよ!!生きることを諦めようとするんじゃねぇ!何のために父上がお前を俺に託してくれたのか、それくらいは考えてくれよ!それに俺だって、まだお前と友達になれてないのに!

 そう叫んだスグリの言葉が、ふと頭によぎる。スグリの父親はどうして自分を助けたのか。スグリは己の解釈で、ヤクに告げていた。
 自分にはこれからも生きて、楽しいことをたくさん感じて、笑って、幸せに生きてほしいから助けられたのだと。己の父親は自らの命を投げ捨ててまでも、ヤクを生かした。そして己は彼から命を託されたのだと。

 ヤク自身も、そのことについて考えたいと強く感じていた。だから、スグリと共に逃げてきたのだ。自分の人生の価値を下げてしまうと、一緒についてきてくれたスグリの人生の価値の下げてしまうのか。それは、嫌だ。物凄く。

「……わかった……」

 おずおずと答えると、満足そうに笑うリゲルに優しく頭を撫でられる。されるがままでいたが下の方から何やらうめく声が聞こえ、視線を下に落とした。音の正体は、スグリだ。ヤクの隣で寝ていたスグリがもそりと起き上がり、瞼をこすりながら欠伸をする。寝ぼけ眼だった彼が起き上がっていたヤクの姿を捉えると、途端に覚醒して声をかけた。

「ヤク!起きたんだな、よかった。どこか痛いところはないか?苦しいことか、嫌なこととか、あとええっと……!」
「こらスグリ、そんなに急かしてはいかんだろう。安心するのはいいが、落ち着きなさい」
「あ……ご、ごめんなさい」
「大丈夫……。お、おは……おはよ、う……」

 たどたどしいかもしれないが、彼の家で匿われていた時にかけられていた言葉を口に出してみた。すると数秒の沈黙の後、顔いっぱいに笑顔を張り付けて答える。

「ああ、おはよう!」

 その笑顔に安心感を覚えるも、どうしてか胸が締め付けられるような感覚に陥る。どうしてその笑顔が、記憶の中にいる人物のものじゃないのかと考えてしまう。人殺しの自分が、こんな笑顔を向けられていいはずがないのに。

 ……ダメだ、これは悪い考えだ。それにメルツとスグリは別人だ。そんなの、わかりきっていることのはず。それに彼は、自分の命の恩人なんだ。それなのに、どうして目の前にいる人物がメルツじゃないのかなんて、非常識なことを考えてしまったのだろう。これが、自己嫌悪というものなのだろうか。

「……ヤク?」

 不審に思ったのか、スグリが心配そうに顔を覗き込む。我に返り、なんでもないと告げた。その反応にスグリはそれ以上追及することはなく、起きたのならば朝食を食べに行こうとリゲルに勧められる。

「行こうぜ、ヤク」
「あ……うん……」

 この気持ちは、考えは、しまっておかなければならない。強くそう思いながら、スグリとリゲルの後を追うヤクであった。
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