Fragment-memory of moonlight-

黒乃

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第一話

第十五節 達成のための一歩

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 昇進試験まで、あと10日。その日もシューラとの組手から始まった。シューラは相変わらず、手をポケットに入れた状態の構えだ。それに対しヴァダースは右足を前に出し、少し腰を落とした態勢で構える。前に出した足の幅は、二個分の足の大きさ分だけ固定。視線はそらさず、一点にシューラの目を射抜こうとする。

「ここ数日で一番いい構えになりやがって。今日もいつもと同じだ、アタシが止めっていうまでの時間無制限組手。……いいよ、どっからでも」
「……その余裕、今日は崩しますよ」
「やってごらんよ。だけどな──」

 シューラが言い終わる前に、ヴァダースは一気に距離を詰める。いつもは簡単に躱されるが、今日は違う。一瞬怯んだシューラの喉元に、マナで編み込んだナイフを突きつける。体勢は低めのままの、一瞬の早業。これまでとは違うヴァダースの変わりように、シューラは警戒を強めるように話す。

「……間合いを制したか」
「ええ。貴女が視線を逸らさないでいてくれたおかげで、前の足をゆっくり前進させていることに気付かれずに済みました。距離が測れれば、あとは詰めるだけ。今まで貴女がしてきたような方法ですよ」
「へぇ。それも見破ってたか」
「貴女の場合は、軸足を含め体全体を前側に倒していたのでしょう?それで間合いを誤魔化し、そのあと向かってきた相手に実際の距離よりも遠い位置まで後退することで相手の体勢を崩し、反撃を入れていた……」

 ヴァダースが説明すると、シューラはふかしていた葉巻を床に落として笑う。
 その様子から、ヴァダースの説明が正解だと言っているように見受けられた。

「ご明察だよヴァダース。その通りさ。組手の間合いってのは、うまく使えば大きい相手にだって小さい相手にだって負けないくらい、強固なものだ。ようやくそこに着眼点を置いてくれたか」
「まぁ、あれだけ殴り飛ばされれば。あとは書物からの知識ですがね」
「上等さ。他の奴らではやらないだろうね。ここにいる連中は、座学ってのがとことん嫌いらしいし」
「そうみたいですね。娯楽スペースに置かれていた本はどれも色褪せてはいましたが、埃が被ってて使われた形跡がほとんどなかったですし。あと──」

 ヴァダースはシューラから離れ、手にしていたダガーで背後から迫っていたあるものを弾く。キン、と硬い金属音が聞こえた直後、それが床に落ちる音が遅れてやってくる。それは彼が使っているとは別のナイフであり、狙いはヴァダースに向けられていた。目の前のシューラはにやり、と笑みを深くする。

「私も、使えるものは使っていこうと決めたんです。生憎とので」
「……はははっ!御見それ申したとはこのことだね!いい根性になってきたじゃないか。何が聞こえたんだ?」

 彼女の問いかけに、ヴァダースは空気の揺れる音だと答える。万物は移動する時、空気の流れが発生する。彼はその音を聞き分け、自分に向かってくるナイフを手にしていたナイフで弾いたのだ。

「貴女はいつも、私が隙を見せてから攻撃をしてきたので。それに、止めと言ってなかったので、何か仕込んでいそうだなと思ったまでですよ」
「いい読みが出来るようになってきたじゃないか。短期間でよくそこまで身につけたもんだね、大したものだよ」
「お世辞ならいりませんよ」
「馬鹿野郎、アタシがアンタに対して媚びへつらった態度とると思ってんのか?純粋に褒めただけなんだ、素直に受け取りな」
「まぁ、そういうことにしておきます」
「相変わらず生意気なお坊ちゃんだこと。まぁ、今日はここいらで止めだ」

 シューラの言葉を受け、ヴァダース息を吐き構えを解いた。ナイフに込めていたマナも解き、元の状態に戻す。シューラは胸ポケットから葉巻を取り出し火をつけると、話を続けた。

「さて、組手の攻略が分かったんなら、明日からはもっと厳しくしごいてやるよ。アタシも魔術や武器を使っていくから、覚悟しな」
「……大人げないですね」
「ばーか、言っただろうが。次の昇進試験で優勝しなきゃ、アンタは地獄の娑婆に逆戻りなんだよ?アタシとしても、アンタには上に行ってさらにボコられてほしいからね。勝ってもらわなきゃ、それを拝めることもできないだろ?」
「性格悪いですね、貴女」
「誉め言葉としてもらっとくよ。とにかくだ、前にも言ったけど昇進試験では殺しもありのルールで戦うんだ。生き抜くための対策だよ、対策」

 わかったのなら返事、と返される。やれやれ、といった態度で返事を返せば、彼女はあくどく笑いながら、泣くんじゃないよとからかってきたのであった。
 それから昇進試験前日まで、これでもかと言わんばかりにシューラに叩きのめされる毎日を過ごした。それでも何故か、手や指は怪我をしないように極力控えられていた。

 そんな日々を生き抜き、いよいよ昇進試験当日。

 修練場全体を見下ろせるバルコニーのような場所には、あの有名な音楽家貴族の御曹司が戦うということで、野次馬が広がっている。修練場自体にも興味本位で見学に来たのだろう、訓練生が多く屯していた。彼らから称賛はなく、どうせ負けて終わりだのお坊ちゃまが何ができるんだの、蔑みの言葉ばかり並んでいるようだ。
 予想できていたことだが、いまだに己を何の力も持たないお坊ちゃんだと考える人物が多いようだ。嫌気にため息を吐けば、シューラがからからと笑う。

「だから言ったろ。ここの連中の間でも、名家ダクター家の名前は有名だって」
「みたいですね。まったく、馬鹿馬鹿しい」
「なら、ちょうどいい機会じゃないか。アンタがなんもできないお坊ちゃんじゃないって、力で示してやりなよ」
「はぁ……」

 時間だ、と審判役を務めている戦闘員に呼ばれる。
 まるで戦士と魔物を戦わせる闘技場のようだと感じながらも、リングに向かう。その直前に、シューラに思い切り背中を叩かれる。案外強く叩かれ、文句の一つも言おうと振り返ると、そこには悪い笑顔を浮かべたシューラ。

「全員叩き潰してやりな、ヴァダース」

 その言葉は、彼女なりの声援なのだろう。それを理解したヴァダースは、文句を胸にしまい込む。

「そんなの、当然ですよ」

 そう返事を返し、ヴァダースはリングに上がる。最初の対戦相手は、屈強な男訓練生だ。審判は、ヴァダースがリングに上がったことを確認すると「はじめ」と合図を出す。
 相手は自らの筋肉を惜しげもなく見せびらかしながら、対戦相手が自分だと知ると高らかに笑った。

「ハッハー!!こいつぁラッキーカードを引いたぜ!お貴族お坊ちゃまにゃあ悪いが、俺は遠慮なんてしないからかく──」

 男が言い終わる前に、ヴァダースは一瞬で男の懐に入る。
 たじろぐ男。それに意は介さない。
 問答無用で男の胴体に、マナで編み込んだナイフを突き刺した。男は痛みに一瞬体の動きが止まる。振り上げられた拳が直撃する前に、ヴァダースはナイフを引き抜き男から距離をとった。
 見た目ほど頑丈ではないのか、突き刺された部分を抑えながら男は膝をつく。恨みがましく己を見上げながら、罵倒の言葉を口にする。

「この、ガキ!!前口上の間に、不意打ちとかふざけんなよ!?」
「……貴方、馬鹿ですか?審判ははじめ、と言ったではありませんか。ここでは何でもありなんでしょう?」
「はぁああ!?」
「悪のヒーローにでもなったつもりですか?それとも相手が元貴族のお坊ちゃんだからと、ハンデを与えたつもりですか?どちらにしろ、馬鹿ということに変わりありませんね。薬を……って、ああ申し訳ありません。馬鹿に付ける薬はないんでしたね」

 くす、と蔑みながら笑えば、男は怒り心頭になったのだろう。腹からの出血をものともしない、と言わんばかりに立ち上がり、ヴァダースに向かってくる。それを冷静に見極め、相手の拳が振り下ろされたタイミングを狙い、跳躍。踏み込む際に風のマナを集束させ、ブースターのような役割をさせた。
 男の頭上を制したヴァダース。遠慮なしに露わになっていた男の頸動脈を切る。
 その後綺麗に着地したヴァダースの背後では、男は地面に倒れ伏す。男が動かないことを確認した審判役の戦闘員は、勝者をヴァダースと定めた。

 急激に静まり返る修練場内。しかしそれも一瞬のことだった。瞬時の決着だったことへの衝撃か、はたまたヴァダースの動きに対する恐れか、やがてざわつき始めた修練場内。ヴァダースはその中を悠然と歩き、シューラの元へ向かおうとする。

 だが──。

「何でもありなら、やっちまえ!!」
「ああよ、最初に坊ちゃんを黙らせればいいことだ!!」

 そんな野次が合図と言わんばかりに、残りの昇進試験の出場者が一斉にリングへと向かう。彼らの狙いはヴァダースただ一人だ。審判の制止の声を無視し、熱が入った彼らはヴァダースへ攻撃を仕掛けていく。
 そんな中、ヴァダースは一つ溜息を吐いて呟く。

「……あまり幻滅させないでほしいですね」

 それだけ言うと、まずは向かってきた魔力の弾を振り向きざまに両断。爆裂し、煙が舞う中で、一人一人の攻撃を躱す。躱しながら、マナを集束させナイフを作成しては投擲していく。当たれば御の字だと考えながら。
 彼には、物事を聞き分けられる耳がある。右目を使わないで戦う方法は、ここ数日でシューラにこれでもかというほど叩き込まれた。いつになく体が動く。部屋で一人筋トレしていたことも功を奏しているのだろうか。

 爆炎が収まりかけ、視界が開けていく。ヴァダースはちょうどリングの真ん中の位置で構えている。今が好機と、訓練生たちは一斉に飛び掛かった。
 そのタイミングが、ヴァダースの狙いと気付きもせずに。彼が一瞬だけ笑みを浮かべたことに気付けたのは、彼を今まで鍛え上げたシューラただ一人だった。

 大きく両腕を広げる。次の瞬間、飛び掛かってきていた訓練生たちの動きがピタリと止まる。まるで、蜘蛛の巣にかかった蝶のように。何本もの風の糸が、彼らを絡めとっていた。そして糸の先端は、ヴァダースの指と繋がっている。

「最後に教えて差し上げますね。私がナイフをあらぬ方向に投げたと考えた方も多いでしょうが、最初からこれが目的だったのですよ。あなた達の動きを封じるための策です」
「な……!?」
「加えて、その糸は風のマナを何重にも圧縮して作られています。今は普通の糸に見えるでしょうが……私が少しでも指を動かせば、あなた達の体はバラバラに引き裂かれますよ」
「なめやがって、このガキ!!」
「……降参してくれませんか?私も自分の意志で一斉に殺すなんてこと、あまり経験がないものですから」

 にっこり、と年相応に見えるように笑みを浮かべるヴァダース。
 この昇進試験では、殺し以外にも降参が認められている。身動きのできない彼らに選択肢を与えるも──。

「ふざけんな!誰がてめぇなんかに頭さげっかよ!」
「そうだ!どうせその右目使ってんだろ、誤魔化すな!」
「おあいにく様。私が右目を使ったことが分かった瞬間、私の首は吹っ飛んでますよ。そういう仕掛けが施された首輪をしているのでね。その起爆スイッチは、審判の方が持っています」

 ちら、と審判を見やる。
 そう、昇進試験が始まる前にシューラから言い渡されたのだ。今回の昇進試験において、右目の使用は禁ずると。違反した場合は、その場で殺処分にする、とも。処刑のための首輪は、今も作動していない。つまり、審判から見ても今のヴァダースが右目を使用していると判断していない、ということになる。

「……残念です。未来の同僚になれるかと思ったのですが……私の思い違いでしたね。それではみなさん、ごきげんよう」

 それだけ告げると、ヴァダースは容赦なく指を動かし、絡めとっていた昇進試験の出場者全員の肉体を切断する。悲鳴と鮮血が舞う中、ただあるがままに佇んでいるヴァダース。リングに散らばった肉塊からは、もう誰の声も聞こえない。

「審判、他に出場する方はいらっしゃいますか?」
「……いや、お前が降参を提案していた時に数えさせてもらった。今回の昇進試験の出場者は、お前以外の全員が死亡した」
「そうですか」
「よって、ヴァダース・ダクター。お前を今回の昇進試験の優勝者とする」

 静かに告げられた優勝宣言。それに対し、ヴァダースはやはり、にこりと笑うだけであった。
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