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第二部 1章 青年期 魔術学校編
18「水面に浮かぶ小さな光」
しおりを挟む本を読みながら彼の屋敷を歩いていると、イエローキャブが屋敷へと向かってきているのが廊下の窓から見えた。
私は読んでいた本を窓の縁に置き、緩やかな階段を駆け降りて車庫へと向かう。その道中、老執事型魔導骸である『ヴィクトル』に声を掛けられたが、「ごめんなさい。今日は本当に大事な日なの」と言い残して、私は車庫へと続く扉の前で立ち止まった。
車庫に続く扉のドアノブを強く握るが、手が震えて思うように扉が開かない。
落ち着け、大丈夫だ。緊張するなロータス。
私は治安維持部隊の部隊長だ。
相手は十六歳になって間もない青少年。
私とはひと回りも年が離れた男の子だ。
数ヵ月振りに彼とデートとセ○クスをするから、少し緊張しているだけ。
こっちのペースに持ってけさえすれば、どうと言うこともない。
「私は水面に浮かぶ小さな光。私の中にある心の光は緊張を取り去り、安らぎをもたらしてくれる。荒れ狂う波は静まり、海岸には穏やかな波が寄せてくる。私の内側でも同じようなことが起こり、静寂と平穏が訪れると共に緊張は消え去る」
自分自身に言い聞かせる為に、私はお気に入りの詩をさえずる。すると指先に力が入ってドアノブが回った。
ワルキューレに整えさせたワンサイドヘアを少しだけ乱れさせる。その後、私はわざわざ彼のために履いたパンプスに視線を送り、息を整えながら彼を睨み付けた。
「っはぁ……っはぁ……アクセル。遅かったじゃないの。二時間の遅刻よ。今日はデートをするって約束したでしょ?」
「こんばんは、ロータスさん。今日は一段と素敵なスーツを着ていますね。これから夜のお店に面接でも行くんですか?」
憎たらしい彼氏だ。本当にコイツの子供を孕んで良いのかさえ疑ってしまうほどにだ。
私はひと呼吸置いた後、アクセルがイエローキャブから降りたのを確認して、彼の腹部へとボディブローをキメる。
どうやら後天性個性の【磁力操作】とやらを使用して、ボディーブローを避けるつもりはなかったようだ。
車庫に倒れてしまった彼が心配になり、私は咄嗟に「ごめん。そんなつもりで殴ったワケじゃないの」と言って駆け寄って、手を差し伸べる。
「大丈夫? 頭とか打ってない?」
「平気ですよ。それより久し振りのデートなんで、シャワーを浴びてきても良いですか?」
「うん。良いけど……こんな夜まで何してたの?」
「今日も仕事です! オブリビオン神学校に居るノクターン校長と、五番街の復興について話し合ってました!」
彼はそう言って勢いよく立ち上がり、床に置いていたバッグを背負い始める。
アクセルは袖口で手のひらの汚れを拭った後、私の手を握って屋敷へと戻っていった。
「ふーん。五番街の復興ね……」
彼の隣を歩きながら、「五番街の復興って何から始めるのよ。具体的な取り組みとかは決まってるの?」と問い掛ける。
何の捻りもなく問い掛けたが、これが間違いだった。
私は、彼が急に便利屋ハンドマンのオーナーを受け継いだから、突発的に『復興』という言葉を口にしたのだと思った。
だけどそうではなかった。
アクセルは廊下の真ん中で立ち止まり、背負っていたバッグの中を漁り始める。
その後、彼は分厚いファイルケースを取り出して「これが僕とダストのとっつぁんが目指す理想郷です」と言い、続けて「シャワーを浴び終えるまでは読んでていいですよ」と告げてきた。
「え? ちょっと待って! こんなに分厚い辞書みたいな書類なんて見れる訳がないでしょ! それに貴方のシャワーってすぐに終わるじゃん!」
「これからデートなんですよ? それに仕事の話は後ででもできますからね!」
分厚いファイルケースを捲ろうとしたが、彼の言葉で思い止まった。
これからデートだっていうのに、こんなに分厚い辞書みたいな復興計画書を読んでいる場合ではない。
私にはやらなければならない事がある。
それから少しした後、私たちはヴィクトルが運転する浮遊型蒸気自動車に乗り、五番街の中でも富裕層や貴族といった者たちが住む『アイランド』と呼ばれる区画内へと車を走らせた。
隣に座っているアクセルは、今日に限って不気味な手首の形をした防護マスクをつけておらず、健気な子供のような笑みを浮かべている。
それに気を遣ってくれているらしく、いつも着ているような黄色いコートではなく、今日は金の刺繍が施された黒いナポレオン調のジャケットを着ていた。
「ロータスさん、そんなにジロジロ見てどうしたんですか? もしかして僕の格好良さに見惚れたとか?」
「ち、違うわよ……」
しまった。注目しているのがバレてしまった。
馬鹿野郎ロータス。何をやっているんだ。
落ち着くんだロータス。このままでは彼のペースに持ってかれてしまう。
詩を朗読して心を鎮めるんだ――。
「私は水面に浮かぶ小さな……」
「『私は水面に浮かぶ小さな光。私の中にある心の光は緊張を取り去り、安らぎをもたらしてくれる』でしたっけ? 凄く素敵な詩ですね。落ち着くにはピッタリだと思いますよ」
コイツ――。もしかして私が詩を口ずさんでいるのに気付いて、一字一句全て覚えたのか!?
それからというもの、私が何かを口にしようとする度、彼はしたり顔になって「僕の目を見て言ってください」と言い、からかってきた。
十六歳になって間もない大人に、子供扱いされるとは思いもしなかった。
そうこうしている内に、空路を走るヴィクトルの浮遊型蒸気自動車が、四番街へ繋がるケーブルカーの元へと到着した。
「え? 今日って私が予約した五番街のレストランで食事をするんじゃないの?」
「それはキャンセルしておきました。今日は僕のデートプランに付き合ってもらいますからね――」
先に車から降りた彼に手を差し伸べられ、私は心臓の高鳴りを抑えながら彼の手のひらに手をそっと乗せる。
それから私たちはケーブルカーに乗り、水の都と呼ばれる四番街へと足を運んだ。
「ねえアクセル。どうして四番街をデート先に選んだの?」
「今日は貴女と過ごす特別な日にしたいんです。だから、とびっきりのデートスポットを見つけておいたんです」
彼はケーブルカーに他の人が乗っているのにも関わらず、堂々と私の手のひらを握り締めてくる。
自分の同年代の男や昔の彼氏、一夜限りの男では絶対にしてこない行動だった。
それに彼らとアクセルの違いは、純粋無垢な笑顔だった。
「少しだけ歩きます。ロータスさんはヒールなので、疲れたら言ってくださいね?」
彼はそう言って私の歩くペースや足の痛みまで心配してくる。
大人な私が彼の歩幅に合わせるつもりだったが、既に彼が私の歩幅に合わせてくれていたらしい。
それから私は温泉街を彷彿とさせる街並みや赤い橋の上を渡り歩き、アクセルに導かれるままに、とある屋形船へと足を運んだ。
どうやらアクセルの話によると、今宵はバーレスク・ノヴァ劇場と魔術師がコラボしてショーを披露するらしく、彼はそれを私に見せたかったようだ。
私たちは屋根の付いた屋形船に乗り込み、バーレスク・ノヴァが行うショーとやらを観ることになった。
溜め息をつきながら、私はアクセルに「どうせ魔術師とのショーってロクなもんじゃないんでしょ?」と尋ねる。しかし彼は頷かずに、ただひたすら屋形船から、外の景色を見続けていた。
「ねえアクセル。聞いてるの?」
「聞いてますよ。とりあえずお酒でも飲みましょう」
彼がそう言うので、私は運ばれてきた瓶ビールの栓を開けて口をつける。
正直な話、アクセルのデートプランなんてたかが知れていた。
バーレス・ノヴァはストリップ劇団だ。魔術師とコラボをしたからって、ヤることと言ったら服を脱いで歌ったり踊ったりするだけだに違いない。
「――え? あの光って何?」
「見えてきましたね。あれがバーレス・ノヴァ劇団と魔術師たちに頼んだ、【花火】という演目です」
「この光って花火って言うの?」
「はい。今日は特別な日です。目に焼き付けてくださいね、ロータスさん」
私は屋形船の窓から身を乗り出して光を覗き込む。
アクセルが指を向けた先にある光は、水面に浮かんだ大きな水の球体の中で弾けていて、その中で【花火】と呼ばれる光の集合体が色鮮やかに煌めいていた。
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