上 下
33 / 463
第一章

第三三話 交渉

しおりを挟む
 宴会で酔い潰れ、一升瓶を抱えて寝落ちした翌日の夜。


**********


「よう。イソラ」
「ホ、ホヅミ……」
「開いてるかい?」
「……もう来ないかと」
「なんだ? 出禁になるようなことはしてないはずだがな?」
「昨日のわたし、怖かったでしょ?」
「そうだな。でも、男にとってマジギレした女は誰だって怖いもん」
「ぷっ。なにそれ。怖いもんって」

 イソラはそれまでと変わりなく、寂しそうに笑った。

 その笑顔は美しく、少しだけ見蕩れてしまう。

「熱燗つけてくれ」
「あつかん?」
「昨日の酒を五十度くらいに暖めて出せる? そういう飲み方が熱燗」
「あはは……まったく。ココをなんだと思ってるの?」
「俺だけの隠れ家的なガールズバー」
「がーるずばー?」
「そう。寂しいオッサンが、若い女の子に話を聞いてもらいながら酒を飲める店」
「お店って。わたしはホヅミからお金取ったりしないよ?」
「そりゃあいい。最高だな。毎晩、通うことにする」
「ふぅ。もう、バカなんだから。……熱燗ね? ちょっと待ってて」

 イソラはグラスに酒を注ぎ、程よく暖めてくれた。

「はい。どうぞ。このくらいでいい?」
「うん。ちょうどいい。イソラってバーテンの才能あるかもな」
「ばぁてん?」
「こういうカウンター席の前に立って酒を作る人のこと」
「じゃあ、わたしはホヅミ専用のばーてん」
「今日は飲まないのか? 付き合ってくれ」
「……頂こうかな」

 イソラも自分の熱燗を作ってチビリと飲む。

 干物を一匹出して、ホヅミと二人、箸で身をほじりながら燗酒の宛てにする。

「……旨いな」
「……美味しい」

「ねぇ、ホヅミ……」
「なんだ、イソラ……」

「ありがとね」
「こちらこそ」

 タライを挟んで向かい合い、一匹の干物をあてに酒を飲む。静かな時間が流れていく。

「ねぇ。『閉店』のこと、なんて言うの?」
「『看板です』だな」
「パージとか、風情ふぜいが無いなと思ってたの」
「確かに、少し無粋な言い方ではある」

 イソラはグラスのぬるまった酒をくいっと飲み干すと、身を乗り出して軽く口づけを送った。

 突然のキスに固まっていると、

「ホヅミ。看板です。またのお越しを……」
「イソラ。また寄らせてもらう……」

 いつもと同じように身体が動かなくなって、

「ん。待ってます」
「また明日」

 穂積の意識が暗転した。


**********


 あれから三日が経ち、クリスの真水精製は定常作業として確立された。一日に一五〇〇リットルの真水を無理なく精製できるようになり、本船の補水事情はかなり改善されたと言えるだろう。

 五〇〇リットルの海水から精製される大粒の塩結晶は厨房にストックされている。

(今夜だな……。条件も調べたし、後はビクトリアさん次第か)

 夕食時、ビクトリアに相談を持ち掛ける。クリスに説明するにしても、まずはビクトリアに話を通さなければ始まらない。

「ビクトリアさん」
「なんだ? 真剣な顔してどうした?」
「今後についてお話があるんですが、この後お時間ありますか?」
「……船長室へ来い。一人でな」
「……助かります」
「え? ちょっとホヅミン? リア姉と今後の話って何? しかも二人きりってどういうことかしら?」
「ホヅミさん……。ボクも……」

(二人とも……俺が言えたことじゃないけど、ちょっと空気読もうね?)

「先生。クリスも。少し控えろ」

 ビクトリアがドスの効いた声で諭すと、ゼクシィとクリスがしゅんとなった。特にクリスは可哀想なほど縮こまっている。

(この辺はまだまだ子供だな。当たり前か……ビクトリアさん、怖いもんね)


 夕食後、穂積は船長室へ向かう。その手には麻袋を一つ持っていた。

 扉をノックする。

「ビクトリアさん。穂積です」
「入れ」
「失礼します」

 許可を得て船長室へ入ると、ビクトリアが応接テーブルの前に座っていた。いつかの対談と同じ位置取りだ。

「時間を取っていただき、ありがとうございます」
「構わんさ。明日には変針点だ。海溝を抜ければオプシーまでは目と鼻の先だ。いい頃合いだろう」
「これは俺の推測ですが、おそらく俺には聖痕がありません。ですから魔法は使えないでしょう」
「……そうなるな。そして、聖痕が無ければ女神からの魔力供給も受けられんということだ」
「魔力は聖痕を介して分配される、でしたね」
「随分、勉強したようじゃないか」
「書籍の貸与には心底感謝しています。貴重なものなのでしょうから。ただ、最近はクリス君に追い越されそうで内心穏やかじゃないですね」

 ビクトリアは目を細めて嬉しそうに、しかし、若干の憐憫も含んだ微笑を浮かべた。

「ほう。クリスはそこまでだったか」
「天才ですよ」

 対して穂積の顔はいつもと変わらない。淡々と事実を述べているようだが、ビクトリアの洞察力を持ってしても何を考えているのか読み切れなかった。

「俺が下船する前に話を詰めさせてもらおうかと思いまして」
「まるで決まっているような口振りだな」
「可能性があるなら、本船で働きたかったんですがね。俺はクリス君と違い障害を抱えているわけではないですし、大人ですから。何よりも、貴方から施しを受けたくない」
「カカっ! 魔法が使えないことなど、問題ではないと言うか!」
「そこまでは言いませんがね。これでも大人の男ですから、見栄はあるんです」
「男の見栄なんぞ、オレは価値があるとは思えん」
「大切なことなんですよ? プライドを失ったら、使い物にならなくなるかも知れません」
「それを何とかしてやるのが、女の器量というものだ。何なら試してやろうか?」

 金色の瞳が獲物を品定めするように細められた。淫靡な視線に貫かれ陥落しそうになる男心をぐっと堪える。

 ここで日和ったらかなり格好悪いし後に控える交渉にも差し支えるので、精一杯の虚勢を張って男前な台詞でお茶を濁すことにした。

「やめておきます。貴女以外はダメになりそうだ」
「カカカっ。たしかに……男の見栄にも見るべきところはあるか。それで? 詰めておきたい話とは?」

 黒目の双眸が金色を見据え、結論をぶつけた。

「クリス君を売ってください」
「――っ!」
「…………」
「ホヅミ。オレは貴様を見誤っていたのか? ……いや、違うな。何を考えている?」

 溢れ出す殺気を一瞬にして抑え込んで真意を問うビクトリアに穂積は穏やかな笑みを浮かべると、応接テーブルの上で麻袋を開き中身を並べ始めた。

 テーブルに様々な大きさの塩結晶が並ぶ。

「向かって左から順に、二〇、四〇、六〇、一〇〇、二〇〇、五〇〇リットルの海水から精製された塩結晶です」
「……」

「ご覧ください。美しい縞模様が刻まれた純白の立方体。各種大きさを取り揃え、味は司厨部全員が太鼓判を押すほどに美味しい。さらに、この様な塩は他では見たことがないと言う」
「……」

「大粒のものになるほど縞模様が際立って見栄えが良いです。削って使ってしまうのが勿体ない。ただの調味料のはずなのに芸術的な美しさがあります。贈答品にちょうどいいですね。珍しいものを好む貴族なんかには喜ばれそうだ」
「……――お前さん」

「価格は通常の塩の一〇倍にしましょうか。量産には限りがありますが、逆に希少価値が出るかもしれません。小さいものは庶民向けにちょっと贅沢な嗜好品程度に抑えてもいいです。大粒の結晶はそれこそ一〇〇倍、いや、千倍の値を付けても欲しい人間はいるでしょう」
「――おい、ホヅミ」

「宣伝文句も欲しいところです。夫から妻に贈れば夫婦円満になる。料理に使えば狙った男の胃袋を掴める。結婚式の引出物にぴったり。『当店ではこの塩を使っております』と店先に飾れば集客効果大」
「――ホヅミ!」

「広告はどうしましょうか。ああ! ちょうどいい雑誌がありました! 『情報トピックス』誌に投稿しましょう。『レギオン』を投与され、未来を奪われた真っ白な少女が魔力を振り絞って作った真白ましろの塩結晶! お涙頂戴の都合のいい記事を全力無償で大々的に喧伝けんでんしてくれるでしょう」
「――っ」

「クリス君の塩結晶は『後天性魔力不全症候群』の患者たちの救済を目指す者にとって、絶好の神輿みこしとなります。塩結晶で得た利益の一部を使って、奴隷となった患者たちを買い集めることができれば、帝国を蚊帳かやの外に、『レギオン』の被害者本人が同類を救ったという事実が残ります」
「ホヅ「ただし!」」

「それだけの大事だいじすには、クリス君が奴隷では都合が悪い。奴隷は何も得ることができない。塩結晶の知的財産権、商標登録、特許権、売却益など、これらのすべてはクリス君個人のものでなければなりません。そうでなければ、裏でアルローが糸を引いていたと難癖なんくせを付けられるだけです」
「…………」

「ビクトリアさんには、クリス君の奴隷証券をクリス君に売っていただきたい。代価は、塩結晶の知的財産権を貴女に質入れした上での信用貸しです。近い将来、クリス君が自分で買い戻すことになるでしょう」

 穂積は言いたいことはすべて言ったとばかりに、黙ってまっすぐにビクトリアを見つめた。

 ビクトリアも目を逸らさずに、黒目の奥を覗き込むように見続け、そして――。

「やはり、オレはお前さん……いや、貴殿を見誤っていたようだ」
「すべて貴女のおかげですよ。貴女が見せてくれた世界が、俺に齎したものだ」
「いいだろう! 全面的に協力する! アルロー諸島連合首長が娘、ビクトリア・アジュメイルとして誓おう!」

 猛々しく名乗りを上げて請け負ったビクトリアの肩書きの意味するところが、すぐには飲み込めなかった。

「……へ?」
「カカっ。なんだ。知らなんだか?」
「つ、つまり……ビクトリアさんは」
「おうさ。オレは言ってみれば、アルローの姫君だ。自分で言って気味が悪い」

 ビクトリアが貴族どころかお姫様だったことを知り、緊張の限界を超えていた穂積が壊れた。

「……そうとは知らず、大変失礼なことを申し上げまして、誠に申し訳ございませんでした。何卒、打ち首獄門に処するは平にご容赦のほどを。何卒。あっ。な~に~と~ぞ~」
「ホヅミ。お前さん、やっぱりオレを馬鹿にしてるな? 姫とか内心で笑ってんだな!?」
「くっ……ひどい誤解です」
「今、笑ったよな!?」
「元魔法少女でお姫様でオレ様っ子とか最高です! 肉と酒が好きなのもキャラにぴったり。良ければ付き合って!」

 なぜか勢いで告白する穂積だったが、ビクトリアは相手にしてくれない。当たり前だ。

「はぁー。おい……酒といえば、お前さん、オレの米酒どこやった?」
「……さぁ?」
「とぼけるな。腹に酒瓶抱えて連れていかれるのを何人も見てたぞ」
「……すみません。魔女に飲まれました」
「…………まぁ、いいか。ホヅミだしな」

 クリスに関する交渉は思惑通りに落着したものの、己の気持ちを表すことが下手過ぎる。

 ビクトリアは穂積を高評価しているのだが、平時の小市民っぷりに支配者としての資質を見出せずヤキモキしていたのだった。魔法を使えない人間が出来る仕事は階級社会の上にしかない。

「ところで『帝王学入門』は読み終えたか?」
「目次すら読んでません」
「お前ぇー! ちゃんと読め! すぐ読め!」
「俺はただの船員ですよ。帝王学って、組織のトップとか、国を治めるような立場の人が必要とするものでしょう?」

 この男を焚き付ける起爆剤が必要だと思った。上手く起爆して、竜となるならそれで良し。ダメなら苦い思い出としてこの胸に刺さるだけのことだ。

 ビクトリアは自分をネタにして発破をかけることにした。これで動かせないとかなり傷付くことになるが、そのくらいのリスクは負ってやろうと。

「ホヅミ。帝王学すら修めずに、オレをどうこうすることなどできんぞ?」
「ビ、ビクトリアしゃん。しょれって……」

 ビクトリアはプイっとそっぽを向くと、

「…………別に読みたくないならそれでいい。とっとと返せ」
「即っ! 読みまう!」
「カカっ……嚙み過ぎだぞ」

 この夜、穂積は『帝王学入門』を読み終えて翌朝ビクトリアに返却したが、即座に『帝王学初級』を手渡されると居室に帰って崩れ落ちた。

 茨の道はまだ始まったばかりだ。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

野生児少女の生存日記

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:177pt お気に入り:1,521

余りモノ異世界人の自由生活~勇者じゃないので勝手にやらせてもらいます~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:38,056pt お気に入り:29,918

危険な森で目指せ快適異世界生活!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:5,289pt お気に入り:4,142

世界神様、サービスしすぎじゃないですか?

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:10,530pt お気に入り:2,200

処理中です...