海の彼方のトティアス 〜船員さん、異世界へゆく。海に沈んだ世界で絆を育み生き抜く、普通の男の物語~

万年ぼんく

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第二章

第九六話 ミサ? いい感じでした

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佛説ぶっせつ摩訶まぁかぁ般若はんにゃあ波羅はぁらぁ蜜多みぃたぁ心経しんぎょう 観自在菩薩かんじぃざいぼぉさぁ 行深般若ぎょうじんはんにゃあ波羅はぁらぁ蜜多時みぃたぁじぃ 照見五蘊皆空しょうけんごぉうんかいくぅ 度一切苦厄どぉいっさいくぅやく 舎利子しゃぁりぃしぃ 色不異空しきふぅいぃくぅ 空不異色くぅふぅいぃしき 色即是空しきそくぜぇくぅ…………」


 夕方、船上公衆浴場――。

 多くの乗組員が集まっていた。もちろん全員が服を着ているので、入浴のために集合したのではない。最近、女性陣を中心に立ち上げられた新興宗教『スサノース教』のミサに参加しているのだ。

 スノー神の御利益ごりやくは、性愛と子孫繁栄に関わるあらゆるものに拡大解釈された。

 穂積のEDを何としても回復させたいハーレムメンバーに、子種を付け狙うチェスカ。

 彼氏との快楽を追い求めるキンタマ女子と、彼女たちに参加を強要されたトムとロブ。

 EDを患った若手乗組員、妻との子宝に恵まれないベテラン航海士など、性の悩みを抱える者。

 恋人が欲しいだけの独身男性、遊郭でいい女との出逢いを願うスケベ紳士まで、実に多様な面子めんつが揃い踏み。

 本船乗組員のうち、当直員以外のほとんどの人間が浴場に馳せ参じ、各々の目的を胸に勝手にスノー神に願いたてまつる。スノー神には、どんな願いでも聞くだけ聞いてくれる懐の深さがある、と設定されていた。

 哀れな人の願いを神に届けるのは巫女であるクリス。

 巨大でリアルな真白の御神体いちもつが浴槽とともの手摺りの間に建立こんりゅうされていた。

 三つの浴槽には湯が薄く張られ湯気が立ち昇っている。夕焼けの光が差し込んで水面に反射し、御神体をゆらゆらと揺らめかせ、水平線をバックに亀頭部分に後光が差していた。

(無駄に荘厳な雰囲気を醸してるなぁ……。それにしても……)

 御神体の前に立ち、真紅の瞳を薄く睫に煙らせ合掌しながら、般若心経のりとを唱えるクリスを見つめる。

 クリスの出で立ちはいつもの粗末な作業着ではない。

 透明と半透明の乙種素材を極薄の布状に精製したものを繋ぎ合わせ、ヒラヒラと揺れる薄手の巫女服風味に仕立てて羽織っている。

 身体の動きに合わせるべく、変化の大きい部分には細く引き伸ばした丙種素材の糸を仕込むことで、可動範囲を広げスムーズで柔軟な動きを可能にした。

(糸状に精製した乙種素材を使って反物を作れば、いい生地ができるかもな。パッサーさんに相談してみるか……)

 強度と動作性を両立するのに随分と苦労したが、今のクリスの姿を見ればその甲斐もあったというもの。純白の肌と鮮やかな真紅の瞳を、羽衣のような半透明の衣装が引き立てている。

 幼い可愛らしさを保ちつつ美しく成長する途上にある肢体。

 細い手足に痩せた身体は節制を旨とする聖者のような印象。

 しかし、薄く開かれた真紅の瞳に映る色は妖艶にして淫靡。

 読経で観音様とリンクしている表情は穏やかに凪いで澄み渡り、薄っすらと微笑んでいるようにも見える。

「「「…………」」」

(三銃士までがあんなに……)

 チャラ男を絵に描いたようなスケベ三銃士は、クリスの透けた巫女装束を目にすると、色めき立ち鼻の下を伸ばして褒めちぎっていた。

 ところが読経が始まると急に大人しくなり、クリスに向かって手を合わせ真摯に聞き入っている。

 クリスの甘く小さな祝詞が浴場の壁とパーテーションに反響し、参加者たちを優しく包み込むように空間を満たす。

(これは、やっばいなぁ~。予想以上のクオリティーだわ)

 クリスの見た目と、般若心経と、雰囲気のある御神体と、浴場の設備一式。

 組み合わせたら良さげな感じになるんじゃないかと思い、穂積のプロデュースにより試行錯誤した結果が、とんでもない宗教儀式を誕生させていた。

 みんなクリスと同じように合掌して、一心不乱に自分勝手な祈りを捧げている。飽水の儀や水葬の時とは比べ物にならないくらいの祈りの深さだ。

菩提薩婆訶ぼぉじぃそわかぁ 般若はんにゃぁ心経しぃんぎょう――…………」

 クリスの読経が終わりを迎えた。静謐な余韻が場を満たす。

(一時的にではあるが、何もかもどうでもよくなるなぁ……。EDのこととか……)

「「「ぐすぐすひっく……」」」

 三銃士が感極まって声を揃えて泣いている。他にも多くの乗組員が目を潤ませていた。中には涙をボロボロ流して大泣きしている者もいる。ビクトリアとメリッサもその口だ。

(みんな、免疫無さすぎるでしょ……)

 穂積ははっきりと理解した。

 女神教は宗教ではない。シュールな葬儀でも感じたことだが、歴史が長い割りにトティアスの文化は酷く未熟だ。この世界の人々は真の意味で神を持ったことがないのだろう。

 海ばかりの厳しい世界を生き抜くために、世代を重ねて弱っていく魔法に頼るしかなく。寄る辺である女神はとても現実的な存在で、人の心に寄り添えるようなものではなかった。

 それ故に、キンタマ女子が性欲に任せて、テキトーに創造した〇ンコの神。偽神であるはずのスノー神への祈りの儀式に、穂積がちょこっと手を加えただけで、絶大な感動を覚えるのだ。

 今までの人生で経験したことのない感情のうねりに晒され、次々と泣き崩れる乗組員を見て、穂積だけがそのシュールな光景を適切に評価できる。

(この人たち可哀想。神様はいない方が人のためになるのか……知らんかった)

 クリスがじっと見ていることに気付いた。若干、困っているように見える。

(あっ! そういえば、終わらせ方を考えてなかったな!)

 御神体の前に佇むクリスに向かって最後尾からジェスチャーを送る。

 適当に神社での参拝の作法に決めた。『二拝二拍手一拝』を音を立てずにやって見せる。

 クリスはそれを真似して『二拝二拍手一拝』をやって静々とその場を後にする。柏手かしわでの音はしなかった。

 こうして『スサノース教』の作法に『二拝二拍手一拝 (無音)』が加わった。


**********


 夕食時、食堂――。

「「「…………」」」

 カチャカチャと食器の擦れる音だけが控え目に響く。

 どうも夕方のミサの余韻を引き摺っているようだ。普段は騒がしくも楽しい食事風景がお通夜みたいになっている。

(なんだこれ? どんだけだよ?)

 穂積たちのテーブルでもクリス以外のいつもうるさい三人が静かにスープを飲んでいる。非常に礼儀正しいのだが、美味しそうには見えない。

 クリスも穂積と目を合わせて『どうしよう……』という感じだ。

(これじゃあ意味ないだろう。宗教は日常の活力のためにあるもんだ)

 意を決してクリスに目で合図しながら大袈裟に声を掛ける。

「あ~! クリスぅ~?」
「はい……! ホズミさま……!」
「このスープ美味しいなぁ~! 久しぶりの肉だなぁ~!」
「はい……! ホズミさま……!」
「しっかり食べろよ~! スノー様も、しっかり食べて寝る子は育つと仰っているような気がする~!」
「はい……! ホズミさま……!」
「更にスノー様は、こうも仰っている気がするぅ~!」
「はい……! ホズミさま……!」

 クリスへ寄せていたアドリブへの期待を捨て、適当な元気の出る言葉を脳内検索した。

「ガッツだぜ! パワフル魂!」
「はい……! ホズミさま……!」
「ふぁいとぉ~! いっぱぁ~つ!」
「はい……! ホズミさま……!」

 さらに、あごをしゃくれさせて、有名なプロレスラーの名言を叫び、

「元気ですかぁ――っ!?」
「はい……! ホズミさま……!」
「元気があれば~! 何でもできるっ! 行くぞぉ~! いーち! にー! さーん! んんだぁああああああああ――――っ!!」
「んだあ――――っ!!」

 拳を突き上げた。最後はクリスも合わせてくれた。

「「「おお~っ!」」」
「スノー様のお言葉だって!?」
「元気ですか……? ――神が人を気遣ってくださるのか!?」
「なんと慈悲深い!」
「さすがは至高の神だ」
「魔力を出し渋るどこぞの女神とは神格が違うのだろう」
「魔力でナニが勃つなら苦労しねぇ……」
「スノー様は心に語り掛けて下さるのだ!」
「「「EDは怖くないよって! たしかにそう言ってた!」」」

(言ってるわけねぇだろ)

 とりあえず、みんなが元気になったので良しとしておく。

「ホヅミ! さっきの言葉は神託なのか!?」
「へ?」
「活力が漲ってきました! スノー様はどれほどの神通力をお持ちなのか!?」
「は?」
「うふふ! 流石はスノー様ね! これならEDなんて吹き飛ばしてしまうかしら!」
「あ?」

 そこにトムが食堂へ駆け込んできた。何やら興奮して顔を赤らめている。彼が感情を表に出すのは珍しいことだ。見れば全身がびしょ濡れになっていた。

(まさかっ! ついにクジラが出たか!?)

 だとすれば、タイミングが悪い。本日、『もぐら』は微速航行中の本船からの潜水、帰船訓練を行っていた。

 アズラに協力してもらい、大型海獣から逃げながら攪乱しつつ、如何いかに本船へ近づけさせないかを目指した潜水部隊のフォーメーション。

 クジラ狩りの成否を分ける戦術を練り上げるために丸一日を訓練に費やし、長距離を泳ぎ回った挙句のミサへの強制参加であった。トムも魔力欠乏寸前の疲れ切ったの状態だったのだ。

「ホヅミくん!」
「クジラが出ましたか!?」
「違う!」
「あ。違うんですね」
「戻ったんだ!」
「まさかっ! あの時のクジラが戻って来たんですか!?」
「違う!」
「違うんですね」
「魔力が戻った! 潜って確かめた!」
「はい?」

 トムが言うには、ミサの前までは確かに魔力が尽き欠けていた。それがどうしたことか。ミサが終わり、感動から覚めた時にふと気付くと、魔力が充実した状態に戻っていたというのだ。

「いけそうな気がして潜ったんだ! いつもより良く動けた!」
「いやいやいやっ! トムさん! 危ないでしょう!? 勝手に落水しないでください!」
「わかってた! わかってはいたんだが、辛抱しんぼうできんかった!」
「え~? どうしたんですか? 暴走するなんて珍しい」
「…………スノー様じゃないのか?」
「はい?」

 食堂がざわつき始めた。何人かの乗組員が「そういえば」「いつもよりも」「充実して」とか、クリスみたいなことを言っている。デリーも「なんかいい感じ……」と言って、いつもより八重歯に光が強いロブとイチャイチャし始めた。

「スノー様です! にいさん!」
「あん?」
「ゼクシィはあんまり昨日と変わらないかしら?」
「自分も変化は感じませんが、潜水隊長の様子から明らかではありませんか!」
「なにが?」
「ホヅミ……。女神にできることを、スノー様にできんはずがあるまい?」
「ビクトリア? 何言ってんの?」
「我らが主神スノー様の権能に掛かれば、魔力供給なんぞ児戯じぎなのだ! そうに違いなぁい!」
「いつから主神に格上げされたの!?」

 やはり魔力の消費や回復の具合とは気分で左右されるものなのだろうか。少なくともトムには効果てきめんだったようだ。

「そ、そうだ! きっとそうだ!」
「スノー様は女神より遥かに格の高い最高位の神だ!」
「魔力なんてチャチなことを言わずに、きっと精力を注いでくださったに違いない!」
「そうだ! これは魔力なんぞじゃない! もっと凄いものに違いない!」
「精力は魔力を凌駕するのだ!」
「そうだ! スノー様は精力を分け与えてくださるのだ!」
「「「これでEDも治る!」」」
「さあ! みんなで叫ぼう! スノー様のご神託を!」


 こうして『スサノース教』の教義に五つの神託が加わった。

 スノー様は仰った。曰く――、

『しっかり食べて寝る子は育つ!』

『ガッツだぜ! パワフル魂!』

『ふぁいとぉ~! いっぱぁ~つ!』

『元気ですかぁ――っ!?』

『元気があれば~! 何でもできるっ! 行くぞぉ~! いーち! にー! さーん! んんだぁああああああああ――――っ!!』


(最後の二つは一括りにすべきだけどね。…………どうでもいいかぁ)

 きっと魔力も精力もEDも、気分の問題なのだ。

 そうに違いない。


 クジラはまだ見つからない――。

(ていうか、ちゃんと探してる?)

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