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第三章

第一六一話 降伏勧告

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 前方からの艦砲射撃がむと、後方に張り付いて砲魔堰を撃ち込んで来ていた駆逐艦群が距離を取り、遠巻きの全周包囲に加わった。

 雨霰あめあられと降り注ぐ砲撃にあしを止められ、密度の上がった包囲を突破する速力を得るには、彼我の距離が足りない。

「あーっ! 畜生! やられたさね!」

 現在、ビクトリア号は大陸棚の外縁部を抜け、原速相当の速力で航行しているが、絶妙の間合いを維持して包囲を続ける敵艦隊は抜けられそうになかった。

「……航海長。敵艦隊指令から通信です」
「くっ! …………船長を呼んできな」

 ビクトリア号は第五艦隊の包囲網を突破することが出来なかった。


**********


『この度、臨時雇いで第五艦隊司令を拝命しました。ハンバル・ムーアと申します』
「……ビクトリア号船長。ビクトリア・アジュメイルです」

 ハンバル・ムーアの名前は知っていた。

 天才軍略家あり、帝国皇族にしては珍しいフランクなイメージで有名な人物だ。

『まずは、事前通達無しに航路を塞ぎ、攻撃を加えた無礼を謝罪いたします。申し訳ありませんでした』
「全くですな。当船はただの貨物船であり、帝国法に則って海運業を営んでいるに過ぎません。いつから帝国海軍は海賊に鞍替えしたのです?」
『これは手厳しい。しかし、そんな建前とプライドを捨てて良かったと、心底思っておりますよ。その武勇、聞きしに勝るものでした』
「今後は私も帝国法を極限まで拡大解釈して、都合の良い商売をさせていただきます」
 
 いかれるビクトリアの痛烈な皮肉にも、ハンバルは動じる様子もなく続けた。

『実は、ちょうど本作戦と第一艦隊の外海演習が重なりまして。すぐそこまで来ているのですよ』
「ほう。外海演習ですか。聞いたことがありませんな」
『陛下の気まぐれですよ。近衛は滅多に浅瀬から出ませんので、腕がなまるといけないとね』
「第一艦隊の艦艇であればスラムの子供でも十分な戦果が上げられましょう。一隻ください。雄のクジラを狩りたいので」
『クジラ狩りには興味が尽きません。差し上げたいのは山々ですが、残念ながら僕の裁量で第一艦隊は一マイルも動かせないのです』

 これ以上のやり取りは無意味だ。どれだけあおっても有益な情報は得られないだろう。

「殿下の作戦とやら、目的は何ですか?」
『単刀直入に申し上げます。乗員を一人、引き渡していただきたい』
「――」

 ビクトリアの眉間に皺が刻まれ、蟀谷こめかみに青筋が浮かぶ。殺気が漏れないように抑え込むが、顔面は凶悪に歪んでいた。

『貴船の男性乗組員に黒髪黒目の方がいますよね? その人物の引き渡しがこちらの要求です』
「……断ればどうなさるおつもりか?」
『貴船を拿捕し、全乗員を拘束させていただきます』
「――それが可能だと?」

 ビクトリアの我慢はあっさりと決壊した。

 船橋から殺気が溢れ出し、ビクトリア号を遠巻きに包囲する第五艦隊の動きに乱れが生じる。

 何隻かの駆逐艦が逃走を始めた。敵前逃亡を正面切って行うほどに、ビクトリアの殺気は常軌を逸していたのだ。

『――おやめなさい。例え第五艦隊をすべて沈めたところで、第一艦隊の先鋒は既に二マイル圏内に入っています』
「実は魔堰船を見たことが無くてな。どれほどの脅威なのか、確かめてみたいと思っていた。いい機会だ」
『正気ですか? 圧縮火球の直撃にも耐える装甲板に覆われた艦ですよ?』
「知ったことか! 通信終わり!」

 ビクトリアは通信魔堰を叩き付けると、そのまま船橋楼屋上に向かい、見張り台に登り、左手を天に掲げた。

 爆発するように膨れ上がった魔力に呼応して、上空に太陽が出現する。

 直径にして百メートル、二百メートル、三百メートル、四百メートル。

 まだまだ膨らむ灼熱の超特大火球に第五艦隊の各艦は『やってられるか!』とばかりに一斉に回れ右して、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 雲すら吹き飛ばすほどの熱波は、飛行魔堰から高みの見物をしつつ、指揮を執っていた第四皇子にも当たり前のように襲い掛かった。


**********


 カルタは熱波の暴風の中、必死に飛行魔堰の姿勢を制御し、太陽から距離を取る。

「っ~~~~!」

 大気が焼けて声を出すどころか、息を吸うのも無理だった。

 想定外の事態にハンバルの目玉が飛び出すが、眼球の水分が飛ばされて激痛に襲われ、指で瞼を抑えて閉じる。涙が止まらない。物理的に。

 たっぷり二キロ以上は離れただろうか。やっと大気の温度が人が生きていける程度まで持ち直した。

「「ぶっはぁあああああああ――――っ!」」

 二人とも大きく息を吸い込んだ。やっとの思いで呼吸を繰り返す。

 暑さからか、恐怖からか、衣服は汗でぐっしょり濡れていた。

 数十秒、深呼吸を繰り返し、後方を、小さくなった船影の上空に浮かぶ、化け物のような火球を振り返る。

「なななな、何ですかアレはぁ――――っ!!」

 カルタが絶叫する。あり得ない。あんなものが熱量魔法で生み出せるのか、理解できなかった。

「…………………………………………化け物だ」

 不思議に思っていた。何故、第五艦隊の艦艇に被害が無かったのか。

 あれだけの砲撃を防ぎ切るほどの力があるなら、何隻も沈められておかしくなかったはずだ。

 しかし、実際にはビクトリア号の挙動は包囲を突破することに終始し、ビクトリアの魔法も進路を塞ぐ艦を牽制していただけだった。

「……手加減されていた。そして、僕は彼女の逆鱗に触れたのか」

 黒髪黒目の男。その男が、ビクトリア・アジュメイルにとっての何なのかは情報が無かった。しかし、あの馬鹿げた火球が飛び出した原因であることは確かだ。

「…………ハンバル様。ビクトリア号から通信です」
「………………繋げ」

 通信の主はビクトリア・アジュメイルではなかった。

『こちらビクトリア号! の船橋ぉ! 皇子殿下ぁ! 降伏を! 今すぐ降伏しな! 暑いぃいい! 船体が燃える!』
「………………」
『頼む~ぅ! 後生だから降伏しなっ! 『航海長! 船橋の窓ガラスが溶け出してます!』 おいいいい! 降伏しろ――っ!』
「………………」
『ビクトリアぁ! 止めなさい! この馬鹿ぁ! ヨンパ! ホヅミ呼んできな! 殿下ぁ! 殿下コラァ! 早く第一艦隊を下げな!』
「……すみません。本当に第一艦隊の指揮権は持ってないんです。僕の言う事は聞かないと思います。僕は降伏します。僕はね」
『――っ! ざけんなゴラァ――っ! 艦の性能頼みの末成うらなり貴族がノコノコ来てみろ! 皆殺しさね! 戦争んなるわ!』

 盤面を支配し、すべてを掌握して、華々しい初陣を飾るはずだった天才皇子は、男を奪われそうになって切れた一人の女のヒステリーによって、根深いトラウマを植え付けられたのだった。

 そんな心折れた第四皇子を他所よそに、久しぶりの出番に引っ込みがつかなくなった第一艦隊が近づいてくる。

 流石は魔堰船、その船速はとても速い。大陸棚の海上をあっという間に走破し、ちゃっかり最大船速まで増速していたビクトリア号に追いついてくる。

 その黒光りする船殻を覆う分厚い装甲板は、確かに圧縮火球程度は防ぎ切るのだろう。

 しかし、直径一キロの太陽の直撃に耐えるものだろうか。

 仮に、船体が耐えたとしても、中の人間は無事に済むのだろうか。

 第一艦隊に所属しているのは『近衛』の名に恥じず、名門中の名門貴族の嫡子・庶子ばかり。艦隊司令はイーシュタル公爵家の次男である。

 敗北を知らない、というか実戦の機会すらほとんどない、最精鋭の艦隊に属する超エリートの集団。

 彼らが皇帝の勅令で出陣した挙句に、戦いもせずに撤退することなどあり得ないのだ。

「……艦隊司令は馬鹿だから死んでもいいですから、出来れば旗艦だけ。旗艦だけピンポイントで『チュドン』でお願いします」
『あのデカさが目に入らんのか! 三マイル空けて旗艦だけ孤立させろ! じゃなけりゃ、艦隊ごと飲まれるさね!』
「………………」

 神聖ムーア帝国、第四皇子、ハンバル・ムーア。

 数年後、正式にとある艦隊の司令の任に着き、稀代きだいの名将として、数々の戦功を上げることになる、帝国随一の軍略家である。

 のちに彼は語る。

 対アルロー戦の指揮だけは、死んでも嫌だと。


**********


 時刻は少しだけ遡る。

 外からは連続する砲魔堰の轟音が絶え間なく鳴り響き、本船は左右にジグザグ航行して回避運動を続けていた。

 かなりの砲弾幕に晒されているはずだが、一発も直撃していないことから、ビクトリアにはまだまだ余裕があることが窺える。

 今の彼女なら、力に任せて何でもかんでも消炭にしたりはしないはずだ。

 そんなことをしなくて済むように、上手く包囲を突破して欲しいと祈りつつ、穂積は船長室にあった海図と座標魔堰を見比べながら、位置座標をプロットしていた。

「やっぱりだ。物凄い速さで海中を移動してる」

 アズミ・オルターのポイントは既に大陸海溝には無い。

 トビウオとクジラに出くわした海溝南端を通り過ぎ、一直線に大陸に向かって来ていて、大陸棚に差し掛かった辺りで少し減速していた。

「何だ? この座標魔堰を目指して向こうから来てくれるのか?」

 しかし、スノーはこれが道標みちしるべになるとメッセージに残していた。

 大陸海溝に潜る必要が無くなった事はありがたいが、自ら移動可能な何かだとすると、アズミ・オルターがどういうものなのかわからなくなってきた。

 ジグザグ航行を続け、段々と船速が落ちてきたようだ。包囲網の突破が難しいのかもしれない。

 やがて、砲撃音が鳴り止む。

 それから数分後の事、上で物凄い殺気が溢れ出すのが分かった。ビクトリアの我慢が限界を迎えたようだ。

 海面を押し潰すかのような重圧が加わり、室温が一気に上昇した。

「ホヅミ! ここにったか!」
「ヨンパさん。これ、ビクトリアが?」
「そうだ。航海長からのお達しだ。船長を止めてくれとよ」
「えっ? 俺が? どうやって?」
「お前を引き渡せって言われて、ぶち切れちまったんだ。何とかしろ」
「……やるだけやってみます」

 ビクトリアは見張り台にいるらしい。

 穂積は屋上への階段を登る。

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