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第三章

第一七九話 巣作り

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 穂積は続いて水場の改良に取り掛かった。

 チョロチョロと岩肌を流れる水を溜めておくための容器が無い。

 龍涎香を流用しようかとも思ったが、沖に漕ぎ出す必要が出てくるかもしれないし、慣れたとはいえ糞便臭のするものだ。

 そこで、これにも大岩を利用することにした。寝室は水の流れる箇所から離して作ってあるので影響は無い。

 大岩は半分以上が地面に埋まっており、水が流れる部分は緩やかに傾斜している。

 大岩から流れ落ちた水は地面の苔に染み込んで見えなくなっているが、もしかするとこういう小さな流れが合流した小川もあるかもしれない。

「さて、風呂も欲しいし……三段でいいか」

 斜めに傾斜した岩肌を直角にはつり、階段状に加工する。三段構えとし、二段目を特に広くした。

 大岩のてっぺんから流れる水が一段目に落ち、二段目、三段目と順番に階段を伝うように加工した。

「よし。あとは各段の上面をくり抜いて凹状に……」

 上段から順に窪みをつけていく。窪みに水が溜まり、あふれ出たら次の段へ流れ落ちるように。

 大岩に三段構えの水溜めが出来た。一番上は飲用、広く深い二段目は風呂桶、三段目は洗濯などの雑用に使う。

「風呂はもう少し大きく作りたかったな」

 大岩の傾斜と形状からしてこれが限界だ。安いビジネスホテルのユニットバスより小さい。

 一段目がいっぱいになって二段目の風呂桶に水が溜まり始めた。細い流れなので時間は掛かるが、放っておけばそのうちに満水になるだろう。

 風呂桶を掘るのにかなり時間が掛かった。

 『ムラマサ』は一メートルほどの長さの直線の工具。奥まった箇所を均す道具としては向かないため、風呂桶の底はどうしても尖ってしまう。

「木の板でも敷くか……。あれ? そういえばフィーアは……まだ寝室か?」

 出入口から寝室を覗くと、下着姿で静かに寝息を立てているフィーアがいた。

 この島の気候は大陸よりも寒冷だ。寝床の岩肌は冷たく硬い。あとで木材か木の葉でも敷こうと思っていたのだが、

「……お疲れさん」

 よほど疲れていたのだろう。気付いてやれなかったことを反省しつつ、作業服の上着を脱いで肩に掛けてやった。

 外に出てぐっと背伸びをする。

 時刻は一一〇〇時を回ったところだったが、空に見える太陽の位置がオプシーで見ていた時と違う気がする。

 天気はいいが、上空は薄い雲のような霧に覆われて日差しが遮られている。おかげで肌寒く、気分も陰鬱に盛り下がる。

 なんとなく穂積の故郷、日本の北陸地方を思わせる気候だ。一年の三分の一が曇り模様で、夏は蒸し暑さに辟易し、冬場は重たい雪質の雪かきが腰にくる地域だった。

「これ、夜は冷えるな。密室で焚き火はできないし、どうするか……」

 切り出した岩の端材や木材で石鍋や食器類を作りつつ、新居の暖房設備を考える。

 今後、どれだけの期間をこの仮設住居で過ごすことになるか分からない。これからさらに寒くなるのかも不明だが、フィーアは寒さに弱いので対策しておくべきだ。

「風呂の下に暖炉を組み込むか……。大岩の中に煙道えんどうを引けば中も暖まるしな。クラックが入って煙が漏れると危ないから、寝室に近づけすぎないように掘らないと……これは要注意だ……」

 穂積はぶつぶつと呟いて思考を整理しながら、大岩ハウスの建設計画を考える。

 遭難し、漂流してしまったことは不運だったが、結果的にフィーアは異端審問官の責務から解放され、このような不便な状況ではあるが、自由を手に入れた。

「出来るだけ、普通の暮らしをさせてやりたい」

 実際のところ、穂積はトティアスにおける普通の暮らしを知らない。ビクトリア号は普通ではないし、おかの一般家庭は弔問で少し覗いただけだった。

 その事を穂積は失念しており、今、彼が考えている普通は、日本の一般家庭を基準にしている。

 フィーアとしては、安全性の高い寝床というだけで十分だったのだ。

 二人の認識の違いは、穂積の予想外にフィーアの本能をトゥンクと打つことになる。より良い巣を提供できる雄は、雌にとってポイントが高いのだ。

「風呂桶は結構深くしたからなぁ……。底は地面と同じくらいか……。掘るしかないな」

 地面を『ムラマサ』でザックザックと耕し、柔らかくした土を除いて、大岩の地下部分を露出させると、風呂桶の真下に暖炉用の穴を空けて形状を整えた。

 ここまでの作業に約一時間半。如何いかにチートな工具を使っているとはいえ、片腕の男が一人でやったにしては凄まじい手際の良さだった。

 外航船舶の一等機関士として働いていた頃の穂積は、部下に指示を与えて全体を監督する立場にあったが、実のところ一人で作業する方が性に合っていた。

 すべてを自分の脳内で整理し、勝手気ままに進められる仕事は楽しい。

 人を使えば効率はいいが、上手く使いこなすには経験と忍耐がいるし、何より自分で手を出す機会が減る。要するに、つまらないのだ。

 穂積にとって、この巣作りは楽しかった。肉体的には苦しいが、漂流生活から脱した喜びも合間って暴走気味に働き続ける。

 完成形は既に頭の中にある。これでフィーアが凍えることは無いと思えば、疲労はまったく苦にならなかった。

「えーと……岩の形がこうで、寝室の位置はあの辺だから……こっちだな」

 だいたいの方向を定めて、暖炉の中から横方向に煙道を掘っていく。

 煙道は寝室の真下を通り抜け、穂積の背丈と『ムラマサ』の刀身長さの分だけ上方向に立ち上がり、その終端は大岩の外へ横方向に貫通する排気口を通じて大気開放された。

 煙突効果によって、地下の暖炉から大岩の高い位置にある排気口へと燃焼ガスが流れるようになるはずだ。

 煙道から細切れになった岩を取り除き、わざとデコボコにしておいた暖炉の内側に粘土を塗りたくる。

 炉内壁が高熱に晒され、風呂桶の底にクラックが入る可能性を考慮し、粘土を耐熱材としたものだ。

 暖炉の底には土を敷き詰めて、石をロの字に積み上げて粘土で固め、囲炉裏のようにした。

 岩の端材で作った台を囲炉裏の中央に設置し、その下に伐採した木材を置いて『ムラマサ』の切先で点火してみる。

 燃焼ガスが煙道を通る際に大岩を加熱して、床暖房のようになる予定だったが、なかなか火が付かない。

「生木は燃えにくいってことか……薪を用意しないと。煙道の入り口を薪置き場にするか」

 当面は枯木を集めて使用するとして、薪として伐採した木材は煙道で乾燥させることにした。

 思い付くままに、穂積の仮設住居はドンドン凝ったものになっていく。

 暖炉を煙道側に広げて火種から離れた場所にスペースを確保し、伐採し裁断した木材を両脇に寄せて積み上げておいた。

「暫くすれば、薪として使えるようになるはず。ヤバい……楽しいわコレ」

 その辺に落ちていた枯木を大量に集めると、囲炉裏に並べて再び火起こしに挑戦する。

 枯木を『ムラマサ』でつついて待つことしばし、

「お~っ! 着いた! よしよしっ!」

 やっと暖炉に火が入った。小さな火種は徐々に大きくなっていく。

「おっと……飲み水を沸かしておこう。煮沸消毒した方がいいだろう」

 先ほど作った石鍋に一段目の水溜めからたっぷりと水を汲んで、囲炉裏の中の台に置いた。

 水が沸騰するのを待ちながら腕時計を見ると、時刻は一六三〇時。

 穂積は昼食も摂らずに家づくりに勤しんでいたのだ。夢中になって作業して、時が経つのも忘れてしまっていた。

 緯度が高く日の入りが早いのか、漂流中に東に流されていたのか、或いはその両方か分からないが、霧の遮光効果もあって辺りはかなり薄暗くなっている。

「少し時刻改正しておくか……この感じだと、大体午後六時ぐらい?」

 腕時計をピッピッと操作して時刻を一八〇〇時に合わせた。

 因みにビクトリア号では、かなり大雑把な時刻改正が行われていた。日の出を〇六〇〇時と決め打ちして、04-08直のヨンパがズレてきたと感じたら、当直明けに食堂に置いてある時計魔堰をいじる、という個人の主観に満ちたものだ。

 煙道の煙突効果は上手く機能した。地下に設けた暖炉から煙は漏れず、大岩の反対側に空けた排気口からモクモクと出ている。

 ぼーっと暖炉の炎を見つめていたら、背後から吹き込んだ寒風に身震いした。

「寒っ! やっぱり夜は冷え込むなぁ!」

 暖炉の前から離れ、半地下の土間からスロープを上がって風呂桶を確認してみると、既に満水になって三段目に雑用水が溜まり始めていた。

 風呂の水は人肌程度まで温まっているが、この外気温でぬるい風呂に入ったら湯冷めしてしまう。

「水場と暖炉の周りだけでも囲うか……明日だな」

 流石に腹が減ったので、干物を何枚か枝に刺して囲炉裏の前で炙る。

「フィーアもそろそろ起こすか。腹減っただろ」

 寝室の入り口から中に入ると、室内の空気は暖かかった。冷たかった石床がほんのりと熱を孕み、ちゃんと床暖房として機能している。

「くぅー、すぴー」
「気持ち良さそうに寝てるな。起こしにくいが……。フィーア。飯だぞ。起きろ」
「んむぅ……んん……げいか?」
「ジジ専か。起きろ。干物食ってから寝ろ」
「ホヅミ……おはよう……ふぁ~」
「水場の近くで焼いてるから、外出るぞ。その上着は着てこいよ? 寒いから」
「わかったわ」

 先に暖炉の前に戻り、椅子代わりの切り株を二つ並べて、干物をひっくり返していると、縮こまったフィーアがやって来た。

 変貌した大岩に驚いているが、それより何より寒いのだろう。足早にスロープを降りて暖炉の前に滑り込んだ。

「寒い。なんで? 中は暖かかったのに、なんでよ?」
「まぁ、食いながら説明するから。ホレ、ちょうど焼けたぞ」
「いただきます」

 暖炉の前で切り株に座り、焼き立ての干物をハフハフ頬張りながら、フィーアに本日の進捗を報告した。

「……お風呂使ったの? それに……床暖房?」
「ああ。この島は寒い。防寒着なんて持ってないからな。暖炉で焚き火をしてる限り、寝室は暖かくなるように工夫した。火が消えても岩自体が暖まってるから、暫くは予熱で持つはずだ」
「……ホヅミ。あなたってすごいわ」
「フィーアが遭難して漂流したのは、俺を助けたせいだからな。こんな状況だが、少しでも普通に近い生活をさせてやりたい」
「今日、流れ着いたばかりなのよ? 私はあの寝室だけで安心して寝ちゃったのに……」
「漂流中はフィーアの負担が大きかったからな。疲れてたんだろう……気付いてやれなくて、すまんかった」

 木を大雑把に抉った茶碗に、火から下ろした石鍋の白湯を注いで渡す。

「水を飲んでおけ」
「……ええ」
「残念ながら風呂は囲いが出来てからだ」
「……ええ」
「今日はもう寝よう」
「……ええ」
「明日からもよろしく頼む」
「……こちらこそ」

 暖炉の火に照らされてフィーアの顔は赤く色付き、炎の揺らぎを反射してか、灰の瞳が潤んでいるように見える。

「ホヅミ……」
「……なんだ?」
「あなたは優しい人だわ」
「そうか? 変なヤツだとはよく言われるが……」

 下着に作業服の上着を羽織っただけの、あられもないフィーアが腰をもじもじさせ始めた。豊かな谷間とパンツ一枚に覆われた股間が目に入り、少し緊張を覚えていると――、

「ところで、トイレはどこ?」

 穂積の頬に汗が伝う。

 小川を探そうと思っていたが、すっかり忘れていた。

「その……まだ作ってない」
「……飲みなさい」
「嫌だ」

 その後、「飲んで」「嫌だ」のやり取りが続き、結局フィーアが折れて茂みの中で花を摘んだ。

 奥には小川が流れていたらしく、明日は最優先でそこにトイレを設置することに決めた。

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