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第三章
第二〇七話 ゴンザの島殺し
しおりを挟むフキはマレを連れ帰った翌日、すべての村々を回り、巫女の健在をアピールした。
祀られたはずの巫女が生きていた事など前例が無いため、霧の巫女としての本分を全うさせるために祖霊が蘇らせてくれたという美談に仕立て、マレにも島民の為だと言い含めて口裏を合わせた。
島民は容易く美談を信じ、あるいは縋った。多くは騙されてくれたのだろうが、それで十分だ。
天の御柱を知らずとも、霧の掟は先祖代々の巫女たちが守り続けてきた絶対の理。抗える者などいない。
それはもはや、このダミダ島そのものだった。
事実を知る二人は御岩ヶ浜の森にいるため、船が無ければ出入りできない。崖を登ろうにもホヅミ様は隻腕なので不可能。何より彼の心は既に折れていた。
マレを祀る当日に迎えを遣り、別れの時間を設けてやれば不服も無いだろう。
種馬扱いするとあの怪物女がどう出るか分からないので、女の目の届かないところで秘密裏に協力していただくことになるが、果たしてどうだろうか。
お目黒が産まれたとしても、祈りを捧げられるまでに成長するには時間が掛かる。期待を持ち過ぎるべきでは無いし、それも自分にはあまり関係が無い。
(無責任がもおべぃねが、堪忍すてぐれ)
残された時間をマレと心安らかに過ごせればいい。巫女の祈りには一人で向き合わなければならないが、儀式を控えたマレに余計な重荷は背負わせたくない。
マレが島に根付いたら、島長を他の者に譲って自分も霧になろうと決めていた。それでマレの霧が少しでも長持ちするなら悔いは無い。
島長には数百年分の霧の系譜が受け継がれている。古い霧は百年持った。それが島民の『チカラ』の弱体化に伴って、徐々に短くなり、お目黒が産まれる数も減る一方だ。
マレに、マイとゴンザ、家族みんなで霧になり、五年か六年か、幾ばくか島が永らえれば本望。
その先は無いと分かっていても、怖くはない。
来るその時、我らはみんな霧なのだから。
願わくば、最後の一人も欠けることなく、霧とならん事を――。
五日目の夕方、山手の村に怪物女が出たと報告があった。
確かにあの女一人なら崖も越えられそうだ。仲睦まじい様子に見えたが、意外と容易く壊れるものだったか。
厄介な女の足取りを追いたかったが、時刻は既に夕暮れ時。夜間の外出は獣に襲われる危険が増すため控えた。今、自分が死ねばマレがどうなるか分からない。
六日目、怪物女が彷徨いた辺りの村を回ったが、目ぼしい情報は得られなかった。女が最後に訪れたらしい村には次に祀られるはずだったムジロがいたが、村民たちの様子がおかしかった。
「昨日、銀髪の怪物女来ねがったが?」
「来だげどズバス追い払った」
「ああ、肥返すで逃げだ」
「そうが」
「マレ様は元気が?」
「元気だ。滞りね」
「……そうがよ」
七日目、怪物女の目撃情報はあるものの、何処かの村を訪れたという話は聞かなかった。一体なんのつもりなのか、やはりあの女は気味が悪い。
とはいえ実害は無いようなので安心して、マレの儀式を気にしていた漁村を順番に回った。この辺りはかなり霧が薄い。海の上には薄霧の向こうに青空が見えている。
最近は漁師が遠浅の沖まで出るのを嫌がって漁獲高が減っていたが、少し漕ぎ出すと霧の圏外に出てしまうらしい。恐れる気持ちは分かるので強くは言えない。
「どだ? 獲ぃでるが?」
「おー、大漁だ。わんつか船出しゃ居るわい」
「……霧がら出ぢまうんでねが?」
「少すの間だば大丈夫だ」
「おっかなぐねのが?」
「青空もいもんだぜ? なんなら長も乗せでけるべが? ……ええ?」
「いんや、いんね。けっぱっておぐれ」
八日目、マレの儀式を明日に控え、最後の準備を整えた。怪物女の目撃情報は寄せられなくなり、巣穴に帰ったのだと判断した。
巫女台を掃除してくすみを綺麗に磨き儀式に備えるのだが、常なら島長に同行し護衛として周辺の獣を警戒する狩人たちが参加を固辞した。
理由を問い質しても、風邪を引いただの、腹が痛いだの、『チカラ』が出ないだのと言って煙に巻こうとする。
そして最後には「明がすはそっちでねが?」と言って門戸を閉めてしまう。
何が起きているのか分からなかったが、ともかく儀式の準備は島長の村の者だけで済ませることにした。
九日目、純白の巫女服に身を包むマレと共に山道を登る。
(どったごどだ……?)
朝方、御岩ヶ浜に遣いをやったが、何処を探しても二人は居なかったと報告を受けた。
(……種馬嫌で逃げだが)
それなら、それで構わない。今さら種馬が手に入ったところで大した意味は無い。
霧の継続期間の減退は数百年の系譜を辿れば一目瞭然。一年以内にお目黒が産まれたとしても、恐らく間に合わない。
マレを助けてくれた。それだけで有難い話だ。
ゴンザの願いは果たされなかったが、それが運命だったのだろう。
マレはダミダ島で最後の霧の巫女となる。
(ホヅミ様。奥方様。何処が他によりい住処見づがるごど、お祈り申す上げます)
お岩様の座する山頂が見えてきた。
マレの岩板には一番古くて立派なものを使おう。
出来るだけ丁寧に開いて、極彩色を広く広く広げて根付けしよう。
マイの二の舞にだけはさせない。霧が短いのはマイの所為ではない。遥かな過去から続く運命だ。
祈りが浅い? 『チ』が穢れている?
愚かだ。余りにも。
恥知らずだ。何処までも。
マイの霧に抱かれながらよくも言えたものだ。
ゴンザはマレが霧となって島を守り、後になって疎まれることが我慢ならなかった。
避けられない運命であるならば、自分が子殺しの汚名を被り、マレの名誉だけは護ろうと決めたのだ。
先の無い島に、自ら幕を引こうとしたゴンザの執念に折れた。マイを嘲った者たちも、やがてはゴンザに引き摺られ、霧になれば気が付くだろう。
島外縁の霧は既に無く、山間部に薄らと残されるのみ。山頂も随分と見通しが良くなっている。今日で本当にギリギリだ。
「マレ。巫女台さ」
「ばっちゃ。長生ぎすてぐれ。わー島守るはんで」
「さぁ、マイの元へお行ぎ」
「ばっちゃ。どうも。いってぎます」
無垢の巫女服姿に黒髪黒目が良く映える。
マレの瞳は曇りなく、島民が見たことのない晴れ渡った夜天のような漆黒。
マレはゆっくりと淀みなく巫女台へ向かって歩を進め、歩みを止めた。
「よぅ、マレ。遅かったな」
「ホヅミさま?」
巫女台の前には、穂積が立っていた。
「……今朝、お迎えに上がったのばって?」
「フキさん。勝手に来させてもらった」
「どやって?」
「断崖に階段が出来てたから、普通に登って」
「そったものは……まさが!?」
穂積はニヤリと悪そうに笑って胸を張り、悪巧みを開陳しようと口を開いた、その時――、
『ガァアアァアアアアァ――――ッ!』
「ひやぁい!?」
森を割って大熊が出た。想定外だ。
「東の山神様だ!」
薄くなった霧に針金のような茶色い毛をたなびかせてドシドシ走ってくる。
(ヤバっ!)
フィーアは海岸線に狼煙を上げて捜索隊を誘引しているので、この場には穂積しかいない。
婆と八歳児なら暴れても一人でどうにかなるなどと、ヘタレの極みのような事を考えていた罰が当たった。
穂積はへっぴり腰で巫女台の上に立ち、出来るだけ自分を大きく見せると、竹筒の水で『ムラマサ』を抜刀し、奇声を上げて振り回した。
「キィエェエエエェエエェエエエエエ――――ッ!」
『ヴンヴンヴンヴンヴンヴンヴンヴンヴンヴンッ!』
『ガァアアァアアアアァアアアアア――――ッ!?』
大熊は目の前で残像を描くプラズマ線に驚いて立ち止まった。
「イヤァアアアァアアアアァアアアア――――ッ!」
『ヴンヴンヴヴンヴンヴヴヴンヴンヴンヴヴンッ!』
『ガァオアァ!? オアアァアアォ――――ッ!?』
立ち上がり長大な両腕を掲げて威圧してみたら、不規則な軌道を描いて揺れ動く光の残像にかなり驚く大熊。
「ヒィイイイィイイイィイイイイィイ――――ッ!」
『ヴヴヴヴヴヴンッヴヴヴヴヴヴンッヴヴヴンッ!』
『オアァ!? オオオオォ? アオアァアォッ??』
鼻先で細かく振れる光の残像を思わず目で追ってしまう大熊。
「チェエ~スッ! トォオ~ウッ! ソォオ~イッ!」
『ヴゥ――ンッ! ヴゥ――ンッ! ヴゥ――ンッ!』
『オアァア~ア? オアァア~ア? アオァア~ア?』
今度はゆっくり円を描く光。切先の動きを追いかけて首をぐるぐる回す大熊。
「んだぁ~っ! んみぃ~っ! んだぁ~っ! んじぃ……っ!」
『ヴゥウウウウウウウウウウウウウウウウウ……ゥ』
『オア~?』
大上段から極度にゆっくりと満月を描く光の刀身。首を傾げる大熊。
「んんん~まぁあああぁああああ――――――っ!」
『ヴゥオンッ!』
『オアァ~っ…………フシュゥ~っルルゥ~っ』
一周回って裂帛の気合と共に振り抜かれた光の刃が、満月を真っ二つにした。眠くなった大熊はのしのし歩いて森に帰って行った。
穂積は『ムラマサ』を振り抜いた姿勢で固まっている。
「……ミヨイさまだ」
「……ミヨイ様の大熊調伏だ」
マレとフキがおかしな事を言っている。
大熊が退散して暫し、戻って来ないことが分かって大きくため息を吐き、『ムラマサ』を仕舞って振り返ると、何故かマレとフキが平伏していた。
「ホヅミ様。よもやミヨイ様の御生まぃ変わりどは思わず、大変失礼致すた」
「ミヨイさまだ……! 現人神だ……!」
どうやら『ミヨイさま』の御伽噺にも大熊を追い払った逸話があるらしく、正にこんな感じの話なのだそうだ。
(えー? 『ミヨイさま』ってこうじゃないでしょ? 違うと思うよ?)
穂積は必死に大熊を遠ざけようとしただけ。
大熊の勢いが弱まったので、個人的に一番凄くて迫力があると思っている剣術で脅かそうとしただけ。
眠狂〇郎の『円月殺法』にインスパイアされただけ。
掛け声もあった方が迫力が増すと思い、最近では一番迫力があったズバスの『チカラ』にインスパイアされただけ。
間違っても現人神の大熊調伏とは関係が無い。
(だけどこれ……チャンスじゃない?)
今なら言う事を聞いてくれる気がしたので、巫女台の上で仁王立ちしてバサァっと左手を振り抜き、それっぽく格好を付けると『ミヨイさま』モードで預言者を気取ってみた。
「もはや時すでに遅しぃ! めが……天の御柱は間もなく発射……この地に突き立つであろう!」
「な、なんと……」
「そ、そったぁ」
いい感じ。このノリで行けそうだ。
実際、衛星魔堰は一昨日の昼間に移動を始めた。本気のメリッサには昼間でも見えたらしい。マサイ族みたいな視力の持ち主である。
「しかしぃ! 嘆くに及ばず! ダミダの民を生かす為! 救い船が現れるであろう! 直ちに遍く民草を御岩ヶ浜へ集めるのだぁ!」
「なんと慈悲深ぇ……」
「思す召すだぁ。神託だぁ」
衛星魔堰はまだ移動中だ。移動速度から逆算して、ダミダ島の直上に到達するのは明日の午前中と予想される。つまり、まだ若干の猶予がある。
「あっ。出来るだけ家財やらは捨てて、本当に大事な物だけ持って来てください」
「かすこまった」
「あっ! それと、味噌やら醤油やら、島の特産品は新天地で造れるようにお願いします! 種酵母なんか要るでしょ? 忘れないでください!」
「仰せのままに致すます」
とはいえ、若干一日足らずで全島民がこれまでの生活を捨て去り、島から撤収しなければならない。
島長の統率力と島民の協調性が試されるだろう。
ダミダ島民の得意分野だ。
明日、ダミダ島は死ぬ。
応援ありがとうございます!
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