海の彼方のトティアス 〜船員さん、異世界へゆく。海に沈んだ世界で絆を育み生き抜く、普通の男の物語~

万年ぼんく

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第三章

第二一一話 穂積のチカラ?

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 霧は山頂から周囲へと広がり、山を、森を、海岸線を、遠浅の海を押し包んで、ビクトリア号とブラック・ホェールズのランデブー・ポイントにまで届こうとしていた。

 その異常過ぎる発生と拡大は自然現象ではあり得ない。まさしく魔法のようであり、自ら島に残ったマレの霧であることを物語っていた。

「神船島さ戻すてぐれ!」
「ダメだ! 星は既に直上! これから艦を寄せることはできん!」
「マレ様巫女台さ上がってらんだ!」
「一人で掟守るべどすておらぃる! 我らも行がねば祟らぃる!」
「全員の命を危険に曝すことは許されん!」

 新たに生じた霧を畏れ、巫女の祟りを恐れて騒ぎ出す島民たちは多くいたが、ミーレスの毅然とした判断に何処か安堵したような者もいる。

 女神の裁きの発射タイミングが読めない以上、島への再上陸は自殺行為に他ならないが、穂積は絶望感に暴れ出す衝動を抑え付けるのに必死だった。

(嗚呼……)

 マレは祀られてしまったのだ。

 もう何も選べない。

 フキは甲板にうずくまって己の不覚を嘆いた。何故、島民数を間違えたのか。何故、マレの内心に気付いてやれなかったのかと。

 霧の巫女として生まれた時から期待され、祖母に巫女たるを諭され、母の霧に守られ、父に運命を憐れまれた。

 この狭い島で、最も掟に縛られていたのは、マレだったのだ。

「ホヅミ様……我ら助げでけ」
「そうじゃ……我らにはホヅミ様がおらぃる!」
「どうが御身の神通力で我らば救ってけ!」
「「「ホヅミ様!」」」

 島民たちが穂積に向かって平伏した。口々に「どうが、どうが」と救いを求める声が聞こえる。

「やめんか貴様ら……」

 まるで冗談のような光景だが、大勢の人間が真摯に祈りを捧げる姿に、ブリエ翁は五臓六腑の凍る思いがした。

 一体、何からどう救って欲しいと言うのか。彼らは既に救われている。ただ、救われない現実があるだけだ。

 現人神ホヅミあがめ、祈り続ける島民に対して言いたいことは山ほどあるが、どうすればいいのか分からなかった。

(ああ……)

 霧が立ち込める甲板に静寂が満ちる。

(あああ……ダメだ……また……)

 三度みたびの絶望感が押し寄せる。

 心が寒さに凍え、仄かな暖かさが消えていき、終わりを求めてうごめき出した。

(寒い……――)

 甲板に立ち尽くし、小さく震える背中に暖かさを感じる。

 そっと穂積に近づいて、小刻みに震える背中に触れたのはフィーアだった。

「あなた……寒いのね」

 彼女は決めていた。また穂積の気配が時化るなら、最後の時まで傍に居ようと。

 二人で寄り添い、島の方角を見つめ続ける。

 霧が甲板を覆い人々の肌を撫でる。慣れ親しんだ感覚に島民は恐れ慄き、あちこちで悲鳴が上がった。

 何故、恐れているのか分からなかった。フィーアの手と同じく、霧は暖かかったからだ。

 そこに居るのは確かに――。

(マレ……)

 穂積の横顔を見上げるフィーアは見た。

 涙が伝う頬に、無数の黒線が走っては消える。

 黒い聖痕は光を発せず、静かに消えた。

 何も起きない、かと思われた時、その場のすべての人間の脳裏に、音の無い声が響いた――。

『まだ漁場減った。い場所だったのに』
『祀らぃで三年すか経ってね』
『マレ様はまだ四歳になったばがりだ。霧はいづまで持づびょん?』

 島民たちにざわめきが広がる。それらの声音には聞き覚えがあった。

『なんで根付いでねじゃ。おれはすっかり磨いだぞ』
『やはり祈りが浅ぐであったんでねが?』
『何のだめに巫女台さ上がったんだが……』
『すっ……。滅多なごどしゃべるもんでね。おささ聞がぃだっきゃどうする……』

 身に覚えのある者たちがガタガタ震え始めた。

『こいだばおっかなぐで漁さ出らぃね。長は何やってんだ……』
『マレ様は七づが。十歳なんて悠長なごどば……はえぐ祀れ……』
『長は霧完全さ消える前さ祀るつもりが? 他人事だど思って……』
『マレ様。今日もい霧だなぁ。そえで……いづ頃になりそうだが……?』

 誰にも知られていないはずの陰口や嫌味が、声の主を怯えさせる。

たたりじゃ! こぃは山神様の祟りじゃ!』
『そうが……マイ様は元々『大物狩り』の家系だ』
『ヤツの血筋だ。祟らぃでいでもおがすくね』
『ちっ……そったごどが。チが穢れであったんだ』
『出来損ねの巫女だったが』
『穢れの上さ祈りまで浅ぐであった。なんと罰当だりな女だ』
『……あの女根付いでらはんで、まいねんでねが?』

 涙を流して詫びる声がチラホラと漏れた。

『マイの岩板剝がされだ』
『ゴンザ。辛抱すなさい』
『マレの霧はもっと短ぐなる』
『……それが運命だ。皆のチカラが弱ぐなってらのだはんで』
『もう、終わらせるべ』
『……何する気だ?』
『マレ霧にはさせね。祟りはおれが貰っていぐ』
『ゴンザ……おめまさが……』
『せめで、痛ぐねように。おっかなぐねように。さらばだ……マレ』

 眼前の霧に影が差した。ぼんやりとした影は徐々に焦点を結び、人の輪郭を成していく。

 現れたのは黒髪黒目の女性だった。無垢の巫女装束に身を包み、胸元に赤ん坊を抱いている。

 マレとよく似た気の強そうな面立ち。その漆黒の瞳は晴れた夜天のように澄み渡っている。

「……マイが?」

 フキがポツリと呟くと、霧の中の女性が微笑んだような気がした。

 霧に島の情景が浮かぶ。島長の家、長の村、森の中の山道、樹木がまばらな岩山、点在する龍涎香。

 マイと呼ばれた霧の女性はスイっときびすを返すと、霧の中の山頂に消えていく。

 彼女の行く先に、狒々色の巫女台が見えた。


 ――霧の中に足を踏み出した。


 遠ざかるマイの背中を追い掛ける。

 何かを理解しての行動ではない。

 ただなんとなく、マイならば、マレを助けてくれるような気がしたのだ。


**********


 静かに深く、何処までも広がる海の中。

 フィーアは駆け出した穂積の後を追い掛けた。

 あの時のように怖くはない。凪いだ気配は暖かく、寒さを感じさせなかった。

 霧の女が何者かはなんとなく分かるが、どういう存在なのかはさっぱりだ。

 不思議なことに、どこまで進んでも海に落ちない。地面があるから当たり前なのだが、自分たちは船の甲板に居たはずだ。

 海上の霧の中に地面があることは理解できないが、前を走る穂積の足取りに躊躇いは無かった。

 二人は先を歩くマイになかなか追いつけず、彼女の背を追い、駆けていく。

 不規則に並ぶ龍涎香を無視して真っ直ぐ進む彼女を見失わないよう、懸命に追い掛けた。

 極彩色の岩板を通り過ぎ、やがて巫女台に辿り着くと、マイは赤ん坊をその上に寝かせ、霧に溶けるようにかすんで消えた。

 彼女が消えるとほぼ同時に穂積とフィーアも巫女台に到着する。

 巫女台には、胸元を血に染めたマレが寝ていた。


**********


「にいさん! にいさん何処ですか!?」

 ブリエ翁が我に帰ったのは、霧で見通しの悪い甲板上を穂積を呼んで走り回るメリッサを見つけた時だった。

 隣ではミーレスがほうけたままで固まっている。

「メリッサ! 止まれ! 止まらんかぁ!」
「お爺様! にいさんが! ホヅミにいさんが何処にもいません!」
「この霧では周りを巻き込んで落ちるじゃろ! ミーレス! ミーレスっ! いつまで呆けておるんじゃ!」
「……はっ!?」

 ブリエ翁に背中を叩かれて我に帰ったミーレスの指示が飛んだ。

一先ひとまず霧の圏外へ出るぞ! ビクトリア号にも知らせ! 音響信号だ! 衝突に注意しろ!」
「「「…………」」」
「おい貴様ら! 復唱っ!」
「「「……サ、サー! 霧の外へ退避! 僚船に音響信号!」」」
「よし! 掛かれ!」
「「「イエッサー!」」」

 ビクトリア号に音響信号を発する前に、霧の向こうから鐘の音が聞こえた。あちらも同様の判断をしたようだ。

「島民はその場を動くな! 舷側に近い者は中央へ寄れ! 落水に注意しろ!」

 音響信号でやり取りしながら微速で沖へと移動すること暫し、霧が薄くなっていき、やがて視界がひらけた。右舷五ケーブルにビクトリア号がいる。

「人員点呼! 島長殿は島民の確認を!」
「……わ、わがった。村ごどに集まれ。村長は人数数えでわーさ教えろ。呆げでるな!」

 フキの一喝で島民たちも動き始めた。散らばっていた者たちがいくつかの集団に寄り集まり、甲板に隙間が出来ていく。

「ホヅミにいさん! 返事をしてください!」

 メリッサは彼らの隙間を縫うように穂積を探し続けたが、全員の点呼が終わって確認された事は、穂積とフィーアの不在だった。

「そんな……にいさん!」
「あの霧の中で落ちたら見つからねぇぞ!? 何やってんだあの野郎!」
「ミーレス艦長! ワシが探しに行くぅ! 高速艇を降ろさせてくれぇ!」
「ダメだ! 見ろ! 投光魔堰ですらアレだ! 肉眼で探せるわけがねぇ!」
「くっ……!」

 霧に向けて照射される光は強烈だが、圏内に入ると徐々に薄れ、十メートルも進まずに遮られている。

 これほどの濃霧が広範囲に広がっていては、捜索どころか自分の位置すら見失うだろう。

 ジョジョはあの気配を知っていたにも関わらず、呆けてしまった自分を罵り歯噛みした。

 霧の中に掻き消えるように失せた穂積とフィーアは、何処に行ったのか。

 ブリエ翁は海上を捜索しても意味は無い気がしていた。広大過ぎる気配に呆けてはいたが意識ははっきりしており、彼らが消えた時に落水音がしなかったことを覚えていたのだ。

(先ほどのアレは養生処とよく似ておったが、やはり覇気ではない……)

 周囲の霧から響くような人の声に、霧の中に突然現れた女。消えた二人は彼女を追って行ったようにも見えた。

 霧の海に出没する幽霊船の噂は昔からあるが、あれほどはっきりと見える霊がいるとも思えない。

まさに奇々怪々……もはや怪奇現象のたぐいじゃ)

 少なくとも自分たちの知る五大魔法ではあり得ない。

 この霧を発生させた巫女の能力に近いのではないかと思われるが、これが穂積の力に寄るものなのか、本人が自覚的で無いなら確かめようも無いのだ。

(メリッサもおかしな男に惚れたもんじゃ)

 ブリエ翁は甲板で未だに右往左往する孫娘に声を張る。視界を確保したならば、メリッサにしか出来ない仕事がある。

「メリッサ! 貴様は空を見んかい! 兆候があったらすぐ知らせるんじゃ!」
「でも! にいさ「馬鹿者っ!」……お爺様ぁ」
「自ら踏み出した男を信じずしてどうするんじゃ!」
「――っ! は、はいっ!」

 メリッサは空に目を凝らし、流れる雲の隙間に衛星魔堰を捉えた。今のところ目に見える変化は無い。

 時刻は間もなく正午。ブリエ翁の指示に皆が空を見上げるが、この時間帯で軌道上に浮かぶ星の瞬きを目視できるのはメリッサだけだ。

「距離は十分じゃが、サース湾と同じ大穴が開くなら余波が来るぞい!」
「はいっ! 絶対に見逃しません!」

 裁きの時は、刻一刻こくいっこくと近づいていた。

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