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第四章
第二三八話 義祖父と語らう
しおりを挟む体温が戻ったところで、バルトを医務室へ移すことにした。
立ち上がり、自分で歩こうとする彼を押し止めて担架に括りつける。体温と少々の血が戻っただけで未だ衰弱は激しいはずだが、彼の瞳には強い意志の光が宿り、先ほどの無気力が嘘のようだった。
「……第四席が?」
「銀髪の若い女性です。昔、ラクナウであなたに捕縛されたそうです」
後部甲板を移動中、担架で仰向けに寝転ぶ彼に耳打ちする。元異端審問官だと知られていたことには驚いていたが、当然の事として話を進めると、深く詮索しては来なかった。
「覚えている」
「彼女の前ではヴェルフの名を出さないでくれますか?」
「承知」
「ありがとう。頼みます」
右腕の刺青が、彼にとってどのような意味を持つのかは分からないが、数時間前まで瀕死で漂流していたとは思えない。
医務室に粥と水を用意すると、流し込むようにペロリと平らげ、すぐに横になり寝息を立て始めた。
なんとも効率的というか、体力を戻すために必要なことを淡々と実践している。そこに本船への配慮や乗組員に対する感謝といった要素は無く、名前を呼ばれて泣いていた男と同一人物には見えなかった。
傍若無人というわけではないが、ひどく機械的な印象を受けた。もしかすると、それが彼の精神障害なのかもしれない。
「ジョジョ。後は頼むわね」
「おう、医務室からは出さねぇ。任せろぉ」
室内に看護者は置かず、医務室前の廊下に複数の見張りを立てる事とし、必ずジョジョ、トム、ミーレスのいずれかがいるように手配された。
「甲板長、マジで大丈夫なんすか?」
「レットは距離取って見張ってろぉ。こっちには切り札もいるからなぁ」
「あー、うぃっす……」
元異端審問官と聞いて、見張りに立つクルーは不安そうだったが、いざとなったらフィーアが出張ると知ると、安心したように息を吐いていた。
**********
『パチっ……パチン……パチっ……パチン』
夕食後、ブリエ翁と将棋を打ちながら、教会の機密情報をペラペラ喋る穂積がいた。
デント教皇の話しぶりから隠すつもりが無いことが分かったし、かなり切羽詰まった状況なのだろう。教皇よりこちらの事情に詳しいブリエ翁に隠し立てしても、百害あって一利なしと判断した。
「うむぅ……。魔女の使徒か。そんな危険なモノを万年に渡って封じ込め続けてきたとはのう……パチっ」
「実際、溢れちゃった事もあるらしいですよ。海を渡ってラクナウ列島まで来たとか……パチン」
「そりゃ、いつの事じゃ? ……パチっ」
「四五年前らしいです。当時の教皇は魔女の眠る地に単独で挑んで、使徒を抑え込んだのち、殉教されたとか……パチン」
「なるほどのう……。彼奴の任地はラクナウ列島じゃった。送り届けて、即時撤収を命じられたのは……そういうわけか」
成人して間もない駆け出しの一兵卒として、異端審問官を護送する任務に就いたブリエ翁。名前も知らないあの英雄は、シャチの群れを殲滅した直後に、使徒の群れも相手しなければならなかったのだ。
「彼奴は特徴の無い男じゃった……」
「閣下の手番ですよ? あとその話、五回は聞きました」
「……さよか。しかし、婿殿? その機密、わしに聞かせてなんとする? ……パチっ」
「生き残ってる上位席次で戦えるのはお二人だけです。フィーアの派遣は俺が断固阻止しますから。もしかしたら、来年、溢れるかもしれませんよ? ……パチン」
「――むっ」
そうなると、デント教皇が出張るしかなくなるのだが、残念ながら後を継ぐ者がいない。教皇を失えば、トティアス全体がいろいろとマズい状況に叩き込まれるのではないだろうか。
さらに言えば、ラクナウ列島に教会の戦力を集中して、万一、別の陸地に現れた場合、謎の化け物に対処するのは一般の憲兵や海兵となるだろう。使徒に関する情報が秘匿されていた事が裏目に出て、苗床が量産される可能性も大いにある。
「方角から言って、大陸に来るとしたら、西か北でしょう? 西は海獣が始末してくれることを祈るとして、北部沿岸に出たら……パチン」
「我らノーマンの仕事じゃな。海中を泳ぐなら艦隊は役に立たん。陸戦経験は少ない故、知らぬと致命的じゃ……パチっ」
「……パチン。教会が、いえ、トティアス全体が抱える最大級の問題を、皇帝が知らないなんて事があり得るんでしょうか? 一万年以上も教会に丸投げなんて事が?」
「もし知っておるなら……対策が出来ておらねばならん。実力的に異端審問官クラスにしか務まらんとしても、我らにも出来ることはある……パチっ……はずじゃ」
「……パチン。少なくとも暴走女神は知っています。ダミダ島より先にそっちでしょ? どう考えてもおかしいんですよ」
しかし実際には、教会は協力を求めるどころか、古来から厳重にその事実を秘匿している。隠さなければならない事情があったと見るべきだ。
デント教皇を始め、歴代の教皇たちが帝国への情報公開に踏み切れなかったのは、先人たちが抱えていた事情を深読みせざるを得なかったから。即ち、皇帝が知っていて、放置している可能性を無視できなかったからだ。
「教皇猊下がこのタイミングで婿殿に明かしたという事は、そういう事じゃろうな……パチっ」
「トップにやる気が無いなら、現場で判断して備えるしかありません……パチン。王手」
「むっ……むむ…………無いのう。流石は考案者じゃな」
「俺の国の伝統的な遊戯ですから。じいちゃんに鍛えられましたし、それなりです」
「婿殿は孤児じゃったか?」
「物心ついた頃には一人でしたね。実の親に興味も持てませんでしたし、じいちゃん……あー、俺がお世話になってた施設の長が養子にしてくれましたから、特に苦労も無かったです」
トティアスでは孤児はスラムで生きていくしかないが、スラム内でも最底辺にしか居場所は無い。虚弱過ぎて奴隷商人も見向きせず、鑑定も受けられず、異端者となる前に野垂れ死ぬことがほとんどだ。
この男の事情はそんな悲惨なものとは違うのだと理解はしていても、当人のあっけらかんとした態度がブリエ翁の老いた涙腺を刺激する。
「わしの事は……お義爺様と呼んでよい」
「閣下……いえ……お義爺ちゃま」
噛んだ。
「……」
「うほん……お義爺しゃま」
また噛んだ。
「……」
「……ムヅキちゃんと一緒でいいですか? ブリエ爺様で」
「……うむ」
「ブリエ爺様。ありがとうございます。俺の事は穂積とお呼びください」
「うむ。ホヅミよ。貴様の言いたいことは分かった。魔女の使徒……ノックスにも言うておかねばな」
「本来なら人類一丸となって取り組むべき問題ですが、何処まで周知するかが難しいですね」
「教皇猊下の対応を見るに軍事機密扱いじゃ。それも現段階では北だけで秘匿すべきじゃろう」
問題はイーシュタルの間者が、ノーマン公爵領とその周辺にも多く入り込んでいる事だと言う。
ノーマン公爵を担ぐ北方派閥内部にも、以前から不穏な動きが見られる。中流貴族家に対する切り崩し工作は頻繁に行われており、なかなか一枚岩というわけにもいかない。
「パニックは避けたいですし、猊下に迷惑を掛けるわけにもいきません。相変わらず厄介なクソシュタルですね」
「クソシュタルに貴族の矜持など無いからのう。手に入れた情報は利用せずにはおれんのじゃ」
「……因みにですが、ブリエ爺様はバルト氏をどう見ます?」
「似た空気を纏う奴らに心当たりがある。スフィア群島の隠密部隊じゃ」
スフィア群島に常駐し、世界中の要人たちを相手に情報収集を行う隠密部隊。公爵直属の専門集団であり、情報を武器とするイーシュタルにとっては正に虎の子の秘密部隊と言える。
「奴らの怖さは魔力容量以前に極まった技能じゃ。隠す、潜む、盗む、偽る、謀る、寝取る、不意を衝く…………群島内で狙われたら、まず間違いなく殺られるのう」
「……寝取る?」
「そういう諜報活動じゃ。そうやって弱みと秘密を蒐集することを任務とする者もおる」
「ハニートラップですか?」
「もう引っ掛かるなよ? これからは引く手、数多じゃぞ?」
「……はい」
嫌なモテ期だ。今後、言い寄ってくる女性がいたら、くノ一だと思うことにする。
とは言え、ブリエ翁の知っている彼らはあくまでも普通の強者だ。異端審問官などという桁違いに強い人間がいれば、組織の中では目立つはずなので断言は出来ない。
「明日、目が覚めたら聴取してみるしかあるまい」
「ですね。どこまで答えてくれるか分かりませんが」
「フィーアに任せてはどうじゃ?」
「……うーん」
「それも一つの技能じゃ。甘やかすのも程々にのう?」
穂積の悩みをブリエ翁は的確に言い当てた。甘やかす――、という言い方は、今の穂積の心情をこれ以上なく捉えたものだ。十歳も年下の可愛い嫁を、どうしても甘やかしたくなってしまう。
「……お見通しですか」
「気持ちは分かるがの。彼奴はのう、ホヅミ……、貴様のためなら、誰でも躊躇なく殺すぞい?」
フィーアは口癖のように『始末する』と言うが、彼女のあれは本気、どころか、自然に出てきている。それこそ、息をするように人を殺せるし、その事に思うところも無い。
女神の『試練』を受けたことによる弊害だと思いたいが、嘘を吐けるようになったのなら、既にその呪縛から解き放たれているのではないか。だとすると、人命を軽く見てしまうのは、彼女の本質という事になってしまう。
「忠告はしておく。油断はせぬ事じゃ」
「……はい、ありがとうございます」
将棋の駒を片付けて、ブリエ翁に「おやすみなさい」と一礼すると食堂を出た。
教会という巨大な組織に属し、人類最高峰の力を振るい、暗部の人間として生きてきた。人を愛することを思い出しても、彼女は結局のところ、どこまで行っても異端審問官なのだ。
それが分かっているから、教皇はフィーアを放任しているのだろう。
(掌の上……か)
彼女が他者を無意味に拷問したり、殺害したりすることは無いし、そういった事はトティアスでは日常茶飯事。頭ごなしに否定しても無意味であり、また無責任でもある。
どこかの見知らぬ人、知り合ったばかりの人、或いは、よく見知っていても愛していない人よりも、彼女の方が万倍大切だと思える。
フィーアに汚い仕事はして欲しくないし、また手を汚したとしても、自分はそれを呑み込むだろう。それを甘やかしだと言うのなら、罪として受け入れるつもりだ。
問題はそんな個人的な心情ではなく、巡り巡って降りかかるだろう罰に、抗う術が無いということ。
例えば、魔女の使徒が溢れ出す――、冗談ではなく、近い将来そんな事態になった時、フィーアは異端審問官として、献身の闇に呑まれてしまう。
その時、自分に出来ることは何も無いのだ。少なくとも、今のままでは――。
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