海の彼方のトティアス 〜船員さん、異世界へゆく。海に沈んだ世界で絆を育み生き抜く、普通の男の物語~

万年ぼんく

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第四章

第二五〇話  魔獣は泳ぐ

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 満月の下、飛行魔堰が大きく弧を描いて旋回している。

 機内に設えられた投光魔堰が一条の光を放ち、穴だらけの箱舟を監視しながら、どのくらいの時間が経っただろう。

 箱舟の沈降はかなり進んでおり、損傷箇所からあぶくを吐き出していた。よくよく見れば、外板はぎだらけで、造り手のやっつけ仕事ぶりがよく分かる出来栄えだ。

 ここまで一ヶ月以上の航海を、浸水もせずによく堪えたと言っていい。

「あー、いつまで待たせんだ……早く動けよ。ったく……」

 後部座席ではシュキがだるそうな声でぼやいているが、ぼやきたいのは私の方だ。早く薬が切れてくれないだろうか。

 今は正気を保っているので隷属魔堰の苦痛にあらがえないが、薬が切れれば苦しいのも痛いのもどうでも良くなる。狂った頭で精密な魔法行使は出来ないので、飛行魔堰の操縦なんか不可能。すぐさま海に突っ込んでやる自信がある。

 明日には訪れるであろう終わりに期待して、綺麗な満月を見上げていると――、

『『『キャアァ゛アアアァ゛アアァアアアアアアァ゛アアア゛アアアアァ゛アアア――――!』』』

 無数の人間の絶叫が、鼓膜を引っ搔く和音となって木霊した。

「ひっ!」

 全身に鳥肌が立つ。背後でシュキが意味不明の言葉を叫んで騒いでいるが、無視して上昇し、声から逃れようとした。

『ドゴォオオオオオオ――――ン!』

 爆音の直後、下方から突風が吹き付ける。

 姿勢を制御し風圧をなして横旋回しつつ下を見ると、箱舟の船殻が内側から弾け飛び、旋風つむじかぜに呑まれて切り刻まれていた。

(あれは……風刃旋風!?)

 無数の風刃を竜巻のように渦巻かせて放つ範囲攻撃魔法だ。それもあの巨大船を丸ごと覆うほどに大規模なもの。これほどの魔法は滅多にお目に掛かれない。

 何者かが攻撃を仕掛けているのかと思い、月明かりを頼りに他船の影を探したが、近傍海域に浮いているものは見当たらなかった。

「おいっ! 高度を落とせ! 見えないだろう!」
「ぐぅ……!」

 嫌悪感から一瞬抵抗してしまったが、死にたいのならちょうどいい。このままやいば旋風つむじかぜに突っ込んでやろうと急降下した。

「くくくっ! いい! いいぞ!」

 眼下の箱舟は天井と両舷外板が爆散し、見るも無残な状態で急速に沈んでいく。半分沈した船底外板の上には、箱舟より一回り大きいくらいの四角い肉塊が乗っかっていた。

 高度を下げて『改造魔獣』に近づいていき、間もなく魔法の効果範囲に入るかというところで、投光魔堰の光が凸凹した薄紫色の表皮を捉えた。

「ああ……゛おぇええ……」

 楕円形の光に切り取られて、近づくほどにはっきりしてくる。

 人間の貌だ。

 髪は無く、目は無く、耳も無い、口だけの顔は、確かに人間だった。

 両眼に当たる落ち窪んだ部分には黒く影が差し、深淵からこちらを見ているかのよう。

 黄ばんだ歯を苦しげに食いしばり、どれも同じに見える無数の亡者の貌が『改造魔獣』の体表を埋め尽くしている。

 其処には地獄が浮かんでいた――。

 即座に上昇に転じる。

 貌の隙間から人間の手の形をした触手が飛び出してきたから、ではなく、単純に怖かったからだ。思い出したくもない『試練』と同等以上の恐怖を感じる。

 絶対に死んだ方がマシな目に遭うと直感した。最初に食われていた方が良かったに決まっている。命令に逆らう行動を取った事で隷属魔堰が苦痛を与えてくるが、体が勝手に逃げ出すのだから仕方ない。

 千メートルくらい急上昇したところで背後をチラリと見ると、たくさんの手が宙を掻いて止まっていた。これ以上は伸びて来ないようだ。

 暫くおいでおいでをした後、手型の触手群は引き下がった。アレに捕まれば、自分も亡者の列に加えられるのではないか。想像するだけでひどい吐き気をもよおす。

 無限に追い掛けられるわけではない事に少し安堵しつつ、水平飛行に移ったところで――、

『『『キャアァ゛アアアァ゛アアァ――……ァァ……!』』』

 遥か下方から、またあの鳴き声が響いた。

「いや……もう嫌ぁ……」

 肌が粟立つ。

 あれは亡者たちの悲鳴なのだろう。無数の口が叫んでいるから、変にハモって聞こえているのだ。

 どうして、私はこんなところまで堕ちてしまったのだろう。こんな事なら砂丘の隅っこで両親と砂をたがやしていた方が幸せだった。

「おい! アレに捕まらないように上手く飛べ! くくっ……絶対に見失うなよぉ~。くくくくくっ!」
「…………うぅうう~」

 麻薬と隷属魔堰がもたらすあり得ないハラスメントに肉体と精神がきしむ。

(コイツ、マジやばい……。死ぬか殺すかしたい……)

 成体となった『改造魔獣』は自身の周囲に水流を生み出し、海上を自力で移動し始めていた。

 兵器としての定めに従い、武装を充実させるために、近場の魔力反応を追う。小さいが、多くの反応が集まるポイントが二つほどあった。


**********


「……今、何か聞こえませんでしたか?」
「はい? 特には何も」
「そうですか……。気のせいですかね……」

 二番艦の艦橋は少しだけ緩んだ空気に包まれていた。

 ビクトリアと連絡が付き、具体的な指示を貰って先行きが見えたためだ。

 ゴールが見えると見えないとでは心持ちが違ってくる。艦橋にいる上位職に今後の予定を伝え、簡単な伝言を艦内に回してもらった。

『海戦はアルローが勝利した。明日の正午にはアルロー海軍が保護してくれる』

 多少の嘘は混じるが伝言は簡潔な方がいい。これだけで艦内各所では嬉しげな泣き笑いの声が響いた。もう食糧もほとんど残っていないが、明日の正午までと分かっているなら頑張れる。

「船速には注意してください。早過ぎるとお邪魔になります」
「はいっ! 海戦に巻き込まれるのは勘弁ですからね!」
「いや、しかし、流石はゴルドさんだ! あの傾奇姫と懇意とは!」
「そんな大層なものではありませんが、あのお方は信頼できます」

 この恩は一生かけて返していくしかないだろう。ケッベルの家名は捨てて、ただのゴルドとして船を造ろうと思う。

 抱えていく大事なものには元妻を選ぶつもりだが、まだ伝えていないし、付いて来てくれるか分からない。おそらく彼女も、自分と同じだったのではないだろうか。

 あの大きな気配に己の小ささを思い知らされて、消えてしまいそうになった時に、寄る辺としてすがったものは夫ではなく金だった。ただそれだけの事だ。あの時の自分を思えば、至極当然の選択だったろう。

「この船速なら魔力カートリッジも十分持つでしょう」
「ですね。近くの島までなら自走できるかもしれません」
「ゴルドさん。お疲れでしょうから、少しお休みになってください」
「後はお任せを。我々も交代で休みます」
「……そうですね。確かに疲れました。ははっ」

 艦橋の端に移動して、空いているスペースに身を横たえると、途端に強い睡魔に襲われ、泥のように眠りに落ちた。


**********


「……さん。ゴルドさん」

 声掛けと共に肩を揺すられて目が覚めた。既に夜は明け、艦橋に強い朝日が差し込んでいる。

「ん……。あー、痛たた……腰が……年ですかねぇ。今、何時ですか?」
「すみません。まだ〇六三〇時ですが、ちょっとご報告が」

 固い床板から腰を上げて背伸びをしながら海図台に歩み寄り、朝の定時にプロットされた座標を確認する。

 おおよそ予定通りに進んでおり、環礁の座標まで八〇マイルを切っている。船速は十三ノットで海象は凪。到着は正午を少し回りそうだが、報告はその事ではないらしい。

「後部甲板で寝ていた者たちですが、夜明け前に変な声が聞こえたと」
「変な声ですか?」
「中には夜中に何回か聞いた人間もいて、ひどく怯えています」
「その声は何処から? 子供たちの夜泣きではなくて?」
「後方から聞こえたと……追手でしょうか……」

 曳航索を切った時、旧型の駆逐艦がランデブーして来ていた。あの艦の推進力で箱舟を曳航できるとは思えないが、手練れが一人でも追いついて来れば危ない。

 艦橋屋上に上がって後方を見渡すが、水平線しか見えなかった。少なくとも人の声が届く距離には何も無さそうだ。

「声が気になりますね……」
「なんでしょう? まさかとは思いますが……海獣とか?」
「うーん、海獣の鳴き声など聞いたことがないですし……大型ならどうしようも……」

 元船員のフォアマンや職工にも確認したが、海獣と遭遇した経験のある者は居なかった。

 念のためビクトリアに報告しておこうと屋上から降りようとした時――、『ア……ァ゛アァ……ァ……』と変な声が聞こえた。確かに後方から発せられているようだ。

 四番艦に乗艦していた老人が唯一の海獣海難経験者だったが、耳が遠くなっており『変な声』が聞こえないため比べようが無いという。

「声ですが……段々と近づいて来ているみたいです……」
「はぁ~。前門の海戦、後門の海獣ですか。昔の行いのツケがこんな形でとは……」
「行いのツケかは分かりませんが……どうしましょう……?」
「ビクトリア様に指示を仰ぎます。幸いまだ水平線の向こう側ですし、五マイル以上は離れているでしょう」

 ゴルドは教えてもらっていた通信番号を入力し、ビクトリアの乗艦を呼び出して、簡単に事情を説明し指示を貰って通信を切った。

「傾奇姫様はなんと?」
「快活に笑っておられました。ついでに狩るから、そのまま距離を保って引き連れて来いと。戦は巻きで済ませるそうです」
「増速するなら魔力カートリッジが心許ないですな」
「最後の一踏ん張りです。運動魔法適性者を推進室へ。順番にチャージして貰ってください」

 塵も積もれば山となる。千人以上の適性者が総出でチャージすれば何とかなるだろうと、これはビクトリアのアイデアだ。

「増速します! 第三戦速!」
「はい! 第三戦速!」


**********


『アァ゛アァ――……ァァ……』

 船速は十五ノット。設計上のスペックでは第三戦速で十六ノットなので、深すぎる喫水ドラフトを考えれば悪くはない。
 
「また聞こえましたね……」
「艦橋内でこれだけ聞こえるとは……」

 声は着実に近づいて来ていた。このままではいずれ追いつかれるため、更に増速することにした。

「第四戦速!」
「はい! 第四!」


**********


『『アァ゛アアァ゛アァ――――……アァアァ……』』

 船速は十七ノット。設計上のスペックでは第四戦速で十八ノットなので、深すぎる喫水を考えれば悪くはない。

「ダブって聞こえましたよ!?」
「海獣ってこんなに速いんですか!?」
「ダブるって何です!? 二頭!?」
「ウチの船ぇ遅すぎんだろ!」
「ゴルドさん! 子供たちが大泣きし始めた!」

 声は益々、近づいて来ていた。このままではそろそろ追いつかれるため、更に増速することにした。

「第五! 最大戦速!」
「はいぃ! 第五ぉ~!」


**********


『『『アァ゛アアアァ゛アアァ゛アアア゛アァアアァア――――……』』』

 船速は十八ノット。設計上のスペックでは最大二〇ノットの艦なので、深すぎる喫水のせいで第四戦速相当の速力しか出ていない。

「これが海獣の声っすか!?」
「人間の女!?」
「男も混じってないか!?」
「てか近い!」
「ゴルドさん! 後方の水平線に変なモノが見えます!」

 屋上に駆け上がって艦尾後方に目を凝らす。眼下の甲板や船尾楼上甲板にいる人間も、全員が後ろを見て騒いでいる。

 水平線にポッコリとした塊が浮かんでいた。その白っぽい影は徐々に大きくなっていて、近づいて来ていることが分かる。これ以上は増速できない。

 時刻は〇八〇〇時過ぎ。環礁まで残りの航程は約五五マイル。

 目指すゴールはアルローの領海西端――、三時間のレース (絶対追いつかれる)が幕を開けた。

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