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第四章
第二五四話 魔獣 vs アルロー海軍
しおりを挟む『『『キャアァ゛アアアァ゛アアァアアアアアアァ゛アアア゛アアアアァ゛アアア――――!』』』
沸き立つ海面も、噴き上がる蒸気も押し退けて、化け物が大破した一番艦に迫る。
「ビクトリア! ビクトリア――っ! 返事をなさい!」
「ルシオラ様! 脱出します!」
「艦長! 何を馬鹿なことを!」
「総員退艦です! ビクトリア様のご命令ですぞ!?」
半狂乱で喚き散らし暴れるルシオラは正気を無くしていた。蒸気の向こうから現れた化け物は無傷で、ビクトリアの姿が見えない。
「ビクトリアぁああああ~~~~!」
「――っ! 御免!」
艦長はルシオラの首筋に当て身を見舞って気絶させると、「総員退艦! 救命艇下ろし方!」と叫び、彼女を背負って艦尾へ走った。
再び生えた化け物の触手を見たため、説得する暇は無いと判断したのだ。
全乗員が必死の形相で救命艇を準備している。準備といってもラッシングを解いて乗り込み、シートベルトをするだけだ。
あとは艇内のワイヤーを引けば留め具が外れて、海面へ向けて自由落下するという、脱出のみを突き詰めた仕組みだった。
「副官! どうか!?」
「総員の乗艇を確認しました! ビクトリア様は!?」
「――っ。出せ! 着水後、全力で離脱せよ!」
「――はっ! 総員! シートベルト着用!」
意識の無いルシオラを着席させシートベルトで縛り付けると、内心を嚙み殺して自分もシートに座り頭を抱えた。
一番艦は言うなれば『白海豚』艦隊の旗艦であり、ビクトリアが乗艦している間は御座艦でもある。
その艦長として艦を捨てるなど、海兵の常識に照らせば決して許される事では無い。しかし、総員退艦が発令されたならば、必ず救命艇に乗らなければならないのだ。
これは艦長とて例外ではなく、新たに設けられたアルロー海軍の軍規には公式に明記されており、全海兵が契約魔堰で上官と契約を結んでいた。
艦長の場合はビクトリアと契約を結んでいるため、逆らうことは出来ない。ルシオラは軍属ではないため、この規約を知らないはずだ。
(契約内容を読んで、納得したつもりだったが……これでは、あまりにも……!)
この状況で脱出など出来ぬと、己のプライドが叫ぶ。艦と共に沈んだ方がマシだと思えた。
「ハッチ閉め! 衝撃に備え! ――脱出!」
副官がリリースワイヤーを引くと、レールを伝って艇が滑り落ちる。『ザパァ――ン』と海面へ着水すると同時に、推進魔堰が唸りを上げた。
「艦長! どちらへ向かいますか!?」
「……二番艦へ救助要請。拾ってもらえ」
「はっ! 二番艦へ通信! 救助を要請!」
「それと……セーラ様に……」
「……」
「ビクトリア様は安否不明と……お伝えしろ」
「……はっ! セーラ様に伝達します!」
艦長の唇から血が滲む。悔しさのあまり、痛みは感じなかった。
**********
『セーラ、一体何があった? 海獣はどうなってる?』
通信魔堰からリゲートの疑問が聞こえるが、セーラにもわけが分からない。
後ろでは救助されたばかりのルシオラが一番艦の艦長を罵り、喚き散らしていて手が付けられない。艦長も甘んじて罵声を受け止めている。
「……リゲート司令。親衛艦隊司令代理として達する。護衛艦隊はヴァルス要塞の西、三マイルに鶴翼陣を展開。遠距離砲狙撃戦用意」
『――了解した。ヴァルス要塞の西、三マイルに鶴翼陣。遠距離砲狙撃戦用意』
リゲートは即座に命令に従い、艦隊各艦に指令を下した。セーラが代理として、アジュメイル麾下の親衛隊を纏めなければならない状況など、一つしかない。
『展開は十五分で完了する。セーラ……大丈夫か?』
艦隊司令としての役割を済ませて、義叔父としての言葉を掛けるリゲートに、セーラは判明している状況を知らせた。
「ビクトリアの全力が通用しない化け物だわさ……。触手のような腕が高速で再生して襲ってくる……」
『普通の海獣ではないということか?』
「あんなもん、生き物ですらないわさ」
『再生能力を持つ化け物か……白海豚では手が出せんな。親衛隊は民間人を護衛して撤退しろ』
「――っ! 魔法部隊は健在だわさ! まだ戦える!」
『……分かっているだろう?』
もちろん分かっている。『白海豚』は防御力と機動力に特化した艦艇。攻撃手段は体当たりのみで、魔法部隊の全員が束になってもビクトリア一人の火力に及ばない。
あの化け物を前にして、親衛隊に出来ることは何も無いのだ。
『お前の仕事は他にあるだろう?』
「もう首長に増援を要請したわさ」
『到着予定は?』
「最短で三日後、北方管区の艦隊が来る。補給は明朝だわさ」
『……妥当だが、『集い』が動かなければの話だ』
「……横槍が入るってのかい?」
『その化け物、まず間違いなくイーシュタルが差し向けたモノだ。北が呼応しても不思議はない』
セーラの頭には先ほど化け物から感じた恐怖が刻まれていた。この世のモノとは思えない醜悪な姿を思い出し、迫り来る人間の腕を思い出して背すじが凍る。
何よりも、あんな怖いモノを前にして行方不明になったビクトリアが心配でならない。きっと生きていると必死に自分に言い聞かせて、しかし、その場合に彼女が感じる恐怖はどれほどのものなのか、想像しただけで涙が出てきた。
『セーラ、これだけは聞かねばならん。ビクトリア様はどうなった?』
「……行方不明だわさ。でも、一番艦の艦長は軍規違反を出来なかった」
『そうか……。では、生きておられるのだな? 捜索は?』
「…………一番艦の沈没海域を探したけど、居なかったさね」
化け物は現在、ヴァルス要塞の環礁に向かって真っ直ぐに侵攻している。
距離を取って袋叩きにするため、広く鶴翼陣を敷いて待ち構えるのが上策だが、ビクトリア砲すら効かない存在に対抗できるのか。
(…………どうやって倒す? 再生限界は? そもそも、どうしてビクトリアは負けた?)
状況は一番艦の艦長から聞いたが、水流を操って攻撃してきたらしい。人間以外が魔法を行使するなど聞いたことも無いが、運動魔法なのだろうか。しかも、ビクトリアの『圧縮火球』が直撃しても止められなかったという。
『……魔法を使う謎の化け物か。ともかく、ひと当てしてみるしかないな。何も分からんのでは手の打ちようが無い』
「リゲート義叔父様……ダメそうなら逃げるわさ」
『軍規の契約は有効なのだろう? 従うしかないではないか』
「…………頼んだわさ。通信終わり」
セーラは通信魔堰を置くと、泣き叫ぶルシオラに近づき、『パァン』と頬を張った。
「……っ! セーラぁ!」
「アジュメイル家の恥さね。しっかりしな」
「ビクトリア……ビクトリアがぁ……!」
「……ルシオラ! 落ち着け!」
「あの子、臨月なのに! どうして!? どうしてあの子ばっかり!」
それはビクトリアが自分で選び、呑み込んできた業であり、彼女に期待を掛けたすべての人間の罪だった。
だが、それでも、こんな罰はあってはならないだろう。髪を掻き毟り、ヒステリックに喚くルシオラの言葉を信じるなら、ビクトリアは化け物に捕まったというのだから。
その情報をリゲートに伝えられなかったセーラには、ルシオラを抱きしめてやることしか出来なかった。
**********
『ドンッ! ドドンッ! ドドドンッ! ドドッ、ドドドドンッ!』
射程圏内に入った化け物に砲弾の雨が降り注ぐ。
護衛艦隊全艦の一斉射は凄まじく、目標は噴煙に巻かれて見えなくなっていたが、それでも目安撃ちを続けた。
「…………信じられません」
「……駄目か……止まらんな」
真っ直ぐ向かってくる大きな的を停船状態で狙うのだから、ほとんどの砲撃が命中している。
しかし、まったく効いていないようだ。行き足も落ちず、時間稼ぎにもならない。あの鳴き声も厄介だった。鳴くと増速することもそうだが、兵員に与える心理的なプレッシャーが統率を乱す。
「巫女姫は?」
「断固として引かぬそうです」
「大したものだ。おかげで士気も保てているが、いざとなれば無理にでも撤収させろ」
「護衛は了解していますが、おそらく返り討ちに合うと」
「……あの娘、そんなに強いのか?」
「防御に関しては無類の強さらしいです」
考え方を変えるべきだ。情けないことだが、護衛艦隊だけではあの化け物を足止めすることは出来ない。
再生しなくなるまで攻撃し続けるとしても、弾薬が先に尽きるだろう。補給が翌朝ではとても間に合わない。詳細不明の攻撃魔法や、ビクトリア砲を防いだという能力も謎のままだ。
(腕の射程は読めた。約七ケーブル。それ以上は伸びない。化け物が目指すのは……おそらく強者だ。距離も関係あり……か?)
現在、化け物は護衛艦隊を無視して環礁に向かって直進している。つまり、狙いは環礁にいる強者だ。
「艦長……あの巫女姫だが、彼女の魔力容量を知っているか?」
「いいえ、存じません。しかし、レギオン持ちです。あまり関係無いのでは?」
「なら、何故あんな古代魔法が使える?」
そんな話をしていた時、聞き耳を立てていたらしい艦橋配置の若手がビシッと気をつけして振り返り、ニヤっと笑う。しかも全員だった。
「司令! 自分は巫女姫様の事なら何でも存じております!」
「ふっ! 愚かな! 貴様がクリスたんの何を知ってるって?」
「おい! 『たん』付けなんて無礼だぞ! 『様』を付けろ!」
「この前、キサラたんが「『様』を付けて……」って言われてた!」
「はぁ、はぁ……。クリキサ萌え~」
「この豚野郎が! 今すぐアレに特攻しろ!」
「その通りだ! あの二人の絡みはアルローの華だぞぅ!」
「オデはカンナたんがいいなぁ……」
「「「死ね、変態」」」
「貴様ら! 前を見んか馬鹿者ぉ!」
旗艦の艦橋に配属されている彼らは一応、士官候補である。将来的には指揮官として成長し、明日のアルロー海軍を背負って立つ者たちなのだが――、
「はぁ……もういい。それで? 何でも知ってる貴様。巫女姫の魔力容量は?」
「はっ! ゼロです!」
「「は?」」
「ですから! 魔力容量『0』であります!」
「「……は?」」
彼はスサノース教が流行り始める以前から、クリスとカンナ、キサラが働く工房の警備員として勤務したことがあり、そこで色々と小話を耳にしていた。
彼女たちの技能は機密に属するのだが、本人たちに隠すつもりが無いため、近くにいれば嫌でも知ってしまうのだ。クリスとカンナの再鑑定の結果を知ったキサラが「おかしい! 理不尽だ!」と言って喧しく騒いでいたのを覚えていた。
勝手に情報開示する彼は周囲から注がれる嫉妬の視線を気持ちよく受け止めている。
「ならば何故、魔法が使えている?」
「スノー様のご加護とのことです!」
「……魔力ではないのか?」
「精力です! ビクトリア号の元クルーは全員、精力で動いています!」
化け物が強者を判別する基準を魔力容量だと睨んだリゲートだったが、魔力容量『0』の巫女姫が何故か狙われている。
精力なんてよく分からないものを知覚しているのかは不明だが、使えるものは何でも使う主義はセーラと同じだった。
(引かぬと言うなら大いに結構。巫女姫……利用させてもらおう)
化け物は止められない。このまま直進し環礁へ、罠の中に突っ込むだろう。戦艦のように立ち往生するかは分からないが、足が止まればそれでよし。
護衛艦隊は腕の射程ギリギリに展開し、弾薬の続く限り集中砲火を浴びせて巫女姫を援護。彼女も防御が破られれば引かざるを得ない。
(最低でも巫女姫だけは逃がさねばならん。白海豚に回収させれば逃げ切れるだろう……一時しのぎに過ぎんが、最後の時までアルローのために働いてもらう)
「両翼を広げろ! 七ケーブルの距離を保って全周包囲! 僚艦へ送れ!」
「はっ! 目標から七ケーブルを保って包囲陣! 両翼開きます!」
通信士が艦隊各艦に指令文伝を送ると、鶴翼陣の両端が沖合へと伸び始めた。
思惑に気付いているだろう艦長が他の要員に聞こえないよう小声で問うてくる。
「中央はどうしますか……?」
「後方の罠に掛かっては堪らん。寄せられたら左右に展開……距離を取れ。七ケーブルは絶対順守だ……」
「了解です……回収は……?」
「最速の駆逐艦を一隻、東側に待機させておけ……。それと、艦載艇用の通信魔堰を巫女姫のいる場所まで運ばせろ……」
「了解しました……」
化け物の本体はこちらを無視するように直進しているが、腕のような触手は護衛艦隊にも伸びている。『白海豚』を破壊した腕に取り付かれたら、あっという間に轟沈だ。
「ヤツは変針や増速をする時に必ず鳴く! 鳴いたら後進! その後の挙動に注視せよ! 送れ!」
「はっ! 艦隊各艦に送ります!」
出来上がった包囲陣の内側は全周に伸ばされた腕が蠢き、薄紫の海のようになっている。
「本体に火力を集中! 根元から千切ってやれ!」
「全砲照準よろし!」
「撃ち方始め!」
リゲートが選んだのは、艦隊の損耗を抑え、最大火力を維持したまま敵を削り続ける持久戦。
上手く罠で止まってくれれば、日没までなら弾薬も持つ。
補給の機会を逸した現状では後が続かない下策だが、この戦における西方管区護衛艦隊の仕事は、情報収集と時間稼ぎ、敵の余力を削ることだ。
巫女姫の撤退を確認するまで引くわけにはいかないが、それはそれで望むところだった。
あの化け物を倒さない限り、アルローに未来は無いのだから――。
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