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第六章

第三九七話 サイドターミラ⑩

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 夕方、ぼちぼち夕餉の支度が始まろうかという頃、大勢の村人で賑わう魔哭池まないけにシレイが姿を見せた。

「魔女の様子はどうじゃった?」
「何も変わりませんよ。昨日のお供物も砂に変わってましたし」
「そうか……変わりはないか」
「……シレイさん?」

 何か覚悟を決めたようなシレイの顔を見て嫌な予感がした。今夜、事態は大きく動く――それも悪い方に。

「シモン!」
「ふひぁいっ」

 午後いっぱい池のほとりでずっと寝ていた怠け者が呼びつけられた。完全に不意打ちだったらしく変な声を上げて飛び起きて、それでも緊張感に欠けるのはシモンののん気が根っからの性質だからか。

「夜襲じゃ!」
「「「――っ!」」」
「…………やしゅー?」

 長老の言葉に魔女教会が殺気立つ。寝ぼけ眼のシモンを除いて。本当に筋金入りののんびり屋だ。こんな人物が積極的にテロに加担するとは信じられない。

 まだ付き合いの浅い穂積としてはその様に思うところだが、腹に穴を空けられても曲げない反骨精神も確かにあるのだから、人は見掛けに寄らない。

「七日! 僅か七日じゃ! この短期間に北の田んぼは半分が砂となり、もう半分は泥水で流された! もはや里の存続に関わる大事だいじじゃ! 我らは今宵アレを討つ!」
「長老、ちょっと待ってください。まだ説得は始まったばかり。もう少し様子を「見てなんとする!?」……必ずや帝国を討ち滅ぼします!」
「この……っ! 愚か者がぁ!!」

 お馴染みのシセイ節にいよいよシレイがブチ切れた。一瞬で距離を詰めて首を圧し折る勢いで鷲掴みにする。

 苦悶するシセイの内心は心底どうでもよく、止めようと縋りついて蹴り飛ばされるシオンとシモンもどうでもいい。

 あそこまで厳しく激しい愛情を受けておきながら、まだ理解出来ないお馬鹿な魔女教会には構わず、頭の中で状況の整理に努めることにした。

(犠牲も覚悟の上か……まぁ、盆地の冬は厳しいだろうし……)

 このペースで里を荒らされたら冬を越せなくなる可能性もあるだろう。シレイの様子から察するにかなり差し迫った現実的な問題になっていると思われる。

 直接の原因となっているのはもちろん砂の魔女だが、魔女教会の依頼で連日接触を試みている穂積が事態を悪化させていることも確かだった。シレイは説得によって容易に魔女を殺せる状況を整えたかっただけであり、進展も無く被害だけ拡大するのであれば強引に解決を図る道を選んでも不思議は無い。

(魔女は死ぬ。先陣を切らされる魔女教会も死ぬ。シレイさんも死ぬ覚悟で挑んで死ぬ。村人も大勢とばっちりで死ぬ。もちろん俺もとばっちりで死ぬ。最悪のケースはこんなトコか?)

 残される田んぼと人口によっては冬を越せないだろう。おそらくシレイはその辺りまで見越して今がその時だと決断したのだ。口減らしも兼ねた非情な戦略だが、外の支援を得られない隠れ里の長なら当然とも言える。

「ゲホゲホっ! かひゅ~っ!」
「クソボケが! 現実を見んかい! お前らが死ぬだけなら好きにせい! じゃが、里を巻き込むんじゃない!」
「えほえほっ! ゴホっ…………長老! このままでは魔女教会は消えます! その前に片をつけるんです!」
「不可能じゃクソボケぇ! 帝国がどうなろうとターミラが覇を唱えることなど無い! たった千人! しかも女だけで何ができると言うんじゃ!」

 その通り。既にタミアラ人は種族として死に体だ。魔女教会の構成員が何人いようと、男漁りの手伝いと小さな嫌がらせ以上のことはできない。

 よしんば魔女を籠絡したとしても結果は同じだ。ただ帝国側の損害が大きくなるだけで、タミアラが勝つことは決してない。この状況は砂の魔女を拾ってきた時点で決まっていたのである。

「ふざっけんなよ……長老ぉ」

 シセイが論破されたところで、今まで動きの無かったシロウが食ってかかった。シレイの胸ぐらを掴み上げて引き寄せガンを付け、口を開きかけたところでぶっ飛ばされる。

「どうしたクソボケ……なんか言うたか?」
「関係ねぇってんだクソが……!」
「何がじゃボケナス!」
「ごぶっ! ――おぇえええ~っ!」

 拳が深々と鳩尾に突き刺さり胃液を吐き出して悶絶するシロウだが、シレイはこの後の対魔女戦を考えているのだろう。シセイのチを温存すべくあからさまに手加減していた。その気なら腹に風穴が空くのだから当然ではあるが、厄介なことにこの程度でシロウの闘魂は消えない。

 格闘では勝てないと知っているのかシロウはちょくちょくチカラを行使しようとするが、その度に殴られて止められる。

「ええ加減にせぇ!」
「ふざけん――ごがっ!?」

 聖痕を浮かべては殴られ、走らせては蹴られて、シロウは息を切らせ満身創痍になっていく。対するシレイは汗一つ掻いていない。力量の差は歴然だった。

「もう諦めんかい。このクソボケ」
「はっ……どっちがだ……このババア……ぶべっ!?」
「ババア言うなクソボケナス」
「クソババア――っ!」

 それでもシロウは反発する。瞼は腫れ上がり、唇は切れて血を滴らせ、全身青痣だらけで膝もガクガク震えているのにまだ歯向かう。この距離では体術がものを言うため獣を呼んでいる時間など無いのに、瞳から剣呑な光が消えない。

「…………なんのつもりじゃ? クソボケども」
「「「…………」」」

 そこに割って入ったのが目の色を変えた魔女教会の三人。瞳にシロウと同じ光を宿し、本気でシレイに相対していた。

 四対一では流石に分が悪いかと思われたが、シレイは余裕の表情を崩さない。現にボコボコにされているのは魔女教会の方だ。

(…………なんだ?)

 遮二無二シレイに立ち向かっていく四人を見て、何故か違和感を感じた。殴られる頻度が四分の一に減ったから余裕が出たのかと言えばそうでもない。変わらず優勢なのはシレイであり四人とも負ける未来しか見えない。

「――わぁああああ~っ!」

 異変は視界の端で起こっていた。村人の一人がシレイに向かって飛び掛かる。一人、また一人と増えていき、反骨の精神が伝播していく。

(…………なんだこれ?)

 それはまるで暴動だった。魔女教会の熱意に当てられた村人が決起したようにも見えるが、違和感は益々大きくなっていく。

「関係ねぇ! もう四人しかいねぇ! 戦って消えるか何もしねぇか! そんだけだろうがぁ!!」

 シロウが吠える。先々の展望など無い刹那の熱を滾らせ聖痕に乗せて、里の安寧を願う長老に反抗する。

 それは盆地から溢れ出そうと足掻き苦しむ鬱屈の発露。先が見えず、どうすればいいかも分からないが、チカラだけは有り余る若さが為せることだった。若気の至りというヤツだ。

 そして、シロウの情熱が村人の心に火を付けた――わけではないらしい。

『ワンッ! ワンワンッ!』
『ウゥウウ~ッ! グルゥルルル~ッ!』

 クロが吠え、ギンが唸る。瞳にはシロウと同じ光が宿り、今にもシレイに飛び掛かりそうだった。

「お前ら、落ち着けって!」
『ガァウァ――ッ!』
「クロ怖っ!? オマエのキャラじゃないだろ!」
『グルルル……』
「マジか……俺は食っても美味くないぞ? ……ドウドウ」
『『ギャワンッ!』』
「友達じゃん!?」

 もう大体分かった。これはシロウのチカラのせいだ。何らかの強制を受けなければクロとギンが本気で牙を剥くわけがない。アズラやホヅェールに食われないのと同じく、その程度には友達だと自負している。

(問題は人間にも作用することか)

 おそらくシロウに自覚は無い。村人たちも気付いていないだろう。明らかに異常な状況になっているのに分からないらしい。

 子供たちがシレイに飛び掛かっていた――。

 もう確定的だが、獣のチカラは精神感応系の能力だ。望むと望まざるに関わらず、シロウの意志に引っ張られる。

「…………クソボケが。はぁ~」

 シレイの疲れ果てた溜息が聞こえた。

『ゴッ!』

 その直後、シレイは他を無視してシロウに肉薄し、頭に打撃を加えて意識を刈り取った。以降は回避に徹して暴動の熱が冷めるのを待っている様子だ。

 やがて村人たちは徐々に大人しくなった。穂積はといえばクロとギンを宥めるだけで精一杯だったが、何とか落ち着かせることに成功した。

「…………やめじゃ」

 シレイはシセイに向けて告げる。今夜の夜襲は取り止め。明日、改めて方針を決めると言い残して、今日のところは解散となった。

「すまぬが今晩はシモンの家で寝ておくれ」
「構いませんが……何故ですか?」
「シロウをシバキ過ぎたでの。儂が連れ帰る故、布団が足らんのじゃ」

 ルイゼは幼いのに料理上手だそうだ。自宅に男を泊めると聞いてシモンは微妙な顔をしているが、別に何をするわけでもないのに甚だ遺憾だった。


**********


「どうですかニイタカ? お口に合いますか?」
「うん。いい塩梅だ。ルイゼは本当に偉いな。姉に爪の垢でも飲ませた方がいい」

 シレイを見送った後でシモンとルイゼの家に移動した。聞いていた通りルイゼの料理は美味い。将来は良いお嫁さんになること間違いなしの有望株だが、人のことを呼び捨てにする変な癖がある。

「えっ? お姉ちゃんに爪の垢を飲ませる? 特殊な趣味ですね!」
「違うからね……?」
「私とニイタカ、二人分の垢で足りますか? 他からも集めた方が?」
「違うから! ものの例えだから!」

 あとかなり天然だ。この姉にしてこの妹ありという感じで、味噌汁を啜りながら眠そうなシモンと似通った部分もある。

 いつもより少し賑やかな晩餐を終えると、早々に囲炉裏の火を消したルイゼがシモンに掛け布団を被せて振り返った。

「ニイタカ、おやすみなさい」
「はい、お休みなさい」
「…………くかぁ~」
「お姉ちゃんは寝るのが得意なんです。嫁に如何ですか?」
「いや結構」
「オッパイは里で一番大きいです。私も将来に期待できますよ?」
「うん。がんばって。おやすみ」

 この里の生活は早寝早起きが基本。アルローに到着してから常時忙しくしていた穂積にはなかなか慣れない。

 四畳半の個室を借りて布団に潜り込んだはいいが、目を瞑ると嫌な想像ばかり頭に浮かんでくる。

(砂の魔女……魔女教会……あと二日……フィーア……女神の試練……あーもう! くそ! くそくそっ!)

 里に連れて来られてからというもの眠りが浅かった。差し迫った期日のこともあって尚更寝付けず、里内部でも事態は臨界に達しようとしている。

(明日だ……何がなんでも魔女に会う! 鉄砲水がナンボのもんじゃい!)

 具体的な方策が無いまま、布団を被って無理にでも眠ろうとした。

(………………)

 一時間、二時間と静かな夜が過ぎて行く。

(…………あー、ダメだこりゃ)

 丑三つ時に差し掛かっても寝付けなかった。濃いめの酒でも呷ってやらねば眠られそうにない。役に立ちそうもないシモンの特技が今は羨ましかった。

(夜行性の獣もいるか? ……まぁ、いいや)

 このままじっとしていると気が狂いそうだった。

 勝手口から外に出て厠で用を足し、か細い月光を頼りに魔哭池へ向かう。

 ほとりに腰を下ろして如何にして魔女を攻略するかを考えていると、暗い湖面に映り込む三日月が微かに揺らいだ。

「……クロか?」

 巨大な狼が足音も立てず、いつの間にか背後にいた。漆黒の巨躯は見上げるほどに大きく、二つの瞳だけが暗闇に光っている。

(いや……なんだ……?)

 黒い毛並みは夜に溶けて輪郭も朧げだが、喉元にも下弦の月模様が白く浮かんでいた。クロにあんな毛色の部分は無かったはずだ。

 喉元の月をじっと見て、

「――ひ」

 穂積の喉が引き攣った。


 クロは人間の脚を咥えていたのだ。

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