年下王子と口うるさい花嫁

いとう壱

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第46話 刺繍と花嫁の加護 2

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 刺繍が豚に変化したのは花嫁が花婿に与える祝福、または加護だというハーパライネン宰相の説明を、古文書官の男が詳細に語り出した。



「花嫁様の実際のご生活につきましては、日々の詳細な記録を残すような制度もなかったため、正式な文書というものが見つからなかったのですが、最近、祝福の花嫁様の侍女を務めていたという修道女の日記がアレリード公爵領北方にあるクルムルの修道院より見つかりました。

 ローゼン公爵閣下の前に選ばれた花嫁様は、記録によればヘルグ伯爵家の一人娘でございまして、その修道女は若かりしころにヘルグ伯爵家で侍女として働いていて、そのころから日記をつけていたようです。

 ヘルグ伯爵家の一人娘が祝福の花嫁様として選ばれたのは、王国歴五百二十六年ごろの出来事。今から二百三十九年ほど前のことでございます。発見された日記には、花嫁様が花婿様に与える加護があると書かれておりました」

「その内容は?」


 王妃が問う。


「日記によりますと、花嫁様が愛情を持って花婿様のために行ったことに対して、何かしらの加護が与えられるようです」


「愛情」と聞いてクリストフがちらりとローゼン公爵を見ると、ローゼン公爵はクリストフを見ていたようだったが、すぐに視線を逸らされてしまった。 


「具体的には?」 


 王太子レオンハルトが続きを促す。古文書官の男は緊張のためか、少し早口で答えた。 


「花婿様の剣に花嫁様が口付けたところ大いなる力が宿り、戦場において何度も花婿様の身を守ったとのことでした。ちなみに、花婿となったのはモルぺオ子爵家の次男でございます」 

「信じがたいお話ですなぁ。大いなる力が宿った割にはモルぺオ子爵家は一族郎党みな斬首という恐ろしい末路。祝福というよりは呪いのようではございませんか?」


 ベルモント公爵がニヤニヤしながら目を細め、ローゼン公爵を見た。バルトル侯爵が口を開こうとしてやめ、唇を噛む。神殿派として、祝福の花嫁を貶めるような発言に思うところがあったのだろうが、格上の相手に物申すには今回の彼の立場は悪すぎた。


「ベルモント公爵、我が国は幸いの女神様の恩寵とともにあることを忘れるでない。儂には当時の花嫁様に非があるとは思えん」


 国王の言葉にバルトル侯爵は頭を下げる。ベルモント公爵もそれに倣ったが、慇懃無礼な態度であった。

 嫌な奴だとは思っていたが、まさかクリストフに対する態度だけではなく、自らのあるじである国王に対してまでもその姿勢を貫くとは。クリストフは驚きとともにベルモント公爵を見た。




 ローゼン公爵の授業で学んだところでは、ベルモント公爵家はこのアルムウェルテン王国随一の財力を誇り、その資産は小国であれば国家予算に相当するほどらしい。その力を持ってして、様々な局面で国や国内の貴族達を助けてきたとのことだ。

 建国の際に起きた大戦時から国王に付き従っていた功労者である五大公家の一つで、当主は代々類いまれなる商才に恵まれており、今代のこの髭男も王立学院の学生時代からその才を発揮していたという話だがクリストフは信じられないでいる。

 そんな素晴らしい男が、クリストフのような平民上がりのちびにせっせと姑息な嫌がらせをするだろうか。それに、あの髭は絶対に流行りそうもない形をしている。



 クリストフはベルモント公爵の髭について、ローゼン公爵に聞いてみたこともある。

 ローゼン公爵いわく、ベルモント公爵は王立学院卒業後から急に髭を伸ばしはじめ、これまで様々な形に挑戦してきたとのことだ。ある日急に身なりに気をつけようと目覚める男がいることはクリストフも否定しない。娼館の客にも、急に華美な服装になった男がいた。だが、そういった場合は大抵その服装は似合っていないというのがクリストフの見解だ。

 ところが、ベルモント公爵はあのおかしな髭があまりに似合ってしまっている。貴族の流行とは程遠そうな髭であるにも関わらず、どんなに奇妙な形の髭でも不思議なほど馴染んでいるのだ。

 商才などではなくあるのは才なのだろう。


 さらに、ローゼン公爵はベルモント公爵に関する不思議な話も聞かせてくれた。

 彼の父親である前ベルモント公爵は快活で嫌味のない男であり、現在のベルモント公爵も学生時代は朗らかな好青年だったが、卒業が近くになるにつれ段々と差別的な発言をするようになり、人が変わってしまったという。

 お家騒動などの話は一切聞かず、公爵家運営も問題はない。だが何かがあったのだろうとローゼン公爵は語った。その表情からは、ローゼン公爵とベルモント公爵の間にも何らかの問題があったことがうかがえた。






 しかし——
 クリストフは尊大な表情をしているベルモント公爵見て思う。

 金のあるところには人が集まる。その金を持つ人間がどのような性根の人物であってもだ。裕福などとはお世辞にも言えない生活をしてきたクリストフにはそれがよく分かる。娼館で一番歓迎されるのは金持ちの男だからだ。見目が良いことなど二の次なのだ。

 今まさに、それが事実だとまざまざと見せつけられていると感じる。国王はベルモント公爵を諌めはしたものの、叱責まではしなかった。ベルモント公爵の態度が神殿を軽んじているのが明らかであるにも関わらずにだ。

 それとも、国王の態度には貴族の派閥とやらが関係しているのだろうか。今までのクリストフなら思いもつかぬことがふと頭に浮かんだところで、国王の言葉がクリストフの意識を引き戻した。






「『セリストレムの悲劇』か……。あの戦は酷かったとどの歴史書にも書かれておるな」


 国王は腕を組み、書物の内容を思い出しているようだった。おそらくはモルぺオ子爵家に関係のあることだろう。誰かに聞くわけにもいかなかったクリストフだが、話しはじめた国王にこれ幸いと目を向ける。

 息子の一人が花婿に選ばれ、さらに花嫁の加護を得ていながら、家に所属する者全ての首が切られてしまったというモルぺオ子爵家。まだ誰も口にはしていないが、その中には女性や幼い子どもも含まれていたのかもしれない。クリストフは自分ほどの年の男が首をねられるさまを想像し、思わず自身の首を触った。

 祝福の花嫁と婚約しておきながらまさかそんなことが起きるとは。一体モルぺオ子爵家とその次男に何があったのか。

 真剣な目で自分を見つめているクリストフに気づいた国王は、少し咳払いをして続ける。


「モルぺオ子爵家の次男はな、当時起こったイヒリーシュ王国との戦で停戦交渉が進んでいたにも関わらず、己の判断で奇襲をかけたのだ。

 停戦交渉を反故にされたとイヒリーシュ王国の怒りは相当なものだったそうだ。そして大軍を投入してきてな。両軍合わせて千人規模の死者を出すこととなった。

 兵士達とその遺族の苦しみは計り知れないものであったろう。そのため、その責任を取る形でお家はお取り潰しとなり、当主、長男、次男のみならず、縁戚関係にある者や使用人まで処刑された。

 戦に出ていない女子どもまで手にかけることはないという意見もあったが、なにしろ死者の数が多すぎてモルぺオ子爵家を恨む声があまりに大きく、民衆の怒りを止めることができなかったのだ。

 まさかあの悲劇を起こした男が花婿に選ばれたとはな」


 想像を超えた死者の数とその戦争の結末に、クリストフの背筋に寒気が走った。


「その花婿様ですが、どうも途中から花嫁様をぞんざいに扱うようになったようでしてな。 日記には加護を笠に着て偉そうに振る舞うようになったと書かれておりました」 


 ハーパライネン宰相が話を戻した。 


「それで加護が失われたのでしょう」 


 何故そんな馬鹿な男を婚約者にしたのだろう。クリストフとローゼン公爵のように無理やり婚約させられたということなのだろうか。しかし、この花婿は王族ではない。

 クリストフは話を聞いて不思議に思った。アレクシアも同じように考えたようだ。国王に発言を求めると、クリストフの抱いていた疑問を口にした。


「子爵家という爵位で花婿様になられたということは、祝福の花嫁様と愛し合っていたということではないのでしょうか。 お互い想い合っていたというのに、何故その花婿様は心変わりしてしまったのでしょう?

 それに、花婿様になられる際には花嫁様を大切にするよう注意されるはずですが……」

「領地から王都に出てきて華やかな女性に目移りしたと、侍女が日記の中で嘆いておりました。王家や神殿の協力のもと婚約の儀を行ったので、婚約が解消されるようなことはないだろうとたかを括っていたようです」 


 古文書官の男は愚かな男への呆れを示すように眉を下げた。 


「婚姻の儀も執り行っていないのに、加護がある……ということは」 


 国王は腕を組んだ。 


「おそらくは花婿の見極めのためでしょう。その伯爵家の息子のような愚かな輩でないかどうか……」 


 ローゼン公爵が答えた。 


「婚約者である時期に加護を与え、花婿が増長すればその地位は剥奪される、ということかと」 


 クリストフはどきりとした。 

 日頃偉そうにローゼン公爵に反発している自分は幸いの女神とやらの目にはどう映っているのか。それが急に不安になってきた。


「……つまりは、其方そなたの刺繍に加護が宿ったということか」 


 ローゼン公爵に向けた王妃の言葉にアレクシアが横から強く同意した。 


「あの毒針を仕込んでいた男が第三王子殿下に近づいた際、父の刺繍した豚が出現いたしました」 


 ローゼン公爵はぴくりと眉を上げた。


「父の『真実の愛』が! 殿下を守る加護として……!」

「ドラゴンだ……」

「えっ?」

 アレクシアは父を見た。

「あれは、ドラゴンだ」

 戸惑うアレクシアの視線がクリストフに向けられた。ドラゴンだとクリストフは訂正したのだが、アレクシアの耳には入っていなかったようだ。 


「あれが……ド、ドラゴン?」 

「そ、それに、私と殿下は『真実の愛』ではない。婚姻後に『夫婦の愛』を築こうと」

「もういい! つまりあの豚ドラゴンがこの愚弟を守るために現れた、と、そう言いたいのだな!?」 


 レオンハルトが長テーブルを叩いて立ち上がり、苛立たしげに声を上げた。 

 それもそのはずだ。豚ドラゴンがクリストフを毒針から守るために出現したのであれば、最初の山脈の刺繍——実はクリストフの名前だが——がされたハンカチも、クリストフを守るためにレオンハルトの頭に被さったのだ。それを思い出したのだろう。 


 しかしクリストフはレオンハルトの自業自得だと思った。あの時レオンハルトは間違いなくクリストフとその侍女エレナに黄金の炎を向けたのだ。いくら平民だと馬鹿にしていたところで、あれは許されることではない。 


「ぶ、豚、ドラゴン……?」 


 ローゼン公爵は目を大きく見開いたまま顔を歪めた。 


「此度の豚ドラゴンのことは、祝福の花嫁様の記録として残すように」 

「は、はっ!」 


 国王の厳粛な声に古文書官の男が姿勢を正し、礼をとる。


「陛下、豚ドラゴンの姿は画家に描かせ史書にて残すべきかと」 


 王妃は夫である国王に提案した。 


「宰相閣下は豚ドラゴンをご覧になられたのですか?」 


「儂は残念ながら見ることができなかった。妻にも豚ドラゴンの話を聞かせてやりたかったのだが」 


「失礼ですが、豚ドラゴンの姿がどのようなものであったのか花嫁様にお聞きしたく……」


 古文書官の男がハーパライネン宰相にそう言う横で、ローゼン公爵は室内のそれぞれが豚ドラゴンと口にするのを呆然と見ている。


「いや、なるほど! ドラゴンはドラゴンでも、ドラゴンですか! これは傑作ですな! まさにあの不細工な生き物にぴったりの名前ではないか! さすがは王太子殿下だ! は、はっはっはっはっ!! 素晴らしい加護ではないですか! なぁ、花嫁殿!」


 ベルモント公爵はのけ反って髭を上下に振るわせて大笑いした。クリストフがアレクシアを見ると、アレクシアは「ドラゴン……」と呟いて虚空を見ていた。それから、アルベルトは俯いて肩を震わせていた。どうやら笑いをこらえているらしい。彼のあまりの立ち直りの早さにクリストフは少し呆れた。 






 後日、社交界の新聞『紳士淑女新聞』の一面には豚ドラゴンの絵が大きく掲載された。
  
 どこからその新たな名称が漏れたのか、『愛の奇跡! 豚ドラゴンが第三王子殿下を守る!』という見出しが踊った新聞は、険しい顔をしたローゼン公爵によってすぐに捨てられた。 しかしその絵の豚ドラゴンはあの刺繍にとても良く似ていたので、クリストフはその絵を切り取って宝箱として使っている菓子箱に仕舞っておいたのだった。 





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