年下王子と口うるさい花嫁

いとう壱

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第58話 職場見学 4

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 これでは全くきりがない。

 クリストフは次々とやってくる文官から書類を預かり、彼等にお茶やビスケットを振る舞い、 ローゼン公爵がどれだけ厳しいかの話を聞いてやり、安心しろと言ってやった。

 ついでに自分が日頃いかにローゼン公爵にうるさく言われているかも詳しく話し、自分もローゼン公爵に苦しめられている仲間だとアピールしておいた。

 そんなクリストフの噂が広まったのか、気づけば宰相補佐の机の前には文官達の列ができてしまった。エレナがいれたお茶を飲みながら、ローゼン公爵の恐ろしさについてクリストフと語り合う文官達の列だ。

 ローゼン公爵とともに働いている人々に頼られるというのも中々に気分が良いもので、クリストフは熱心に彼等の話を聞いてやった。

 ついには順番待ちをしているときに急に仕事に呼ばれてもいいようにと順番が分かる券が発行され、待っている人数が分かるように一覧の紙まで作成された。

 まずは一覧の紙に名前を書き込んでもらい、番号が書いてある券を渡す。券にも自分の名前を記入し、列の最後尾に並んでもらうのだ。


 そうしてエレナや文官達が列の整理に忙しくしているなか、クリストフが逆さまに署名をしてしまったという文官の話を聞いていたそのとき、まさに話題の人物が駆け込んできたのだった。




「一体これは何ごとだ!!」


 いきなり現れ、怒鳴ったローゼン公爵に文官達は威圧され、その場から動けなくなった。


「何をしている! 誰がクリス様の御手を煩わせろと言った!」


 文官達は震え上がり、便乗してお茶を飲んでいた近衛騎士達は危うくカップを落としかけた。


「煩わせてるのはあんただけど」

「なっ……!」

「だって、あんた戻ってくるの遅いよ。もう一時間以上経つんじゃない? 三十分ぐらいで終わるんじゃなかったの?? あの部屋から出るなっていうけど、さすがに俺飽きちゃったよ」

「ぐっ……!」


 珍しくローゼン公爵は言い負かされ、拳を握り締める。そこかしこから感嘆の声が漏れた。


「連絡もないからいつ戻ってくるか分かんないしさ。こうやって皆が俺と話してくれるから、俺もあんたのことのんびり待てたっていうか。……ね!」


 クリストフは近くにいた文官達に呼びかけた。

 皆、怖々とした視線をローゼン公爵に向けながらもクリストフに同意を示す。日頃恐れているローゼン公爵よりも高い地位にいるクリストフの呼びかけに、頷かないわけにもいかないのだろう。


「それなのにそんなに怒るなんて、ちょっと理不尽なんじゃないの? 皆怖がってるよ??」

「……そ、それにつきましては……大変……申し訳ありません」


 ローゼン公爵の謝罪の言葉に、「おお!」と歓声があがった。


「ですが、私はお待たせする旨連絡のために人を遣りました」

「でも来てないよ?」

「しかし私は」


 食い下がるローゼン公爵にどこからか小さな笑いが漏れる。ローゼン公爵は鋭い視線を向けて笑った文官を黙らせた。


「も、申し訳ありませんっ閣下!!」


 一人の文官が手を挙げた。


「わ、わ、私は、会議が長引いていることを殿下にお知らせしようとしたのですがっ! 殿下とお話するにはこの列に並ばなければならず……!」

「列だと!!?」

「は、はいぃっ!! あ、あのっ、順番死守のため、この券も確保したのです!! ですが!なにぶん並んでいる者が多く順番が後ろの方になってしまい……!!」

「券!? 何の券だ!!」


 ローゼン公爵は怒りの表情のまま、文官が差し出す券を受け取った。


「一体これは何だ!?」

「俺と話すための順番の券」

「あの……閣下……」


 エレナがおずおずと歩み出て、待っている文官達の名前が一覧になった紙と無記名の券をローゼン公爵に見せた。


「こちらに閣下のお名前をご記入ください」

「何!??」

「殿下とお話できるのは、お一人一回までと決まっておりますのでご署名いただきたく」

「私もこの列に並べというのか!?」

「そうだよ」


 クリストフは当たり前のように答えた。


「だって、皆並んでるんだもん。いくらあんたが偉くても順番は守らないとね」

「クリス様が私に用があったのではないのですか!?」

「でも、あんたは戻ってくるの遅かったし。今はもうこういうことになったから」


 片手で券をひらひらと揺らす。ローゼン公爵は憤った。


「何を馬鹿なことを! 何故私がこんな列に並ばなければならない! いいですか!? 私はクリス様の」


 言いかけてローゼン公爵は言葉を止めた。クリストフはきょとんとした顔でローゼン公爵の言葉を待った。


「わ、私は……」

「何?」

「私はクリス様の」

「俺の何?」


 ローゼン公爵は答えを返すことなく口を閉じてしまった。

 そして、憮然とした表情で近くの文官からペンを受け取ると、紙と券に名前を書き始めた。
 それから、不機嫌な顔のまま文官達の列に加わって、並ぶ文官達の向こうからクリストフを睨みつけた。

 クリストフは、最初は文官達に混じって列に並ぶローゼン公爵を笑っていたが、こちらを睨んだままのローゼン公爵が、列が消化されるたびにどんどん近づいてくる様はなにやら不気味で、段々と不安な気持ちに駆られ、背後のローゼン公爵を恐れた文官達が挨拶もそこそこに話を切り上げて早々にローゼン公爵の順番が来たときには「ごめんね」と何度も小首を傾げて愛想を振りまいてみせた。

 そして、やっと当初の目的となる「神殿に捧げるためにいつものビスケットを作ってほしい」という話題を出してみたところ、ローゼン公爵は鬼のように眉を吊り上げ、顔を真っ赤にし、クリストフの襟首を掴み上げ、王国統括部門からつまみ出してしまった。

 背後で閉じられた王国統括部門の扉の奥からは「刺繍の次はビスケットだと!??」「あの冷血公爵閣下が!」「宰相補佐殿がご乱心召された!」と、人々が口々に騒ぐ声が聞こえた。



 その晩、クリストフはビスケットにもココアにもありつくことはできなかった。 王宮で文官達から預かった書類や問題をローゼン公爵に報告するはめになったのだ。

 それについてはクリストフが請け負ったことだったので問題なかったのだが、肝心のローゼン公爵はひたすらに仏頂面でネチネチとクリストフに文句を言い続け、ビスケットが必要な理由を説明できなかった。



 しかも、それだけでことは終わらなかった。



 後日、仕事から帰ってきたローゼン公爵は大層憤慨してクリストフを叱りつけた。

 聞けば、勝手に宰相補佐の部屋が作られており、わけの分からない形状をした置物や著名な画家の静物画が飾られ、座ると尻が沈み込むほどやたらと柔らかいソファに名の知れた冒険者が打ち倒したという凶悪で美しい魔獣の毛皮が掛けられて、さらには全くローゼン公爵の趣味ではない人気の陶芸作家の花瓶に花が生けられていたらしい。

 大きすぎる机はとてつもなく重く、少しの位置の変更もできないうえに、金の取手がついた引き出しまで重いので、ローゼン公爵は引き出しを開けるのに四苦八苦し、腕が痛くなったそうだ。

 おまけに、その机の上にある燭台は人を殺めることができそうなほどに鋭くて、うっかり衣服の裾を引っ掛けた文官の一人が、書類をばら撒いてしまったのだとか。

 怒り心頭のローゼン公爵は、民から集めた税金の無駄遣いなうえに仕事にも支障がでると訴え、この無意味な宰相補佐専用の部屋をただちに片付けようと試みたのだが、ローゼン公爵よりも地位が上であるクリストフからの命令だとして統括部門勤務の文官はもちろん宰相であるハーパライネン公爵にすら断られてしまい、仕方なく部屋を使用しているのだとか。

 クリストフは専用部屋に関する命を撤回するように再三迫られたが、そもそも命令したつもりもないし、ローゼン公爵が困っている様子を想像すれば笑いが込み上げてくるため、その要求に頷くことはなかった。





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