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第62話 眼鏡の秘密 ※ 加筆修正(2025.7.5)
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2025.7.5
・クリストフに魔力がある話をするために、護衛の近衛騎士たちを部屋の外に出す描写を追加いたしました。
・近衛騎士たちを外に出したので、クリストフの呼び方を「殿下」から「クリス様」に変更する描写を追加いたしました。
__________________
クリストフの異母兄である王太子レオンハルトは、まるで言葉を忘れたでもしたかのように何も喋らず、ただそこに立ったままでいた。
クリストフの侍女エレナも、ローゼン公爵の侍従アルベルトも、ローゼン公爵の一人娘であるアレクシアもレオンハルトに向けて礼を取ったものの、彼があまりにも動かないので互いに目配せをしてこの状況を確かめあった。
怪訝に思ったらしく大神官が後ろから一度咳払いをし、ローゼン公爵も「王太子殿下」と呼びかけてみたものの、レオンハルトはそのままだった。
「どうしちゃったのこいつ」
「しっ」
クリストフがじれて漏らした言葉を、アレクシアが窘めた。
「殿下」
ローゼン公爵が再度少し大きな声でレオンハルトに呼びかけた。
クリストフはうっかり自分のことかと思ってローゼン公爵を見てしまい、視線の向く先が違うことを見て、何だか少し不満に感じた。
「殿下」
ローゼン公爵はまた声をかけた。大神官が焦れたようで一歩前へと踏み出して、そして弾かれたように声を上げた。
「……は!?」
その声でレオンハルトはやっと意識を取り戻したようだ。
二、三度瞬いて、それから目頭に指を当て、そしてまたローゼン公爵を見つめた。その口元はだらしなくも開いたままだ。大神官はそんなレオンハルトの存在も忘れたように、大きな声で続けた。
「……ロ、ローゼン公爵閣下!?」
何故問いかけられるのかも分からぬローゼン公爵は曖昧に頷いた。
「え、えぇ……」
「セ、セドリック……なのか……?」
続いてレオンハルトまで珍妙なことを言い出した。
クリストフは今度は不満よりもこの場に飽きる気持ちが湧いてきて、ローゼン公爵の衣装をぐいと引っ張った。しかしローゼン公爵はそんなクリストフを見もせずに、宥めるようにクリストフの頭をひと撫でし、それから我に返ったレオンハルトに再び礼を取った。
「左様でございます、王太子殿下。お見苦しいものをお見せして申し訳ございません」
「……あ、いや……」
レオンハルトは言い淀んだ。彼が何の合図も出さないので、アレクシアもエレナもアルベルトも王族への礼の姿勢のままだ。
「あ、こ、これは、あ、は、はぁ。た、大変……」
大神官はローゼン公爵を見つめたまま、分厚い瞼を何度も擦った。
「は、はっはっは。こ、このようにお美しいとは存じ上げず……」
そして彼は、懐からハンカチのようなものを取り出して、かいてもいない汗を頻りに拭った。
「い、いや、その……。そ、それは、に、似合って、にあ、似合っておる」
レオンハルトはいつもの偉そうな態度も発言もどこかへやってしまったらしく、どもりながら返事をし、その間も青い瞳はローゼン公爵に釘付けだった。
クリストフは段々と不快に感じてきた。
レオンハルトは何故かずっとクリストフの妻になるはずのローゼン公爵を見つめているのだ。おまけに彼がその視線を外さないものだから、ローゼン公爵も彼に顔を向けるしかなく、二人は向かい合っている。
クリストフはその脇に、まるでステーキに添えられた野菜のように放っておかれたままだ。あの、いっそついて来なくてもいいと、見るたびにクリストフが感じているあの野菜のようにだ。
「ねぇ。もういいじゃん」
クリストフは我慢できなくなってきてローゼン公爵の服を引っ張った。
「もうあんたの衣装は見たよ。帰ろうよ」
頭上の黒い瞳が、やっとのことでクリストフに向けられようとしたその時。一人の巫女が歩み出た。
「大神官様、大神官様、婚姻前の花嫁様の清らかなお姿は花婿様だけにお見せするべきかと。花嫁様のお取り扱いに関する白花の書にもそのように記されております。それはつまりは、幸いの女神様のご意向かと存じます」
大神官は、はたと手に持ったハンカチのような布を見て、それからそれをぐいと懐に押し込んだ。そして大仰に頷いた。
「……うむ。王太子殿下。御前失礼してもよろしいかな?」
「あ、あぁ……」
レオンハルトは、なおもローゼン公爵から視線を外さなかった。
声をかけてくれた巫女が、クリストフ達が入ってきた扉とは反対側にある奥の扉へとローゼン公爵を促したので、クリストフは裾の長い衣装で歩きづらそうなローゼン公爵を後ろから押した。
ローゼン公爵をさっさとこの場から追い出してしまいたかった。妙な男達の視線に、これ以上晒しておきたくはなかったのだ。
ローゼン公爵がこの部屋からやっと出て行こうというとき、あの巫女が振り返ってクリストフを見た。
彼女は何故かクリストフに向かって微笑んだ。そして深く礼をして去って行った。見知らぬ女のはずなのに彼女の微笑みにはクリストフに対する好意が感じられる。
「あの人は誰なのかな」
「お知り合いではないのですか?」
クリストフの呟きにアレクシアが答えた。
「うん。でも、俺のこと知ってるみたいだった」
「ええ。わたくしにもそのよう見えましたわ。服装から見れば上級巫女のようです」
「そうなの? 服だけ見て分かるなんて、あんたって物知りだね」
クリストフはアレクシアを誉めたつもりだった。しかし彼女は眉を寄せた。そして右眉を上げて、あの顔をした。
「よろしいですか、殿下」
アレクシアのその顔は、さすがにローゼン公爵の娘だけあってレオンハルトよりも遥かにローゼン公爵の表情に近かった。それだけ、彼女の言い方も癇に障るものではあったのだが。
「お言葉遣いにはもう少しお気をつけください。わたくし達だけの場であれば良いでしょうが、人目があるところでは殿下の品位を落とすことになりかねません。未来の義理の娘に向けて、あ、ん、た、などとは。王族の威厳も失われますわよ? ましてや、神殿の中では」
お説教の長さまで父親に似た彼女の言葉を耳から耳へと受け流し、クリストフはローゼン公爵が出て行った扉へ向けて歩き出した。だが、他の巫女に止められて、クリストフはレオンハルトの横を通ってもと来た扉を通るしかなかった。
クリストフはアレクシアに促されて渋々レオンハルトに挨拶をしようとしたが、レオンハルトはローゼン公爵が出ていった扉を見つめたまま呆然と立ち尽くし、クリストフを見もしなかった。
クリストフ達一行は、また同じ部屋に通された。ローゼン公爵の着替えが終わるのを待っていた部屋だ。
あの苦いお茶は出てこなかったが、今度は何と酸っぱいお茶を出された。
「これは美容にいいんです。お肌の艶が出るんですよ。市場にも出回っています」
今回もエレナが説明してくれた。そして彼女はまたしてもお茶に挑戦し、今度は飲み切ることができなかった。
「腐ってるんじゃないのこれ……」
「殿下、腐っているお茶との味の区別もつかないようではいけませんわ」
アレクシアは偉そうに言ったものの少し咽ていた。アルベルトは口もつけなかった。
「あの……」
一同がひと息ついたところで、エレナがおずおずと切り出した。
「先程の閣下のお姿。あれは、一体どういうことなのでしょうか」
アルベルトとアレクシアが視線を交わし合った。
「いつも私が見ていた凛々しいお姿とは違って先程は非常に」
「ぷっ」
クリストフの口から思わず笑いが漏れてしまった。ローゼン公爵を凛々しい男だなどと考えたこともなかったので、おかしくなってしまったのだ。
仕方のないことだ。クリストフにとってローゼン公爵は、口やかましく、偉そうで、時に的外れな、そんな男だった。いくらお綺麗だと言っても、眉毛を上げてお小言が始まればあっという間に「近所の口うるさいおじさん」に早変わりだ。
「おかしなことでもございましたか? 殿下」
アレクシアがぎろりとクリストフを睨みつけてくる。
「だって、ローゼン公爵が凛々しいだなんて」
「えぇ。父はいつも凛々しく、堂々として、威厳のある、立派な」
「口うるさいおじさん」
アレクシアは勢いよく立ち上がった。
「何ですって!?」
「お、お嬢様っ!」
アルベルトもそれに合わせて慌てて立ち上がった。
「ご自身の婚約者であるお父様のことを何という物言い!」
「アレクシア様っ!」
続けてエレナも立ち上がった。
先程まで少し寒々しくもあった部屋の温度が上昇し始める。アレクシアが手に持っている扇子から煙が上がった。
「殿下、お言葉を訂正して下さいっ!」
「俺は本当のこと言っただけなのに」
「ご婚約者様のことを『おじさん』だなんて! 殿下が閣下のことをお好きなのは私も存じ上げております! もっとお気持ちを素直お伝え下さいませ!」
「えっ!?」
今度はクリストフが立ち上がった。
ローゼン公爵のことを「お好き」だなどとは、考えたこともないはずだ。
「な、何だよそれ! 俺はそんなこと思ってないよ!」
頬を赤くするクリストフを見て、アレクシアの紫色の瞳が細められる。彼女は急におとなしくなり、静かに腰を下ろした。そして、クリストフに不躾な視線を送ると「ふんっ」と顔を背けた。
諍いが始まらないことに胸を撫で下ろしたアルベルトは落ち着こうとしてお茶をうっかり飲んでしまい、咽てしまっていた。
エレナが息をひとつ吐き出して、話を戻す。
「以前耳にしたことがあるのですが、閣下のお母様は社交界で非常にご高名な方だったとのことですね?」
アレクシアが頷いた。
「えぇ。祖母はその美しさから『夜の女神』とも呼ばれていました。求婚者が後を断たず、祖父との結婚後も言い寄る男性が多く困り果てていたようなのです」
立ったままお茶のカップを眺めていたクリストフに、アレクシアが視線で座るように促してくる。クリストフの方が年齢も立場も上のはずなのに、まるでアレクシアの子分のように扱われ、クリストフ少し憮然として腰を下ろした。
「ここだけのお話ですが、大公殿下からもお声がかかっていたとか」
「まぁ!」
エレナが口に手を当てて声を上げた。そしてそれからすぐに辺りを窺うように視線を走らせ、囁いた。
「大公殿下と言えば、あの……」
「そうですよ。あの好色王」
「アルベルト」
アレクシアの鋭い呼びかけが若者ばかりの場で気が緩んだ侍従の迂闊な口元を縫い止める。座るクリストフの背後に立っている護衛の近衛騎士達も気まずそうな顔をした。
「大公殿下ってあれでしょ? 王家の炎を大剣で操るって聞いたよ」
クリストフは身を乗り出した。
現国王の兄である大公は好色王と呼ばれたらしいが、色恋沙汰などクリストフにとってはどうでもいい。それよりも気になるのは魔法の技だ。
以前、アルムウェルテン王国の王族達のことを勉強する時間にローゼン公爵から聞いた大公の話はとても胸が躍るものであった。
黄金の王家の炎は高熱で、金属や宝石の類いも易々と燃やし尽くしてしまう。にも関わらず、国王の兄である大公は、それを上手く操って大剣に纏わせて戦うという。剣を扱わないクリストフには想像もつかない戦い方だ。
まるで物語にでも出てくる勇者のようで、話を聞いてクリストフは憧れていた。真似をしてみようと食事に使うフォークに王家の炎を纏わせてみたのだが、フォークはあっという間に溶けてしまい、炎の扱いの難しさを改めて知ったのだ。
「えぇ! 僕も見たことはないのですが、とても格好いいらしいですよ!」
クリストフの言葉に、アルベルトが食いついた。
「北方から帰郷した騎士達の噂によると、その炎の剣で氷竜と戦って尻尾を切り落としたとか!」
「竜と戦ったの!?」
「それに、氷の魔獣を何体も倒したそうです」
「何体も!?」
「何人もの女性と一夜だけの関係を結んで捨てました」
アレクシアの冷たい声が二人の間に割って入った。
「女性を弄んだのですよ、殿下」
扇子が手の平に叩きつけられる乾いた音が響く。先ほどアレクシアの魔力が作り出した熱でどこか損傷したのか、部品がひとつ、ころりと床に転がった。アルベルトは肩を竦めて顔を下げた。
「色んな女の子にモテただけじゃないの?」
クリストフは瞬いてアレクシアを見た。好色などと言っても、所詮はただの噂だろうと思っていた。
結婚もせずにたくさんの女と肉体関係を結べばとんでもないことになる。そんなことはクリストフですらもっと幼いころにすでに理解していたのだ。勉強のできそうな王族が理解していないはずがない。
クリストフはその「とんでもないこと」を目の当たりにしたことだってある。
娼館の常連客に見目の良い男がいて、優しい男だと娼婦達にも人気があったが、ある日突然現れた五、六人の若い女に袋叩きにされてしまったのだ。顔がでこぼこになっただけでなく、彼は股の間をしつこく蹴られていてとても痛そうだった。
そして後日、男としての大事なものを失ったと町の人々が噂していたのをクリストフは聞いたのだ。
王族が様々な女に手を出せば、その男の末路よりもっと悲惨なことになるのではないだろうか。何しろ王族と付き合うぐらいなのだから、相手の女も貴族に違いない。
いくら王族が偉いからといって、あまりに多くの貴族達の反感を買えば無事では済まないはずだ。少なくとも貴族なのだから、彼らにはお金や多少の権力というものがあるのだ。
「お父様から聞いたことはございませんでしたか? 言い寄ってくる女性のみならず、美しい令嬢を勝手に見初めては強引に迫っていたのですよ」
アレクシアの言葉にエレナが悲痛な表情で続く。
「傷ついて未婚のまま修道院に行ってしまった女性もいると聞きます。お腹の子どもを……諦めざるを得なかったご令嬢もいらっしゃるとか」
「えっ! じゃ、俺に従兄弟がいたかもしれないの!? それで、生まれる前に死んじゃったかもしれないの!?」
「真実は分かりませんが、そのような噂が」
「どうして王族の男ってそんなに馬鹿なの!??」
「ちょっ! ク、クリス様っ!」
アルベルトが慌ててクリストフを止めようとした。
「自分の子どもなら、結婚してからちゃんと産んでもらって育てればいいじゃん!」
「え、あ、も、もちろんそうですが」
クリストフの勢いに押されてアレクシアは危うく扇子を落としかけた。また何か部品がひとつ床に落ちた。
「それに、どうしてそんなに浮気ばっかりするんだよ! 王族って偉いんでしょ? それなら自分が一番いいなって思う子と付き合えるだろうし、そういう子と付き合えば他の子は別に好きにならないじゃん! ね!?」
クリストフは振り返って護衛の近衛騎士達の同意を求めた。強く頷く者と、悲しそうな顔をする者、何故か不敬にも目を逸らす者と反応は様々だ。
「がっかりだよ……。強くって、頭も良くて、女の子にモテるすごいおじさんだと思ったのに……」
大きなため息がクリストフの夢の終わりを表していた。固いソファに背を預け、装飾のない天井を仰ぎ見る。
母に手を出した国王に比べて、魔法を巧みに操り剣技にも長け、軍略を巡らせ大軍を指揮し、数多の女を虜にするその男が父親であればと思ったぐらいだ。
大公殿下とやらはどうやら独身らしいが、モテる男が妻を娶らず独り身というのもクリストフにとっては好感触だった。たった一人の女を想っており、身分差ゆえに結ばれないため独身を貫いているのだろうと勝手に想像していたぐらいだ。
そして、その相手が母であればと。
「お、王族だからこそ、好きな相手とは婚姻できないのですが……」
アレクシアは常識を説いてみるが、うなだれるクリストフの耳には入らない。仕方なくローゼン公爵を真似た低い咳払いをし、場を仕切り直す。
「と、とにかく! そんな祖母の美しさを父も継いでいるのです。エレナ嬢も先程の我が父の姿を見て分かりますわね?」
「はい! とても驚きました。ですが、どうして今まで気付かなかったのかしら……」
護衛の近衛騎士達も大きく頷いている。
「何言ってるのさ。ローゼン公爵はいつもどおりだったじゃん」
憧れの男の真の姿を知って心ここにあらずのクリストフは、耳に入ってきた言葉にぼんやりしたまま答えた。
「あの……、殿下、それはどういう意味ですか?」
アルベルトが戸惑いを隠さずに尋ねた。
「どういう意味って?」
「いつもと変わらない、と仰ったのは……」
「だから、俺には最初っからローゼン公爵は綺麗だったよ」
質問の意味が分からずに気怠げな視線を上げると、目を見開いたアレクシアの顔が目に入った。
「アレクシア様! お分かりになって頂けましたか!? クリス様は閣下のことがとてもお好きで」
エレナが興奮してとんでもないことを言い出した。クリストフは今までの思考が全て吹っ飛んで飛び起きた。
「ち、違うよ! そういう意味じゃないよ!」
「こうして照れていらっしゃるのです」
再び顔を赤くしたクリストフのことを、エレナは勝手に解釈しているようだ。はしゃぐエレナの言葉にアレクシアはゆっくりと姿勢を正し、クリストフに目を向けた。
「殿下、父の眼鏡には『認識阻害』の魔法がかけられています」
「えっ?魔法」
アレクシアは頷いた。
「祖母は、その苦労から父を同じ目に合わせたくはないと魔法・魔術研究所の所長であるファン・ハウゼン侯爵のお父上に依頼して、あの眼鏡に無属性の魔法『認識阻害』の効果を付与してもらったのです」
「『認識阻害』って、対象の元の形状が分からなくなったり見えなくなったりするっていう……」
「えぇ」
「でも俺にはあのままのローゼン公爵に見えてたよ?」
「そういえば、クリス様は以前も閣下の見た目が良いと仰っていましたね?」
「うん」
アルベルトが持ち出したのは、婚約の儀に臨むローゼン公爵の正装を目にしたときの話だ。
「もしかして、それは」
アルベルトが何かを言おうとしたとき、アレクシアが扇を手のひらに当て、打ち鳴らした。部品が転がり落ちると同時に、部屋の中にいる者全ての視線がアレクシアに集まる。
「あなた方、職務中に申し訳ないけれど、部屋の外に出てくださる?」
アレクシアの言葉は、クリストフの護衛の近衛騎士たちに向けられていた。
護衛対象から離れることまかり通らんと近衛騎士たちは抵抗したが、アレクシアからローゼン公爵次代の当主として責任を持つなどと言われて彼らは渋々、部屋の扉の外に控えることとなった。
「どうしたの?」
クリストフは近衛騎士たちを威圧するようなアレクシアの態度に少し驚いた。彼らはいつもクリストフを護衛してくれている者たちなので、そんな扱いをしなくてもいいのではないか。
「殿下の……クリス様のお力のお話が出ることになりますので」
「俺のお力って、魔法を使えるってこと?」
「ええ。近衛騎士は貴族の出の者がほとんどのため、彼らの後ろには貴族がついています。父が選んだ者たちとはいえ、油断することはできません」
「う~ん。そうかなぁ。あんたの考えすぎじゃないの?」
「……クリス様。よろしいですか??」
アレクシアのお説教が始まりそうになったとき、視界の端でアルベルトが手を挙げる。
「あの~……」
ため息でそれに応え、アレクシアが視線でアルベルトを促す。
「俺の予想ですと閣下の眼鏡にかけられている認識阻害の魔法は、クリス様には効いていないのではないでしょうか?」
紫色の瞳が頷くように一度伏せられ、それからクリストフの赤い瞳に向けられた。
「ええ。私もそのように考えています。おそらく、クリス様のお力に寄るものかもしれません」
クリストフは瞬いた。
「わたくしも、我が家系のお役目上、クリス様のお力のことについては父より聞いております」
家系のお役目。またこの「お役目」という言葉が出た。
クリストフはローゼン公爵の眼鏡のことよりもその話が気になった。おそらく、あのローゼン公爵の首の後ろに刻まれた不気味な紋のようなものも「お役目」とやらに関係があるに違いない。だが、どれだけクリストフが知りたがったとしても、ローゼン公爵から説明を受けていない以上、アレクシアも説明してくれないのだろう。
不満を抱えながらも仕方なくアレクシアの話に耳を傾ける。
「クリス様の御母上ローナ様は、光魔法の上位である聖魔法を使うことができました。御母上の強力な癒やしの魔法は、聖魔法の力に寄るもの。そして、聖魔法には意識や感覚を阻害するような魔法が通じません」
「それでは……クリス様はその御母上の、聖女ローナ様のお力を継いでいらっしゃるために閣下の眼鏡にかけられた魔法が効かなかったと」
エレナがアレクシアの言葉を受け取って続けた。アレクシアはゆっくりと頷き、クリストフを見つめた。
「すごいですね。聖魔法って」
「『魅了』みたいな悪しき能力も効かないらしいですよ」
感心するエレナにアルベルトがさらに付け加えた。クリストフは、今日は少しはましである癖っ毛の頭を掻いた。自分が褒められているわけでも、母が褒められているわけでもない。ただ、こうして目の前にいる人々の会話の中に、母や自分の持つ力の話が出てきて、それが他人事のように聞こえてしまうことが不思議だった。
そして、ふと気になったことを口にする。
「でも、効かないんだったら、その魔法が使われていることにどうやって気がつけばいいんだろう??」
「我が国の北東に位置するロダート帝国の研究結果によれば、五感に訴えるものがあるとのことですわ。悪しき力などには特に敏感に反応するそうです」
アレクシアが答えてくれた。
「いかがですか、クリス様? 何か思い当たることはございますか?」
「う~ん、全然分かんないや。五感って、目で見たり耳で聞いたり、触ったり食べたり、におい嗅いだりすることでしょ? ローゼン公爵の見た目は変わんないし、聞こえるのは俺への文句だよ」
アレクシアは眉間に皺を寄せた。
「それに、ローゼン公爵を触ったことはないし、ローゼン公爵は食べられないし、においを嗅いだら多分怒られそうだし」
「なっ、なんという卑猥なことを……」
「卑猥って?」
顔を真っ赤にしたアレクシアに向かってクリストフは小首を傾げた。
「お、お、お父様を食べ……、に、に、においを」
「何わけ分かんないこと言ってるの? 変なの」
アレクシアの震える白い手の中で、ついに扇が音を立てて折れ、部品が床にちらばった。
アルベルトはアレクシアを宥めようと自分のお茶をアレクシアに勧めて、エレナに視線で咎められていた。
・クリストフに魔力がある話をするために、護衛の近衛騎士たちを部屋の外に出す描写を追加いたしました。
・近衛騎士たちを外に出したので、クリストフの呼び方を「殿下」から「クリス様」に変更する描写を追加いたしました。
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クリストフの異母兄である王太子レオンハルトは、まるで言葉を忘れたでもしたかのように何も喋らず、ただそこに立ったままでいた。
クリストフの侍女エレナも、ローゼン公爵の侍従アルベルトも、ローゼン公爵の一人娘であるアレクシアもレオンハルトに向けて礼を取ったものの、彼があまりにも動かないので互いに目配せをしてこの状況を確かめあった。
怪訝に思ったらしく大神官が後ろから一度咳払いをし、ローゼン公爵も「王太子殿下」と呼びかけてみたものの、レオンハルトはそのままだった。
「どうしちゃったのこいつ」
「しっ」
クリストフがじれて漏らした言葉を、アレクシアが窘めた。
「殿下」
ローゼン公爵が再度少し大きな声でレオンハルトに呼びかけた。
クリストフはうっかり自分のことかと思ってローゼン公爵を見てしまい、視線の向く先が違うことを見て、何だか少し不満に感じた。
「殿下」
ローゼン公爵はまた声をかけた。大神官が焦れたようで一歩前へと踏み出して、そして弾かれたように声を上げた。
「……は!?」
その声でレオンハルトはやっと意識を取り戻したようだ。
二、三度瞬いて、それから目頭に指を当て、そしてまたローゼン公爵を見つめた。その口元はだらしなくも開いたままだ。大神官はそんなレオンハルトの存在も忘れたように、大きな声で続けた。
「……ロ、ローゼン公爵閣下!?」
何故問いかけられるのかも分からぬローゼン公爵は曖昧に頷いた。
「え、えぇ……」
「セ、セドリック……なのか……?」
続いてレオンハルトまで珍妙なことを言い出した。
クリストフは今度は不満よりもこの場に飽きる気持ちが湧いてきて、ローゼン公爵の衣装をぐいと引っ張った。しかしローゼン公爵はそんなクリストフを見もせずに、宥めるようにクリストフの頭をひと撫でし、それから我に返ったレオンハルトに再び礼を取った。
「左様でございます、王太子殿下。お見苦しいものをお見せして申し訳ございません」
「……あ、いや……」
レオンハルトは言い淀んだ。彼が何の合図も出さないので、アレクシアもエレナもアルベルトも王族への礼の姿勢のままだ。
「あ、こ、これは、あ、は、はぁ。た、大変……」
大神官はローゼン公爵を見つめたまま、分厚い瞼を何度も擦った。
「は、はっはっは。こ、このようにお美しいとは存じ上げず……」
そして彼は、懐からハンカチのようなものを取り出して、かいてもいない汗を頻りに拭った。
「い、いや、その……。そ、それは、に、似合って、にあ、似合っておる」
レオンハルトはいつもの偉そうな態度も発言もどこかへやってしまったらしく、どもりながら返事をし、その間も青い瞳はローゼン公爵に釘付けだった。
クリストフは段々と不快に感じてきた。
レオンハルトは何故かずっとクリストフの妻になるはずのローゼン公爵を見つめているのだ。おまけに彼がその視線を外さないものだから、ローゼン公爵も彼に顔を向けるしかなく、二人は向かい合っている。
クリストフはその脇に、まるでステーキに添えられた野菜のように放っておかれたままだ。あの、いっそついて来なくてもいいと、見るたびにクリストフが感じているあの野菜のようにだ。
「ねぇ。もういいじゃん」
クリストフは我慢できなくなってきてローゼン公爵の服を引っ張った。
「もうあんたの衣装は見たよ。帰ろうよ」
頭上の黒い瞳が、やっとのことでクリストフに向けられようとしたその時。一人の巫女が歩み出た。
「大神官様、大神官様、婚姻前の花嫁様の清らかなお姿は花婿様だけにお見せするべきかと。花嫁様のお取り扱いに関する白花の書にもそのように記されております。それはつまりは、幸いの女神様のご意向かと存じます」
大神官は、はたと手に持ったハンカチのような布を見て、それからそれをぐいと懐に押し込んだ。そして大仰に頷いた。
「……うむ。王太子殿下。御前失礼してもよろしいかな?」
「あ、あぁ……」
レオンハルトは、なおもローゼン公爵から視線を外さなかった。
声をかけてくれた巫女が、クリストフ達が入ってきた扉とは反対側にある奥の扉へとローゼン公爵を促したので、クリストフは裾の長い衣装で歩きづらそうなローゼン公爵を後ろから押した。
ローゼン公爵をさっさとこの場から追い出してしまいたかった。妙な男達の視線に、これ以上晒しておきたくはなかったのだ。
ローゼン公爵がこの部屋からやっと出て行こうというとき、あの巫女が振り返ってクリストフを見た。
彼女は何故かクリストフに向かって微笑んだ。そして深く礼をして去って行った。見知らぬ女のはずなのに彼女の微笑みにはクリストフに対する好意が感じられる。
「あの人は誰なのかな」
「お知り合いではないのですか?」
クリストフの呟きにアレクシアが答えた。
「うん。でも、俺のこと知ってるみたいだった」
「ええ。わたくしにもそのよう見えましたわ。服装から見れば上級巫女のようです」
「そうなの? 服だけ見て分かるなんて、あんたって物知りだね」
クリストフはアレクシアを誉めたつもりだった。しかし彼女は眉を寄せた。そして右眉を上げて、あの顔をした。
「よろしいですか、殿下」
アレクシアのその顔は、さすがにローゼン公爵の娘だけあってレオンハルトよりも遥かにローゼン公爵の表情に近かった。それだけ、彼女の言い方も癇に障るものではあったのだが。
「お言葉遣いにはもう少しお気をつけください。わたくし達だけの場であれば良いでしょうが、人目があるところでは殿下の品位を落とすことになりかねません。未来の義理の娘に向けて、あ、ん、た、などとは。王族の威厳も失われますわよ? ましてや、神殿の中では」
お説教の長さまで父親に似た彼女の言葉を耳から耳へと受け流し、クリストフはローゼン公爵が出て行った扉へ向けて歩き出した。だが、他の巫女に止められて、クリストフはレオンハルトの横を通ってもと来た扉を通るしかなかった。
クリストフはアレクシアに促されて渋々レオンハルトに挨拶をしようとしたが、レオンハルトはローゼン公爵が出ていった扉を見つめたまま呆然と立ち尽くし、クリストフを見もしなかった。
クリストフ達一行は、また同じ部屋に通された。ローゼン公爵の着替えが終わるのを待っていた部屋だ。
あの苦いお茶は出てこなかったが、今度は何と酸っぱいお茶を出された。
「これは美容にいいんです。お肌の艶が出るんですよ。市場にも出回っています」
今回もエレナが説明してくれた。そして彼女はまたしてもお茶に挑戦し、今度は飲み切ることができなかった。
「腐ってるんじゃないのこれ……」
「殿下、腐っているお茶との味の区別もつかないようではいけませんわ」
アレクシアは偉そうに言ったものの少し咽ていた。アルベルトは口もつけなかった。
「あの……」
一同がひと息ついたところで、エレナがおずおずと切り出した。
「先程の閣下のお姿。あれは、一体どういうことなのでしょうか」
アルベルトとアレクシアが視線を交わし合った。
「いつも私が見ていた凛々しいお姿とは違って先程は非常に」
「ぷっ」
クリストフの口から思わず笑いが漏れてしまった。ローゼン公爵を凛々しい男だなどと考えたこともなかったので、おかしくなってしまったのだ。
仕方のないことだ。クリストフにとってローゼン公爵は、口やかましく、偉そうで、時に的外れな、そんな男だった。いくらお綺麗だと言っても、眉毛を上げてお小言が始まればあっという間に「近所の口うるさいおじさん」に早変わりだ。
「おかしなことでもございましたか? 殿下」
アレクシアがぎろりとクリストフを睨みつけてくる。
「だって、ローゼン公爵が凛々しいだなんて」
「えぇ。父はいつも凛々しく、堂々として、威厳のある、立派な」
「口うるさいおじさん」
アレクシアは勢いよく立ち上がった。
「何ですって!?」
「お、お嬢様っ!」
アルベルトもそれに合わせて慌てて立ち上がった。
「ご自身の婚約者であるお父様のことを何という物言い!」
「アレクシア様っ!」
続けてエレナも立ち上がった。
先程まで少し寒々しくもあった部屋の温度が上昇し始める。アレクシアが手に持っている扇子から煙が上がった。
「殿下、お言葉を訂正して下さいっ!」
「俺は本当のこと言っただけなのに」
「ご婚約者様のことを『おじさん』だなんて! 殿下が閣下のことをお好きなのは私も存じ上げております! もっとお気持ちを素直お伝え下さいませ!」
「えっ!?」
今度はクリストフが立ち上がった。
ローゼン公爵のことを「お好き」だなどとは、考えたこともないはずだ。
「な、何だよそれ! 俺はそんなこと思ってないよ!」
頬を赤くするクリストフを見て、アレクシアの紫色の瞳が細められる。彼女は急におとなしくなり、静かに腰を下ろした。そして、クリストフに不躾な視線を送ると「ふんっ」と顔を背けた。
諍いが始まらないことに胸を撫で下ろしたアルベルトは落ち着こうとしてお茶をうっかり飲んでしまい、咽てしまっていた。
エレナが息をひとつ吐き出して、話を戻す。
「以前耳にしたことがあるのですが、閣下のお母様は社交界で非常にご高名な方だったとのことですね?」
アレクシアが頷いた。
「えぇ。祖母はその美しさから『夜の女神』とも呼ばれていました。求婚者が後を断たず、祖父との結婚後も言い寄る男性が多く困り果てていたようなのです」
立ったままお茶のカップを眺めていたクリストフに、アレクシアが視線で座るように促してくる。クリストフの方が年齢も立場も上のはずなのに、まるでアレクシアの子分のように扱われ、クリストフ少し憮然として腰を下ろした。
「ここだけのお話ですが、大公殿下からもお声がかかっていたとか」
「まぁ!」
エレナが口に手を当てて声を上げた。そしてそれからすぐに辺りを窺うように視線を走らせ、囁いた。
「大公殿下と言えば、あの……」
「そうですよ。あの好色王」
「アルベルト」
アレクシアの鋭い呼びかけが若者ばかりの場で気が緩んだ侍従の迂闊な口元を縫い止める。座るクリストフの背後に立っている護衛の近衛騎士達も気まずそうな顔をした。
「大公殿下ってあれでしょ? 王家の炎を大剣で操るって聞いたよ」
クリストフは身を乗り出した。
現国王の兄である大公は好色王と呼ばれたらしいが、色恋沙汰などクリストフにとってはどうでもいい。それよりも気になるのは魔法の技だ。
以前、アルムウェルテン王国の王族達のことを勉強する時間にローゼン公爵から聞いた大公の話はとても胸が躍るものであった。
黄金の王家の炎は高熱で、金属や宝石の類いも易々と燃やし尽くしてしまう。にも関わらず、国王の兄である大公は、それを上手く操って大剣に纏わせて戦うという。剣を扱わないクリストフには想像もつかない戦い方だ。
まるで物語にでも出てくる勇者のようで、話を聞いてクリストフは憧れていた。真似をしてみようと食事に使うフォークに王家の炎を纏わせてみたのだが、フォークはあっという間に溶けてしまい、炎の扱いの難しさを改めて知ったのだ。
「えぇ! 僕も見たことはないのですが、とても格好いいらしいですよ!」
クリストフの言葉に、アルベルトが食いついた。
「北方から帰郷した騎士達の噂によると、その炎の剣で氷竜と戦って尻尾を切り落としたとか!」
「竜と戦ったの!?」
「それに、氷の魔獣を何体も倒したそうです」
「何体も!?」
「何人もの女性と一夜だけの関係を結んで捨てました」
アレクシアの冷たい声が二人の間に割って入った。
「女性を弄んだのですよ、殿下」
扇子が手の平に叩きつけられる乾いた音が響く。先ほどアレクシアの魔力が作り出した熱でどこか損傷したのか、部品がひとつ、ころりと床に転がった。アルベルトは肩を竦めて顔を下げた。
「色んな女の子にモテただけじゃないの?」
クリストフは瞬いてアレクシアを見た。好色などと言っても、所詮はただの噂だろうと思っていた。
結婚もせずにたくさんの女と肉体関係を結べばとんでもないことになる。そんなことはクリストフですらもっと幼いころにすでに理解していたのだ。勉強のできそうな王族が理解していないはずがない。
クリストフはその「とんでもないこと」を目の当たりにしたことだってある。
娼館の常連客に見目の良い男がいて、優しい男だと娼婦達にも人気があったが、ある日突然現れた五、六人の若い女に袋叩きにされてしまったのだ。顔がでこぼこになっただけでなく、彼は股の間をしつこく蹴られていてとても痛そうだった。
そして後日、男としての大事なものを失ったと町の人々が噂していたのをクリストフは聞いたのだ。
王族が様々な女に手を出せば、その男の末路よりもっと悲惨なことになるのではないだろうか。何しろ王族と付き合うぐらいなのだから、相手の女も貴族に違いない。
いくら王族が偉いからといって、あまりに多くの貴族達の反感を買えば無事では済まないはずだ。少なくとも貴族なのだから、彼らにはお金や多少の権力というものがあるのだ。
「お父様から聞いたことはございませんでしたか? 言い寄ってくる女性のみならず、美しい令嬢を勝手に見初めては強引に迫っていたのですよ」
アレクシアの言葉にエレナが悲痛な表情で続く。
「傷ついて未婚のまま修道院に行ってしまった女性もいると聞きます。お腹の子どもを……諦めざるを得なかったご令嬢もいらっしゃるとか」
「えっ! じゃ、俺に従兄弟がいたかもしれないの!? それで、生まれる前に死んじゃったかもしれないの!?」
「真実は分かりませんが、そのような噂が」
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「ちょっ! ク、クリス様っ!」
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「自分の子どもなら、結婚してからちゃんと産んでもらって育てればいいじゃん!」
「え、あ、も、もちろんそうですが」
クリストフの勢いに押されてアレクシアは危うく扇子を落としかけた。また何か部品がひとつ床に落ちた。
「それに、どうしてそんなに浮気ばっかりするんだよ! 王族って偉いんでしょ? それなら自分が一番いいなって思う子と付き合えるだろうし、そういう子と付き合えば他の子は別に好きにならないじゃん! ね!?」
クリストフは振り返って護衛の近衛騎士達の同意を求めた。強く頷く者と、悲しそうな顔をする者、何故か不敬にも目を逸らす者と反応は様々だ。
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そして、その相手が母であればと。
「お、王族だからこそ、好きな相手とは婚姻できないのですが……」
アレクシアは常識を説いてみるが、うなだれるクリストフの耳には入らない。仕方なくローゼン公爵を真似た低い咳払いをし、場を仕切り直す。
「と、とにかく! そんな祖母の美しさを父も継いでいるのです。エレナ嬢も先程の我が父の姿を見て分かりますわね?」
「はい! とても驚きました。ですが、どうして今まで気付かなかったのかしら……」
護衛の近衛騎士達も大きく頷いている。
「何言ってるのさ。ローゼン公爵はいつもどおりだったじゃん」
憧れの男の真の姿を知って心ここにあらずのクリストフは、耳に入ってきた言葉にぼんやりしたまま答えた。
「あの……、殿下、それはどういう意味ですか?」
アルベルトが戸惑いを隠さずに尋ねた。
「どういう意味って?」
「いつもと変わらない、と仰ったのは……」
「だから、俺には最初っからローゼン公爵は綺麗だったよ」
質問の意味が分からずに気怠げな視線を上げると、目を見開いたアレクシアの顔が目に入った。
「アレクシア様! お分かりになって頂けましたか!? クリス様は閣下のことがとてもお好きで」
エレナが興奮してとんでもないことを言い出した。クリストフは今までの思考が全て吹っ飛んで飛び起きた。
「ち、違うよ! そういう意味じゃないよ!」
「こうして照れていらっしゃるのです」
再び顔を赤くしたクリストフのことを、エレナは勝手に解釈しているようだ。はしゃぐエレナの言葉にアレクシアはゆっくりと姿勢を正し、クリストフに目を向けた。
「殿下、父の眼鏡には『認識阻害』の魔法がかけられています」
「えっ?魔法」
アレクシアは頷いた。
「祖母は、その苦労から父を同じ目に合わせたくはないと魔法・魔術研究所の所長であるファン・ハウゼン侯爵のお父上に依頼して、あの眼鏡に無属性の魔法『認識阻害』の効果を付与してもらったのです」
「『認識阻害』って、対象の元の形状が分からなくなったり見えなくなったりするっていう……」
「えぇ」
「でも俺にはあのままのローゼン公爵に見えてたよ?」
「そういえば、クリス様は以前も閣下の見た目が良いと仰っていましたね?」
「うん」
アルベルトが持ち出したのは、婚約の儀に臨むローゼン公爵の正装を目にしたときの話だ。
「もしかして、それは」
アルベルトが何かを言おうとしたとき、アレクシアが扇を手のひらに当て、打ち鳴らした。部品が転がり落ちると同時に、部屋の中にいる者全ての視線がアレクシアに集まる。
「あなた方、職務中に申し訳ないけれど、部屋の外に出てくださる?」
アレクシアの言葉は、クリストフの護衛の近衛騎士たちに向けられていた。
護衛対象から離れることまかり通らんと近衛騎士たちは抵抗したが、アレクシアからローゼン公爵次代の当主として責任を持つなどと言われて彼らは渋々、部屋の扉の外に控えることとなった。
「どうしたの?」
クリストフは近衛騎士たちを威圧するようなアレクシアの態度に少し驚いた。彼らはいつもクリストフを護衛してくれている者たちなので、そんな扱いをしなくてもいいのではないか。
「殿下の……クリス様のお力のお話が出ることになりますので」
「俺のお力って、魔法を使えるってこと?」
「ええ。近衛騎士は貴族の出の者がほとんどのため、彼らの後ろには貴族がついています。父が選んだ者たちとはいえ、油断することはできません」
「う~ん。そうかなぁ。あんたの考えすぎじゃないの?」
「……クリス様。よろしいですか??」
アレクシアのお説教が始まりそうになったとき、視界の端でアルベルトが手を挙げる。
「あの~……」
ため息でそれに応え、アレクシアが視線でアルベルトを促す。
「俺の予想ですと閣下の眼鏡にかけられている認識阻害の魔法は、クリス様には効いていないのではないでしょうか?」
紫色の瞳が頷くように一度伏せられ、それからクリストフの赤い瞳に向けられた。
「ええ。私もそのように考えています。おそらく、クリス様のお力に寄るものかもしれません」
クリストフは瞬いた。
「わたくしも、我が家系のお役目上、クリス様のお力のことについては父より聞いております」
家系のお役目。またこの「お役目」という言葉が出た。
クリストフはローゼン公爵の眼鏡のことよりもその話が気になった。おそらく、あのローゼン公爵の首の後ろに刻まれた不気味な紋のようなものも「お役目」とやらに関係があるに違いない。だが、どれだけクリストフが知りたがったとしても、ローゼン公爵から説明を受けていない以上、アレクシアも説明してくれないのだろう。
不満を抱えながらも仕方なくアレクシアの話に耳を傾ける。
「クリス様の御母上ローナ様は、光魔法の上位である聖魔法を使うことができました。御母上の強力な癒やしの魔法は、聖魔法の力に寄るもの。そして、聖魔法には意識や感覚を阻害するような魔法が通じません」
「それでは……クリス様はその御母上の、聖女ローナ様のお力を継いでいらっしゃるために閣下の眼鏡にかけられた魔法が効かなかったと」
エレナがアレクシアの言葉を受け取って続けた。アレクシアはゆっくりと頷き、クリストフを見つめた。
「すごいですね。聖魔法って」
「『魅了』みたいな悪しき能力も効かないらしいですよ」
感心するエレナにアルベルトがさらに付け加えた。クリストフは、今日は少しはましである癖っ毛の頭を掻いた。自分が褒められているわけでも、母が褒められているわけでもない。ただ、こうして目の前にいる人々の会話の中に、母や自分の持つ力の話が出てきて、それが他人事のように聞こえてしまうことが不思議だった。
そして、ふと気になったことを口にする。
「でも、効かないんだったら、その魔法が使われていることにどうやって気がつけばいいんだろう??」
「我が国の北東に位置するロダート帝国の研究結果によれば、五感に訴えるものがあるとのことですわ。悪しき力などには特に敏感に反応するそうです」
アレクシアが答えてくれた。
「いかがですか、クリス様? 何か思い当たることはございますか?」
「う~ん、全然分かんないや。五感って、目で見たり耳で聞いたり、触ったり食べたり、におい嗅いだりすることでしょ? ローゼン公爵の見た目は変わんないし、聞こえるのは俺への文句だよ」
アレクシアは眉間に皺を寄せた。
「それに、ローゼン公爵を触ったことはないし、ローゼン公爵は食べられないし、においを嗅いだら多分怒られそうだし」
「なっ、なんという卑猥なことを……」
「卑猥って?」
顔を真っ赤にしたアレクシアに向かってクリストフは小首を傾げた。
「お、お、お父様を食べ……、に、に、においを」
「何わけ分かんないこと言ってるの? 変なの」
アレクシアの震える白い手の中で、ついに扇が音を立てて折れ、部品が床にちらばった。
アルベルトはアレクシアを宥めようと自分のお茶をアレクシアに勧めて、エレナに視線で咎められていた。
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