年下王子と口うるさい花嫁

いとう壱

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第61話 婚礼衣装 2

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 クリストフとローゼン公爵の一人娘のアレクシア、クリストフの侍女エレナとローゼン公爵の侍従アルベルトは応接室だろうと思われる一室に案内された。ローゼン公爵の沐浴が終わり、婚礼衣装の準備が整うまでここで待つようにとのことだ。

 置物一つもない殺風景なその部屋は、ソファのクッションまで固かった。おまけに、神官の一人が持って来てくれたお茶は奇妙な匂いがして苦かった。

 クリストフはアルベルトとなぞなぞを出して答えるというゲームをして、負けた方がこのお茶を飲むことにした。


「これは体に良いんですよ。体内の悪い物を出す効果があるお茶なんです」


 エレナはそう説明してお茶に挑戦し、なんと飲み干して見せた。それから、口元を抑えて俯いていた。やはり相当不味かったらしい。

 エレナの説明を真面目に聞いていたアレクシアもお茶を口にした。


「さすがは神殿のお茶ね」


 アレクシアは涼しげな顔をして全て飲み、何故かクリストフに勝ち誇った視線を向けた。


「そうだ」


 お茶がほとんどなくなった頃、アルベルトがクリストフとエレナに向き直り、急に真剣な顔になった。


「クリス様とエレナ嬢にお願いがあります。君達もだ」


 アルベルトは室内に控えていた護衛の近衛騎士三名にも呼びかけた。いつもとは違うアルベルトの真剣な表情に、近衛騎士達は顔を見合わせている。


「どうしたの?」

「巫女服を着る際には、それ以外の物を身に着けてはいけません。ですから、閣下はいつもとは大分違ったお姿になるでしょう。そのお姿に驚かれるかもしれませんが、そのことは一切口外しないでいただきたいのです」

 念を押すように近衛騎士達に鋭い視線を向けるアルベルトが一瞬別人のように感じられる。


「はは。ローゼン公爵が恥ずかしがってたの?」


 晒し者になるなどと気にしていたが、こんな口止めをするほど巫女服を着ることに抵抗があったのだろうか。クリストフは何だかおかしくなった。

 アレクシアが扇を手の平に打ち付け、乾いた音を鳴らした。エレナがそれを聞いて慌てて微笑んだ。


「心配ありませんわ。閣下に似合わぬはずがございません」

「いえ。それがその……閣下はご自分の容姿には気を払わないお方ですので、少し問題が」


 微笑みを向けるエレナにアルベルトが頭を掻いたところで神官の一人がやってきた。準備が整ったとのことだ。




 四人は神官に連れられて別の部屋へ向かった。

 先ほどまでいた応接室からさらに建物の奥に進むと、少し天井が高い場所へと出た。その天井へと伸びる長い扉には幸いの女神の象徴と言われる白い花が描かれている。神官がその扉を開けた。

 中に入ると、部屋は円形状になっていて中央に向かって階段のように段々と床が低くなっていた。その部分に天窓から光が下りてきている。光の下にはぐるりと数人の巫女達がいて、中央に見覚えのある男の後ろ姿があった。


「殿下がいらっしゃいました」


 神官の声かけで濡れた黒髪が揺れた。男が振り向き、「クリス様」と言った。

 クリストフは彼の格好を思い切り笑ってやろうと思った。それなのに、少し後ろに立ったエレナが思い切り息を吸い込むので、思わずそちらへ目を遣ってしまった。

 彼女は口に両手を当てたまま目を見開いている。そんなに滑稽な格好なのだろうか。

 クリストフが前方へ視線を戻すと、案内役の神官が目を丸くして突っ立っていた。アルベルトがため息をついて小指で眉の上を掻く。アレクシアは目を細めてその神官に厳しい視線を送っていた。

 クリストフは神官の視線を辿り、その先にいる男を見た。

 ローゼン公爵だ。

 いつもは後ろへと撫でつけられている前髪が水に濡れ、緩く顔へとかかっている。その前髪の間から覗く彼の黒い瞳は雫を受け止めた睫毛に隙間なく縁取られ、降り注ぐ光から守られて美しい闇を湛えていた。
 対して、その身を包む布地は幸いの女神の清廉さを表した白い色であったが、天からの輝きを全て受け止め女神の恩寵も顕に煌めきを纏い、薄い生地から覗く男の白い肌は淡い光に一層その瑞々しさを見せ、まるで光の中に溶けて透けるようであった。


「これが巫女服?」


 クリストフの問いには誰も答えなかった。


「はは、寝る時に楽そうじゃん」


 軽く笑って言ったのだが、反応したのはローゼン公爵だけだった。


「クリス様。妻の新しい装いを見た時には美しいとひと言」

「お、お美しい……!!」


 ローゼン公爵の苦言に神官が勝手に跪いた。アルベルトが額に手を当てて首を振った。ローゼン公爵は跪いてしまった神官を見て、それからクリストフに戸惑いの視線を向けた。


「どうしたの? この人」


 クリストフは陶然とした表情の神官を見た。


「これは……」

「何てお綺麗な……!!」


 アルベルトが答えようとしてエレナが声を上げた。クリストフは驚いてエレナを見た。


「か、閣下ですか!?」


 エレナは我も忘れて尋ねた。


「あ、あぁ……私だ」

「美の女神様みたい……!」


 作法もどこかへいってしまったらしいエレナは感動に目を見開いたままだ。クリストフの護衛の近衛騎士達も「おぉ……」と呟いたまま護る対象であるクリストフのことなど忘れてローゼン公爵の姿に見入ってしまっていた。
 ローゼン公爵がまたクリストフを見た。クリストフは場の雰囲気がよく分からず、とりあえず気になったことを尋ねてみた。


「それ、透けてないの?」

「恐らくは」


 下がっている床を階段のように下りて行き、クリストフはローゼン公爵の近くに立った。その後ろにアレクシアが続く。

 ローゼン公爵は落ち着かない様子だった。身に纏うその服は、いつもの装いとは全く違う。ボタンがなく布を簡単に前で合わせるだけのもので、裾も長く、床についてしまっていた。

 ローゼン公爵はクリストフの視線を受けてため息をついた。


「おかしな格好でしょう? だから嫌だったのですよ。私に似合うはずもない」

「うーん」


 クリストフは首を何度か傾げた。


「似合わないことはないと思うけど、すぐに脱げそうだね」


 ローゼン公爵は顔をしかめた。


「何という破廉恥な……」


 背後で、クリストフの後に続いて下りてきたアレクシアの低い呟きが聞こえる。アレクシアは戸惑う父親へ笑顔を向けた。


「お父様、お似合いですわ。神聖な輝きに満ち溢れたお姿です」


 アレクシアの賛辞も耳から耳へと抜けて、クリストフは初めて見る服に興味津々だった。こんな服を母親も着ていたのだろうか。


「この中はどうなってるの?」


 クリストフはローゼン公爵の纏う衣装を引っ張った。


「な、何をなさいます! おやめ下さい!」

「殿下! まだ婚姻前だというのに何ということを!」


 慌てるローゼン公爵とアレクシアの様子が面白くなり、クリストフは手を弾かれたり、不敬にも叩かれたりする度に、衣装の違う部分を掴んでは引いて見せた。


「はは。何恥ずかしがってるの」

「あ、貴方様には恥じらいというものが分からないのですか!?」

「で、殿下! その辺でそろそろ……」


 アルベルトも焦ってクリストフを止めに入る。クリストフはますます面白くなってきて、衣装の裾を持ってくるりとローゼン公爵の後ろへ回り込んだ。


「クリス様!」

「お、お父様! 足が!」


 アレクシアがローゼン公爵を隠すように抱きついた。衣装の裾がはだけてしまい、足が見えてしまったらしい。


「勘弁して下さいよ、クリス様……」


 困り果てたアルベルトが「殿下」と呼ぶことすら忘れて、クリストフの手から衣装の裾を取り上げようとしたとき、ふとクリストフは何かに呼ばれたような気がして上を見た。

 羞恥に赤くなったローゼン公爵の首の後ろに何かがある。花嫁の印なのかと思ったが、よく見れば全く違うものだ。

 美しい光を放つ花嫁の印とは異なったそれは、赤黒い血のような色でローゼン公爵の肌を抉るようにして刻まれていた。

 毎日のようにローゼン公爵と顔を合わせていたというのに、こんなものがあることは初めて知った。

 そういえば。

 クリストフはふと気がついた。

 ローゼン公爵の装いはいつも首元まで覆われていた。襟やスカーフ。貴族の男が首につけている、名称は教えてもらったけれどすぐに忘れてしまったあれなど。

 もしかして、それはこの不気味な印のようなものを隠すためだったのだろうか。


「……ねぇ、それ」


 からかいから解放された布地がふわりと足もとに落ちる。

 それは何なのか。

 そうクリストフが尋ねようとした時、ローゼン公爵の右手がその部分を覆ってしまった。


「それ……」


 黒い瞳が静かにクリストフを見下ろしていた。クリストフの問いに答える気などはない。瞳に浮かぶその色が、戯れを捨て去りクリストフを突き放す。
婚約者の急な変化にクリストフがむくれそうになったそのとき、さらに追い打ちのようにクリストフの大嫌いな男の声が部屋の外から聞こえてきた。



「はっはっはっ! セドリックの婚礼衣装だと!?」


 堂々とした足音が石の床に響きこちらに近付いてきて、金色の光を身に纏った男がそこに現れた。

 異母兄である王太子のレオンハルトだ。

 白金のマントをたなびかせ、颯爽と現れたレオンハルトは大きな口にすでに笑みを乗せていた。後ろには大神官がついてきている。


「おいセドリック! 私にも見せてみろ! 婚礼衣装とやらがどのようなものか……」


 彼は如何にも愉快だという表情をクリストフとローゼン公爵に向けて、それから急に銅像のように固まってしまい動かなくなった。





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