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第60話 婚礼衣装 1
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神殿にてビスケットを捧げて幸運の女神に祈ったあの日から数日後、朝食の席でローゼン公爵はクリストフに告げた。
「神殿にて婚姻の儀の衣装合わせがございます」
「いひょうふぁふぁへ?」
クリストフは熱々のベーコンを半分口に入れ、残りをフォークで引っ張った。目の前の顔があっという間に歪められ、冷たい視線が注がれる。
「お食事の際のマナーのお勉強をもう一度いたしますか?」
「あんたが話しかけるから」
丁寧にベーコンの全てを口に押し込んで、今度はしっかりと飲み込んでからクリストフは言い訳を口にした。
「閣下、婚姻の儀の衣装はあのオレリア&ルワゾンが手掛けるのではないのですか?」
クリストフの侍女エレナが口にしたのは王都で有名な服飾専門店の名前だ。
エレナの話によると、貧しいルワゾン男爵家は夫人の手先が器用なことから家計を助けるために一家でお針子の内職をしていた。なんと、夫人のみならず当主であるルワゾン男爵も、長男も、次男も、三男もである。
彼等の仕事の素晴らしさに目を付けたのが裕福な商家の娘オレリアだ。
彼女は自分が考案したドレスを思い通りに仕上げてくれるお針子を欲していた。そして、ルワゾン男爵家に難しい針仕事を依頼し、見事完成したドレスは夜会やお茶会、サロンなどで大人気となって注文が殺到したのだ。
オレリアはルワゾン男爵家と組んで、ドレスのアイデアなども彼等と相談し合いながら次々と美しく洗練され、時に斬新なドレスや、その他の衣装を生み出しているという。
「あの工房のドレスを着ることは、今や王都中の女性の夢なんです!」
エレナは瞳を輝かせて語った。クリストフは緑の豆をフォークでつつきながら尋ねた。
「その人達が作った衣装を神殿で着るの?」
「いいえ……」
ローゼン公爵は小さく肩を動かして、言葉を続けた。
「オレリア&ルワゾンにすでに手配済みでしたが大神官殿がごねたのです。先週、神殿に行きましたでしょう? あの時の話し合いで、急に婚姻の儀の衣装の話題を持ち出し、私に巫女服を着ろと」
「何それ」
「女神様に拝礼する時の服です。上級巫女……つまり、クリス様のお母様のようなお立場の方が女神様に祈りを捧げる際の衣装です」
「ふ~ん」
「私は、クリス様が夢で女神様にお会いしたことを内密にしろという話をしていたのです。クリス様の身に危険が及ぶ可能性があるからと。不満そうでしたが、神殿とて表立って王族派との対立は望まないでしょう。
納得したのだと思っていましたら、彼奴等め……クリス様がそこまで女神様のご寵愛を受けているのであれば、当然その花嫁である私も女神様に寄り添った衣装を着るべきだと。女神様からの祝福の証としてそうするべきだと話の矛先を変えおって……。
夢の件を他言せぬことを盾に取り、私が巫女服を着れば、神殿の権威を示すことになるなどと愚かな考えを……!」
「いいんじゃない? 別に」
「ですが、あのような格好を私がするのですよ!?」
「俺、見たことないから分かんないよ」
「一度ご覧になればお分かりになるでしょう。全く……いい晒し者だ」
苦々しげに言い捨てたローゼン公爵の言葉も無視して、クリストフは続けて尋ねた。
「じゃあ、手配済みってのはどうするの?」
「それは王宮でのパーティーの時にでも着ることにいたしましょう」
「パーティー?」
「我々の結婚を祝うパーティーです」
「そんなものもやるの?」
「そんなものではありません」
ローゼン公爵は眉を寄せてクリストフを見た。そして、一度息を吐いてから口を開く。お決まりのあれだ。
「よろしいですか?クリス様」
殿下からクリス様へと呼び方が変わっても、このお決まりの台詞は相変わらずローゼン公爵の口によく上った。クリストフはつついていた豆を口に入れた。
「我々の婚姻というのは、このアルムウェルテン王国にとって、とても大切な物なのです。祝福の花嫁様は、ともすればこの国で今も苦しんでいる人々に救いの恵みをもたらすのかもしれないのですよ? ですから、花嫁様の関わる行事は王宮でも神殿でも公式のものとして行うのです。花嫁様の存在は、この国と神殿公式の」
「花嫁はあんただよ」
他人事のような口振りにクリストフが指摘を入れるとローゼン公爵は黙り込んだ。
こんな偉そうにお説教をしながらも、未だにローゼン公爵は自分が祝福の花嫁に選ばれたという実感がないのだろうか。もう婚約の儀から大分経っているというのに。
渋い顔をするローゼン公爵を眺めながら、クリストフはサラダの葉を口に押し込んで、それからデザートの果物をたいらげた。
翌週、ローゼン公爵に連れられて、クリストフは再び神殿へとやってきた。
もちろんエレナとローゼン公爵の侍従アルベルト、そして護衛の近衛騎士三名も一緒だ。そして今日は、アレクシアも合流した。
「お父様の婚姻の儀の衣装ですから、娘のわたくしがしっかりと確認する必要がございます」
アレクシアはクリストフに会うなり偉そうにそう言ったが、クリストフからすればただ父親の婚礼衣装を見たいだけだと思われた。
クリストフに対して美しいお辞儀を披露したあと、凛と胸を張って静かに歩く彼女は、遠目から見ればいかにも貴族のご令嬢とやらに見える。
しかし近くからその表情を観察すれば、すました顔の奥に鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気を隠しているのだ。余程父親の衣装を見ることが楽しみらしい。
そんなアレクシアに呆れているクリストフの横で、ローゼン公爵は不機嫌だった。何度も「父親の威厳が」とぶつぶつと口にしてはアレクシアに笑顔を向けられると、その憮然とした表情をがらりと変えて微笑んで見せる。
馬鹿馬鹿しいやり取りだ。
クリストフは少し不満だった。
ローゼン公爵がアレクシアに見せる微笑みは、クリストフに向けられるものとは違うものだ。以前、一度同じ微笑みを向けられたように思ったが、今考えれば違う気がする。(第15話第三王子の孤独 最後の一文参照)
きっとあれは、ローゼン公爵の本当の微笑みなのだろう。何しろ相手は娘だ。
アレクシアが生まれてから今までずっと、この二人は父娘として共に人生を歩んできた。クリストフが母親と過ごすことができなかった長い時間を、この二人は共に過ごしていたのだ。
神殿までの柱が並ぶ道へと向かうクリストフより少し下がって歩くローゼン公爵。その後ろに付き従うアレクシア。
お互いの距離はそう変わらないはずなのに、クリストフの後ろでは父娘の関係が繰り広げられている。
ローゼン公爵がクリストフのもとに来たのはクリストフが第三王子だからだ。急にそんな考えがクリストフの心の中に浮かんだ。
クリストフにあれこれ言うのはクリストフが王族だからで、お側にいると言ったのはクリストフがローゼン公爵の花婿になるからだ。
一体そうでなければ、どうしてローゼン公爵の隣にクリストフの居場所があるというのだろう。
毎晩のココアのことも、刺繍のことも、ビスケットのことも、夜の語らいでのローゼン公爵の言葉も、体調を崩して目覚めてからの抱擁のことも、全てがただのローゼン公爵の仕事の一つに思えて、クリストフは小さく唇を尖らせた。
母親の愛、娼館の人々との触れ合いや友情。それらが頭の片隅にあって、自分が恵まれていることが理解できているのに何故か心がついていかない。
そんな自分が恥ずかしかった。
きっと、アレクシアはこんなことは考えないに違いないだろう。彼女はいつでも胸を張っている。立派な公爵令嬢として、教育を受けてきたのだ。
自分を支えてくれる幾人もの人を連れ歩きながらも、クリストフは急に孤独を感じてしまった。
足元に落とした視線から光が遮られ、大きな影が落ちてきた。神殿へと続く柱の道だ。
前回同様に柱の道に入る手前で神官長が待っており、今回は大神官もそこにいた。大神官は大きな腹を揺らしてクリストフに丁寧に挨拶をした。そして、彼等が連れていた神官三名と共にクリストフ達は神殿へと向かった。
今日は祈りの間へは行かずに本殿の前を左に折れて、色々な部屋がある区画へと足を踏み入れることとなる。大神官とは本殿の前で別れた。なんとこれから王太子であるレオンハルトが来るらしい。
レオンハルトと顔を合わせたくないクリストフは、大神官との別れの挨拶もそこそこに先を急いだ。こんな気分のままあの男の顔を見たら、より一層みじめな気持ちになりそうだ。
本殿より少し小さくはなるが、横に長い造りの白い建物の中の廊下を一行は進んで行く。ひんやりとした空気が肌を撫でた。
左右には間隔を開けていくつか扉があった。色々な部屋があるらしい。少し開けた中庭のような場所に出て、そこで廊下は左右に分かれていた。
「花嫁様におかれましてはまず沐浴し、身を清めて頂きます」
神官の一人が静かにそう言った。ローゼン公爵は頷いた。左の廊下から若い巫女らしき女性が二人ほど現れて、ローゼン公爵に向けて礼を取った。
「沐浴にはこの者達が付き添います」
エレナが瞬いた。アルベルトは「えっ」と言いかけたらしく、手を口に当てた。アレクシアは複雑そうな表情だ。 ローゼン公爵は今度は頷かずに怪訝な顔を神官長へと向けた。
「女性にそのようなことはさせられません」
「申し訳ございませんが、これは儀礼となっております。神殿に残る祝福の花嫁様のお取り扱いについての記述には、花嫁様が神殿で行う様々な儀式に際し、都度沐浴を行うようにとの内容がございました。そしてその際には巫女が付き添うようにとのことです」
説明をした神官の一人が困ったように眉を下げた。
「閣下は今は花嫁様なのです。女神様からお役目をいただいたのですから、お役目に沿ったお考えでいていただかねば」
神官長は一歩も引かない構えだ。
「巫女として修行中の女性の目を汚すことになりかねませんぞ」
「彼女達は心眼の修行中ですので、御身を直接見ることはないでしょう」
ローゼン公爵と神官長の言い合いを見て、アレクシアはクリストフを見た。この場で最も位の高いクリストフが物を申せということらしい。しかしクリストフは状況が良く分からない。
「何が問題なの?」
「……沐浴は、その……は、はだ……」
そっとエレナに問いかけると、エレナは頬を赤くして言葉に詰まった。
「裸になるんです。アルムウェルテン王国ではそれがしきたりで。でも結婚相手でもない女性に見られるなんて」
アルベルトが小指で眉の上を掻きながら続けた。クリストフは二人の巫女らしき女性達を見た。二人とも目を閉じている。
「心眼の修行って何?」
クリストフはまたエレナに質問した。今度はアレクシアが答えた。
「目を閉ざし、心で女神様の姿を見る修行です。修行中は目を一切開けてはいけません。ですが殿下、だからと言って女性にお父様のお体の」
「じゃ、ご飯食べる時も目を閉じて食べるの!?」
「それどころか、用を足す時も」
驚いたクリストフがアレクシアの言葉を遮って、さらにアルベルトが余計なことを言いかけ、三人は神官の一人にじろりと見られてしまった。
「しかし、万が一彼女達の目に触れれば、修行中の身の未来ある巫女の方々の純潔が汚されてしまいます」
「我が神殿の巫女達がそのような浅はかな真似を修行中にするとお考えですか?」
ローゼン公爵はどうしても納得できないようだ。クリストフは神殿に着くまでの落ち込みも忘れてローゼン公爵の様子が面白くなり、からかってやろうと考えた。
「いいじゃん。付き添ってもらえば」
口を挟んでやると、二つの視線がクリストフを見た。
「クリス様、私は男です。未婚の女性の前に体を晒すのは」
「淑女でしょ」
クリストフは花嫁に選ばれてからよくローゼン公爵が口にするその言葉を言ってやった。物は使いよう、言葉も使いよう、である。
「あんたは淑女になるんでしょ。女みたいなもんだよ」
眼鏡の奥から恐ろしいまでの視線がクリストフに注がれた。それと同時に、クリストフの足に硬いものが突き刺さった。アレクシアの靴のヒールだった。
「いってっっ!!!」
「さすがは第三王子殿下。何とご理解があることでしょう」
神官長はクリストフの援護を受けて背筋を伸ばし、巫女達に手振りで指示をした。
「花嫁様、こちらへ」
クリストフは膝を持ち上げて足の甲をさすった。
「何すんだよ!」
「あら? どうかなさいましたか、殿下」
アレクシアは涼し気な瞳でクリストフを見た。
「俺の足踏んだだろ!」
「まぁ大変! 御御足に何が? もしや、祝福の花嫁様に無体を強いたので、女神様がご不快になられたのかもしれませんね」
「ちょっとからかっただけじゃん! あんたのお父様ってのが、いつも淑女になるってうるさく言うから!」
「うるさく!? 父は殿下のために淑女になろうと」
「……良いでしょう」
ぶつかり合う赤い瞳と赤い髪に低い声が掛けられた。
「未来の夫の意見です。聞き入れましょう」
巫女達に促されるまま、ローゼン公爵は一歩踏み出した。そしてクリストフを振り返り、左眉を持ち上げて不敵な笑みを浮かべた。
「ですが、家庭内で妻の意見を蔑ろにすればどうなるか……。貴方様は身を持って知ることでしょう」
不吉な言葉を残して、ローゼン公爵は去って行った。
エレナがクリストフの足の甲を水で冷やすと言ったが、濡れるからとクリストフは断った。どうしても痛みが引かなければあとでクリストフ自身の魔法で氷を出すつもりだ。
アルベルトは着替えを手伝うとしてローゼン公爵の後について行こうとしたが、男子禁制の場所に入る、と言われて追い返されてしまった。
心配そうなエレナの瞳を見て、クリストフは肩を少し上げて見せた。
「いいんだよ。ビスケット一日抜きになったってさ。俺はちょっとぐらいは平気なんだから」
「それだけで済むとは思わないでくださいまし」
アレクシアはまったく公爵令嬢らしくない態度で腕を組み、そう言い放った。
「神殿にて婚姻の儀の衣装合わせがございます」
「いひょうふぁふぁへ?」
クリストフは熱々のベーコンを半分口に入れ、残りをフォークで引っ張った。目の前の顔があっという間に歪められ、冷たい視線が注がれる。
「お食事の際のマナーのお勉強をもう一度いたしますか?」
「あんたが話しかけるから」
丁寧にベーコンの全てを口に押し込んで、今度はしっかりと飲み込んでからクリストフは言い訳を口にした。
「閣下、婚姻の儀の衣装はあのオレリア&ルワゾンが手掛けるのではないのですか?」
クリストフの侍女エレナが口にしたのは王都で有名な服飾専門店の名前だ。
エレナの話によると、貧しいルワゾン男爵家は夫人の手先が器用なことから家計を助けるために一家でお針子の内職をしていた。なんと、夫人のみならず当主であるルワゾン男爵も、長男も、次男も、三男もである。
彼等の仕事の素晴らしさに目を付けたのが裕福な商家の娘オレリアだ。
彼女は自分が考案したドレスを思い通りに仕上げてくれるお針子を欲していた。そして、ルワゾン男爵家に難しい針仕事を依頼し、見事完成したドレスは夜会やお茶会、サロンなどで大人気となって注文が殺到したのだ。
オレリアはルワゾン男爵家と組んで、ドレスのアイデアなども彼等と相談し合いながら次々と美しく洗練され、時に斬新なドレスや、その他の衣装を生み出しているという。
「あの工房のドレスを着ることは、今や王都中の女性の夢なんです!」
エレナは瞳を輝かせて語った。クリストフは緑の豆をフォークでつつきながら尋ねた。
「その人達が作った衣装を神殿で着るの?」
「いいえ……」
ローゼン公爵は小さく肩を動かして、言葉を続けた。
「オレリア&ルワゾンにすでに手配済みでしたが大神官殿がごねたのです。先週、神殿に行きましたでしょう? あの時の話し合いで、急に婚姻の儀の衣装の話題を持ち出し、私に巫女服を着ろと」
「何それ」
「女神様に拝礼する時の服です。上級巫女……つまり、クリス様のお母様のようなお立場の方が女神様に祈りを捧げる際の衣装です」
「ふ~ん」
「私は、クリス様が夢で女神様にお会いしたことを内密にしろという話をしていたのです。クリス様の身に危険が及ぶ可能性があるからと。不満そうでしたが、神殿とて表立って王族派との対立は望まないでしょう。
納得したのだと思っていましたら、彼奴等め……クリス様がそこまで女神様のご寵愛を受けているのであれば、当然その花嫁である私も女神様に寄り添った衣装を着るべきだと。女神様からの祝福の証としてそうするべきだと話の矛先を変えおって……。
夢の件を他言せぬことを盾に取り、私が巫女服を着れば、神殿の権威を示すことになるなどと愚かな考えを……!」
「いいんじゃない? 別に」
「ですが、あのような格好を私がするのですよ!?」
「俺、見たことないから分かんないよ」
「一度ご覧になればお分かりになるでしょう。全く……いい晒し者だ」
苦々しげに言い捨てたローゼン公爵の言葉も無視して、クリストフは続けて尋ねた。
「じゃあ、手配済みってのはどうするの?」
「それは王宮でのパーティーの時にでも着ることにいたしましょう」
「パーティー?」
「我々の結婚を祝うパーティーです」
「そんなものもやるの?」
「そんなものではありません」
ローゼン公爵は眉を寄せてクリストフを見た。そして、一度息を吐いてから口を開く。お決まりのあれだ。
「よろしいですか?クリス様」
殿下からクリス様へと呼び方が変わっても、このお決まりの台詞は相変わらずローゼン公爵の口によく上った。クリストフはつついていた豆を口に入れた。
「我々の婚姻というのは、このアルムウェルテン王国にとって、とても大切な物なのです。祝福の花嫁様は、ともすればこの国で今も苦しんでいる人々に救いの恵みをもたらすのかもしれないのですよ? ですから、花嫁様の関わる行事は王宮でも神殿でも公式のものとして行うのです。花嫁様の存在は、この国と神殿公式の」
「花嫁はあんただよ」
他人事のような口振りにクリストフが指摘を入れるとローゼン公爵は黙り込んだ。
こんな偉そうにお説教をしながらも、未だにローゼン公爵は自分が祝福の花嫁に選ばれたという実感がないのだろうか。もう婚約の儀から大分経っているというのに。
渋い顔をするローゼン公爵を眺めながら、クリストフはサラダの葉を口に押し込んで、それからデザートの果物をたいらげた。
翌週、ローゼン公爵に連れられて、クリストフは再び神殿へとやってきた。
もちろんエレナとローゼン公爵の侍従アルベルト、そして護衛の近衛騎士三名も一緒だ。そして今日は、アレクシアも合流した。
「お父様の婚姻の儀の衣装ですから、娘のわたくしがしっかりと確認する必要がございます」
アレクシアはクリストフに会うなり偉そうにそう言ったが、クリストフからすればただ父親の婚礼衣装を見たいだけだと思われた。
クリストフに対して美しいお辞儀を披露したあと、凛と胸を張って静かに歩く彼女は、遠目から見ればいかにも貴族のご令嬢とやらに見える。
しかし近くからその表情を観察すれば、すました顔の奥に鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気を隠しているのだ。余程父親の衣装を見ることが楽しみらしい。
そんなアレクシアに呆れているクリストフの横で、ローゼン公爵は不機嫌だった。何度も「父親の威厳が」とぶつぶつと口にしてはアレクシアに笑顔を向けられると、その憮然とした表情をがらりと変えて微笑んで見せる。
馬鹿馬鹿しいやり取りだ。
クリストフは少し不満だった。
ローゼン公爵がアレクシアに見せる微笑みは、クリストフに向けられるものとは違うものだ。以前、一度同じ微笑みを向けられたように思ったが、今考えれば違う気がする。(第15話第三王子の孤独 最後の一文参照)
きっとあれは、ローゼン公爵の本当の微笑みなのだろう。何しろ相手は娘だ。
アレクシアが生まれてから今までずっと、この二人は父娘として共に人生を歩んできた。クリストフが母親と過ごすことができなかった長い時間を、この二人は共に過ごしていたのだ。
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お互いの距離はそう変わらないはずなのに、クリストフの後ろでは父娘の関係が繰り広げられている。
ローゼン公爵がクリストフのもとに来たのはクリストフが第三王子だからだ。急にそんな考えがクリストフの心の中に浮かんだ。
クリストフにあれこれ言うのはクリストフが王族だからで、お側にいると言ったのはクリストフがローゼン公爵の花婿になるからだ。
一体そうでなければ、どうしてローゼン公爵の隣にクリストフの居場所があるというのだろう。
毎晩のココアのことも、刺繍のことも、ビスケットのことも、夜の語らいでのローゼン公爵の言葉も、体調を崩して目覚めてからの抱擁のことも、全てがただのローゼン公爵の仕事の一つに思えて、クリストフは小さく唇を尖らせた。
母親の愛、娼館の人々との触れ合いや友情。それらが頭の片隅にあって、自分が恵まれていることが理解できているのに何故か心がついていかない。
そんな自分が恥ずかしかった。
きっと、アレクシアはこんなことは考えないに違いないだろう。彼女はいつでも胸を張っている。立派な公爵令嬢として、教育を受けてきたのだ。
自分を支えてくれる幾人もの人を連れ歩きながらも、クリストフは急に孤独を感じてしまった。
足元に落とした視線から光が遮られ、大きな影が落ちてきた。神殿へと続く柱の道だ。
前回同様に柱の道に入る手前で神官長が待っており、今回は大神官もそこにいた。大神官は大きな腹を揺らしてクリストフに丁寧に挨拶をした。そして、彼等が連れていた神官三名と共にクリストフ達は神殿へと向かった。
今日は祈りの間へは行かずに本殿の前を左に折れて、色々な部屋がある区画へと足を踏み入れることとなる。大神官とは本殿の前で別れた。なんとこれから王太子であるレオンハルトが来るらしい。
レオンハルトと顔を合わせたくないクリストフは、大神官との別れの挨拶もそこそこに先を急いだ。こんな気分のままあの男の顔を見たら、より一層みじめな気持ちになりそうだ。
本殿より少し小さくはなるが、横に長い造りの白い建物の中の廊下を一行は進んで行く。ひんやりとした空気が肌を撫でた。
左右には間隔を開けていくつか扉があった。色々な部屋があるらしい。少し開けた中庭のような場所に出て、そこで廊下は左右に分かれていた。
「花嫁様におかれましてはまず沐浴し、身を清めて頂きます」
神官の一人が静かにそう言った。ローゼン公爵は頷いた。左の廊下から若い巫女らしき女性が二人ほど現れて、ローゼン公爵に向けて礼を取った。
「沐浴にはこの者達が付き添います」
エレナが瞬いた。アルベルトは「えっ」と言いかけたらしく、手を口に当てた。アレクシアは複雑そうな表情だ。 ローゼン公爵は今度は頷かずに怪訝な顔を神官長へと向けた。
「女性にそのようなことはさせられません」
「申し訳ございませんが、これは儀礼となっております。神殿に残る祝福の花嫁様のお取り扱いについての記述には、花嫁様が神殿で行う様々な儀式に際し、都度沐浴を行うようにとの内容がございました。そしてその際には巫女が付き添うようにとのことです」
説明をした神官の一人が困ったように眉を下げた。
「閣下は今は花嫁様なのです。女神様からお役目をいただいたのですから、お役目に沿ったお考えでいていただかねば」
神官長は一歩も引かない構えだ。
「巫女として修行中の女性の目を汚すことになりかねませんぞ」
「彼女達は心眼の修行中ですので、御身を直接見ることはないでしょう」
ローゼン公爵と神官長の言い合いを見て、アレクシアはクリストフを見た。この場で最も位の高いクリストフが物を申せということらしい。しかしクリストフは状況が良く分からない。
「何が問題なの?」
「……沐浴は、その……は、はだ……」
そっとエレナに問いかけると、エレナは頬を赤くして言葉に詰まった。
「裸になるんです。アルムウェルテン王国ではそれがしきたりで。でも結婚相手でもない女性に見られるなんて」
アルベルトが小指で眉の上を掻きながら続けた。クリストフは二人の巫女らしき女性達を見た。二人とも目を閉じている。
「心眼の修行って何?」
クリストフはまたエレナに質問した。今度はアレクシアが答えた。
「目を閉ざし、心で女神様の姿を見る修行です。修行中は目を一切開けてはいけません。ですが殿下、だからと言って女性にお父様のお体の」
「じゃ、ご飯食べる時も目を閉じて食べるの!?」
「それどころか、用を足す時も」
驚いたクリストフがアレクシアの言葉を遮って、さらにアルベルトが余計なことを言いかけ、三人は神官の一人にじろりと見られてしまった。
「しかし、万が一彼女達の目に触れれば、修行中の身の未来ある巫女の方々の純潔が汚されてしまいます」
「我が神殿の巫女達がそのような浅はかな真似を修行中にするとお考えですか?」
ローゼン公爵はどうしても納得できないようだ。クリストフは神殿に着くまでの落ち込みも忘れてローゼン公爵の様子が面白くなり、からかってやろうと考えた。
「いいじゃん。付き添ってもらえば」
口を挟んでやると、二つの視線がクリストフを見た。
「クリス様、私は男です。未婚の女性の前に体を晒すのは」
「淑女でしょ」
クリストフは花嫁に選ばれてからよくローゼン公爵が口にするその言葉を言ってやった。物は使いよう、言葉も使いよう、である。
「あんたは淑女になるんでしょ。女みたいなもんだよ」
眼鏡の奥から恐ろしいまでの視線がクリストフに注がれた。それと同時に、クリストフの足に硬いものが突き刺さった。アレクシアの靴のヒールだった。
「いってっっ!!!」
「さすがは第三王子殿下。何とご理解があることでしょう」
神官長はクリストフの援護を受けて背筋を伸ばし、巫女達に手振りで指示をした。
「花嫁様、こちらへ」
クリストフは膝を持ち上げて足の甲をさすった。
「何すんだよ!」
「あら? どうかなさいましたか、殿下」
アレクシアは涼し気な瞳でクリストフを見た。
「俺の足踏んだだろ!」
「まぁ大変! 御御足に何が? もしや、祝福の花嫁様に無体を強いたので、女神様がご不快になられたのかもしれませんね」
「ちょっとからかっただけじゃん! あんたのお父様ってのが、いつも淑女になるってうるさく言うから!」
「うるさく!? 父は殿下のために淑女になろうと」
「……良いでしょう」
ぶつかり合う赤い瞳と赤い髪に低い声が掛けられた。
「未来の夫の意見です。聞き入れましょう」
巫女達に促されるまま、ローゼン公爵は一歩踏み出した。そしてクリストフを振り返り、左眉を持ち上げて不敵な笑みを浮かべた。
「ですが、家庭内で妻の意見を蔑ろにすればどうなるか……。貴方様は身を持って知ることでしょう」
不吉な言葉を残して、ローゼン公爵は去って行った。
エレナがクリストフの足の甲を水で冷やすと言ったが、濡れるからとクリストフは断った。どうしても痛みが引かなければあとでクリストフ自身の魔法で氷を出すつもりだ。
アルベルトは着替えを手伝うとしてローゼン公爵の後について行こうとしたが、男子禁制の場所に入る、と言われて追い返されてしまった。
心配そうなエレナの瞳を見て、クリストフは肩を少し上げて見せた。
「いいんだよ。ビスケット一日抜きになったってさ。俺はちょっとぐらいは平気なんだから」
「それだけで済むとは思わないでくださいまし」
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自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。
食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。
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