チキンさんの事始め

端本 やこ

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 倦怠期──か。

 私のベッドを占領してスマホで遊ぶ恋人を一瞥する。
 時に声を上げて笑う彼はお笑い番組かギャグアニメを観ているに違いない。私の部屋に来てまで、私を見るより遥かに長い時間こうして過ごす。

良太りょうた

 彼の注意を引きながらベッドに圧し掛かる。
 動画にニヤつく良太が視線だけこちらを向けた。

「ん」

 ほんの少し唇を尖らせて顎を出してみる。

「ん」

 少しの圧とともに「むちゅっ」とオモチャみたいな音がした。
 名残惜しさの欠片もなく離れた唇を目で追う。
 通じている。
 通じるんだから、コミュニケーションは取れている。
 こうして恋人同士のスキンシップだってある。
 何事もなかったかのように良太の視線はスマホに戻ってしまっているけれど。
 一方通行ではないのに、行き止まり感は否めない。
 内心溜息をついて、私は私で机のパソコン向き直る。


 【マンネリ化カップルとは?】
 状況に慣れて新鮮味やトキメキがない状態。セックスレスになることも。マンネリやセックスレスにならないために、ふたりの努力や工夫が必要。

 
 そうでしょうとも、そうでしょうとも。
 私の理解している倦怠期カップルそのものズバリで、是すなわち私たちふたりのことだ。
 自覚症状有りだから、こうしてネット上のコラムを見ている。私が知りたいのは定義ではなく解消法である。

『非日常へ誘う温泉旅行が吉』
 8年も付き合っているのだから、一緒に旅行に出かけたことぐらいある。
 一緒に温泉に入ったところで、浴場で欲情(決しておやじギャグのつもりはない)するわけにもいかずのんびり浸かって出た。
 そのあと、部屋食に舌鼓を打って、お互いにお酒が進んだ。それが良くなかった。アルコールが入ると勃ち・・が悪くなる良太だ。それは分かっているのだけど、せっかくのお料理を前に、私も飲みたいしで、飲酒禁止なんてありえない。
 結果、酔ったふたりが眠りにつくのは早かった。

『いつもと違う自分でアピール』
 セクシーランジェリーね、はいはい。
 いつかのバレンタインデーの夜、親友から横流しされたスケスケセットを身に着けた。
 大学からの友人、理都子りつこが有名ランジェリーショップの福袋を買ったはいいけど、巨乳の彼女にはサイズが合わず「あげるー」と置いて行った逸品だ。股の緩さでは群を抜いている理都子チョイスだけに、かなり攻めたデザインだった。
 私としてはかなり勇気を出した。
 お風呂上り、ままよ! と出ると、良太は音漏れのするスマホを握りしめたまま眠っていた。
 考えた末の行動だっただけに軽くトラウマ。
 くっそー。
 あの時のドキドキを返せ。

『互いの体調チェック。男性はEDと言い出せないもの。女性も生理中などNOははっきり伝えよう』
 良太は勃ちが良くても悪くても素直に申告してくる。
 良太が飲酒でダメになったのは25歳あたりから。就職して生活が変わったのも原因の一つかもしれない。
 今や年に致す回数は片手で足りる。それでもできているのだからEDというわけではないはず。
 付き合いはじめた当時から「したい。いい?」とちゃんと確認が入る。行為に慣れてからも確認作業は続いている。よって、合意を示すことは可能だ。ちなみに、風邪や生理中の体調不良でもない限り、拒んだことはない。
 理都子ほどではないが、私も良太と体を合わせるは好きだ。
 肉体と精神は切っても切れない関係だと思う。
 体で得られる幸福感だとか、行為で確かめられる愛情ってある。

『会わない時間を大切に』
 お互いの家に自由に行き来する仲は「半同棲」といえる。濃密さはさておき、一緒にいる時間は長い。
 とは言え、だ。
 私の仕事は概ねカレンダー通りで就業規則に則られている。それに比べ、良太は不規則だ。常に”べったり”とはいかないのが現実。
 良くも悪くも、会えない時間ぐらいでぐらつくなら、私たちはとっくに終わっていた。

『わだかまりは直ちに解消すべし』
 わだかまり?
 喧嘩はしてない。確かに色々なことが「なぁなぁ」でここまできているけどさ。
 私だけがもやもやしている状況がわだかまりと言えばわだかまりか。
 で、解消するためにこうしてしょーもない記事を追ってんだけど!?
 あーだんだん腹立たしくなってきた。

『会話を大切に』
 お互いに知り尽くした相手への興味が薄れているだなんて、もうどないせーっちゅーの。
 お互い普段は仕事だけなのだから、興味関心をひく話題を提供し続けられるわけがない。
 これといって趣味もないし、新たにチャレンジしたいことだなんてなおさら。
 あーぁ。ないない尽くしでいやんなっちゃう。
 
 コラムに書かれていたことはどれもピンとこなかった。
 有効な解決策が見当たらずブラウザを閉じる。

「ふう」

 自然と洩れる溜息は無意識だからこそ、なかなかに盛大なものが出た。
 
──若鶏わかどりさん8年も付き合ってるなんてすごすぎ~!
──飽きないんですかぁ?
──私だったらムリかも~

 ランチタイムの後輩たちの発言が思い出される。
 軽々しく良太との付き合いを口にしてしまったことは反省している。話の流れってやつだったし、後輩が気遣って会話をふってくれただろうことを思うと無視はできなかった。後輩の内のひとりの婚約報告&寿退社予定を聞いた直後だったからなおさらだ。
 結局、私はカミングアウト後に口を挟む余地は与えられず、たちまち新婚旅行やら新婚生活についての話題に戻っていった。

 私が思い悩む根本はマンネリやレス気味であることではないのだ。
 もっとこう「そもそも」な部分についてなんだと思う。
 だったら余計に、、、良太と関係を続ける意味ってあるのかな。
 別れる勇気も、結婚する未来も、どこかに落としてきてしまったように感じる。

「ときめきかぁ」

 恨みがましく良太を睨んでもよけいに腹立たしくなるだけだった。
 笑い声が気に障る。
 私の悩みと努力を笑われているみたい。
 私たちのことなのに。
 あー、もうっ!
 
「お風呂、先入る」

 立ち上がる私をちらりともみることなく、良太は「おぅ」と一言吐いてクククッと楽しそうに肩を震わせる。
 私は綿素材のシンプルなショーツを引っ掴む。スケてないし紐でもないけれど、それが何か? 綿100%ショーツは機能性抜群で最高じゃん。

 私は苛立ちを隠さず乱暴にタンスを閉じた。
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