Tの事件簿

端本 やこ

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お仕事体験編

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 捜査一課のふたりの動きについて行ける若手は居ない。
 徹と俊樹に次ぐ経験を持つ国枝にさえも、ドアを蹴破る3カウントのゼロを待ったかも怪しく映った。

「尾野!」

 徹が俊樹を動かし、入口付近で暴れる若い容疑者をいとも容易く取り押さえた。
 近くの捜査員に受け渡し、現場全体への監督を忘れない。いち早く橙子の元に駆けつけたいが、任務を優先させなければ橙子の安全の保証が遠退くだけだ。

「ういっす」

 俊樹とて最前線で押し入ったわけではない。それでも徹の指示を聞くまでもなく部屋の一番奥を目指した。そして、橙子に覆い被さる経営者をひっぺ返し単独で拘束した。
 相棒としての信頼の厚さが阿吽の呼吸となって遂行させる。
 徹の指示を周知させる国枝はふたりの動きを視界に捉えていた。
(ふたりとも早すぎんだろっ)
 スピードだけでなく、無駄のない動きに正確さがある。
 現に、抵抗する成人男性をひとりで抑え込んだのは徹と俊樹だけだ。他の捜査員たちは、容疑者1名に対し幾重もかかってようやく自由を奪った。
 あっという間に片が付き、外部に待機していた警察関係者も順次検分に入り乱れる。
 容疑者集団が連れ出され、ようやく美穂が橙子から体を離した。俊樹に手を引かれ、橙子はソファに座り直す。

「どっか痛いとか気持ち悪いとかある?」
「うんにゃ。至って普通」

 しゃがみ込んで橙子に目線を合わせる俊樹は、先ほどの捕り物よりよっぽど真面目で緊張した顔つきだ。

「怪我もなし」
「こんなことやらせた俺らが悪いんだけどさ、飲んだらアウト」

 酔うほど飲んでいないと言う橙子を、俊樹が注意深く観察する。橙子の手首に指を当て、ちょっとごめんと反対の手で首筋を覆った。
 俊樹の残念がるような何とも言えない表情に橙子は不安を覚えた。橙子の知る俊樹なら焦りが先立つはずなのに、異様なまでに落ち着き払った様子が痛々しくさえ見える。

「あー、そっか。トッシー、ちょっとそこごめんよ」

 俊樹の手をやんわり解いて、橙子はソファの背凭れと座面の隙間に手を突っ込んだ。
 確かこの辺に、と指先でソファの隙間を満遍なく探る。

「何してんの?」
「ん。今見せる」

 目星の物が見当たらず、ソファから降り床に膝をついて両手を突っ込んだ。 
 そうこうしているうちに、外部捜査員に容疑者を引き渡した徹が救護班を連れてきた。橙子と美穂を一瞥して救護班に説明を完結させる。橙子には亜紀と同じく聴取が必要だが、病院で適切な処置をさせるが先だ。

「尾野、容態は?」
「それが目立った症状無ないんすよ」
「どう見ても行動これおかしいだろ」

 徹の目が座っている。

「おい」

 徹がソファの座面に這いつくばる橙子の肩に手を置いた。

「ちょっと待ってて!」

 橙子が肩を揺らして徹の手を跳ねのけようとする。

「落ち着け」
「あ! あった」

 橙子は指先に触れた堅い感触に安堵した。
 掻き出そうとするも、爪先を滑って逃げる。何度か追いかけて、ようやく掴みだした。

「橙子!」
「ふぁっ。え、な、何?」

 トランス状態に陥った麻薬使用者は状況判断能力の欠落から、予想外の反発力を発揮することもある。徹がソファから引き剥がした橙子を絶妙なタイミングで俊樹が羽交い絞めにした。

「こっち向け」

 ダイヤは従来の薬に比べて即効性が高い。捜査員ならば誰でも知っている情報だ。美穂に視線を移すと、時計を確認して静かに頷いた。
 橙子を気遣う徹の手付きは俊樹より乱暴だ。無遠慮に下瞼を引き下げ瞳孔を確認し、首元で脈拍をカウントし始めた。

「怖っ」

 至近距離に見る徹の引き締まった顔は険しく怒りに満ちている。橙子は彼の獰猛な目つきに恐怖を感じるも、どうしても逸らせない。微動だにしたら噛み殺されそうだ。
 慄然とした橙子の喉がゴクリと鳴った。

「座れ」

 徹はついでに橙子を黙らせた。俊樹の言う通り、麻薬中毒者に見られる症状は出ていない。ダイヤが偽物か、類似粗悪品であった可能性がある。いずれにしても検査が必要だ。

「あとはこちらで」

 徹は躊躇った。
 後ろに控える救護班に橙子を引き渡すべきなのに、体がいうことを利かない。

「久我島先輩」

 俊樹が固い声を出した。
 切実に言い聞かせるようで、徹の手を下ろさせた。
 徹と入れ違いになった救護班が、橙子をペンライトで照らす。応急処置と同時に、いくつか質問を投げかける。問診にしては高圧的ともいえた。てきぱきと弛みなく橙子の回答を引き出し、余計な話しは遮る。
 橙子には、腕を組んで見下ろす徹までの距離がやけに遠く感じられた。
 早く伝えたいのに話ができず焦れる。ついに救護班を無視して、お腹に力を籠めた。

『大丈夫ですって。飲んでませんからっ!』

 橙子は思いっきり声を張り上げた。
 聞きなれない大声が響き、ざわついていた現場に静寂が訪れる。
 右手をぎゅっと握った橙子は、ふぅと小さく息を整え仕切り直した。

「ダイヤは飲んでません。ほら、これ」

 猜疑心を隠さない徹と俊樹に手のひらを差し出した。
 不機嫌極まる徹が、橙子の指の付け根にコロンと転がる小さな結晶を摘まみ上げる。

「飲むふりだけして、ここに隠した」

 橙子は手振りだけで実演してみせた。
 橙子にとっては天と地を分ける大勝負だった。隣に座るジンを誤魔化せるか、終始ヒヤヒヤした。思い切りの良さを見せるためにダイヤはポンと口の中に放り込んだ体で握りしめ、間髪入れずシャンパンを一気に空ける。グラスを大仰に煽りながら、後手でこっそりソファの隙間に押し込んだ。いつ足元に転がり出てくるかと思うと生きた心地がしなかった。

「はぁぁぁ。とぉおこぉ!?」

 俊樹が額を手で覆う。大げさな溜息を吐いてどう文句を言ったものかと、手の陰から批難がましく睨みつけた。

「あんな怪しいの飲むわけないが」
「先に言えや!」
「話なんか聞く気なかったクセに」

 俊樹と橙子が子ども染みた応酬を始め、美穂はようやく緊張が解けた。脱力して橙子の隣に崩れるように身体を鎮めた。
 嘆息を置き土産にした徹は橙子から受け取ったダイヤを鑑識班に渡し、次なる指示と対応に余念がない。

「バカ。おまえほんっっとクソだわ。心配かけんなバカっ!」
「なにそれ。アホ俊樹に言われたくないんだけど」
「俺よりアホアホの大バカ野郎だが」
「俊樹に心配かけた覚えはない」
「てっめ。ちょぉ先輩っ。マジこの大バカ何とかしろよ!」

 橙子と俊樹を止める者はなく、くだらない遣り取りは暫く続いた。
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