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バールの願い
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濃い霧が立ち込めている。
視界が制限される深い森の中を、バールが迷いなく進む。
周囲を蠢く無数の気配。甲高い声と、低いうなり声。それらは、決して彼に近づかない。一歩進めば、その分を。十歩進めば、さらにそれ以上の距離が離れていく。
群れは知っている。悪魔公の住処に恐れることなく近づく第一級悪魔の恐ろしさを。いかなる手段を用いて攻撃しようとも、隔絶たる力の差があることを。
「おや、珍しい」
バールが足を止めた。
気の遠くなるほどの年月をかけて成長した大樹の影に、見知った悪魔が立っていた。
眉で切りそろえられた薄桃色の髪。頭に生えるねじくれた二本の黒い角。とがった耳についたピアスがわずかに揺れた。
「ウェリネが、こんな陰気な場所でお出迎えとは」
漆黒の衣装を纏う悪魔の表情は揺るがない。金色の双眸を向けて、艶やかな朱唇を動かした。
「あなた、疑われてるわよ」
バールがわざとらしく肩をすくめた。
と同時に、周囲に張り巡らせていた警戒網を一段と強めた。不穏な影がないことを確認してから、ゆっくりと口を開く。
「構いません。そろそろだと思っていました。残りは『推奨』の悪魔のみ。あなた以外の、『義務』と『忌避』には話をつけました。秘密裏に動くのも、そろそろ飽きてきたところです」
「急ぎなさい。私との約束を果たさずに死ぬことは許さない」
「承知しております」
バールは微笑を浮かべて、ウェリネの前を通り過ぎようとする。
すると、非難めいた台詞が飛んだ。
「一言くらい謝罪はないの? サナトに私の源泉を大量に使わせておいて。約束は攻撃力3000までだったはずでしょ」
バールが苦笑いして足を止める。
「緊急時だったので多めに見てください。敵はあのアペイロンでした。我々の為に『基準』を引き受けた不滅の存在です。それに、二、三発なら、三万越えの魔法でも大した影響はないでしょう?」
「経験が無いから勝手なことを言って。体の中に突然空洞ができるような感覚なのよ。今度使わせるなら、『天使のスキル』にしなさい」
「純粋な『天使のスキル』は攻撃に長けたものが限られますから諦めてください。まあ、これから得られる自由に払う対価だと思えば、さほどの苦痛でもないでしょう」
「……それもそうね」
ウェリネが、「問題なさそうね」と大樹に預けていた背を起こした。
バールが片目を眇めた。
「確認したいのは、私の意思が揺らいでいないか、ということですか?」
「そうよ。主役が土壇場で裏切らないか、第一級を代表して来たのよ」
「『許容』を司る悪魔の割には、厳しい監視ですね」
「軽口はやめなさい。今回ばかりは失敗が許されないのよ」
ウェリネが端整な眉を寄せて、じっとバールを睨みつけた。
そして、身を翻し霧に姿を溶かす。
「やれやれ、まったく信用がないものですね」
バールが肩をすくめた。
***
青天井の城。
周囲には五つの尖塔。それらが、巨大な赤じゅうたんを囲むようにそびえ立つ。
中央には小高い山のごとき台座。見上げなければ決して視界に入らない場所に、悪魔公が座している。
透き通った声が、膝をつくバールの頭上から降ってくる。
「近頃、お前が不穏な動きをしているという噂があってな。私が直接確認した方が良いと思って呼んだ」
冗談めかした声に、バールは生真面目に答える。
「もともと風呂探しにしか趣味を示さない私ですから。たまに仕事をこなせば驚く悪魔もいるでしょう」
「私の信頼厚いお前のことだ。少々ずぼらな面はあるが、前向きに仕事をこなしているのであれば言うことはない」
「ありがとうございます」
バールは更に頭を下げた。
「で、お前から見て進捗状況はどの程度だ?」
「おおよそ95パーセントほどかと」
「すばらしい」
悪魔公が感嘆した。
バールが下を向いたままほほ笑む。
「特異点は残り一か所。もうまもなく落ちるかと」
「そうか。穴が空いたあかつきには、即座に攻め込むから、お前もそのつもりで準備をしておくように」
「承知しております」
バールがうなだれてじっと言葉を待つ。
悪魔公が満足そうに言った。
「分かっているなら、これ以上話はない」
話が終わった。バールがわずかに体勢を崩しかけた。
思い出したように悪魔公が尋ねた。
「そういえば、バールよ。だいぶ前だが、私の住処にモンスターを落としてきたことがあったな。<這いよる闇の手>で最深部にまで落とせる使い手はお前くらいだ。真意を聞こうか」
「公の暇つぶしになるかと思いました」
「ほお……」
「とは申しましても、公の力からすれば雑魚同然のモンスターとも呼べない小物ばかりだったはず。ご不快でしたら以後慎みますが、公は予測できないイベントが好みだったかと」
「確かに。つまり、私に刺激を与えたかった、と」
「少しの憂さ晴らしになれば、と」
「ふむ。忠臣とはこのことか」
悪魔公が身じろぎする。
小さく笑い、「良かろう。下がれ」と退席を促した。
バールがすうっと後ろに下がり、体を反転させて場を去ろうとする。
と、同時に――
「ところで、お前の人形の状態はどうだ?」
絶妙なタイミングだった。バールがぴたりと足を止めた。
背中に言葉がかかる。
「最近、報告が無いが、お前が気にかけている優秀な女の器のことだ。リリスといったか? いずれ世界への『楔』に使うつもりだと言っていたが、使い勝手は良さそうか?」
「……そうですね」
バールが柔らかい表情で振り返った。
「そちらは……まだ何とも言えない、といったところでしょうか。レベルが低すぎて器が壊れる恐れがあります」
「お前が操る予定だから泳がせているが、見込みがなさそうなら、二級か三級を入れるのに使うぞ。それでも十分に戦力になる」
「急いだ方がよろしいですか?」
「いや。ただ、計画通りにいかなければ、『楔』が必要になる。そのために無理やり悪魔と交わらせて作ってきた魔人だ。そうそう数が増えるものでもないから、目を離さないようにしろ。お前が世界で動き回るために必須の人形だ」
「それは心得ております。もう少しだけ……時間をいただければ」
「良かろう」
身を乗り出していた悪魔公が椅子に背を預けた。
「私の期待を裏切るな」
「もちろんでございます」
バールは立ったまま、深々と腰を折った。
何も言葉が続かないことを確認し、足早に青天井の城を抜けた。
生暖かい風が吹く。静まり返った空間を抜け、森に戻った。
ゆっくりと口が弧を描く。
眉が下がり、赤い口内が覗いた。
「くく……くくく……あははははははは――」
バールは壊れたように嗤う。
その狂気の声に、ざわめく気配が波紋を広げるように消えた。
「あなたの時代は、もう終わりなのですよ。変わり果てた愚かな王よ」
悪魔は小さな声で望みを吐露した。
視界が制限される深い森の中を、バールが迷いなく進む。
周囲を蠢く無数の気配。甲高い声と、低いうなり声。それらは、決して彼に近づかない。一歩進めば、その分を。十歩進めば、さらにそれ以上の距離が離れていく。
群れは知っている。悪魔公の住処に恐れることなく近づく第一級悪魔の恐ろしさを。いかなる手段を用いて攻撃しようとも、隔絶たる力の差があることを。
「おや、珍しい」
バールが足を止めた。
気の遠くなるほどの年月をかけて成長した大樹の影に、見知った悪魔が立っていた。
眉で切りそろえられた薄桃色の髪。頭に生えるねじくれた二本の黒い角。とがった耳についたピアスがわずかに揺れた。
「ウェリネが、こんな陰気な場所でお出迎えとは」
漆黒の衣装を纏う悪魔の表情は揺るがない。金色の双眸を向けて、艶やかな朱唇を動かした。
「あなた、疑われてるわよ」
バールがわざとらしく肩をすくめた。
と同時に、周囲に張り巡らせていた警戒網を一段と強めた。不穏な影がないことを確認してから、ゆっくりと口を開く。
「構いません。そろそろだと思っていました。残りは『推奨』の悪魔のみ。あなた以外の、『義務』と『忌避』には話をつけました。秘密裏に動くのも、そろそろ飽きてきたところです」
「急ぎなさい。私との約束を果たさずに死ぬことは許さない」
「承知しております」
バールは微笑を浮かべて、ウェリネの前を通り過ぎようとする。
すると、非難めいた台詞が飛んだ。
「一言くらい謝罪はないの? サナトに私の源泉を大量に使わせておいて。約束は攻撃力3000までだったはずでしょ」
バールが苦笑いして足を止める。
「緊急時だったので多めに見てください。敵はあのアペイロンでした。我々の為に『基準』を引き受けた不滅の存在です。それに、二、三発なら、三万越えの魔法でも大した影響はないでしょう?」
「経験が無いから勝手なことを言って。体の中に突然空洞ができるような感覚なのよ。今度使わせるなら、『天使のスキル』にしなさい」
「純粋な『天使のスキル』は攻撃に長けたものが限られますから諦めてください。まあ、これから得られる自由に払う対価だと思えば、さほどの苦痛でもないでしょう」
「……それもそうね」
ウェリネが、「問題なさそうね」と大樹に預けていた背を起こした。
バールが片目を眇めた。
「確認したいのは、私の意思が揺らいでいないか、ということですか?」
「そうよ。主役が土壇場で裏切らないか、第一級を代表して来たのよ」
「『許容』を司る悪魔の割には、厳しい監視ですね」
「軽口はやめなさい。今回ばかりは失敗が許されないのよ」
ウェリネが端整な眉を寄せて、じっとバールを睨みつけた。
そして、身を翻し霧に姿を溶かす。
「やれやれ、まったく信用がないものですね」
バールが肩をすくめた。
***
青天井の城。
周囲には五つの尖塔。それらが、巨大な赤じゅうたんを囲むようにそびえ立つ。
中央には小高い山のごとき台座。見上げなければ決して視界に入らない場所に、悪魔公が座している。
透き通った声が、膝をつくバールの頭上から降ってくる。
「近頃、お前が不穏な動きをしているという噂があってな。私が直接確認した方が良いと思って呼んだ」
冗談めかした声に、バールは生真面目に答える。
「もともと風呂探しにしか趣味を示さない私ですから。たまに仕事をこなせば驚く悪魔もいるでしょう」
「私の信頼厚いお前のことだ。少々ずぼらな面はあるが、前向きに仕事をこなしているのであれば言うことはない」
「ありがとうございます」
バールは更に頭を下げた。
「で、お前から見て進捗状況はどの程度だ?」
「おおよそ95パーセントほどかと」
「すばらしい」
悪魔公が感嘆した。
バールが下を向いたままほほ笑む。
「特異点は残り一か所。もうまもなく落ちるかと」
「そうか。穴が空いたあかつきには、即座に攻め込むから、お前もそのつもりで準備をしておくように」
「承知しております」
バールがうなだれてじっと言葉を待つ。
悪魔公が満足そうに言った。
「分かっているなら、これ以上話はない」
話が終わった。バールがわずかに体勢を崩しかけた。
思い出したように悪魔公が尋ねた。
「そういえば、バールよ。だいぶ前だが、私の住処にモンスターを落としてきたことがあったな。<這いよる闇の手>で最深部にまで落とせる使い手はお前くらいだ。真意を聞こうか」
「公の暇つぶしになるかと思いました」
「ほお……」
「とは申しましても、公の力からすれば雑魚同然のモンスターとも呼べない小物ばかりだったはず。ご不快でしたら以後慎みますが、公は予測できないイベントが好みだったかと」
「確かに。つまり、私に刺激を与えたかった、と」
「少しの憂さ晴らしになれば、と」
「ふむ。忠臣とはこのことか」
悪魔公が身じろぎする。
小さく笑い、「良かろう。下がれ」と退席を促した。
バールがすうっと後ろに下がり、体を反転させて場を去ろうとする。
と、同時に――
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絶妙なタイミングだった。バールがぴたりと足を止めた。
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「……そうですね」
バールが柔らかい表情で振り返った。
「そちらは……まだ何とも言えない、といったところでしょうか。レベルが低すぎて器が壊れる恐れがあります」
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「急いだ方がよろしいですか?」
「いや。ただ、計画通りにいかなければ、『楔』が必要になる。そのために無理やり悪魔と交わらせて作ってきた魔人だ。そうそう数が増えるものでもないから、目を離さないようにしろ。お前が世界で動き回るために必須の人形だ」
「それは心得ております。もう少しだけ……時間をいただければ」
「良かろう」
身を乗り出していた悪魔公が椅子に背を預けた。
「私の期待を裏切るな」
「もちろんでございます」
バールは立ったまま、深々と腰を折った。
何も言葉が続かないことを確認し、足早に青天井の城を抜けた。
生暖かい風が吹く。静まり返った空間を抜け、森に戻った。
ゆっくりと口が弧を描く。
眉が下がり、赤い口内が覗いた。
「くく……くくく……あははははははは――」
バールは壊れたように嗤う。
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◇
HOTランキング一位獲得!
皆さま本当にありがとうございます!
無事に書籍化となり絶賛発売中です
よかったら手に取っていただけると嬉しいです
これからも日々勉強していきたいと思います
◇
僕だけの農場二巻発売ということで少しだけウィンたちが前へと進むこととなりました
毎日投稿とはいきませんが少しずつ進んでいきます
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