スキルはコピーして上書き最強でいいですか~改造初級魔法で便利に異世界ライフ~

深田くれと

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4巻

4-3

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 第六話 ギルドの依頼


「ご主人様も、字はあまり得意ではなかったのですか? 私はてっきり……」
「読む方はまったく問題ないんだがな。書けと言われると名前と簡単な単語くらいしか書けん。だから授業中は知ってる文字で書いた方が早いんだ」

 サナトは苦笑する。
 未だに文字が読める原理は分かっていない。異世界に飛ばされ、何とか街にたどり着いた時には気にしたことはなかった。
 だが、読み書きが求められる仕事に就こうとして気づいたのだ。
 読む場合は、公用語と呼ばれる文字の上に自分が知る文字がフリガナのように表示される。
 では、書く場合はどうなるのか。
 手が勝手に変換することはなく、書いた文字がそのまま紙に現れる。当然ながら、この文字は誰も読めない代物しろものだった。

「得意ではないですけど、書く方は頑張って私が覚えます」
「ん? いや、俺も覚えるつもりだぞ。本来は初等部で教わる内容らしいから、どうやって覚えるかは悩みどころだが」
「……ご主人様は、もう別の文字をマスターしておられます」
「それはそうだが、公用語が書けた方が便利だろ? リリス? 何をむくれてるんだ?」
「別にむくれておりません」

 サナトはリリスの横顔を窺った。どことなく残念そうで、ねたような雰囲気が漂っている。
 理由に思い当たったサナトは、やれやれと笑いながら言った。

「それなら、二人で競争ということになるな。ただ、言葉を覚えるのは難しい……もしリリスが俺より早く公用語をマスターしたら、頑張ったご褒美ほうびでも用意しようか」

 軽い気持ちだった。勉強を頑張るリリスを応援するつもりの言葉だった。
 しかし、勢いよく振り向いたリリスの瞳は大きく見開かれていた。サナトが思わずたじたじになるほどの勢いで詰め寄り、「本当ですか?」と口にした。
 サナトが気圧けおされながらも首を縦に振ると、リリスがくるりと背を向ける。
 見えない位置で、「やった」と拳を握り締めた。

「リリス、そんなに欲しいものがあるなら言ってくれよ。別にご褒美じゃなくても買うぞ? 高いものか?」
「い、いえ……それよりも、そのご褒美というのは形のある物でなければダメでしょうか?」
「いや……そんなことはないが……」
「ありがとうございます! ご主人様のためにも、全力で頑張ります!」
「お、おう」

 リリスは満面の笑みを浮かべて歩き出した。
 長い薄紫色の髪と白いスカートの裾が、ふわりふわりと踊るように揺れていた。




 ***


 二人はギルドの建物内に足を踏み入れた。
 話が通っているのだろう。
 二人のギルド員が立ち上がり、一人は奥に消え、もう一人――エティル――がぱたぱたとカウンターを回って駆けてきた。

「サナトさん、お久しぶりです! 学園の制服って新鮮ですね。とっても似合ってます」
「俺としては違和感しかないが、そう言ってもらえると救われるよ。で、今日の用事は? 新しい依頼か?」
「今日はギルマスからの依頼です。まあ、立ち話も何ですから、奥へどうぞ」

 エティルは別の同僚に、「あと、ごめんね」と仕事を頼み、奥へと続く廊下に二人を案内した。
 ギルドマスターのダレースは、応接椅子に掛けたサナトを前にし、白髪頭を下げて謝罪した。神妙な顔のエティルも続いた。
 要約すれば、試してすまなかったという内容だった。
 嘘ではないものの、ギルドにとっては行方不明者の捜索という無為むいに近い依頼でサナトの力を測ろうとし、結果的に帝国と対峙たいじするという危険が生じたことをびたのだ。
 サナトはこれに対し、特段非難しなかった。
 身の危険という意味ではエティルや暗部の方がよほど危なかったうえ、場に留まろうと決めたのはサナトだ。むしろ力を見せつける良い機会だとすら考えていた。

「そう言ってもらえると助かります。それと……フェイト家の件についてもお詫びと御礼を申し上げたい」

 疑問を顔に浮かべたサナトに対し、ダレースは滔々とうとうと語った。
 詫びとは、サナトの返事を待たずに、フェイト家の要請を受諾する形で訪問を強要したこと。本来であれば、ギルド経由で橋渡しを頼まれた以上、ギルドから断るべきだったと。
 そして、礼とはフェイト家の家名襲名を断り、ギルドに籍を残したことについてだ。
 特にこの点について、ダレースは深く感謝していると告げた。

「名家とギルドの力関係は何となく理解しています。それに、どちらも私が選択した結果です。謝罪も感謝もしていただく必要はありません」
「それでも、です。はっきり言えば、名家に勧誘されて引き抜かれた冒険者がギルドに残ることはありません。そして、引き抜かれる冒険者は大抵がギルドでも指折りの強さを持つ者なんです」

 ダレースは大きくため息をついた。

「色々とギルドも大変な状態なんですね」
「ギルドとは根無し草の集まり。国や名家の干渉とは無縁のはずだったのですが、ここ数年は特にひどくなっています」
「ひどくなっている?」
「まだまだ知られていませんが、異様に強い『赤鋼の獣』と呼ばれる神出鬼没のモンスターが国内を荒らしまわっているということと……今日依頼したい内容にも絡みますが、周辺国がきな臭い動きを見せているんですよ。国と名家はそれに対応しようと戦力を集めていましてね。中立のギルドも例外ではないということです」

 ダレースは疲れた顔で書類を机に差し出した。
 ディーランド王国を中心に据えた俯瞰図ふかんずが描かれ、至る所にチェックとバツ印が書き込まれている。
 サナトとリリスが覗き込み、ダレースが一か所を指差した。

「バツ印が『赤鋼の獣』との遭遇場所です。パーティが全滅してしまって行方が追えてない個体もいるのですが、こちらは依頼に関係ないので今日はおいておきます。問題はチェックした方です」
「帝国との国境ですか?」

 ダレースが重々しく頷いた。

「冒険者や様々な筋から、帝国の小隊を見かけたという情報があった場所です。どう思われますか?」
「完全に王国の領土内ですね。示威じい行動でもしている?」
「まだ何とも言えませんが、この数年はなかった動きです。国境をこれだけ頻繁に越えて偶然であるとは考えにくい……帝国上層部は何を考えているのか……」

 言いよどんだダレースが瞳を細め、サナトをじっと見つめた。
 何かを言わんとする視線に、サナトが軽く肩をすくめた。

「……つまり帝国の調査をすると? それが依頼なんですね?」

 ダレースが紺碧こんぺきの瞳を細めた。
 それを横目にエティルが慌てて身を乗り出す。

「もちろん危険は承知です! 不可能なら断ってください。こんな危険な仕事……」
「既に先行した隊が連絡を絶っています。危険な仕事とは重々承知ですが、サナト殿の力量ならば不可能ではないと考えています」

 平然と言い放ったダレースに、エティルが非難めいた瞳を向けた。
 しかしダレースは微塵みじんも揺るがない。
 じっとサナトの顔を見つめている。

「……結果がどうなるかは分かりませんが」
「引き受けてくださるのですか?」

 ダレースが思わず身を乗り出し、エティルが唖然あぜんと口を開けた。
 そしてサナトは意味深長な微笑を浮かべて言った。

「引き受けるというより、帝国の調査については現在進行中なんですよ。個人的に始めたことですが、役立つなら何よりです」
「ご主人様、まさかこうなることを読んでいらしたのですか?」

 背後で感心した声を上げたリリスにサナトは苦笑いして見せた。

「まさか。こんな依頼がギルドから舞い込むとはさすがに予想できない。それに、こうなることが分かっていたら、もう少し手段を考えていた。あれは荒っぽいからな」

 サナトは紅茶のカップを口に運び、窓の外に視線を向けた。
 エティルが首を傾げ、「どういうことですか」と尋ねた。

「帝国には、つい先日貴重な戦力を一人送ったところなんですよ」
「……貴重な戦力?」
「エティルは知っているだろ? あの白髪の少年だ」

 エティルが凍り付いたように動きを止めた。みるみる顔から血の気が引き、手に持っていたカップを取り落としそうになった。
 ダレースが「少年?」と小さく口にした。
 そして、すぐに思い当たったのか、表情が抜け落ちた。



 第七話 来訪


 ラードス帝国のメインストリートと呼ばれるラムダ通り。
 行きかう人は数多い。
 だが、貧富の差はディーランド王国よりも大きいことが分かる。
 品揃いの良い店の隣の通路には、空腹にあえぐ子供が倒れており、通りの中央では鉄くずのようなものを買って欲しいとせこけた裸足の少女がか細い声を上げている。
 年老いた老婆は店の壁に腰かけ、何をするでもなく目を閉じ、豪奢な乗り物に乗った貴人はそれらに目もくれずに通り過ぎていく。
 富める者はさらに富み、力のない者はただ下を向いて歩く。
 これがラードス帝国の現状だ。


 ――昼間から酒かよ、おっさん。
 ――お母さん、買い物行ってきたよ。
 ――今日は剣の特売日! 魔法を使わず、武器をお求めに!
 ――あれ、うわさの召喚士様じゃない?
 ――もう来るな。俺は抜けるって言っただろ。


 レンガ造りの建物の屋根の上で、腰を下ろしていたあどけない顔つきの少年が薄目を開けた。
 不気味な金色の瞳を中空に向け、にんまりと口元をゆがめた。

「やっと、見つけた。この声だ」

 グレモリーの口調にわずかに疲れがにじんだ。異常な聴覚を駆使した調査は、すでに数日が経過し、辟易へきえきしていたところだ。
 サナトの命令を受け、名誉挽回のチャンスだと勇んだのは良かったものの、探し人はなかなか見つからなかった。
 一人で大丈夫か、と憂慮ゆうりょしたサナトに有無うむを言わせることなく、「お任せを」と答えてしまった以上、失敗は許されない。

「ほんとアミーを連れて来なくて良かった……あいつがいたら計画が無茶苦茶だったに違いない」

 グレモリーは、探し人が見つからないことに苛立いらだち、建物を破壊しはじめる悪魔の姿を思い浮かべて苦笑いする。
 大量に始末した人間の中に、一人生き残りがいた。
 いや、あえて生かしたと言って良い。
 帝国兵ではない山賊の男だ。運よく逃れられたと思っているだろうが、サナトの強さを広めるためのメッセンジャーの役割を担わせるために逃がしたに過ぎない。
 もう十分に役目は終えた頃だろう。
 なんとか逃げ切った、と考えている人間に、ふさわしい最期さいごを与えよう。
 グレモリーは舌なめずりをし、静かに呪文を唱えて、黒い渦の中に消えた。


 ***


 山賊の頭領カントダルは、人目をはばかるように部下の男を追い払う演技をした。
 何度頭領を辞めると言っても、部下達は翻意ほんいを期待して、カントダルの隠れ家に足を運んでくる。
 辞めても部下に慕われる頭領という、羨ましい光景。
 そういう筋書きだ。
 カントダルも、「しゃあねえな」と早いうちに偉そうに出ていきたいと思う。
 だが、まだ早い。
 陽の当たる世界に足を踏み出すのは作戦を練ってからだ。

「化け物どもめ……」

 カントダルの脳裏にあの時の光景がはっきりとよみがえった。忘れるはずがない。
 子供のような二人が、精強と評判の帝国騎馬隊を惨殺したのだ。まるで小枝でも折るように曲がって千切れていく兵達が記憶から消えない。
 そして、その二人を顎で使っていた黒髪の魔法使い。
 あいつも、あの男と同じ人種に違いない。
 カントダルは隠れ家としている街はずれの小屋の中で、肩を落とした。
 テーブル代わりの切り株の上に載せた酒瓶が、薄暗い室内でにぶい光を反射させている。

「いつまでこうしてりゃいいんだ」

 カントダルは忌々いまいましげに言う。
 自堕落じだらくな生活は自分の望むところだ。部下に命令し、昼間から酒をあおり、適当に店から奪い、眠たけりゃ寝る。理想的だ。
 しかし、訪れるかも分からないタイミングを窺う生活には辟易していた。


 ***


 少し前のことだ。

「お前の略奪は目に余るが、私の依頼を受けるなら見逃してやろう」

 ずかずかと隠れ家に踏み込んできた頬のこけた優男と、奇妙な衣服に身を包んだ深緑の髪の男が、カントダルを見下ろして言った。
 カントダルはすぐにその正体に気づいた。

「帝国の召喚隊長さまじゃねえですか。後ろは護衛ですかい? こんなむさくるしい場所に何用ですか?」
「後ろの男は私の悪魔だ。依頼を受けるのか受けないのか?」
「あくま? はあ?」
「もう一度だけ聞くぞ。私の依頼を受けるのか受けないのか――この場で選べ」

 カントダルはそのあとの記憶がほとんどない。
 深緑の髪の男が放つ恐ろしいほどの圧迫感と、冷酷な瞳を前にして、直感的に首を縦に振るしかないと悟ったことだけは覚えている。
 依頼内容は、騎馬隊に協力して王国領土のデポン山の案内をすることと雑事をこなすこと。
 なぜ召喚隊が騎馬隊の依頼に口を出すのか疑問に思ったが、軍にとっての問題である領土侵犯は、山賊には関係がない。
 もし王国に捕まっても、自分は軍におどされたと泣きわめけば逃れられるだろう。
 大した依頼ではない割に、報酬も良かった。だが、結果はどうだ。
 とんでもない化け物と顔を合わせるはめになったうえ、危うく死にかけた。
 カントダルは帝国に帰還してすぐ、騎馬隊大隊長のグランに騎馬隊が壊滅した事実を告げ、その後、怒り心頭に発して召喚隊長に会いに行った。
 危険があることを黙ってやがったのか、と非難し、報酬を吊り上げるつもりだった。
 しかし、「あなたのような人に知り合いはいないそうです」と言う警備兵の冷たい一言に打ちのめされた。
 カントダルは、召喚隊長が最初から自分を使い捨てるつもりだったことに、ようやく気付いた。

「――くそっ、はした金の前金で働かせやがって。なんとかあの優男に一泡吹かせてやらねえと気が済まねえ。けど、あの護衛は危険だ」

 カントダルは酒をあおって腕組みをし、深緑の髪の男を思い出した。
 どう見ても立ち姿は隙だらけだった。けれど、自分が戦うイメージが湧き上がらない。どこから切りかかるのか、どんな攻撃をしかけるのか。いくら考えても答えはでない。

「悪魔ってのは嘘じゃねえのかもな。いるとすりゃ、あんな感じか……」

 カントダルは、経験的に、戦う自分がイメージできない場合は敵の方が強いことを知っている。
 召喚隊長を襲うなら、深緑の髪の男がいない時と決めている。
 再び酒をあおった。残りわずかな琥珀こはく色の酒が瓶底で揺れていた。
 召喚隊長は、事が済めば自分を始末するところまで考えていただろうか。
 もし書面で依頼していた場合は、カントダルがそれを証拠に訴えれば、召喚隊長は無視できない。
 しかし、今回は口頭だ。訴えるための物証がなければ、召喚隊長はだんまりを決め込むだけだ。帝国を掌握する軍での信頼度も、天と地ほど差がある。
 殺しまでは想定していなかっただろうとぼんやり天井を見上げる。

「訴えるような真似をすれば……確実に俺を始末しに来るだろうが、歯向かう態度を見せなければあいつは無視するだけでいい。リスクをとって無駄な殺しを部下に命令しなくてもいい」

 カントダルは皮肉に口端を歪めた。
 背中に身に着けた短剣をゆっくり抜き放ち、角度を変えて、刀身に映った自分の顔を見つめる。歪んだ表情には苛立たしさが浮かんでいた。

「けどなあ、それじゃあ山賊の頭領って立ち位置は守れねえのよ。はめられたら報復ってやつが常識だぁ。お強い軍だからって関係ねえ。寝首搔いてやる。そんで、俺は牙を失った山賊の演技を終えて帝国からおさらばだ」

 カントダルはふぅっと細い息を吐いた。

「だが、移動先は王国以外にしねえとなぁ。あの化け物どもに目をつけられたら、生きた心地がしねえよ」

 カントダルはぶるりと背筋を震わせた。
 苦笑いしようとした表情が、凄惨せいさんな光景を思い出して引きつったものへと変わった。
 二度と会いたくない少年と少女。闇討ちでもどうにもできないという直感があった。
 言葉にできない恐怖がじわりと広がっていく。それは砂に水がしみ込んでいくように瞬く間に消えたものの、後から後から得体の知れない何かが這い寄ってくる。
 何をこんなに恐れているんだ。
 カントダルは、一つの事実に気づいて「あっ」と口を開けた。

「そうか……俺はあの目を怖がってるのか……」

 深緑の髪の男、白髪の少年と少女。三人ともが金色の瞳を持っていた。
 善人も悪人も、カントダルは数多く見てきた。殺しに手を染める機会は多くなかったが、何かを奪い取った経験は多い。
 顔を歪めて悔し紛れに唾をとばす者もいれば、泣き喚くだけで何も抵抗できない者もいた。
 だが、あの三人は今まで見た人種とは根本的に違う気がした。
 一言で言えば、全く他人に興味がない。
 不気味に嗤っていても、その表情の奥底には無感動と無関心が潜んでいる。人間にあるべき当たり前の感情がすっぽり抜け落ちているのだ。
 それはまるで、人間が家畜を殺すときに似ているようで――
 深く考え込んでいたカントダルは、おもむろに顔を上げた。
 扉を誰かがノックする音がした。断続的に二回。
 ――誰だ? また部下か? 一日に二度も来るのは初めてだな。
 しばらく間を空けて、もう二回ノック音が響いた。
 カントダルは重い腰をあげた。一本飲み干した酒のせいか、足下がわずかにおぼつかなかった。

「ちっ」

 頼りなく揺れる己の足と、膜がかかったように聞こえる耳の状態に、カントダルは舌打ちした。
 慣れた酒なのに、この程度で酔うとは。ペースが速かったか。
 重い足取りで、玄関に近づいた。

「あっ?」

 カントダルは訝しく思って目を細めた。
 ノックされている位置が低すぎるのだ。ちょうど、扉の取っ手のあたり。
 部下がわざとやっている? まるで子供が叩いているような――
 まさか。カントダルは目を見開いた。
 雷に打たれたように、不吉な予感が全身を走り抜けた。耳が途端に明瞭な音を拾い、眠っていた五感が否応なくたたき起こされる。

「良かった。いるみたいだね」

 突如、動きを見透かしたような、楽しそうな少年の声が向こう側から聞こえた。声に心当たりはない。
 しかし、わなにかかったことを心の底から喜び、舌なめずりをするような子供は何人も知らない。
 カントダルの足が、独りでに後ずさった。

「あっ、待って、待って。逃げないで。すぐに開けるから」

 気配を感じたのだろう。向こう側に立つ少年が喜悦きえつに満ちた声を出した。
 同時に、目の前の薄板がめりめりと嫌な音を立て始めた。
 内側のかんぬきが悲鳴を上げ、扉板がたわむ。
 カントダルは全身を包み込むような強大な気配に、すべなく立ち尽くした。

「な……ぜ……」

 とうとうかんぬきがひしゃげて吹き飛んだ。カントダルの腕に当たり床に落ちた。小さな痛みが走った。
 扉が破砕音と共に押し開けられ、蝶番ちょうつがいが悲しげにキイキイ泣いた。
 街はずれの森の匂いが、室内の空気を浸食するように広がった。
 しかし、カントダルはそのすべてに気づかなかった。
 彼を見つめる金色の瞳に、射すくめられて動けなかったからだ。


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