早春譜

四色美美

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チョコより甘く

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 バレンタインデーの午後、詩織は自宅で美紀に伝授されたトリュフチョコを作っていた。
もう間に合わないと解っていた。
それでも自分の気持ちを現したかったのだ。
勿論淳一が本当の兄かも知れないことは解っていたのだが……




 淳一はハンサムでイケメンだ。
塩やソースではなく、しょうゆ顔だった。


さしすせその他にもケチャップやマヨネーズもあるらしい。
さは砂糖で、少年っぽい顔だ。
しは塩で、肌が白くて目は細めでアジアっぽい顔だ。
すは酢で、塩よりあっさりした顔のようだ。
そはソースではなく味噌だ。
ソースは堀が深くて暑苦しい感じだが、味噌はソースよりあっさりしている顔のようだ。
ケチャップは造りが濃くて親しみがあり、マヨネーズは砂糖より甘くなく、あっさりした顔のことだそうだ。


せは醤油で、分類的には切れ長の目に鼻筋が通りあっさりした小顔の人のようだ。
ただ幾分平凡だとされている。
淳一の容姿はまさにそれだったのだ。


だからきっと大勢の女生徒からチョコを貰って帰って来るだろう。
義理チョコも本命チョコも入れ混じって、何れが誰のだか判らなくなるくらいに……


だからって、自分も用意する訳にはいかないのだ。
淳一と詩織は学校では兄妹で通っていた。
だから愛の象徴である手作りチョコを皆の前では渡せないのだ。
本当は渡したかった。
私が大好きなのは工藤淳一だと大勢の人の前で宣言したかったのだ。




 詩織は昼間の淳一の笑顔を思い出していた。
生徒からチョコを受け取っていた時のデレッとした顔を……


(こんな時に不機嫌な顔は出来ないんだろう)
そう思うことにした。そうでもしないとおかしくなりそうだった。


(やっぱり私生徒のことが好きなんだ)

今更ながらに自分の思いに気付かされた詩織。
本当は淳一を独り占めしたくて堪らなくなっていたのだった。
だから美紀に教えてもらったレシピで頑張っていたのだ。




 「わあ、とろとろだ。流石に料理自慢の美紀さんのママのレシピね」

美紀は詩織が淳一を思っていることを感じ取っていたのだ。
だからこっそり教えてくれたのだ。
一口食べただけでチョコより甘い恋に堕ちる魔法のレシピを……


(チョコよりも甘く、蕩けるような恋をしてみたいな)

詩織は湯煎でチョコを溶かしながら、淳一と過ごすディナーの準備に邁進していたのだった。




 詩織は美紀から、育ての父である正樹を愛していることを聞いた。
それは産みの母が美紀に憑依したからで、育ての母も同居していることも。


『私の恋の意味を叔母さんが教えてくれたの』

美紀はそう言った後、自分の胸に手を当てた。


『不思議でしょ。此処に二人の母が居るのよ』
そう言った美紀の顔は何故か明るかった。


実はこの時既に美紀は、珠希のように一生を正樹に捧げる決意をしていたのだ。
足元にも及ばないことは百も承知だ。
だけど自分の気持ちが収まらないのだ。


美紀は全てを珠希と智恵の思し召しだと思っていたのだった。




 『私の産みの母は大阪の資産家の娘だったの。だから身代金目当てで誘拐されたの。でもね、母は双子だったの。だから間違ったって思ったらしくて、東京駅のコインロッカーに遺棄されたの』


『遺棄!?』


『コインロッカーって気密性が高くて中に閉じ込められたら間違いなく死ぬらしいの。だから私が此処に居るのは奇跡なのかも知れないわね』

衝撃的な自分の過去を明るく話す美紀に詩織は感銘を受けていたのだった。


そう……
全てが運命だったに違いない。
美紀を産んだ母親の死も、同じ日に正樹と珠希夫婦に双子が産まれたことも……


カルフォルニアでの元の恋人同士の再会も、その二人の子供が恋に堕ちた事実も……




 『詩織さん凄いわね。野球部に指示を出して甲子園まで導くし、オマケに俳句部まで創立させて』


『でも、まだ部じゃなくて同好会なんですが』


『あっ、そうだったわね。そうかまだ部になっていなかったね。でももう時間の問題じゃないのかな』


『だとしたら嬉しいのですが……』

詩織は美紀との語らいが嬉しくてたまらなかった。
何時までもずっと一緒に居たいと思っていたのだった。




 『そう言えば、詩織さんの親友だと言った直美さん』


『直美が何かしましたか? 例えば美紀さんに迷惑掛けたとか?』


『違うわ。偶々応援席で知り合って、スコアブックの付け方を教えてもらったのよ。そのスコアブックの形がパッチワークのパターンみたいだって言っていたわ』


『ああー、直美は手芸が好きなんです。本当は文化部に入りたかったのですが、私が無理矢理マネージャーにしてしまいました』


『俳句部も出来たのだから手芸部も……』


『いえ、直美はやっぱり野球部のマネージャーをやってもらわないと……』

詩織は平然と言い切った。




 そんな思い出に耽りながら、トリュフチョコを丸くしていく。


「少しイビツでも手作り感があって良いかな?」

負け惜しみだと思う。
だけど、美紀のように完璧に作れないのだから仕方ないと思うようにしたのだ。


(先生が帰って来る迄には固まってくれるかな?)

自分の試食用にと少し多目にチョコをいただいてみる。


(トロトロで美味しい。固まらなくてもバッチリだね。でも先生、今何時だと思っているのかな?)

詩織は淳一の帰りが遅いことが気掛かりだったのだ。
本当は貰ったチョコに浮かれて腑抜けな顔になっているかも知れないと思っていたのだった。




 「ただいま」
玄関の方から声がした。
やっと帰って来たかと思い淳一を迎えに行く。
チョコが多くて大変だと思ったからだった。


其処には案の定抱えきれないほどのチョコを手にした淳一が立っていた。


でも驚いたことに、その後ろから直美が顔を覗かせていたのだ。


「じゃあ、先生私はこれで……。詩織、おやすみなさい」

直美は持っていたチョコを玄関先に置くとさっさっと帰ってしまったのだった。


直美を見た瞬間、助かったと思った。
本当は直美に傍にいてほしかったのだ。


詩織は沢山のチョコを見て動揺していた。
どんな対処をしたら良いのか解らなかったからだ。


「ごめん詩織。まさかこんなになるなんて……」

それでも詩織は、頭を掻き掻き盛んに謝る淳一に帰宅の遅さを責めることも出来ずにいた。


「偶然直美さんと昇降口で会って、このチョコを運ぶの手伝ってくれたんだ。勿論、一緒の車になんか載ってないよ」


「解っているわよ」

淳一の悄気た姿が滑稽で詩織から自然に笑みが溢れていた。


「直美は近くだから付いてきてくれたんでしょ。それにしても良くこれだけのチョコを……他の先生が嫉妬しなければいいんだけど」

本当はさっきまでイライラと気をもみながら待っていたとは言いづらい。
だからそっとテーブルの上においた


「あのね。長尾美紀さんにチョコの作り方を教えてもらったの。そのチョコの後でいいから食べてみてね」


「詩織」
戸惑いながらも淳一は呼んだ。


『二人っきりの時は詩織の方がいい』
その言葉をマトモに受けてしまったのだ。


淳一はあれこれと迷った挙げ句に、詩織のチョコを真っ先に口に運んだ。
自分のために用意してくれたのだ。
それが礼儀だと考えたのだ。




 「これ、美味しいね。アルコール類は未成年だと手に入れ難いだろ?」


「美紀さんに戴きました。お父さんのために用意したのが余ったそうです」


「あっ、例の元プロレスラーの」


「そう、平成の小影虎と呼ばれていた方です」


「そのお陰で騒がしかったんだよね。あの双子の実力だけじゃなかったようだね」


「いいえ、あの双子の実力だと思います。成長ぶりはたいしたものです」


「流石野球少女だな」


「野球少女か……」


「本当はまだマネージャーになりたいと思っているんろ?」

淳一の言葉に素直に頷いた。


でも詩織は気付いていなかった。
淳一と句会を開く度に、どっぷりその世界の魅力に嵌まっている事実に。




 「ねえ先生」


「あれっ、俺だけが呼び捨てか?」


「だって先生は人生においても先輩だもの」


「それでさっきのは?」


「あっ、あのね色々な歳時記を教えてほしいと思って……例えば、節分句会のような……」


「恵方巻きのことかな? この前親父が言ってたよ。平成十年にコンビニが大阪の風習を真似たんだとね。その頃親父はジャーナリストをする傍らでコンビニでアルバイトをしていて、オーナーが説明会を開いてくれたそうだ」


「説明会?」


「ほら、新商品なんかをお客様に知ってもらうためにはまず店員を教育させるそうだ。試食などもあったそうだ」


「見本かなんかを食べるとか?」


「そうかも知れないな。親父は其処で色々と学んだそうで後々役に立ったそうだよ。でも何時だったか、従業員のロッカーが荒らされることがあったそうだ」


「そんな場に入れるんですか?」


「そのコンビニはトイレが奥にあったそうだ。其処へ行く振りをして金品を懐に入れたそうだ。バイトして貰った給料を取られたようだ」


「お父様可哀想」


「親父の給料が戻ってきたのは暫く経ってからだそうだ。俺は気付かなかったけど、相当困惑していたそうだ」


「どうして気付かなかったの?」


「その頃から親父と二人暮らしだったんだ。だから売れ残りのコンビニ弁当が多かったからだよ」


「売れ残り?」


「コンビニのオーナーが責任を感じて……でもないな。父子家庭だと知っていたから、便宜を図ってくれたみたいだ」


「アルバイトをしながらジャーナリストなんて大変なんだったのでしょう? まして先生を育てながらじゃ」




 「でもどんな仕事も同じに大変なんだって言ってたよ」


「それもそうね。先生も大変ね。特に女子高生にもてる先生はね」


「は? もしかしたらヤキモチ?」


「違います」


「ほれ、顔が膨らんだ。詩織の顔は見ていりゃ解る。すぐに出るからな」


「もう……意地悪」


「さては俺に惚れたな」

言ってしまってからハッとした。
まだ二人が本当の兄妹なのかと聞いてもいなかったことに気付いて……




 「俺には親父の思い出しかないんだ」

その言葉に詩織もハッとした。
やはり二人は兄妹ではないのかと思って……


「先生。節分俳句会のことだけど……」

詩織は話題を変えようと思いそっと淳一を見た。
淳一の顔が少し暗く感じた。




 「節分俳句会の時は兼題題だったからな。今までの自由句とは違い、難しかったろう」


「はい。とても」


「皆そうやって基本を学んでいくんだ」


「私も何とか句会のノウハウを覚えられました」


「良し、それじゃテストするぞ。一番先に渡す紙は?」


「短冊です。それに一句ずつ書いていきます」


「じゃあ、次は何をする?」


「折った短冊を箱に入れてシャッフルします。それを各自で選んで、清記用紙に書きます」


「次は?」


「中心人物からアラビア数字で時計回りに清記用紙に番号をふります。その用紙の右端にカギカッコを書いて中に漢数字を書き入れます」


「お、良く勉強したな。偉い偉い」


「もう……子供扱いしないでください。部長……あっ、同好会会長としたら当たり前のことです」


「そうだったな。まだ同好会だったんだな。そろそろ校長先生にお伺いたててみるかな?」


「あっ、よろしくお願い致します」


「それじゃ続だ。数字を書き込んだら……」


「えっ、まだ続くのですか? 解りました。次に反時計回りに清記用紙を回します。それを半紙に番号と一緒に写します」

詩織はため息を吐いた。
チョコより甘い一時を夢に描いていた。
でも実際のバレンタインデーはその微塵もなかったからだ。


「その中から自分の選句した作品を別な用紙に書きます。私だった工藤選。でも工藤が二人いますので名前まで書きます」

それでも詩織は続けた。


「その選句用紙を中心人物が読み上げます。他の人は自分の写した用紙を見ながら、得点を書き入れます」


「良し、完璧だ」

淳一の言葉を聞いて詩織は胸を撫で下ろした。




 最初の吟行句会の時よりメンバーは増えた。
だから詩織も部と認めてほしいと思っていたのだ。


「でも先生。これ以上増えたら、輪になって同座する運座では大変になりますね」


「ま、そうなればその時のことだよ」


「でも二つのグループに分ける訳はいかないし、ホントこれ以上増えたら……」


「三年生の抜けた分だけ補充するか?」


「卒業したらですか?」

そう言いながら詩織は考えた。
卒業したら淳一と付き合いたいと思ってチョコを渡した生徒もいるのではないのだろうかと……
自分が十六歳だってことが妬ましくなった。


確かに日本は法律上ではこの歳から結婚は出来る。
だからと言って、淳一に今すぐお嫁さんに貰ってほしいととは言えなかったのだ。




 「先生。このチョコどうしますか?」

思い切って発言した。
淳一と居られるラストチャンスに賭ける三年生を知りたかったのだ。
もしかしたら突然告白してくる生徒もいるかも知れない。
その時きっと自分はショックを受ける。
だからその前にチェックしておきたかったのだ。


実は草いきれと詠んだ生徒も三年だったのだ。
彼女は淳一に顔と名前を覚えてほしくて勉強したようなのだ。
運動部なら引退する時期なのに、彼女は敢えて入って来たのだった。


「詩織に任せるって言いたいけど……一人一人の気持ちなんだ。ホワイトデーに御返しもあるから名簿付けてみるよ」


淳一は詩織の気持ちに気付いていた。
でもだからこそ、チョコをくれた人の名前を開かす訳にはいかなかったのだ。


チョコより甘い一時を淳一も夢に描いていた。
でもあの時『さては俺に惚れたな』と言ってしまったから苦し紛れな行動をとってしまった。
詩織に悪いと思いながらも、句会の質問をして動揺を押さえようとしたのだ。
本当は、詩織だけを愛していると言ってやりたかった。でもまだ言えるはずがないのだ。
父はずっとカルフォルニアに行ったままになっていたのだった。
だから真実を聞けなかったのだ。


詩織がチョコの話を切り出した時、もしかしたら生徒からのプロポーズを心配しているのかとも思った。


それでも……
チョコを渡してくれた三年生の名前を開かす訳にはいかなかったのだ。


それは教師としてやってはいけないことだと思っていたからだった。


そのことで詩織が苦しむことになっても……
父の返答次第では却ってその方が良いのだとも考えていたのだった。




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