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eye(目)・綾

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 (渋谷ってなんて賑やかなんだろう)

素直にそう思った。
不思議だね、初めて来たわけでもないのに。


風邪から肺炎を起こして、ずっと寝込んでいた祖父が一ヶ月位い前に亡くなった。

そのために田舎にずっと行っていたから尚更感じるのだろうか?


でも懐かしくて……
だからついつい遠回りをする。


母と此処に来たのは何年振りだろうか?


スクランブル交差点で、母の手をそっと握ってみた。


途端に見た、びっくりしたような母の顔。

これを待っていた。


「もっと楽しもうよお母さん」

すかさず私は言った。




 母ったら、哀しみを一人で背負っているような顔をして歩いている。


(もうー、なんで私が誘ったのか分かっているの?)

全く、娘にこんなに心配かけて。


そんなこと思いながら歩いているから人とぶつかったりする。


(これもみーんな母のせいだ!)

愚痴の一つも言いたくなって、母のいる方向を見た。


(ん、あれっー!?)


一瞬。
母の姿を見失って、慌ててキョロキョロと探したみると……


母は渋谷のシンボルタワーと言うべき建物のの前で立ち止まっていた。


(おいおい又かよー。そっちは道が違うだろ)

そうなのだ。
私の遠回りの原因は、この母の行動だった。


(先が思い遣られるなー)

私はもはや呆れかえっていた。




 「疲れた?」
それでも私は母の傍に行って、顔を覗き込んだ。


「ん……ううん」

かったるそうに、首を振りながら母が言う。


「ごめんね誘って!」
私は思わず強い口調で言った。


「CD買うならやっぱり渋谷だと思って。それにお祖父ちゃんが亡くなってお母さん落ち込んでいたから」

ヤバいと思って言葉を足した。


「分かっているよ。ごめんね、お母さん駄目ね。綾に心配ばかりかけて……」




 (もうー。分かっているならもっと楽しもうよ。せっかくの母娘デートなのに)

嫌みの一つでも言いたい。
でも……


「ううんそんなこと。お母さん大好き!」
憎まれ口の代わりに、母の肩に頬ずりしてみた。


「本当にごめんね綾」
私の肩に手を伸ばしてきた母は泣いていた。


「ほら、又泣く!」
私は苦笑いをしながら、バックからハンカチを取り出した。




 子供の頃から三面鏡の前で泣いている母を見てきた。

何がそんなに哀しいのかは分からない。


でも一つだけ思い当たる事が……

それは、父が会社に行く前に母に掛けた言葉だった。


『お前は父親から可愛がられたんだろうな』
そう父が言った。


『何故?』
と母が尋ねる。


『だって、馬鹿な子供程可愛いって言うだろう』
得意そうに父が言う。


父はそのまま仕事に出かけた。残された母の目に涙。




 『お前は馬鹿だ』

父はそう言いたかったのだろう。

子供の私にもそれは分かった。

だから今でも鮮明に記憶しているのだろう。


あの後、母は泣きじゃくった。

声が引きつっても尚泣きじゃくっていた。


『私はお父さんに可愛がられてなんかいない!』
母は泣きわめきながら言っていた。


子供の私は見守る事しか出来なかった。
だから背中を叩いて振り向かせた。

とびっきりの笑顔をあげたかった。


(私は此処に居るよ。何時でも傍にいるよ)

そう言いたかった。

そうだ。確かにあれから母は泣いてばかりいるようになったんだ。

だから私は、母から目を離す事が出来なくなった。


でも母は私の前では泣かなくなった。
私が心配することを警戒してか、陰で隠れて……


だから余計目が離せなかったのだ。




 その建物の前ではタレントらしき人が熱唱していた。それを懐かしそう見てる母。


「知ってる人?」
私が聞くと首を振った。


(そりゃそうだ。私の知らないユニットを母が知る訳ないか?)

そう思っていた。


「前にここで見た人のファンになってね」


「ああ、RD?」


(えっ!?  RD? そうか此処で出逢っていたのか? あんなに夢中になれる存在に……)


ここ何ヶ月か母は同じ歌ばかり聴いている。

年甲斐もなく、若者の歌が好みのようで、CDラジカセからはいつもロックが流れていた。
RDと言うグループのハピネスと言う曲だった。


このグループは元々、ノリノリのダンスメロディーが多かった。

でもこれはしっとりしたバラードだった。


(きっと父に内緒で此処に来たのだろう)

私の知らない母が其処にはいた。




 母の居る場所はすぐに解る。
それは何時もこのグループの曲が流れている傍。


母は音楽好きだった。
と言うより、音楽依存症だったのだ。


父の居ない時に、哀しみを音楽で癒していたのだった。


その哀しみが何処から来るのかは判らない。
でも、父と結婚したことが関係していると思っていた。




 此処には雑貨や小物はあってもCDは無いはずだと思い、私は母の手を引いた。

ふと見ると母の目には涙が溜まっていた。


「ほらまた泣く。CD買うなら渋谷でしょ?」
私はそう言いながら、母の背中を押した。

母の背中が小さく思えた。
母はまだ祖父の死を背負っていた。




 私はさっきから、じっと一点を見つめている一人の老人が気になっていた。

その老人の視線の先には母がいた。


「お母さん、あの人知ってる?」
私は老人に目配せをした。


「さあ、あの人が何か?」


「さっきかずっとお母さんを見てる」


「そう? 気のせいでしょう」
母はそう言いながらも老人に目をやった。


「やっぱり知らないわね。気にしないで行きましょう」
母はそう言った。




 でも私は老人の事が気になり、思い切って近付いて行った。


「さっきからずっと母の事見ていますが、母と知り合いなんですか? 母は知らないと言ってますが」
私はきっと、かなり厳つい顔をしているのだと思う。
幾分か興奮してきたようで、胸がバクバクしていた。


「いや何でもない。私はただあの人の目が気になっただけだ」

それでも老人は、しっかりと私の目を見て言った。


「目? 母の目ですか?」


「そうだ。私は初めと見た。あんな哀しそうな目をした人に」
老人の言葉に驚き、私は母を見つめた。


「母は父親を亡くしたばかりなんです。哀しそうな目はそのためだと思いますが」




 「いいや、あの目はそんな生易しいものではない。そうだ娘さん、あんたお母さんの瞳の奥を覗いて見たことがあるかい?」
私は首を振った。


「一度覗いてごらんなさい。きっと何かが見つかるから」
老人はそう言い残し駅に向かって行った。


「誰だった?」

母が駆け寄ってきた。


「人違いだったみたい」
私はとっさに嘘をついた。


(なーんだ、やっぱり気になっていたのか)

私は母の目を見ている自分に気付き苦笑いしていた。


(ありゃー、自分が一番気にしてる)

私は照れ隠しに……
本当は老人の事が気になり振り向いてみた。
でももう、老人の姿はもう何処にもなかった。


「気にしない気にしない。さあ行きましょう」
私は母の背中をもう一度押した。




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