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曖(はっきりしない)・綾

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 母の実家に戻った時父はいなかった。


(又川にでも行ったのかな?)
そんな気もしていた。


それでも私は外に出て父を探した。


帰って来たことを知らせようとしたためだった。




 何気に車を覗いて見て驚いた。

父が車の中で泣いていたからだ。


(えっ何故!?)

思いがけない父の行動を目の当たりにして、私は動揺していた。


私は父に気付かれないように、そっと車から離れようとした。
その時。


「綾は一体誰の子供なんだろう?」
父の独り言が漏れてきた。


(えっ!? そんな……)

私は驚きの余りに声を失った。

体がへなへなと崩れ落ちていく。

這いつくばりながら、玄関にたどり着くのがやっとだった。




 私は誰にも気付かれないように、服を着替えた。


ショックだった。

今まで父は、母をいじめているのだと思っていた。

でもその矛先は私だった。


(あのお年玉の一件は、私を伯母に叱らせるためだったのではないのか?)

そう考えると、つじつまが合ってくる。

でも一体、私の父親は誰だと言うのか?

今まで、他人の子供だと知りながら私を育てなくてはならなかった父の哀しみが重くのしかかっていた。




 私の父親が誰なのか、母に聞ける筈がない。

父もきっとそうだったんだろう。

悩んで、悩んだその果てに疑惑だけが大きくなる。

だからいつも冷たい言葉になったんだろう。


『お前は公衆便所だから』
父が母に言った、一番汚い暴言を突然思い出だした。

あの言葉が、全てを物語っているのではないのだろうか?

母は軽く受け流していたけれど、私は引っ掛った。

母を見下した言動。

"公衆便所"にどんな意味があるのか知らない。

でも……
決して良い意味ではないだろう。

きっと精一杯の皮肉が言わした言葉だったのだろう。




 それ程父は母を卑下していた。

声を荒げることもしばしばあった。

それも母には何の落ち度もない時に。
私の学校の事で相談すると


『うるさい黙ってろ!』

ご近所トラブルの相談も


『うるさい黙ってろ!』

みんなそれで片付ける。


まともに取り合ってもくれないのだ。




 母を虐めて何も言えないようにしておいて、家政婦のように濃き使う。


今日のような日を利用して、実家に逃げ場を作らない工夫をする。


きっとそれが、今日遅く出発した理由なのかも知れないと思った。




 父はテレビのスポーツ観戦が大好きで、一言でも発したら即怒鳴られた。


そう思った途端、悲惨な過去が脳裏をよぎった。


あれは私が知る、初めて虐待を受けた日。

八時から好きなテレビを見て良いと言われ、私はワクワクしていた。

それでも父はリモコンを離さずに、CMの度にチャンネルを変えていた。




 約束の八時になり、私はリモコンを見たい番組に合わたんだ。


その途端


「何するんだこの野郎!」

父の罵声と共に、平手打ちが炸裂した。


それでも飽き足らず、小さな私を蹴り上げ体を投げ飛ばした。

それで収まるはずもなく、拳骨とビンタを繰り返した。


「お願い殺さないで!」
やっとそれだけ言えた。

何故言えたのか判らない。

でも何かに突き動かされたようだ。


第一……
五歳の私が言えるような言葉じゃない。


私は何かに勇気を貰って、その言葉を言ったのだ。

だから私は今生きている!
生きて居られるんだ!!


あの時……
もし言えなかったら、父はきっと今頃殺人犯と呼ばれていただろう。




 父の暴力から解放された私は、ヒステリックに泣き叫んだ。


「うるさい! 何やってんだ、早く泣き止ませろ!」
今度は母に向かって罵声を浴びせた。




 私がやっと落ち着きを取り戻して安心したのか、母は意を決し父の傍に行った。


『八時から綾と約束していたでしょう?  見たい物があったら見ていいって。それが何故なの?』
母がそう言った途端だった。


『うるさい黙ってろ!』
得意な台詞が飛び出す。

その言葉で、私は又しゃくりあげる。

その日はそれの繰り返し。
私は夜中まで泣いていた。




 一度叩いた事で、勢いが付いたのか。
その後も何度となく虐待は続いた。

あれは、母に対する嫌がらせだったのだろうか?

私はその度言った。


『お願い、殺さないで!!』
と――。


その頃の私には、恐怖の存在だった父から身を守る手段はそれ以外なかった。

今でも私は父が拳を振り上げる度に体が萎縮する。

それ程、体に染み付いている父の暴力。
トラウマ。

でもそれは母にもあった。


母が何故、父から暴力を受けている私を助けてくれなかったのか?

その理由を今日初めて知った。

母は、プリン事件の時の祖父の暴力を思い出して、動けなくなっていたのだ。


母の目を暗くさせたのが祖父なら、その目を更に暗くさせたのが父だ。

私は亡くなるまで叔母の悪巧みを知らないでいた祖父が、一番罪深いと感じていた。




 あの後父は外出が多くなった。
パチンコ狂に変貌して、閉店までいるようになった。

だからRDの渋谷イベントの帰り、玄関に明かりを見て、嫌な予感があったのだ。




 それと同じような事が、遊園地に遊びに行た時にもあった。
やはり早めに帰って来て、愚痴を言って困らせた。


『一緒に行こう』
と言えば……


『お前らだけで行け』
と言う。
そのくせ、そんな日は必ず私達より早く帰って来て困らせる。


そして……
ネチネチと母に因縁を付けては遊ぶ。
父は最低最悪な男だったのだ。


法事のような事でもない限り、一緒のお出掛けなんて有り得なかった。




 祖父が亡くなる前にしみじみ言った事がある。


『俺の両親は死んだから、お前の家だけだよな』
と――。


『だから明日の母の日は、顔を見せに行ってこい』
と――。




 母は嬉し泣きしながら電話した。


でも翌日。
それは思わぬ竹篦返しになっていた。




  朝起きて来た父は、母に尋ねた。
何時行くのかと。


『お父さんが行ったら行くよ』
母は言った。

父は日曜日は必ず、開店前にパチンコへ行く。

だから、そう言ったのだった。


ところが、その日に限って早めに車にエンジンを掛けた。


母が出発しようとしたら、出口を車が塞いでいた。


父は出発したのではなく、母のバイクが出るのを邪魔しただけだった。

バイクが一台、やっと通り抜けられる車との隙間。

それを潰すように車を移動させたのだ。




 そうこうしているうちに、車を洗いワックス掛けまで始めた。


『お前何時行くんだ』
と聞く。


『お父さんが出掛けてからよ』

そう言うと……

今度は剪定鋏で庭の木を切り出した。




 それでも飽き足らなくて食事の支度をさせる。

母は遂にキレた。

出刃包丁を持ち、新聞のチラシの裏の白い紙に父の名前を書いて、何度も何度も刺していた。


目にはいっぱい涙を貯めて、お母さんお母さんと呼びながら……


父はその後馬鹿にしたようにあざ笑った。


そして、やっと出掛けた。


でも時間は三時だった。


父は母をなじるためだけに、五時間以上いたぶり続けたのだった。




 それもこれもみんな母を虐めて、ついでに私を痛め付けるためだった。

父はそんなに心の狭い人間だったんだ。


母の目が暗くなるはずだ。
三面鏡の前で泣くはずだ。


『アナタは良くやっているよ』
母は時々、三面鏡に写る自分に向かって言っている。


(お母さん!)

私は何時の間にか、母の実家の三面鏡の前で泣いていた。


後から後から涙が溢れる出してくる。

私はこの世に産まれてきたことを生まれて初めて呪った。


(私さえ、産まれて来なければ……)


そうだ。
父も母も苦しむことはなかった。


神様。
助けてください。
父と母を救う道を教えてください。


私は心の中にいる私だけの神に祈った。


私は小さい時から思っていた。
神様は心の中にいて、何時も見守ってくれていると。


それは、誰に教えてもらった訳でもない。
自らが考え出した結果だったのだ。




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