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村八分
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「ティノ」。低い声が鼓膜を撫でる。乾燥した指先が、首筋を撫でた。「愛してるよ」。なめらかなシーツが頬を撫でる。屋根裏部屋に置かれていた古びたベッドとは違うその感覚に、吐き気を覚えた。
瞼を開けると、ヴァンサが僕を見下ろしている。何かを言いたげな彼の口元が何度か開閉し、やがて噤む。
首筋に鼻先を埋め、匂いを嗅がれた。息を漏らす彼が、僕の手首を拘束したままシーツに押し付ける。ぎゅうと握られ、薄い皮膚に痛みが走った。けれど、痛いとは言えない。眉を顰め、グッと耐える。
「ティノ」。もう一度、ヴァンサが僕の名前を呼ぶ。耳元で彼の声が響く。首筋にキスをされ、吸われた。「っ……」。漏れそうになった声を抑える。
「愛してる」。悲しげな、縋るような声で言われ、体が強張った。「愛してるんだ」。手首を拘束する力が強まる。彼はきっと、答えを待っている。最初から一つしかない、決まった答えを。
僕は唇を舐めた。言いたくもない言葉を喉から絞り出す。
「……僕も」
言葉を受け、ヴァンサが顔を上げる。泣きそうな瞳が僕を射ていた。どうしてそんな顔をするのだろう。僕はいつも不思議に思う。彼は厳格で、そして雄々しい男だ。何故、役立たずな僕に愛を囁き、その答えを聞いて寂しげな目をするのか。
────どうして、愛を求めるのだろう。
不意に、唇が重なる。分厚い舌が口内に入り込み、僕の舌を絡め取った。歯列を舐められ、上顎を撫でられる。ぞくりとした悪寒が背中を走る。服の中に手が入り込み、胸元を這う。嫌な顔もできないまま、彼の口付けと愛撫を受け入れ続けた。
ようやく唇が離れる。肩で呼吸を繰り返しながらヴァンサを見つめる僕は、歪んだ視界の中で彼を捉えた。
「愛しているんだ」
────呪いだ。
これは、呪いだと思った。ヴァンサが、僕を本気で愛しているはずない。それなのに彼は、まるで最初からそうであったかのように愛を囁く。優しく触れてみたり、キスをしてみたり。頬を寄せあったり、抱きしめたり。
存在しないはずの愛に縋り、ヘドロのような言葉を僕の脳にこびりつかせる。
僕にどうして欲しいのだろうか。僕はどうしたら良いのだろうか。時折、本当にわからなくなる時がある。
そんな時は決まって彼の頭部を緩やかに撫でるのだ。そうすれば彼は、発作が治ったかのように大人しくなる。
「嘘じゃないんだ」
もう一度、唇を奪われる。頬を大きな両手が包み込んだ。汗ばんだ皮膚から伝わる体温は熱した鉄のように高くて、それでいて真冬の小川のように冷たい。
何度も酸素を奪い合いながら口付けを交わす。無骨な指先が、頬を撫でる。母の柔らかな指先の感覚を思い出そうと必死に藻搔いてみたけれど、彼女の記憶は尾を見せることはなかった。
◇
目を覚ます。誰かに横抱きにされていた。じわりと滲む暖かい体温から離れ、体を起こす。隣に横たわる大男を見下ろした。
────そうだ。そういえば昨日から、一緒に寝る約束をしていたのだった。
「じゃあ、今日からこうやって一緒に寝てくれ。それが俺への恩返しだ」。そう呟いた彼の言葉がリフレインする。僕が添い寝をするだけで、果たして恩返しになるのだろうかと耽ったが、彼が望むなら従うまでだ。
浅い呼吸を繰り返すエッジレイは、穏やかな表情をしている。その顔はどこか子供らしさを孕ませていて、可愛く思えた。
左の目元から頬にかけて存在する、傷跡を撫でてみる。ざらざらとした感覚が指先から伝わった。
不意に、外へ視線を投げてみる。窓の外はまだ薄暗く、物悲しさを孕んでいた。夜明け前の独特な匂いに誘われて、ベッドから降りる。窓辺へ近づき、戸を開けた。劈くような冷たい風が身を包み、思わず息を漏らす。遠くの空は微かに明るさを帯びていて、紺色を纏う夜に光を差し込んでいた。
窓辺でその様子をぼんやり眺めながら、背伸びをした。エッジレイを起こさないように「よし」とひとりごち、寝衣を脱ぎ捨てる。部屋の片隅に置かれていた服を手に取り、身につけた。
────この服は、誰のものなのだろう。
この家に来て以降、僕はエッジレイに衣類を渡された。僕の丈にあった服は、到底エッジレイが着ることができるサイズではない。では、果たして誰のものなのだろうか。この家には彼しかいなくて、訪れる来客も少なく見える。
この服を見に纏う「誰か」が彼のそばにいたのだろうか。
自分の身に纏った服を見下ろし、耽ってみる。やがて、視線をベッドの上にいるエッジレイに向けた。
────誰、なのだろう。
もうすでにこの家にはいない「誰か」……。
瞼を開けると、ヴァンサが僕を見下ろしている。何かを言いたげな彼の口元が何度か開閉し、やがて噤む。
首筋に鼻先を埋め、匂いを嗅がれた。息を漏らす彼が、僕の手首を拘束したままシーツに押し付ける。ぎゅうと握られ、薄い皮膚に痛みが走った。けれど、痛いとは言えない。眉を顰め、グッと耐える。
「ティノ」。もう一度、ヴァンサが僕の名前を呼ぶ。耳元で彼の声が響く。首筋にキスをされ、吸われた。「っ……」。漏れそうになった声を抑える。
「愛してる」。悲しげな、縋るような声で言われ、体が強張った。「愛してるんだ」。手首を拘束する力が強まる。彼はきっと、答えを待っている。最初から一つしかない、決まった答えを。
僕は唇を舐めた。言いたくもない言葉を喉から絞り出す。
「……僕も」
言葉を受け、ヴァンサが顔を上げる。泣きそうな瞳が僕を射ていた。どうしてそんな顔をするのだろう。僕はいつも不思議に思う。彼は厳格で、そして雄々しい男だ。何故、役立たずな僕に愛を囁き、その答えを聞いて寂しげな目をするのか。
────どうして、愛を求めるのだろう。
不意に、唇が重なる。分厚い舌が口内に入り込み、僕の舌を絡め取った。歯列を舐められ、上顎を撫でられる。ぞくりとした悪寒が背中を走る。服の中に手が入り込み、胸元を這う。嫌な顔もできないまま、彼の口付けと愛撫を受け入れ続けた。
ようやく唇が離れる。肩で呼吸を繰り返しながらヴァンサを見つめる僕は、歪んだ視界の中で彼を捉えた。
「愛しているんだ」
────呪いだ。
これは、呪いだと思った。ヴァンサが、僕を本気で愛しているはずない。それなのに彼は、まるで最初からそうであったかのように愛を囁く。優しく触れてみたり、キスをしてみたり。頬を寄せあったり、抱きしめたり。
存在しないはずの愛に縋り、ヘドロのような言葉を僕の脳にこびりつかせる。
僕にどうして欲しいのだろうか。僕はどうしたら良いのだろうか。時折、本当にわからなくなる時がある。
そんな時は決まって彼の頭部を緩やかに撫でるのだ。そうすれば彼は、発作が治ったかのように大人しくなる。
「嘘じゃないんだ」
もう一度、唇を奪われる。頬を大きな両手が包み込んだ。汗ばんだ皮膚から伝わる体温は熱した鉄のように高くて、それでいて真冬の小川のように冷たい。
何度も酸素を奪い合いながら口付けを交わす。無骨な指先が、頬を撫でる。母の柔らかな指先の感覚を思い出そうと必死に藻搔いてみたけれど、彼女の記憶は尾を見せることはなかった。
◇
目を覚ます。誰かに横抱きにされていた。じわりと滲む暖かい体温から離れ、体を起こす。隣に横たわる大男を見下ろした。
────そうだ。そういえば昨日から、一緒に寝る約束をしていたのだった。
「じゃあ、今日からこうやって一緒に寝てくれ。それが俺への恩返しだ」。そう呟いた彼の言葉がリフレインする。僕が添い寝をするだけで、果たして恩返しになるのだろうかと耽ったが、彼が望むなら従うまでだ。
浅い呼吸を繰り返すエッジレイは、穏やかな表情をしている。その顔はどこか子供らしさを孕ませていて、可愛く思えた。
左の目元から頬にかけて存在する、傷跡を撫でてみる。ざらざらとした感覚が指先から伝わった。
不意に、外へ視線を投げてみる。窓の外はまだ薄暗く、物悲しさを孕んでいた。夜明け前の独特な匂いに誘われて、ベッドから降りる。窓辺へ近づき、戸を開けた。劈くような冷たい風が身を包み、思わず息を漏らす。遠くの空は微かに明るさを帯びていて、紺色を纏う夜に光を差し込んでいた。
窓辺でその様子をぼんやり眺めながら、背伸びをした。エッジレイを起こさないように「よし」とひとりごち、寝衣を脱ぎ捨てる。部屋の片隅に置かれていた服を手に取り、身につけた。
────この服は、誰のものなのだろう。
この家に来て以降、僕はエッジレイに衣類を渡された。僕の丈にあった服は、到底エッジレイが着ることができるサイズではない。では、果たして誰のものなのだろうか。この家には彼しかいなくて、訪れる来客も少なく見える。
この服を見に纏う「誰か」が彼のそばにいたのだろうか。
自分の身に纏った服を見下ろし、耽ってみる。やがて、視線をベッドの上にいるエッジレイに向けた。
────誰、なのだろう。
もうすでにこの家にはいない「誰か」……。
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