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第五十五話 かしこまりました
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泰樹が目を覚ましてから、1年が過ぎた。
2月の寒空の下。泰樹は独りふらふらと猥雑な繁華街をさまよっていた。
退院して2ヶ月後、泰樹は仕事に復帰した。
事故に遭っても、高い所に恐怖を覚えることは無かった。それに、泰樹は鳶しか仕事を知らない。
初めのうちは上手くいった。泰樹が入院している間に、1人で奮闘してくれた詠美のためにも頑張らねばと気負っていた。
だが、少しずつ歯車が狂い出す。
泰樹は高所だけで無く、何にも恐怖を感じない。物事を恐れる気持ちが、一向に湧いてこない。無造作に作業をこなし、危うく転落しそうになることも度々になった。
「上森、お前、復帰してから何か変だぞ」
「……変、っすか?」
休憩中に先輩に呼び出され、案じ顔でそう言われた。
「心ここにあらずって言うか、いつでもぼーっとした感じでよ。ようやく復帰したからって、無理してんじゃねーか?」
「……カミさんが頑張ってくれたから、その分取り戻さねーととは思ってます。でも、無理してる、なんてコトは……」
「あんまりヒヤリハットが増えると、こっちも困るんだ。辛いようようなら、もう少し休んだらどうだ?」
「……」
本人の意志とは裏腹に、泰樹に任される仕事は減っていく。その分給料も減って、ストレスだけが貯まっていく。詠美と、ささいなことでケンカするようになった。
むしゃくしゃして、何故だかわからないもやもやが晴れない。
身体の奥の方。腹の中に正体のわからない何かがいて、それがずっと居座っていて消えてくれない。苦しくてせつなくて。
それをどうにかしようとして、泰樹は自分を慰めた。
詠美に隠れて、初めは指で。それでは物足りなくて届かなくて、次は玩具を使ってみるまで時間はかからなかった。
「あ、……あ、あ……っ」
ようやく、届く。そうやって自慰をすると、少しだけ気が晴れた。子供たちが騒ぐ声にも、寛容になれた。
それでも無機質なシリコンの塊は単調で、すぐに物足りなくなってしまう。
――誰かに、触れて欲しい。
そう思うようになると、頭の中は他人に触れられて暴かれることで一杯になった。
こんなこと、冷戦状態の詠美には頼めない。
仕事は手につかず、危うく事故を起こしそうになることも増えて、とうとう、泰樹は仕事をクビになった。
クビを切られたその日、泰樹はすぐに家に帰りたくなくて初めて風俗店の扉を叩いた。前立腺マッサージが得意だと歌う店だった。
人の指で後孔をこねくり回されて、ようやくそれが自分のまち望んでいたモノだと悟る。
自分でも、自分は最低なヤツだと思う。仕事をクビになったその日に風俗店でケツを突き出して、年下の娘にケツ穴をほじられて。情けなくて、涙が出てくる。それでも、泰樹は自分を止められなかった。
それから、毎日のように。仕事に出かけるフリをして、その店に駆け込んだ。
流石にプロの仕事は正確で、上手い。だが。
すぐに物足りなくなった。
女性の細い指で、これだけ気持ち良いのだ。これが、もっと太くて熱いものならば、どんなにか心地良いだろう。ああ。どんなにか。
「……泰ちゃん。何かわたしに隠してること、あるでしょう?」
とうとう、詠美に切り出された。
「なに、を?」
「……これ、何のお店?」
詠美が取り出したのは、通い詰めた風俗店の会員証。バレてしまった。そう思った瞬間、一番初めに感じたのは安堵だった。
「先輩に聞いたよ。泰ちゃん、現場をクビになった、って。それなのに、なんで……なんでこんなお店に行ってるの?!」
泣いていても、詠美は冷静だった。泰樹はそんな詠美の声をどこか遠くで聞いていた。
「……ごめん。詠美。どうしても、ガマン出来なかった。ムラムラして、むしゃくしゃして、どうしても」
「……っ! わたしの、せい? わたしがしてあげないから?!」
「ううん。詠美のせいじゃない。……俺、目が覚めてから……変なんだ。何かどこか壊れちゃって、もう、元に戻らないみたいな、そんな感じがして……だから、詠美のせいじゃない」
涙をぬぐおうとして、差し出した手を振り払われる。
「さわら、ないで! わたし、もう泰ちゃんのことがわからない……!」
そう言って泣き崩れた詠美を、泰樹はただ黙って見つめるほか無かった。
紙切れ1枚で、2人は他人になった。それが、丁度半月前のこと。
子供たちの親権は詠美がとった。泰樹は当然だと思ったし、それで良かったと思う。慰謝料の代わりに、2人で貯めていたマイホーム用貯金の権利も放棄した。
泰樹は我が家であった、ボロアパートを出た。いまは日雇いの仕事をどうにかこなして、食いつないでいる。
「は、あ……っ」
物足りない。物欲しい。飢えて飢えて仕方がない。
さんざん迷って、何度も止めようと思い直して、ようやく決心がついて。泰樹は繁華街にある、ハッテン場だという男性専用サウナに向かっていた。
――腹の中に、本物の、熱くてデカいチンコ、ハメたら……
考えるだけで、じんっと下腹が熱くなって、脳髄の奥が痺れる。
この路地を、抜ければ目的地まで、もうすぐ。人気の無い路地を抜けようとして、泰樹は前方に男が1人立っていることに気が付いた。
白い髪。褐色の肌。金縁の眼鏡。じっとこちらを見つめる、緑色の瞳。服装だけは、見慣れないニットにジーンズ姿。
「……お久しぶり、ですね。タイキ様」
ああ、コイツは、この顔とこの滑らかな声は。
「……シー、モス?」
呆然と泰樹はつぶやいた。信じられない。なぜ、彼がここに?
あの世界は、泰樹の夢では無かったのか。
「なん、で……なんでアンタが、ここに?」
「お迎えに上がりました、タイキ様。そのお顔を見ると……『欲しい』、のでしょう?」
シーモスが手を差し出す。泰樹はよろよろと、その手に近寄った。
「私、あの『儀式』を解析いたしました。それで、あちらの世界とこちらの世界を自由に行き来できる術を見つけたのです」
シーモスは優しく微笑んで、泰樹の手を取った。
「さあ、貴方に記憶の全てをお返しいたしましょう。それで、貴方が何に飢えていらっしゃるのかがお解りになるはずです」
泰樹の脳裏に光景がよみがえる。苦しかった夜も快楽に溺れた夜も、全ての夜の出来事が。
「……あ、あ、あぁ……っ!!」
なんだ。俺はとうに壊されていた。いや、落とされていた。
だから、欲しくて欲しくて、たまらなかったのだ。
ようやく、納得した。泰樹は安心して、うっとりとした笑みを浮かべる。
「参りましょう、タイキ様。イリス様も、アルダー様も、シャルも。みんな貴方のお帰りをお待ちしているのですよ」
「ああ。俺も、みんなに会いたい。でも、その前に。シーモス。俺のケツ、ハメてくんないかなぁ。今、ここで良いからぁ……」
甘く蕩けきった声で、泰樹はねだる。その唇はせわしなく、白い息を吐き出して震えている。にっこりと、シーモスは笑った。
「はい。かしこまりました。タイキ様」
2月の寒空の下。泰樹は独りふらふらと猥雑な繁華街をさまよっていた。
退院して2ヶ月後、泰樹は仕事に復帰した。
事故に遭っても、高い所に恐怖を覚えることは無かった。それに、泰樹は鳶しか仕事を知らない。
初めのうちは上手くいった。泰樹が入院している間に、1人で奮闘してくれた詠美のためにも頑張らねばと気負っていた。
だが、少しずつ歯車が狂い出す。
泰樹は高所だけで無く、何にも恐怖を感じない。物事を恐れる気持ちが、一向に湧いてこない。無造作に作業をこなし、危うく転落しそうになることも度々になった。
「上森、お前、復帰してから何か変だぞ」
「……変、っすか?」
休憩中に先輩に呼び出され、案じ顔でそう言われた。
「心ここにあらずって言うか、いつでもぼーっとした感じでよ。ようやく復帰したからって、無理してんじゃねーか?」
「……カミさんが頑張ってくれたから、その分取り戻さねーととは思ってます。でも、無理してる、なんてコトは……」
「あんまりヒヤリハットが増えると、こっちも困るんだ。辛いようようなら、もう少し休んだらどうだ?」
「……」
本人の意志とは裏腹に、泰樹に任される仕事は減っていく。その分給料も減って、ストレスだけが貯まっていく。詠美と、ささいなことでケンカするようになった。
むしゃくしゃして、何故だかわからないもやもやが晴れない。
身体の奥の方。腹の中に正体のわからない何かがいて、それがずっと居座っていて消えてくれない。苦しくてせつなくて。
それをどうにかしようとして、泰樹は自分を慰めた。
詠美に隠れて、初めは指で。それでは物足りなくて届かなくて、次は玩具を使ってみるまで時間はかからなかった。
「あ、……あ、あ……っ」
ようやく、届く。そうやって自慰をすると、少しだけ気が晴れた。子供たちが騒ぐ声にも、寛容になれた。
それでも無機質なシリコンの塊は単調で、すぐに物足りなくなってしまう。
――誰かに、触れて欲しい。
そう思うようになると、頭の中は他人に触れられて暴かれることで一杯になった。
こんなこと、冷戦状態の詠美には頼めない。
仕事は手につかず、危うく事故を起こしそうになることも増えて、とうとう、泰樹は仕事をクビになった。
クビを切られたその日、泰樹はすぐに家に帰りたくなくて初めて風俗店の扉を叩いた。前立腺マッサージが得意だと歌う店だった。
人の指で後孔をこねくり回されて、ようやくそれが自分のまち望んでいたモノだと悟る。
自分でも、自分は最低なヤツだと思う。仕事をクビになったその日に風俗店でケツを突き出して、年下の娘にケツ穴をほじられて。情けなくて、涙が出てくる。それでも、泰樹は自分を止められなかった。
それから、毎日のように。仕事に出かけるフリをして、その店に駆け込んだ。
流石にプロの仕事は正確で、上手い。だが。
すぐに物足りなくなった。
女性の細い指で、これだけ気持ち良いのだ。これが、もっと太くて熱いものならば、どんなにか心地良いだろう。ああ。どんなにか。
「……泰ちゃん。何かわたしに隠してること、あるでしょう?」
とうとう、詠美に切り出された。
「なに、を?」
「……これ、何のお店?」
詠美が取り出したのは、通い詰めた風俗店の会員証。バレてしまった。そう思った瞬間、一番初めに感じたのは安堵だった。
「先輩に聞いたよ。泰ちゃん、現場をクビになった、って。それなのに、なんで……なんでこんなお店に行ってるの?!」
泣いていても、詠美は冷静だった。泰樹はそんな詠美の声をどこか遠くで聞いていた。
「……ごめん。詠美。どうしても、ガマン出来なかった。ムラムラして、むしゃくしゃして、どうしても」
「……っ! わたしの、せい? わたしがしてあげないから?!」
「ううん。詠美のせいじゃない。……俺、目が覚めてから……変なんだ。何かどこか壊れちゃって、もう、元に戻らないみたいな、そんな感じがして……だから、詠美のせいじゃない」
涙をぬぐおうとして、差し出した手を振り払われる。
「さわら、ないで! わたし、もう泰ちゃんのことがわからない……!」
そう言って泣き崩れた詠美を、泰樹はただ黙って見つめるほか無かった。
紙切れ1枚で、2人は他人になった。それが、丁度半月前のこと。
子供たちの親権は詠美がとった。泰樹は当然だと思ったし、それで良かったと思う。慰謝料の代わりに、2人で貯めていたマイホーム用貯金の権利も放棄した。
泰樹は我が家であった、ボロアパートを出た。いまは日雇いの仕事をどうにかこなして、食いつないでいる。
「は、あ……っ」
物足りない。物欲しい。飢えて飢えて仕方がない。
さんざん迷って、何度も止めようと思い直して、ようやく決心がついて。泰樹は繁華街にある、ハッテン場だという男性専用サウナに向かっていた。
――腹の中に、本物の、熱くてデカいチンコ、ハメたら……
考えるだけで、じんっと下腹が熱くなって、脳髄の奥が痺れる。
この路地を、抜ければ目的地まで、もうすぐ。人気の無い路地を抜けようとして、泰樹は前方に男が1人立っていることに気が付いた。
白い髪。褐色の肌。金縁の眼鏡。じっとこちらを見つめる、緑色の瞳。服装だけは、見慣れないニットにジーンズ姿。
「……お久しぶり、ですね。タイキ様」
ああ、コイツは、この顔とこの滑らかな声は。
「……シー、モス?」
呆然と泰樹はつぶやいた。信じられない。なぜ、彼がここに?
あの世界は、泰樹の夢では無かったのか。
「なん、で……なんでアンタが、ここに?」
「お迎えに上がりました、タイキ様。そのお顔を見ると……『欲しい』、のでしょう?」
シーモスが手を差し出す。泰樹はよろよろと、その手に近寄った。
「私、あの『儀式』を解析いたしました。それで、あちらの世界とこちらの世界を自由に行き来できる術を見つけたのです」
シーモスは優しく微笑んで、泰樹の手を取った。
「さあ、貴方に記憶の全てをお返しいたしましょう。それで、貴方が何に飢えていらっしゃるのかがお解りになるはずです」
泰樹の脳裏に光景がよみがえる。苦しかった夜も快楽に溺れた夜も、全ての夜の出来事が。
「……あ、あ、あぁ……っ!!」
なんだ。俺はとうに壊されていた。いや、落とされていた。
だから、欲しくて欲しくて、たまらなかったのだ。
ようやく、納得した。泰樹は安心して、うっとりとした笑みを浮かべる。
「参りましょう、タイキ様。イリス様も、アルダー様も、シャルも。みんな貴方のお帰りをお待ちしているのですよ」
「ああ。俺も、みんなに会いたい。でも、その前に。シーモス。俺のケツ、ハメてくんないかなぁ。今、ここで良いからぁ……」
甘く蕩けきった声で、泰樹はねだる。その唇はせわしなく、白い息を吐き出して震えている。にっこりと、シーモスは笑った。
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