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第一章 少年時代
第5話 出会い
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サンキニの村は静かだった。
斥候として、村に向かったテッドが帰ってきてそう告げた。雄叫びを上げ、本隊が雪崩を打って村に迫る。
確かに、村は静かだった。窓という窓の鎧戸は閉められ、戸口からは明かりも見えない。
砂金によって財を築いた村の家は、近隣の村々と比べてしっかりした作りになっている。収穫も期待できそうだ。
村の中心、市場が立つ広場を横切り、手始めにその奥の村長宅を目指す。
怒濤のように盗賊たちが迫る。大通りのどん詰まりに位置する村長宅は、他の家々よりもひときわ立派な造りだ。
近づくにつれて。その家の玄関に、ぽつんと誰かが佇んでいるのが見えた。
暗い灰色のフード付きマント。フードを目深にかぶっているその人影は、シルエットからすれば女性だ。
「おんなだぁっ!」
お調子者が飛び出した。次の瞬間。彼は何か見えない壁のようなものに阻まれる。それが彼の体をからめ取り、馬ごと静止させる。
「……愚かなこと」
小さな呟き。それは、盗賊たちの驚きにかき消される。
「法士だっ!」
「法士を雇いやがったんだっ!」
地上の国には王がいる。王がいて大臣がいて将軍がいて、彼らが国を動かしている。
天には天の王がいる。天の理を司る数々の王が。
かつては人の間にあって有徳の士であった者が、遠い昔天に召し上げられて王になったと伝説はいう。地上の人々はそれを神王、もしくは天王と呼ぶ。
法士は正式名称を天法士と言い、一時、天王の法を操ることを許されて、奇跡を起こす。
火炎を操り、水流を操り、木気を操り、雷鳴を操り、金器を操り、地脈を操る。
特別に選ばれた人々で、人々の畏怖と尊敬を集めた。
法士はフードを脱いだ。そこから現れたのは小柄な顔。白い雪のような髪。かつては涼しげに流れていたであろう目許。皺の寄った唇はわずかに薄く、意志の強さを感じさせる形。
頬はこけ、目許にも口もとにも年輪を重ねて、ただその瞳の鋭い輝きだけは往年といささかの変わりもなく。老法士はかつての美貌を忍ばせる、艶然とした笑みを浮かべる。
「……法士といえども相手はばばあ一人だっ! びびるんじゃねえっ!」
頭の一喝で、手下は我に返る。雄叫びをあげて、盗賊たちが老法士に殺到する。
彼女は涼しげな表情でそれを見ている。
さっと、か細い枝のような腕が振られる。
それを合図に。今まで明かりも見えなかった民家の屋根に、法士の術で隠されていた大勢の人々が現れた。それぞれに礫を、農具を、油壺を、弓を手にして。
「放てっ!」
稟と一号。老法士の声が響き渡る。村人は一斉に、得物を盗賊に向かって投げつけた。口々に盗賊たちを呪う雄叫びをあげて。
同時に、老法士はもう一方の腕をふるって、大きな火球を次々と放つ。
弓に貫かれて、どっと倒れ込むもの。火球に巻き込まれて、火だるまになるもの。
盗賊たちの阿鼻叫喚。ヴァーミリオン・サンズは、すっかり浮き足立った。
盗賊団の襲撃は予期されていた。罠にかかったのだ。
三分の一ほどは餌食になった。反撃しようにも弓の用意は少なく、屋根の上の村人たちには届かない。その上守護の術がかけられているらしき村人たちには、矢もろくろく当たらなかった。
一番はじめに敗走したのは誰だったか。一人が逃げ出せば後は芋づる式だ。
先を争って逃げ出す盗賊たち。それを、地上に隠れていた村人の中でも、若く活きのいい連中が追撃する。
どうしてこんなことになったのか。解らない。
気がついたときには縄目を受け、村人たちの前に引き出されていた。
大勢の人々の罵声。足が腕が飛んできて、散々に打ち据える。
痛みと、混乱。どうして。
「ぐぅっ……!」
背中への一撃で息が詰まる。
どうして。
ヴァーミリオン・サンズは、散り散りになって敗走した。
運の悪かったものは、村人によって捕らえられた。レーキもその一人だ。
レーキは隊の中程にいた。飛んでくる礫や矢羽根を辛くも打ち払い、炎におびえ暴れ出そうとする馬を必死になだめる。いっそ飛んでしまおうかと思った。飛んで逃げようかと。でも、それは裏切りだ。そんなこと出来ない。
耐えるしかない。
覚悟を決めたレーキの脇を、誰かがすり抜けた。振り向く間もなく次の誰かが。一度逃げると決めてしまえば、盗賊たちの動きは速い。
レーキは慌てて馬を返そうとしたが、逃げ出す仲間たちの勢いにそれもままならない。川の中州に取り残された子供のように、おろおろとするうち、村の若者たちが押し寄せてくる。
怖い。剣を抜く間もない。恐慌をきたして逃げ出した。本能で馬から飛び上がり、羽ばたく。飛び去ろうとした背に何かが引っかかる。鈎状の農具だ。それが皮鎧に付き刺さり、レーキを引きずり下ろす。
知らぬうちに叫んでいた。恐怖に喉は悲鳴をあげ続けた。
地に押さえつけられ、誰かが縄をもってきた。手足をばたつかせ、必死に抵抗する。羽が巻き上げた砂が、もうもうと埃になる。視界には人々の足ばかりが見える。興奮でうわずった勝利の声が聞こえた。
ああまた。同じだあの時と。レーキはひどい眩暈に歪む視界の中に、かつて見た風景を思い出していた。
祭りの日みたいな明かり。燃え盛る家々。沢山の死体。赤い痛みと嘲弄。
盗賊が村を襲った日。片目をなくして拾われたあの日。
あの時と同じ……
「おやめなさい」
捕虜たちに憎しみの矛先を向けて、蹴りつけていた村人たちに言ったのは老法士だった。
「彼らはもう動けない。処分が決まるまでは手出ししないでやりなさい」
しぶしぶ、村人たちは捕虜から身を引く。レーキは半ば朦朧として、老法士を見上げた。
口の中が鉄臭い。それが気持ち悪くて唾を吐き出すと、それはすっかり血の色だった。
「こいつっ!」
無礼に当たる行為に、足が飛んでくる。
「おやめ」
老法士の制止よりも一瞬早く、足はみぞおちの辺りを蹴りつけて、レーキは息を詰まらせた。
「よく見なさい! まだ子供だ!」
ガキだって賊には違いねえ。屑だ。村人の反駁に老法士は首を振る。
「子供は子供よ」
「……だから、何だっていうんだよ……」
乾いてひび割れかけた唇が言う。きつい一撃に返って意識がはっきりとした。
「ガキだから助けてくれなんて誰が言ったっ! 俺はもうガキじゃないっ!! 誰の勝手にもさせないっ!!」
早く、大人になりたかった。誰かの都合で、やりたくもないことをさせられるのはもうご免だった。自分で選んだのだと胸を張りたかった。ただそうしなければ、飯が食えない。寝る場所も着るものも与えられない。だから、ではなく。
人を殺したかった訳じゃない。誰かを虐げたかった訳じゃない。でも、誰かに認めてもらいたかった。一人前だと。お前は自由なのだと。
ようやく、ヴァーミリオン・サンズの一員になれるところだったのに。初めて認められるところだったのに。理不尽な憤りが湧いてくる。
「お前らは金でしこたま儲けてるんだろうがっ! だから狙われるんだっ! それが嫌なら慎ましく暮らしやがれっ!」
わめきちらし、レーキは懸命に縄から抜け出そうとする。村人がそれを押さえつける。
みんなみんな、許せない。俺の邪魔をする奴等はみんな。
「放せぇっ!! 放せよっ!! 畜生っっ!! お前らみんな呪われればいい! 魔獣に食われちまえばいいんだっ!!」
救いがたいガキだと、村人から怒りに満ちた声が上がる。
老法士はそれを制した。全ては執行官の裁きに委ねましょうと。
七人の捕虜は、別々に民家の納屋に引っ立てられる。
縛られたまま手荒く床に転がされて、レーキは自分が涙を流していることに、ようやく気がついた。
斥候として、村に向かったテッドが帰ってきてそう告げた。雄叫びを上げ、本隊が雪崩を打って村に迫る。
確かに、村は静かだった。窓という窓の鎧戸は閉められ、戸口からは明かりも見えない。
砂金によって財を築いた村の家は、近隣の村々と比べてしっかりした作りになっている。収穫も期待できそうだ。
村の中心、市場が立つ広場を横切り、手始めにその奥の村長宅を目指す。
怒濤のように盗賊たちが迫る。大通りのどん詰まりに位置する村長宅は、他の家々よりもひときわ立派な造りだ。
近づくにつれて。その家の玄関に、ぽつんと誰かが佇んでいるのが見えた。
暗い灰色のフード付きマント。フードを目深にかぶっているその人影は、シルエットからすれば女性だ。
「おんなだぁっ!」
お調子者が飛び出した。次の瞬間。彼は何か見えない壁のようなものに阻まれる。それが彼の体をからめ取り、馬ごと静止させる。
「……愚かなこと」
小さな呟き。それは、盗賊たちの驚きにかき消される。
「法士だっ!」
「法士を雇いやがったんだっ!」
地上の国には王がいる。王がいて大臣がいて将軍がいて、彼らが国を動かしている。
天には天の王がいる。天の理を司る数々の王が。
かつては人の間にあって有徳の士であった者が、遠い昔天に召し上げられて王になったと伝説はいう。地上の人々はそれを神王、もしくは天王と呼ぶ。
法士は正式名称を天法士と言い、一時、天王の法を操ることを許されて、奇跡を起こす。
火炎を操り、水流を操り、木気を操り、雷鳴を操り、金器を操り、地脈を操る。
特別に選ばれた人々で、人々の畏怖と尊敬を集めた。
法士はフードを脱いだ。そこから現れたのは小柄な顔。白い雪のような髪。かつては涼しげに流れていたであろう目許。皺の寄った唇はわずかに薄く、意志の強さを感じさせる形。
頬はこけ、目許にも口もとにも年輪を重ねて、ただその瞳の鋭い輝きだけは往年といささかの変わりもなく。老法士はかつての美貌を忍ばせる、艶然とした笑みを浮かべる。
「……法士といえども相手はばばあ一人だっ! びびるんじゃねえっ!」
頭の一喝で、手下は我に返る。雄叫びをあげて、盗賊たちが老法士に殺到する。
彼女は涼しげな表情でそれを見ている。
さっと、か細い枝のような腕が振られる。
それを合図に。今まで明かりも見えなかった民家の屋根に、法士の術で隠されていた大勢の人々が現れた。それぞれに礫を、農具を、油壺を、弓を手にして。
「放てっ!」
稟と一号。老法士の声が響き渡る。村人は一斉に、得物を盗賊に向かって投げつけた。口々に盗賊たちを呪う雄叫びをあげて。
同時に、老法士はもう一方の腕をふるって、大きな火球を次々と放つ。
弓に貫かれて、どっと倒れ込むもの。火球に巻き込まれて、火だるまになるもの。
盗賊たちの阿鼻叫喚。ヴァーミリオン・サンズは、すっかり浮き足立った。
盗賊団の襲撃は予期されていた。罠にかかったのだ。
三分の一ほどは餌食になった。反撃しようにも弓の用意は少なく、屋根の上の村人たちには届かない。その上守護の術がかけられているらしき村人たちには、矢もろくろく当たらなかった。
一番はじめに敗走したのは誰だったか。一人が逃げ出せば後は芋づる式だ。
先を争って逃げ出す盗賊たち。それを、地上に隠れていた村人の中でも、若く活きのいい連中が追撃する。
どうしてこんなことになったのか。解らない。
気がついたときには縄目を受け、村人たちの前に引き出されていた。
大勢の人々の罵声。足が腕が飛んできて、散々に打ち据える。
痛みと、混乱。どうして。
「ぐぅっ……!」
背中への一撃で息が詰まる。
どうして。
ヴァーミリオン・サンズは、散り散りになって敗走した。
運の悪かったものは、村人によって捕らえられた。レーキもその一人だ。
レーキは隊の中程にいた。飛んでくる礫や矢羽根を辛くも打ち払い、炎におびえ暴れ出そうとする馬を必死になだめる。いっそ飛んでしまおうかと思った。飛んで逃げようかと。でも、それは裏切りだ。そんなこと出来ない。
耐えるしかない。
覚悟を決めたレーキの脇を、誰かがすり抜けた。振り向く間もなく次の誰かが。一度逃げると決めてしまえば、盗賊たちの動きは速い。
レーキは慌てて馬を返そうとしたが、逃げ出す仲間たちの勢いにそれもままならない。川の中州に取り残された子供のように、おろおろとするうち、村の若者たちが押し寄せてくる。
怖い。剣を抜く間もない。恐慌をきたして逃げ出した。本能で馬から飛び上がり、羽ばたく。飛び去ろうとした背に何かが引っかかる。鈎状の農具だ。それが皮鎧に付き刺さり、レーキを引きずり下ろす。
知らぬうちに叫んでいた。恐怖に喉は悲鳴をあげ続けた。
地に押さえつけられ、誰かが縄をもってきた。手足をばたつかせ、必死に抵抗する。羽が巻き上げた砂が、もうもうと埃になる。視界には人々の足ばかりが見える。興奮でうわずった勝利の声が聞こえた。
ああまた。同じだあの時と。レーキはひどい眩暈に歪む視界の中に、かつて見た風景を思い出していた。
祭りの日みたいな明かり。燃え盛る家々。沢山の死体。赤い痛みと嘲弄。
盗賊が村を襲った日。片目をなくして拾われたあの日。
あの時と同じ……
「おやめなさい」
捕虜たちに憎しみの矛先を向けて、蹴りつけていた村人たちに言ったのは老法士だった。
「彼らはもう動けない。処分が決まるまでは手出ししないでやりなさい」
しぶしぶ、村人たちは捕虜から身を引く。レーキは半ば朦朧として、老法士を見上げた。
口の中が鉄臭い。それが気持ち悪くて唾を吐き出すと、それはすっかり血の色だった。
「こいつっ!」
無礼に当たる行為に、足が飛んでくる。
「おやめ」
老法士の制止よりも一瞬早く、足はみぞおちの辺りを蹴りつけて、レーキは息を詰まらせた。
「よく見なさい! まだ子供だ!」
ガキだって賊には違いねえ。屑だ。村人の反駁に老法士は首を振る。
「子供は子供よ」
「……だから、何だっていうんだよ……」
乾いてひび割れかけた唇が言う。きつい一撃に返って意識がはっきりとした。
「ガキだから助けてくれなんて誰が言ったっ! 俺はもうガキじゃないっ!! 誰の勝手にもさせないっ!!」
早く、大人になりたかった。誰かの都合で、やりたくもないことをさせられるのはもうご免だった。自分で選んだのだと胸を張りたかった。ただそうしなければ、飯が食えない。寝る場所も着るものも与えられない。だから、ではなく。
人を殺したかった訳じゃない。誰かを虐げたかった訳じゃない。でも、誰かに認めてもらいたかった。一人前だと。お前は自由なのだと。
ようやく、ヴァーミリオン・サンズの一員になれるところだったのに。初めて認められるところだったのに。理不尽な憤りが湧いてくる。
「お前らは金でしこたま儲けてるんだろうがっ! だから狙われるんだっ! それが嫌なら慎ましく暮らしやがれっ!」
わめきちらし、レーキは懸命に縄から抜け出そうとする。村人がそれを押さえつける。
みんなみんな、許せない。俺の邪魔をする奴等はみんな。
「放せぇっ!! 放せよっ!! 畜生っっ!! お前らみんな呪われればいい! 魔獣に食われちまえばいいんだっ!!」
救いがたいガキだと、村人から怒りに満ちた声が上がる。
老法士はそれを制した。全ては執行官の裁きに委ねましょうと。
七人の捕虜は、別々に民家の納屋に引っ立てられる。
縛られたまま手荒く床に転がされて、レーキは自分が涙を流していることに、ようやく気がついた。
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