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天法院の三学年生

第30話 ルームメイトの正体

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「かつて、天法てんほうは魔法を手本として作られた。使用者を魔に落とすという性質を取り除いた代わりにその力はより限定的なモノとなった。……ただし。それでも天法は強大な力である事には違いないのだ」
セクールスの授業は続く。冷淡に見える教授は脅すでも無く、なだめるでも無く、ただ普段と変わらず事実だけを語る。
「貴様らは既に強大な力を手にしている。その事実を深く胸に刻め。そして強大な力には責任と代償が伴う事を知れ」
「……先生。責任は理解できます。では天法の代償とは一体何なのですか?」
 恐る恐る、核心を突く質問をグーミエが投げかける。その姿を一瞥いちべつしてセクールスは改めて前を向いた。
「それは、天分の減少だ。天分とは貴様らの生命力。生きるために必要な魂の力だ。天法は貴様らの生命力を呼び水にして行使する奇跡だ」
「そんな……では天法士は天法を使う度命を削られていると言う事ですか……!?」
 突きつけられた事実の重さに、驚愕したレーキが、思わず悲鳴じみて叫んだ。
 確かに実習の授業を行った後、疲労を感じる事は多かった。だが、まさか己の命を削って術を使っていたとは。それに、そんなに大切な事を今まで黙っていたなんて!
「……安心しろ、現在多くの天法士が使う事を許されている術の天分減少率は微々たるモノだ。休息を取れば十分に回復する程度のな。貴様らの寿命を脅かすほどの量では無い。……だが、そこで『法術』に記された三つ目の『禁忌』を参照しろ。そこにはなんと?」
「……『強大過ぎる術故に伝承する事を禁じられた術』と、あります。先生」
 レーキは、帳面に書き付けた三つ目の『禁忌』を読み上げる。使用者の命を削るほどに強力な術。それ故に現在では『禁忌』とされている。と言う事なのだろうか?
「それは読んで字の如く。強大である故に使用者の天分を大量に消費……つまり生命力を大量に削ってようやく発動を許された術だ」
 レーキの推測は正しかった。だが安らぎや喜びなどは感じない。ただただ、天法が天分を──すなわち命を──削って使うものであるという事実に打ちのめされていた。セクールスは、そんなレーキを置き去りにして授業を続ける。
「……では何故そんな危険な術が存在するのか? かつて人と魔のモノとの間に三度の争いがあった。それを『魔竜戦争』という。いまから千年以上も前のことだ。その頃には天法士の命をすり減らして行使する術にも需要はあったようだが、魔のモノの多くが粛正され、残ったモノも『呪われた島』に封印された現在においては無用の長物として『禁忌』と化した。よってその法術をこの教室で教授する事は無い。安堵したか?」
 生徒たちの間に漂っていた緊張が、わずかに弛緩する。『禁忌』とは過去のもの。自分たちとは関わりの無いもの。そんな風に思っているのかも知れなかった。
 レーキはそんな風に暢気のんきに考えられない。彼は思わず懸念を問うた。
「……先生。では、『呼び戻しの法』のような多人数で儀式を行って発動する術の場合、天分を使用する者とは一体誰になるのですか?」
「それは儀式に参加した者全員だ。困難な術故、多くの天法士で術の確度を上げ、大きな代償を分け合うのだ。だが、主祭を務めるものが最も多く天分を使う事になるだろう」
「……」
 師匠が死んだ日、発動できた事自体が奇跡だった。あの『呼び戻し』で俺はどれだけの天分を、自分の命を、削ってしまったのだろう?
 改めて自分の愚かさの代償に、レーキは震えた。恐ろしくて、背を伝う冷たい汗が止まらない。
「先生! 我々が『禁忌』の術を知らされないなら、魔人に遭遇した時は一体どうやって戦えば良いのですか?」
 威勢よく質問したのは、シアンだった。魔人と戦う。シアンには英雄願望でもあるのだろうか。それとも年齢相応な、少年の無鉄砲なのだろうか。
「……ふん。魔人はたった一人の天法士が立ち向かえる相手ではない。逃げろ。……逃げ切れるものならば、だが。……ああ、こちらが多人数ならばあるいは勝ち目はあるかもしれんな」
 師匠が、生前語ってくれた事を思い出す。魔人をたった一人倒すために、天法院を首席で卒業するほどの天法士と、後に天法院の実質的院長になるほどの天法士、それに戦士と剣士が四人ががりでようやく成しげた。それも大きな犠牲を払っての事だ。魔人に立ち向かう事はそれだけ困難であると。
「逃げろだなんて! カーマインの家名に傷がつきます!」
 セクールスのあざ笑うような態度に、尊大に返したシアンが酷く場違いに見える。彼には現実というものが見えていない。彼は脅威でも敵でも無い。愚かで、浅はかな、十七歳のちっぽけな少年だ。
 ああ。微かに眩暈めまいが、する。セクールスが授業を続ける声は聞こえているのに、内容がちっとも頭の中に入ってこない。
 静かにレーキは息を吐いて、己の腕を抱くように両手で二の腕を掴んだ。天法を使うこと、憧れだったことがこんなに恐ろしく感じるなんて。
 止めようとするのに、体の震えがいつまでも止まらなかった。


 授業が終わって、どうやって寮に帰り着いたのか覚えていない。
 気がつけば、レーキは部屋の戸の前に立っていた。部屋の中からは人の気配がする。
 ああ、やっと。帰り着いた。三年もの間、我が家のように暮らしてきた部屋。アガートが、ズィルバーが、何時も誰かが居てくれる、この部屋。
 安堵から、部屋の戸を叩くと言う最低限の配慮も忘れて、レーキはふらふらと扉を開く。
 その瞬間、誰かと目が合った。白銀にも似た美しく光る体色。天を向いて二股に伸びた角。一対の牙と人間のモノとは違う口元。手袋を外した指先には鋭い鉤爪が、大きな緑色の複眼がこちらをじっと見ている。
 何に似ているかと問われれば、子供の頃村をぐるりと囲む森で見た甲虫によく似ている。黒いローブを脱ぎかけた巨大な二足歩行をする甲虫、としか形容できない、“ソレ”は驚きに硬直したレーキを見つめて、叫んだ。
「……あああああぁぁァァァ!!!!」
「……?!」
 その叫び声で、レーキは正気に返る。その声は、確かに新入生ズィルバーのモノだった。慌てて扉を閉めて謝罪の言葉を口にしたが、ズィルバーの返事は無い。
「……すまない。着替え中だったんだな……」
 ズィルバーは、慌てて着替えを済ませているのだろう。バタバタと部屋の中で気配が動く。
「本当にすまない。……着替えが終わったら扉を開けてくれ」
 それだけ言って、レーキはずるずると扉の脇に座り込んだ。授業中から感じていた悪寒が今やはっきりと明らかになっている。ねばついた汗が背をう。精神的な衝撃が肉体にまで影響してきたのか。それとも、今になってがむしゃらに授業と課題と仕事に打ち込んできた疲労が、どっと出てしまったのか。眩暈がする。寮の廊下がぐらぐら揺れている。
 ──ああ、このまま眠ってしまいたい。何もかもを忘れて、このまま……。
 そんな事を考え始めて、目を閉じようとしたレーキの頭上から声が降ってくる。
「……レーキ、サン……」
 顔を上げると、いつも通りきっちりと服を着込んで、マフラーをぐるぐると巻いたズィルバーが扉の隙間からこちらを見ていた。
「……本当に……ごめん……」
 這うように部屋の中に入ろうとするレーキの顔を覗き込んで、ズィルバーは慌てて肩を貸してくれた。
「顔色が……とても悪いますデス……!」
「……すこし、色々と驚きすぎた、みたいだ……」
 アガートのように、おどけて苦笑交じりに言おうとするが、上手くいかない。
 どうにかベッドにたどり着き、ブーツを脱ぐ間も惜しんで横たわる。次第に頭痛がきざしてくる。熱が出てきたのか、水の中を泳いでいる時のように手足が重い。
「……君は、蟲人ちゅうじん、なんだな……?」
 蟲人。インセクトゥム=ウェルミス。体に昆虫の特徴を持った亜人種。大半がニクスに住み、人によっては四本腕や六本腕を持ち、手先が大変器用で鍛冶や彫金など職人仕事に長けているという。
 そう言えば、ズィルバーはニクスの出身だと言っていたっけ。周りには職人になる者が多いとも。
「……そうますデス……小生は蟲人、デス……」
 消え入りそうなほど、小さな声でズィルバーは肯定する。これで納得した。執拗に膚を隠したがるのは、亜人の中でも特異な光沢のある銀色を隠すため。昆虫の特徴を持った顔や手足を隠すため。
「……急に戸を開けたりして……本当にすまなかった……」
「いえ、いえ! ここは小生だけの部屋ではないますデス。そのうちレーキサンには言わなくちゃいけない事だった、デス」
 蟲人だとレーキに知られた事で、いっそ気持ちが吹っ切れたのか、ズィルバーは首を振る。
「小生は……怖い、デスか? 気持ちが悪い、マスか?」
 改めて、おそるおそる発せられた問いをレーキはゆっくりと否定する。
「……いや……蟲人を初めて見て……驚きはしたが……君を怖いとは……思えない……」
 そうだ。本当に怖いものは他にある。魔人、魔獣、野の獣、死霊、人々の悪意。そして死そのもの。
 ──俺は死にたくない。ここで死にたくない。まだ、死ねない。
 ズィルバーは、レーキの返答にはっと息をのむ。相変わらず顔は見えないが、その肩から力が抜けているようだった。
「……! ありがと、マス!!」
「……すまない……俺はもう、酷く疲れて……限界なんだ……ちょっと、眠らせて……」
 それだけを口に出すのが精一杯で。そこでレーキの意識は、ふつりと途切れた。



 初秋の森を歩く。
 既に森の木々は色づいた葉を落として、真新しい落ち葉は踏みしめる度に、さくさくと乾いた音を立てた。
 枯れ葉の間から驚いて出てくる虫たちが、裸足の上を這い回ってむず痒い。
 見覚えがあるようで、知らない森の道をトボトボと、自分は一体何処へ向かっているのだろう。
 森の向こうはほのかに明るい。あれは赤の色。炎の色。祭りの色。
 ああ、俺は……村に、あの山奥の村に帰っているんだ。
 俺は、薪をって帰らなければならない。それが養母の言いつけだから。暗くなる前に薪小屋をいっぱいにしなくては、今日も飯を食わせて貰えない。
 途端に手足が重くなる。足を踏み出す度に深く落ち葉の奥に沈み込む。それでも体は勝手に前へ進もうとしている。
 俺は、帰らなきゃいけない。飯時は戦争だから。じいさん一人じゃ手が回らない。みんなが──砦のみんなが──飯が出来るのを待っているから。
 はやく、帰らなきゃ。そう思っているのに。足は落ち葉の積もった地面にめり込んで、とうとう膝上まで埋もれてしまう。
 ああ早く。心だけは急いている。そんな自分の隣を誰かが通り抜けた。
 振り向けば、自分の隣をじいさんが歩いている。ああ、こんな所に居たのか。なあ、じいさん、今日の献立はどうしたら良いと思う?
 そう問いかけたはずなのに。声が出ない。じいさんは、よたよたとした足取りで森の向こうの村を目指して歩いて行く。
 よくよく目をこらせば。じいさんの隣をかしらが、その隣をテッドが、みんながこちらを見る事も無く、枯れ葉を踏んで森の向こう目指して歩いていた。
 ──待って! 待ってくれ! 俺も行かなくちゃ! あそこに行かなくちゃ!
 そう思うのに。既にももの上まで足が枯れ葉に埋まってしまって、歩き出す事が出来ない。
 次第、陽はかげって森の中は暗く、森の奥にはさらに沢山の人々が、一斉に森の奥を目指して歩いている事に気がついた。
 そこに見知った顔の数々。ラエティア、その家族たち、森の村の人々、学院で出会った人々、この国で出会った人々、師匠は一人、もう随分前を歩いている。みんな真っ直ぐに森の奥を目指して。
 ああ。悟ってしまった。この森の先にあるのは村なんかじゃ無い。そこにあるのは。
 ──待って! みんな! 駄目だ! この先に行っては駄目だ!
 押し止めようとするのに。もがけばもがくほど、自分は一人土に埋まって取り残されて行く。
 ──嫌だ! 待って! 俺を置いていかないで!
 無我夢中で、隣を通りかかった誰かの足を掴んだ。もう、体は胸元まで土に埋まっている。身動きが取れない。
「……大丈夫。誰も君を一人置いて行きはしないよ」
 そう言って、捕まれた足を見下ろしているのは良く見知った顔。師匠のようでも有り、じいさんのようでも有り、ラエティアのようでもアガートのようでもある、その顔がふっと微笑んだ。
「……目が、覚めたかい?」
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