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第四章 空白時代
第56話 『ソトビト』の眼
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「イリスさん。俺の羽を治してくれるようにシーモスさんにお願いしていただけますか?」
翌日、一人で部屋にやってきたイリスに、レーキは頼み込んだ。一晩考えて出した結論。それは、脱出を優先させるために行動すると言うことだった。
「うん。もちろん、いいよ! え、と、それから僕のことはイリスと呼んで。言いそびれてたけど、言葉もそんなに丁寧でなくて良いからね」
照れ笑いを浮かべるイリスに、レーキはぎこちなく微笑み返した。
「……解った。出来るだけ砕けた言葉を遣うように心がける。俺もただレーキと」
「うん。ありがとう!」
さいわい、イリスは自分に友好的だ。彼の気が変わらぬように、細心の注意を払わねば。
「イリスさん、いや、イリス。この島は空を飛んでいるんだよな。それには決まった航路でも有るのか?」
「うーん。一応決まっているみたいだよ。僕は魔法士じゃないから、航路の決定に関わってないんだ。でも、どうしてそんな事が知りたいの?」
イリスは小首をかしげる。レーキは好奇心から訊ねたと前置きして、続ける。
「この島はかなり大きいが、『ソト』で空飛ぶ島を実際見たと言う噂を聞いたことはないんだ。だから、いつもはどんな所を飛んでいるのか少し気になった」
「そっか。……この島はね、海の上ばかり飛んでいるよ。この島のことを『ソト』の人たちに知られると、ここにやってくる人が大勢出るかもしれないし……『方舟』の中の人たちに陸の街を見せる訳には行かないから」
では、内陸にある街や村を『呪われた島』が襲う確率は低そうだ。心密かにレーキは安堵する。
「でもね、海の水を汲むときは、陸の近くの海にいくよ。それ以外の時はずっと大きな海の上かなあ」
「そうか。俺はその時に紛れ込んだのではないかとあなたは言っていたが、なぜ海水を汲むんだ?」
「この島は空に浮いてるから、水の補給が難しいんだ。だから、島と一緒に海を少し浮かせてあるの。普段はその海から塩を抜いて水を確保するんだよ。それと、普通の人たちが漁をするためにお魚も補給するの」
それが、港の先に見えた海の正体か。海を少しとイリスは言うが、見えていた海には果てが見えなかった。この島は、一体どれだけの海を供にして飛んでいるのだろう。
この島が海水を汲むために、陸の近くに降りた時。その時が脱出の機会かもしれない。空を飛ぶことが出来れば、陸に向かうことも船を探すことも出来る。この島が頻繁に海水を汲んでくれれば良いのだが……
「ねえ、レーキ。君の羽が治って、空を飛べるようになったら、僕にも飛んでいる所をみせてね。残念だけど、この島には空を飛ぶ鳥やアーラ=ペンナの人たちはあんまりいないんだ」
イリスはキラキラと眸を輝かせて、レーキを見つめる。
「でも、空を飛ぶ時は結界に気をつけて。建物よりはずっと大きいけど、目には見えないモノだから。ぶつかったら危ないよ」
「ああ、忠告に感謝する。……それで、もし、結界にぶつかったらどうなるんだ?」
「そうだね。僕はぶつかったことがないからはっきりは言えないけど……見えない壁に跳ね返される感じみたいだよ」
「そうか」
イリスと他愛のないやりとりをする。あせりは禁物だが、一刻も早く情報が欲しかった。
この島には一握りの幻魔と彼らの下僕である魔人、それから大多数の普通の人々、そして彼らより立場の弱い奴隷たちが暮らしているらしい。
奴隷は罪を犯した者や、食うに困るほど困窮した者がなるようで、その多くが薄給で働かされているようだ。
「ところで、この首輪を外してくれないか?」
奴隷の話が出たことで切り出したレーキに、イリスはしょんぼりと表情を曇らせた。
「……それは、ダメ。その首輪があるとね、君がこの島のどこに居るかが解るんだ。それは他の幻魔にも外せない。もし、君が迷子になったり、さらわれたりした時のためにそれはしておいて、ね?」
「……さらわれたり、とあなたは言うが、『ソトビト』はそんなに必要とされているモノなのか?」
金も無ければ権力者でもない、自分ごときにそんな価値があるのか。レーキは半信半疑で訊ねる。それを、イリスはいつになく真剣な表情で見つめた。
「この島にいる人たちはね、新しい刺激に飢えてるの。『ソト』の世界が今どんな風になっているか、とか、そんな事が知りたくてたまらないの。そのためなら『ソトビト』……君にどんな事をしても良いって思ってる人もいる。君の意思とは関係なく魔法で頭の中を覗いて、君の体をばらばらにして、君の全てを記録しようなんて人もきっといる」
もしものコトであるのに。思い当たった可能性に怯えるように、イリスは自分の腕を抱いた。
──あなたは、なぜそうしないんだ? レーキの脳裏に問いがひらめく。
あなたも幻魔なんだろう?
魔法士がいれば、俺の頭の中を覗かせることも出来るのだろう?
あなたがそれをしない理由は、何なんだ?
レーキはぐるぐると、頭に浮かんだ問いを息と共に飲み込んだ。今はまだ、その問いを口に出すときではない。もっと、この幻魔の好意と信頼を得なければ。
「ごめんね。脅すつもりはないんだけど、お家の外に出る時は本当に気をつけて。慣れるまでは僕やシーモスといっしょに出かけてね」
「……解った。俺も危ない目には遭いたくない。気をつける」
レーキの言葉に、イリスは安堵したように破顔した。
「この島のことは今日はこれくらいにして。君の生まれた国のことを聞かせて欲しいな?」
イリスに促されるまま、レーキはグラナートの話をする。船で商売をする商人が多く居ること、山岳地帯には鳥人が多く住むこと、首都にはどんなものでも揃うと言う市場が有るらしいこと。レーキにとっては当たり前で、とるに足らないことに感じるあれこれに、イリスは喜びを隠せないように頷いた。
「……その国はこの島よりずっと大きいんだよね?」
「ああ。大陸の南はずっとグラナートが広がっている」
「すごいね! 海でも島でもない……陸がいっぱいあるなんて! 僕はこの島から出たことないから、知識では知っていてもね、実際に見たことはないの」
子供のように無邪気にはしゃぎながら、どこか寂しげなイリスの横顔。大きいとはいえ、ここは島だ。そんな環境から出たことがないと言う彼は、一体どうやって暮らしてきたのだろう。
どうして、彼のような人が幻魔になったのか。どうして、幻魔にもかかわらず自分に優しくしてくれるのか。
「……あなたは、どうして俺に親切にしてくれるんだ?」
この問いなら訊ねても良いだろう。疑問を口にしたレーキに、イリスは柔らかな笑みを向けた。
「それは……君が『ソトビト』だって言うのもあるし、珍しいアーラ=ペンナだって言うのもある、けど……一番はね、君の、その眼」
「眼?」
「君はあちこち傷ついて、ふらふらして、倒れてしまったけど、その一つしかない眼はまだ生きてた。生きたい、生きなきゃってキラキラしてた。だから……助けたい、助けなきゃって、そう、思ったの」
じっと、レーキの隻眼に注がれる視線。イリスの眸は茶の中に緑の斑が散った、美しい色だった。レーキがそれをのぞき返すと、イリスは驚いたように視線をそらせた。
「あ、あのね! お昼にはシーモスが来るから……君の羽のこと、頼んでおくね!」
イリスは慌てたように手を振って、立ち上がった。それから、嬉しそうな笑みを残して部屋を出て行った。
昼過ぎに、シーモスが用心棒だという黒い犬を伴ってやってきた。イリスはいない。彼一人だった。
「私の申し出をお受けになると、イリス様からお聞きいたしましたが」
黒い犬の頭をなれた手つきで撫でてやりながら、シーモスは切り出した。
「はい。俺がイリス、さん、にお願いしました。羽根が元通りにならなくても良い。より時間がかからない方法でお願いします」
「かしこまりました、承ります。……ああ、私相手に言葉を改めなくても結構でございますよ。レーキ様。私のこれは……癖、のようなモノでございますから」
シーモスは口先で笑う。相変わらず人を食ったような笑みだ。レーキは苛立ちを殺して唇を結んだ。
「……もちろん、どちらの方法も貴方が魔人となる危険性はございません。ご安心下さいませ」
「……あなたのその言葉は、信用出来るのか?」
レーキは、思わず言葉にトゲを含ませてしまう。この男は信頼出来ない。そう、本能が告げている。
「ふふふ。もし、私が貴方の魂を魔で侵してしまったら……イリス様は酷くお嘆きになるでしょう。それは私の本意ではございません。私はイリス様の庇護を受けております身の上ですから、あの方の望まぬ事は致しませんよ」
「……それが、あなたの本心で有ることを願う」
吐き捨てるようなレーキの呟きに、シーモスは皮肉げな笑みを深める。
「……以前、私は魔の王様以外に主を持たぬと申し上げましたね? それは自由で有ると同時に不安定でも有るのでございます。イリス様は有力な幻魔でいらっしゃるのに配下の魔人を持たぬお方。私は魔法を能くするとはいえ、後ろ盾となる主を持たぬ者。私たちは双方に利を得て盟友となったのでございますよ。ですから私はあの方を裏切るような真似は致しません」
きっぱりと、シーモスは言い切った。今はその言葉を信じるしかない。レーキは唇を噛んでから、静かに息を吐き出した。
「……解った。羽の事はあなたに任せる。だが、具体的にどうやって空を飛べるようにするんだ?」
「ふふふ。お任せくださいませ。……そうですね、まずは貴方の無事な羽と残った羽を計測致しましょう。それから型をお作りいたしまして魔装具をお作りいたします」
「魔、装具?」
聞き慣れない単語に、レーキは首を傾げた。
「貴方の羽の代わりに羽ばたいて空を飛ぶことを補佐する魔具でございます。義翼、とでも申しましょうか。魔具は人の生命力を糧として魔力を生み出します。その魔力は魔具の動力として使用されますので、使用される方の魂を侵すことはまずございません」
確かに、遺跡などで見つかる魔具を使用して魔人になった者がいると、聞いたことはない。だが、生命力を糧とする、なら魔具を使用する事はその分命を縮めることになるのではないか。
その疑問をシーモスにぶつけると、シーモスは微笑んで告げた。
「レーキ様お一人が空を飛ぶために、寿命を尽きさせるほどの魔力は必要ございません。ただ長時間にわたっての使用は酷く体力を消耗する、程度の事でございますよ」
「……なるほど。その方法なら、どれほどの期間で空を飛べるようになるんだ?」
生命力を──天分を消耗する、と言う点では魔具も法具もそう変わらないようだ。となれば、一番の問題は、時間。出来るだけ早く飛べるようになりたい。
「魔装具の設計に半年、実際の制作に半年から一年弱、と言ったところでございましょうか」
「……もし、羽を元の形に戻す方法をとったら、どれほどの時間が?」
「もう一つの方法は、貴方様の治癒力を魔法で活性化いたしまして、再び羽が生えて参りますのを待つと言うモノでございます。そちらは足かけで三年近くかかると見ていただければ」
三年。羽が元に戻っても、今から三年も待っては居られない。ではやはり、選ぶべき方法は。
「解った。では、やはり魔装具をつくる方法でお願いしたい」
「かしこまりました。……ふふふ。腕が鳴りますねえ。アーラ=ペンナの羽を造る、とは、私も初めてでございます。個人的にもとても楽しみでございますね」
「……初めて?」
いぶかしげなレーキの問いに、シーモスは涼やかに声を上げて笑った。
「ふふふ。……ええ。魔装具を造ることには馴れておりますが、羽を造ることは初めてでございます」
翌日、一人で部屋にやってきたイリスに、レーキは頼み込んだ。一晩考えて出した結論。それは、脱出を優先させるために行動すると言うことだった。
「うん。もちろん、いいよ! え、と、それから僕のことはイリスと呼んで。言いそびれてたけど、言葉もそんなに丁寧でなくて良いからね」
照れ笑いを浮かべるイリスに、レーキはぎこちなく微笑み返した。
「……解った。出来るだけ砕けた言葉を遣うように心がける。俺もただレーキと」
「うん。ありがとう!」
さいわい、イリスは自分に友好的だ。彼の気が変わらぬように、細心の注意を払わねば。
「イリスさん、いや、イリス。この島は空を飛んでいるんだよな。それには決まった航路でも有るのか?」
「うーん。一応決まっているみたいだよ。僕は魔法士じゃないから、航路の決定に関わってないんだ。でも、どうしてそんな事が知りたいの?」
イリスは小首をかしげる。レーキは好奇心から訊ねたと前置きして、続ける。
「この島はかなり大きいが、『ソト』で空飛ぶ島を実際見たと言う噂を聞いたことはないんだ。だから、いつもはどんな所を飛んでいるのか少し気になった」
「そっか。……この島はね、海の上ばかり飛んでいるよ。この島のことを『ソト』の人たちに知られると、ここにやってくる人が大勢出るかもしれないし……『方舟』の中の人たちに陸の街を見せる訳には行かないから」
では、内陸にある街や村を『呪われた島』が襲う確率は低そうだ。心密かにレーキは安堵する。
「でもね、海の水を汲むときは、陸の近くの海にいくよ。それ以外の時はずっと大きな海の上かなあ」
「そうか。俺はその時に紛れ込んだのではないかとあなたは言っていたが、なぜ海水を汲むんだ?」
「この島は空に浮いてるから、水の補給が難しいんだ。だから、島と一緒に海を少し浮かせてあるの。普段はその海から塩を抜いて水を確保するんだよ。それと、普通の人たちが漁をするためにお魚も補給するの」
それが、港の先に見えた海の正体か。海を少しとイリスは言うが、見えていた海には果てが見えなかった。この島は、一体どれだけの海を供にして飛んでいるのだろう。
この島が海水を汲むために、陸の近くに降りた時。その時が脱出の機会かもしれない。空を飛ぶことが出来れば、陸に向かうことも船を探すことも出来る。この島が頻繁に海水を汲んでくれれば良いのだが……
「ねえ、レーキ。君の羽が治って、空を飛べるようになったら、僕にも飛んでいる所をみせてね。残念だけど、この島には空を飛ぶ鳥やアーラ=ペンナの人たちはあんまりいないんだ」
イリスはキラキラと眸を輝かせて、レーキを見つめる。
「でも、空を飛ぶ時は結界に気をつけて。建物よりはずっと大きいけど、目には見えないモノだから。ぶつかったら危ないよ」
「ああ、忠告に感謝する。……それで、もし、結界にぶつかったらどうなるんだ?」
「そうだね。僕はぶつかったことがないからはっきりは言えないけど……見えない壁に跳ね返される感じみたいだよ」
「そうか」
イリスと他愛のないやりとりをする。あせりは禁物だが、一刻も早く情報が欲しかった。
この島には一握りの幻魔と彼らの下僕である魔人、それから大多数の普通の人々、そして彼らより立場の弱い奴隷たちが暮らしているらしい。
奴隷は罪を犯した者や、食うに困るほど困窮した者がなるようで、その多くが薄給で働かされているようだ。
「ところで、この首輪を外してくれないか?」
奴隷の話が出たことで切り出したレーキに、イリスはしょんぼりと表情を曇らせた。
「……それは、ダメ。その首輪があるとね、君がこの島のどこに居るかが解るんだ。それは他の幻魔にも外せない。もし、君が迷子になったり、さらわれたりした時のためにそれはしておいて、ね?」
「……さらわれたり、とあなたは言うが、『ソトビト』はそんなに必要とされているモノなのか?」
金も無ければ権力者でもない、自分ごときにそんな価値があるのか。レーキは半信半疑で訊ねる。それを、イリスはいつになく真剣な表情で見つめた。
「この島にいる人たちはね、新しい刺激に飢えてるの。『ソト』の世界が今どんな風になっているか、とか、そんな事が知りたくてたまらないの。そのためなら『ソトビト』……君にどんな事をしても良いって思ってる人もいる。君の意思とは関係なく魔法で頭の中を覗いて、君の体をばらばらにして、君の全てを記録しようなんて人もきっといる」
もしものコトであるのに。思い当たった可能性に怯えるように、イリスは自分の腕を抱いた。
──あなたは、なぜそうしないんだ? レーキの脳裏に問いがひらめく。
あなたも幻魔なんだろう?
魔法士がいれば、俺の頭の中を覗かせることも出来るのだろう?
あなたがそれをしない理由は、何なんだ?
レーキはぐるぐると、頭に浮かんだ問いを息と共に飲み込んだ。今はまだ、その問いを口に出すときではない。もっと、この幻魔の好意と信頼を得なければ。
「ごめんね。脅すつもりはないんだけど、お家の外に出る時は本当に気をつけて。慣れるまでは僕やシーモスといっしょに出かけてね」
「……解った。俺も危ない目には遭いたくない。気をつける」
レーキの言葉に、イリスは安堵したように破顔した。
「この島のことは今日はこれくらいにして。君の生まれた国のことを聞かせて欲しいな?」
イリスに促されるまま、レーキはグラナートの話をする。船で商売をする商人が多く居ること、山岳地帯には鳥人が多く住むこと、首都にはどんなものでも揃うと言う市場が有るらしいこと。レーキにとっては当たり前で、とるに足らないことに感じるあれこれに、イリスは喜びを隠せないように頷いた。
「……その国はこの島よりずっと大きいんだよね?」
「ああ。大陸の南はずっとグラナートが広がっている」
「すごいね! 海でも島でもない……陸がいっぱいあるなんて! 僕はこの島から出たことないから、知識では知っていてもね、実際に見たことはないの」
子供のように無邪気にはしゃぎながら、どこか寂しげなイリスの横顔。大きいとはいえ、ここは島だ。そんな環境から出たことがないと言う彼は、一体どうやって暮らしてきたのだろう。
どうして、彼のような人が幻魔になったのか。どうして、幻魔にもかかわらず自分に優しくしてくれるのか。
「……あなたは、どうして俺に親切にしてくれるんだ?」
この問いなら訊ねても良いだろう。疑問を口にしたレーキに、イリスは柔らかな笑みを向けた。
「それは……君が『ソトビト』だって言うのもあるし、珍しいアーラ=ペンナだって言うのもある、けど……一番はね、君の、その眼」
「眼?」
「君はあちこち傷ついて、ふらふらして、倒れてしまったけど、その一つしかない眼はまだ生きてた。生きたい、生きなきゃってキラキラしてた。だから……助けたい、助けなきゃって、そう、思ったの」
じっと、レーキの隻眼に注がれる視線。イリスの眸は茶の中に緑の斑が散った、美しい色だった。レーキがそれをのぞき返すと、イリスは驚いたように視線をそらせた。
「あ、あのね! お昼にはシーモスが来るから……君の羽のこと、頼んでおくね!」
イリスは慌てたように手を振って、立ち上がった。それから、嬉しそうな笑みを残して部屋を出て行った。
昼過ぎに、シーモスが用心棒だという黒い犬を伴ってやってきた。イリスはいない。彼一人だった。
「私の申し出をお受けになると、イリス様からお聞きいたしましたが」
黒い犬の頭をなれた手つきで撫でてやりながら、シーモスは切り出した。
「はい。俺がイリス、さん、にお願いしました。羽根が元通りにならなくても良い。より時間がかからない方法でお願いします」
「かしこまりました、承ります。……ああ、私相手に言葉を改めなくても結構でございますよ。レーキ様。私のこれは……癖、のようなモノでございますから」
シーモスは口先で笑う。相変わらず人を食ったような笑みだ。レーキは苛立ちを殺して唇を結んだ。
「……もちろん、どちらの方法も貴方が魔人となる危険性はございません。ご安心下さいませ」
「……あなたのその言葉は、信用出来るのか?」
レーキは、思わず言葉にトゲを含ませてしまう。この男は信頼出来ない。そう、本能が告げている。
「ふふふ。もし、私が貴方の魂を魔で侵してしまったら……イリス様は酷くお嘆きになるでしょう。それは私の本意ではございません。私はイリス様の庇護を受けております身の上ですから、あの方の望まぬ事は致しませんよ」
「……それが、あなたの本心で有ることを願う」
吐き捨てるようなレーキの呟きに、シーモスは皮肉げな笑みを深める。
「……以前、私は魔の王様以外に主を持たぬと申し上げましたね? それは自由で有ると同時に不安定でも有るのでございます。イリス様は有力な幻魔でいらっしゃるのに配下の魔人を持たぬお方。私は魔法を能くするとはいえ、後ろ盾となる主を持たぬ者。私たちは双方に利を得て盟友となったのでございますよ。ですから私はあの方を裏切るような真似は致しません」
きっぱりと、シーモスは言い切った。今はその言葉を信じるしかない。レーキは唇を噛んでから、静かに息を吐き出した。
「……解った。羽の事はあなたに任せる。だが、具体的にどうやって空を飛べるようにするんだ?」
「ふふふ。お任せくださいませ。……そうですね、まずは貴方の無事な羽と残った羽を計測致しましょう。それから型をお作りいたしまして魔装具をお作りいたします」
「魔、装具?」
聞き慣れない単語に、レーキは首を傾げた。
「貴方の羽の代わりに羽ばたいて空を飛ぶことを補佐する魔具でございます。義翼、とでも申しましょうか。魔具は人の生命力を糧として魔力を生み出します。その魔力は魔具の動力として使用されますので、使用される方の魂を侵すことはまずございません」
確かに、遺跡などで見つかる魔具を使用して魔人になった者がいると、聞いたことはない。だが、生命力を糧とする、なら魔具を使用する事はその分命を縮めることになるのではないか。
その疑問をシーモスにぶつけると、シーモスは微笑んで告げた。
「レーキ様お一人が空を飛ぶために、寿命を尽きさせるほどの魔力は必要ございません。ただ長時間にわたっての使用は酷く体力を消耗する、程度の事でございますよ」
「……なるほど。その方法なら、どれほどの期間で空を飛べるようになるんだ?」
生命力を──天分を消耗する、と言う点では魔具も法具もそう変わらないようだ。となれば、一番の問題は、時間。出来るだけ早く飛べるようになりたい。
「魔装具の設計に半年、実際の制作に半年から一年弱、と言ったところでございましょうか」
「……もし、羽を元の形に戻す方法をとったら、どれほどの時間が?」
「もう一つの方法は、貴方様の治癒力を魔法で活性化いたしまして、再び羽が生えて参りますのを待つと言うモノでございます。そちらは足かけで三年近くかかると見ていただければ」
三年。羽が元に戻っても、今から三年も待っては居られない。ではやはり、選ぶべき方法は。
「解った。では、やはり魔装具をつくる方法でお願いしたい」
「かしこまりました。……ふふふ。腕が鳴りますねえ。アーラ=ペンナの羽を造る、とは、私も初めてでございます。個人的にもとても楽しみでございますね」
「……初めて?」
いぶかしげなレーキの問いに、シーモスは涼やかに声を上げて笑った。
「ふふふ。……ええ。魔装具を造ることには馴れておりますが、羽を造ることは初めてでございます」
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