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最終章

第85話 十年後の再会Ⅱ

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 食堂で、レーキは久々にアニル姉さんと再会した。
 昼飯時からは、少し時間がずれている。今食堂にいるのは、ゆっくりと食事をっている教職員たちがほとんどで、生徒たちはみな授業に出ていた。昼飯時の喧騒を乗り切っても、姉さんは相変わらず威勢がよく、溌剌はつらつとした表情で働いていた。
 子供を生み育てている間に、体格は少しふっくらしただろうか。だがキラキラと輝くひとみはレーキが学生だった頃と少しも変わらず、てきぱきと配膳をこなす仕草も少しも衰えてはいない。
「……よお! レーキじゃないか! あ、いけね! 今はもう天法士さまなんだっけ! こほん。……レーキさま。ずいぶんお久しぶりですね。お元気でした?」
「はい! 姉さんこそお元気そうで何よりです。……あの、さまはいらないです。なんだかくすぐったい、から。あ、こっちの二人は俺の家族です」
「あ、あの、はじめまして。妻のラエティアと言います!」
「こりゃこりゃ、ご丁寧に……アタシはここの料理人でアニルだよ! よろしくね!」
 アニル姉さんはラエティアとカァラを交互に見て、驚いたように眼を丸くした。
 姉さんは、レーキよりいくらか年上と言ったところだ。卒業生がこうして家族を連れて挨拶に来るなどと言うことは、まだあまり経験したことがないのだろう。
「……じゃあ、お言葉に甘えよう。アタシもなんだか変な感じだからね! へえーレーキが結婚したとは聞いてたけどね! こんな大きな娘がいるのか」
「はい。試験に受かれば来年からこちらでお世話になります」
「お父ちゃんだけじゃなく、お嬢ちゃんも天法士さまになるの?!」
「はい! カァラと言います! よろしくお願いします!」
 元気よく頭を下げるカァラを見つめて、アニル姉さんは歯を見せて笑う。
「おう! 任せときな! レーキの娘ならアタシにとっては姪っ子みたいなもんだ! それで? 今日は一家揃って昼飯?」
「はい。今日のおすすめは何ですか?」
 レーキが学生時代の頃と同じ様に問うと、姉さんは嬉しそうに目を細めた。
「今日はね、ヴァローナ風の鶏焼き定食だよ!」
「じゃあ、それで!」
 瞬く間にアニル姉さんは三人分の定食を用意する。それを受け取る頃に、アガートが遅れてやってきた。
「オレもいるよーアニル姉さんー」
「ああ、アガート先生か。あんたはいつも食堂だね。他の先生みたいに外の店なんかには行かないの?」
「外の食堂は高いし、当たり外れがあるから。ここなら安いしいつも美味いしねー」
「褒めてくれるのはありがたいけどさ、あんた教授で高給取りだろ? そんなにがっつり貯めてどうするのさ」
「んー。老後資金? かなー」
「そんな若い身空で老後のこと考えてどうするのさ!」
 姉さんは明るく笑って、アガートに定食を手渡す。アガートは四人分のトークンを支払って茫洋ぼうようと笑った。

 四人揃ってアニル姉さんおすすめの定食を食べ、レーキ一家は天法院を後にする。
『学究の館』に到着したら、ネリネの家を訪ねると彼女と手紙で約束している。その約束を果たして、今夜は彼女の家に厄介になる。
 ネリネに実際会うのは、やはり十年ぶりで。彼女の家にたどり着くまでにレーキは一度道を間違えた。
 つい先ほど、夕刻を告げる鐘が鳴った。もうじきこの付近の家も、茜色に染まることだろう。
 ネリネの家は、十年前と同じ場所にあった。閑静な住宅街のなか、周りと良く似た造りの都会的な家。
 その前でラエティアは緊張で身を固くし、カァラは懐かしそうに目を細めて瞬いた。
 レーキは一家を代表して、扉のノッカーを叩く。
「はーい! 今開けるー!」
「にーちゃん! おれが、おれがあける!」
 子供のような、二つの高い声が競い合って応答する。ばたばたと室内を走る音がして、開かれた扉の向こうには、小さな男の子とさらに小さな男の子が立っていた。
「……こんばんは。お母さんは?」
 ネリネに良く似た藍色の眸と、ウィルに良く似た黒い髪の少年たちは、レーキを見上げてじっと見つめる。
「……鳥人だ! 黒と銀の羽の鳥人が来たよ! 母ちゃん!!」
 少年は踵を返して、部屋の中に駆け込んでいく。その後をきゃーっと悲鳴のような声をあげながら、弟が追いかけていく。
「……え、あ、鳥人?! もう着いたのね! 久しぶり、レーキ!」
 小さな子供たちに押されるように、ネリネが顔を出す。眼鏡をかけてエプロンをつけた彼女は、笑い顔こそ十年前とほとんど変わらなかったが、長かった髪をばっさりと短く切り揃えていた。
「ああ、久しぶりだな」
「子供たち直接見るのは初めてでしょ? こっちの大きいのがウェスタリア、小さいのがウェントゥス。ウェスくんとウェンくんよ! ほら、ご挨拶!」
「ウェスタリア・レスタベリです! 七歳です!」
「ウェンくんです! さんさいです!」
「俺はレーキ・ヴァーミリオンだ。よろしく」
 こんな時のために練習しているのだろう。ネリネの子供たちは元気良く名乗りを上げた。
「……レーキおじさん、ホントに黒と銀の羽だ! 母ちゃんが言ってた通りだ……!」
「おおー! ぎんのはねかっちょいい!!」
 ネリネの子供たちは母親の客人を前にして、興奮を隠せない。
「ほらほら、こんな所じゃなんだから中に入って!」
 ネリネに促されて、レーキ一家は住宅の扉をくぐった。ネリネの家は相変わらず良く片づいていたが、一階の一室だけはひどく散らかっていた。おそらく、子供たちがそこを遊び場にしているのだろう。
「獣人さんがラエティアさんね? ……ってことは、あなた、カァラちゃん?!」
 レーキ一家を居間に案内して、ネリネは安楽椅子に陣取った。
 この居間は居心地がいい。レーキ一家は揃ってソファーに座り、ネリネの子供たちも思い思いに空いている椅子に腰掛けた。
「改めて。はじめまして、ラエティアさん。あたしはネリネ・フロレンス。考古学者……だけど今は育児休業中ってとこね。よろしく!」
「はじめまして、ネリネさん。わたし、ラエティア・アラルガントです。普段はパン屋さんで働いています。よろしくお願いします……」
 ネリネは鷹揚に、ラエティアはおずおずと。正反対の二人が、初めて挨拶を交わす。ネリネはぱちんと指を鳴らして、何事か得心かいったように頷いた。
「……んー。なんだかよく解ったわ。レーキが一生懸命、アスールに帰りたがったワケ。こんなかわいい人が待ってるんだもん。そりゃー帰らなくっちゃね!」
「あの……その……そんな……っ」
 面と向かって言われて、ラエティアは顔を真っ赤にしてしどろもどろになる。
 ネリネはにっと、楽しげな笑みを浮かべて見せた。ラエティアを揶揄からかっているのか、それとも本気なのか。判断が難しい。
「……そのくらいにしてやってくれ、ネリネ。ティア……ラエティアはその、恥ずかしがり屋なんだ」
「ふふふー! 二人とも仲が良くて、妬けちゃうわね!」
 やはりネリネは、レーキ夫婦を揶揄っているらしい。まったく人が悪い。
 レーキがため息をつくと、ネリネは改めてカァラに視線を転じ、まじまじと彼女を見つめた。
「それにしても、大きくなったね、カァラちゃん! 元気そうだし……しあわせそうね! すごく眼が生き生きしてる!」
「ありがとう、ネリネさん! うん。父さんと母さんがいてくれて、かわいい弟もいてね。私、今すごくしあわせ!」
 にこにこと笑うカァラに、ネリネが感慨深げな表情を向ける。
「……ねえ、レーキ。あなたのあの時の選択は絶対に間違いじゃなかったわ。あなたがこの子を引き取るって決めたのは」
「そう言って貰えると、俺も……嬉しい」
 控えめで、それでも誇らしげな笑みを浮かべるレーキに、ネリネは何度も頷いた。
「それにしても、年が明けたらカァラちゃんが天法院か……子供の成長って早いわね。よその家の子は特に」
「ああ、確かにな」
「自分の家の子は、ちょっと見ない内に大きくなってるなんてこと無いものねー。特にこの子たちは元気いいから。目が離せないし」
 その元気のいい兄弟は、今はまだ大人たちの会話を大人しく聞いている。
「そう言えば、その子たちの父親はどうしている?」
「ああ、ウィルなら元気よ! ギルドの依頼受けて出かけてる。今はあたしががっつり働けないから、その分頑張ってくれてるわ」
「レーキおじさん、父ちゃん明日帰ってくるよ!」
「かえってくるよ!」
 小さな兄弟は口々に叫ぶ。ウィルはこのちびすけたちに慕われているのだろう。小さな兄弟は二人とも、喜びで眸を輝かせていた。
「そうか。久しぶりにウィルにも会いたかったんだ」
「あら? アイツに何か用だったの?」
「いや。ただ顔を見て話がしたかった。それは、君も同じだ」
 ネリネはまじまじとレーキの顔を見た。そして、嬉しそうに顔をほころばせる。
「……そっか! あたしもよ。あなたたちに会いたかった!」
 眼鏡の奥でにっこりと笑い、ネリネはレーキ一家を見回して立ち上がる。
「今ね、丁度ご飯つくってたの。積もる話ってヤツはご飯の後にしましょ」
「俺も手伝おう」
「あ、あの、わたしも……」
 立ち上がりかけたレーキ夫妻を押しとどめて、ネリネは笑う。
「ううん。あなたたちは長旅で疲れてるでしょ? 今日くらいあたしに作らせて。ね? ……さあ、ウェスくんウェンくん。君たちは手伝ってくれ賜えよ?」
 ちびすけたちを連れて、ネリネは台所に向かって行進する。その後をカァラが着いていった。
「あら、カァラちゃんも大丈夫よ? ゆっくり休んでなさい」
「ううん。ネリネさん、私手伝いたい。最近お料理が出来るように練習してて……」
「うーん。それならね……」
 やがて、台所からは楽しげな声が漏れ聞こえてくる。レーキとラエティアが顔を見合わせて、台所に向かおうとすると、カァラがティーセットを手にして戻ってきた。
「『レーキたちはそれ飲んでて』だって。父さんと母さんはお茶飲んで休んでて?」
 機先を制されてしまった。レーキとラエティアはもう一度顔を見合わせて、笑いあった。
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