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しおりを挟むこのまま、ゆるりと芝居見物をするつもりはない。
駒次郎が宿へ向かって歩いていくのは確認済みだ。
彼がこちらに疑念を抱く様子はない。
俺の動向を見張るような素振りも見受けられなかった。
盤次郎が席を外した理由を、駒次郎も知っているはずなのだ。
道中、芝居を見学し終わったら、なんどきになるのかと尋ねた。
約一時間くらいと知ることができた。
盤次郎が離席したころ、さらに10分が経過したと思う。
それで午後2時05分。芝居小屋までさらに5分。
PLAY TIME 02:10:00
さて、彼よりも先に宿へ帰るとするか。
いくらか遅れて宿に彼が戻って来ても、遭遇しない自信はある。
この忍びの聴覚で聞き分けるのだ。足音もばっちりとインプットしてある。
もちろん、普通に帰るわけもない。
木の上、家屋の屋根の上を飛ぶが如く、風のように駆け抜けていく。
屋根の上から忍び入ってやるのさ。
蔵なんて大きいものはすぐ見つけられる。
問題は鍵の形状だ。
江戸で主流だったのは、鍵を差し込んで回して開ける錠前だ。
◇
足早に宿へ引き返した。
屋根瓦の上を忍び足で走り、蔵の場所を特定した。
上から見渡せば楽勝だった。
だが一度、天井裏に潜んで様子をみる。ほかのねずみが潜んでいないか。
ここで別の忍びや泥棒に出くわしたら大変だ。
何事も慎重に、念には念を入れよだ。
「よし。誰もいない」
いまは人が近づく気配はない。
ここに誰かが前もって潜んでいる様子もない。よく観察し、視認した。
そして宿屋の蔵の前に降り立った。
「案の定だな」
このタイプは合鍵を準備する必要がある。
この場で造るのは無理があるかな。
蔵だと言うのに、ひっそりと奥まった所にあるわけではなかった。
傍に見えている部屋は、奉公人の部屋のようだ。
奉公人たちが朝から体操でもしていそうな庭に面して蔵が建っている。
これにて夜間は関係者の目も、耳もあり、物騒な物音でもすれば眠気まなこの奉公人が起きて来そうだ。
それが何よりのセキュリティになると俺は思う。
警報機もカメラもない時代だからな。
それでも泥棒たちが素人でなければ、忍び足でバレる可能性は低い。
中庭のひらけた空間があたかもその錠前を見張るかのように広がっている。
ロウで型を取り、をここでやってる暇はなさそうだ。
それについては。
さきほど奉公人の部屋に忍び入り、畳の上に横たわり耳を澄ましてみた。
小鳥がさえずっていたので様子をうかがっていると、小さな枝をくわえ、飛び立とうとした。
さらに上空で鳶が甲高くさえずった。
小鳥がびくついて、くわえていた枝を落としたのだ。
枝が庭の土の上に落ちる際に小石にぶつかった。
そんなささやかな音でも、障子越しによく響いてきた。
わりと至近距離だ。
一人で部屋にいて窓を閉めていても、ベランダの物干しざおに鳩が止まってちょこちょこ移動すれば、カチャカチャという足音が室内にいても良く分かるんだ。
また、フンを床に落としても、ペシャンっと水滴が壁面に跳ねる音が聞けた。
もっとも泥棒は高い所からフンを落とさないけどね。
開錠するのにここで時間を掛ければ見つかるリスクは高くなる。
つまり鍵は事前に用意しなければ、ここの環境ではアウトだろうな。
忍びの聴覚は最近身についたものだし。
昔を思い起こせば、いくらでもそんな経験はある。
現代人より昔の人の方が文明の利器がない分、感覚は研ぎ澄まされているのではないかと。
夜間なら常人の耳でも異変に気づくことができるだろう。
なにせ蔵の傍だ。
蒸し暑い夏の夜に、雨戸まで閉めて眠るとも思えないし。
ところで鍵師の知り合いでもいるのか。
それとも、あいつらは裏家業でもとより手癖が悪いとか。
「はは…考えすぎか」
駒次郎と接した分には、そこまでの悪徳さは感じられなかった。
それに弱いふりをしていたとも思えない。
街道のときは、心底震えていた。涙も本物だった。
強いなら俺を巻き込む意味がわからない。
俺はたしかに人生の経験は浅いけど、あいつが極悪人で俺のことを何から何まで欺いているとは、到底思えないから。
それに蔵の鍵のことは見ればわかることだ。
ひと月もここに居たんだからな。
要するに、頼れる仲間が居ない証拠だと思うのだ。
どちらにしたって、もたもたし過ぎだ。
帰り道、宿の周辺も軽く捜索してみたが、お里らしき娘は見当たらない。
この宿を気にしながら、妙に顔を隠したり人目を避けたりする人物で年頃の娘を重点的に注視するようにしたけど該当者はとくに居なかった。
盤次郎がなにかを調べると言っていたが。
主人の部屋でも嗅ぎまわっているのだろうか。
鍵のありかを探るために。
鍵も本物を盗んだほうが確実だからな。
彼らの身の上を聞かされたから、根っからの悪人とまで言わないけど。
ぬすっとの手伝いを、人助けとするのはどうにも気が引ける。
「……採択したいが俺にも相談者がいない。迷ってる時間はねぇのにな」
いや、まだ彼らはぬすっとじゃない。
金策の目途が立たないけど、やめさせるべきだ。
運良く、誰にも見つからず大金を手に入れたとしても、後ろ暗い未来しか待ってはいない気がする。
もっとも、彼らとそこまでの付き合いをする予定も、時間も俺には残されていないから気にする所じゃないのかも知れないけど。
すっきりして終わりたいのだと、胸の奥で時代劇を見ていたころの俺が勇ましくささやくのだ。
出会いも別れも、涙で飾らせるなと。
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