Frail/Little Assassin

新田朝弥

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第2章/暗流潜行 approaching assassin

1-①/嵐の前の静謐

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  朝の神谷堂は、静かだった。

 昨夜の百鬼夜行が嘘のように、障子越しの光は柔らかく、風に揺れる埃さえ、昨日より穏やかに見える。
 人の流れは滑らかで、店の戸も次々と開いていく。
 誰一人、夜に“何か”が歩いたことなど覚えていない。

 私は、縁側に腰を下ろし、湯飲みを両手で包んでいた。

「……やっぱり、変ですよね」

 向かいに座る葉月が、ぽつりと言う。

「何が」

「この町」

 少し困ったように笑う。

「普通の町みたいなのに、普通じゃないことが、当たり前みたいに起きる」

 私は答えなかった。
 否定もしない。
 葉月は、それを肯定と受け取ったらしい。

「俺が神谷堂で働いてる理由も、まあ……その延長です」

 湯飲みの縁を指でなぞりながら、言葉を探す。

「もともと、俺……霊、寄せちゃう体質で」

「……」

「最初は、全然分からなくて。
 夜になると、家の周りで物音がして、家族が体調崩して……」

 声が、少しだけ低くなる。

「ここに来て、やっと理由を知りました。
 だから、逃げるより、向き合おうって」

 私は、葉月を見る。
 恐怖はある。
 だが、それ以上に、覚悟がある。
 ……守る側の人間だ。

「レイは?」

 唐突に、葉月がこちらを見る。

「どうして、ここに来たんですか? 怪我までして」

 胸の奥で、何かがきしんだ。

「どこから来たんですか。
 ……家族は?」

 一瞬、言葉が途切れる。
 湯飲みの中の水面が、わずかに揺れた。

「……遠くから」

 それ以上の言葉が、喉の奥で引っかかったまま、出てこなかった。
 
「そう、ですか」

 葉月は、それ以上踏み込まなかった。
 気を遣ったのか。それとも、何かを感じ取ったのか。

 完全な日常。
 だが、その中心に、目に見えない亀裂が入る。
 私は、その感覚から目を逸らすように、立ち上がった。

「……用事がある。少し出る」

「いってらっしゃい」

 その声は、いつも通りだった。
 ──それが、余計に痛い。

 通りを歩く。
 昼に近づくにつれ、人の数が増えていく。
 喧騒。
 笑い声。
 平穏そのもの。

 ……なのに。
 背中が、ぞわりとした。
 人混みの向こう──
 こちらを見ている“気配”。

 視線を辿ると、一人の青年が立っていた。
 日本刀を携え、気配を極限まで落としている。
 周囲の人間は、誰も気づいていない。
 だが──私は、即座に理解した。

 鞘師……走馬。
 黒い塔の、No.1。
 脇腹が、疼く。
 黒い森で受けた傷。
 あれは間違いなく──奴の刀だ。

 目が合った、気がした瞬間。

 走馬は、ほんの一瞬、口角を上げる。
 挨拶でも、挑発でもない。
 ただ、生存を確かめるための視線。

 ──ここにいるな。

 心臓が、静かに速度を上げる。
 今は、動くな。
 ここは、人の中だ。

 視線を外した瞬間、
 気配は、跡形もなく消えていた。

 ……確信する。
 刺客は、もう町に溶け込んでいる。

 ◆◆◆

 その頃。
 神谷堂の前で、葉月は箒を動かしていた。
 寝不足のはずなのに、身体だけは妙に軽い。
 ──生きて朝を迎えられた、その実感だけで。

「おはようございます」

 背後から、軽い声。
 振り返ると、見知らぬ少年が立っている。
 年は同じくらい。
 柔らかい雰囲気で、敵意は感じない。

「ここ、骨董屋ですよね」

「はい。神谷堂っていいます」

「やっぱり。なんか空気、他と違うなって」

 屈託なく笑う。

「なんていうか……落ち着きます」

 葉月も、つられて笑い返してしまった。

「観光ですか?」

「まあ、そんなところ」

 少年は、店先を覗き込む。

「不思議なもの、多いですね。
 ……触っても、平気ですか?」

 一瞬、胸の奥がざわついた。

「……基本、勝手に触るのはダメです」

「ですよね」

 少年は素直に手を引っ込める。

「俺、リクって言います」

 名を聞いた瞬間、言いようのない違和感が走った。

「雪村 葉月です」

「よろしく」

 リクは、楽しそうに店先を眺める。

「葉月くん、この町長いんですか?」

「まだ一年ちょっとです」

「へえ。じゃあ、もう“馴染んでる側”だ」

 その言い方に、葉月は小さく首を傾げる。

「……馴染む、って?」

「夜」

 リクは、あっさり言った。

「この町、夜が……面白いでしょ」

 箒を持つ手が、止まる。

「……夜?」

「うん。
 人は普通なのに、“混じってる”」

 笑顔のまま、リクの目が、葉月の持つ箒をなぞる。

「君も、その一人だ」

 空気が、変わる。

「……何の話ですか」

「独り言」

 即座に、軽さを取り戻す。
 リクは笑う。
 
 軽い調子のまま、視線が葉月の手元へ落ちる。
 箒の柄。その奥に仕込まれた木刀、“凩”の気配を、確かに見ていた。

「君は、守る側の人間だ」

 断定。
 葉月の喉が鳴る。

「……冗談きついですよ」

「冗談なら、いいんだけどね」

 リクは、楽しそうに言う。
 だが、その目だけが、妙に冷えていた。
 ──測られている。
 葉月は、はっきりとそう感じた。

「もしさ」

 リクが、声を落とす。

「守れなかったら、どうする?」

「……え?」

「自分の力が、足りなかったら」

 一瞬、昨夜の光景が脳裏をよぎる。
 歪む結界。
 届かなかった一歩。
 ──もし、レイがいなかったら。

「……それでも」

 葉月は、言葉を選びながら答える。

「次は、守れるようになります」

 リクは、数秒、黙った。
 そして、満足そうに笑う。

「いいね。嫌いじゃない」

 一歩、下がる。

「じゃ、また」

「……え?」

「近いうちに」

 リクは、軽く手を振り、通りへ溶けていった。
 葉月は、その背中を見送りながら、深く息を吐く。

「……なんだったんだ、今の」

 胸の奥に、嫌な感覚だけが残る。

 ◆◆◆

 軽い足取りで、商店街の真ん中を、歩く少年。
 作られた笑顔が、段々と歪になっていく。

「次は、守れるように、ねぇ……」

 低く、呟く。

「ダメだよ葉月くん。
 全然ダメ」

 道行く人達が、違和感を覚えて振り返るほどにの、不気味な笑み。

「──僕たちの世界に、
 "次"なんて、ない」
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