14 / 35
第2章/暗流潜行 approaching assassin
2-⑥/静と動の境界
しおりを挟む
夜明け前──
空はまだ暗く、鳥の声もない。
朝と夜の境目。
どちらにも属さない時間。
縁側に座る。
腹部の痛みは残っているが、動けないほどではない。
札はすでに剥がされ、代わりに布が巻かれている。
応急処置としては、十分すぎるほどだった。
──守られた。
その事実が、胸の奥に重く沈んでいる。
守られることに、慣れてはいけない。
それは分かっている。
分かっているのに。
視線の先。
庭の端に、人影があった。
「……起きてたか」
京二だった。
いつもの和装。
いつもの声。
「目が覚めて」
短く答える。
京二は、それ以上何も言わず、
私の隣、少し距離を置いて腰を下ろした。
しばらく、沈黙。
「京香は」
「夜明け前に出た」
それだけで、十分だった。
「……そっか」
空が、ほんの少しだけ白み始める。
「聞かないのか」
京二が言う。
「何を」
「これから、どうするか」
何も、答えなかった。
代わりに、庭を見る。
踏み均された土。
誰かが通った痕。
ここは、戦場ではない。
だが、戦いの気配は確かに残っている。
「……選択を、迫られた」
ぽつりと、言う。
「斬る理由を」
「そうだな」
京二は否定しない。
「それで、答えは?」
「まだ」
即答だった。
「今のままじゃ、斬れば壊す。
壊せば、戻れなくなる」
京二は、湯呑みを差し出してくる。
受け取ると、まだ温かかった。
「急ぐ必要はない」
「……でも」
湯気の向こうを見る。
「追ってくる」
「ああ、知っている」
「皆を、巻き込む」
「それもだ」
それでも。
京二は、静かに言った。
「それでも、ここは閉じないからな」
湯呑みを、握りしめる。
「……なんで?」
問いは、鋭くも強くもなかった。
ただの、疑問だった。
京二は、少し考えてから答える。
「帰ってくる場所がなければ、
人は簡単に壊れる」
それ以上、京二は理由を語らなかった。
目を閉じる。
黒い塔。
血の匂い。
斬る音。
そして、何も残らなかった日々。
──戻れる場所。
そんなものを、
自分が持っていいのか。
「……葉月は」
不意に、名前を出す。
「まだ、寝てる」
京二が答える。
「だが」
続ける。
「アイツは、もう気づいている」
少し考えて、息を吐いた。
「……巻き込みたくない」
「巻き込まれる覚悟を、
アイツはもう持っている」
痛いほど、真っ直ぐな言葉だった。
空が、はっきりと明るくなる。
朝だ。
「……私は」
立ち上がる。
腹部が軋むが、構わない。
「逃げない」
京二は、何も言わない。
「でも、戻らない」
黒い塔へも。
壊すだけの場所へも。
「ここで斬るなら」
言葉を、選ぶ。
「"守るもの"を、選んで斬る」
それは、誓いでも、決意でもない。
ただの、配置確認だった。
京二は、ようやく頷いた。
「それでいい」
満足そうに、京二はその場を後にした。
朝日が、神谷堂を照らす。
町は、何事もなかったように目を覚ますだろう。
誰も知らない。
夜に、何が起きたのか。
何が、始まったのか。
だが。
私は、確かに理解していた。
もう、分岐点は越えた。
戻る道は、選ばなかった。
斬る理由は、まだ定まらない。
それでも。
斬らずに逃げることだけは、
二度と、選ばない。
◆◆◆
神谷堂の裏口に立つ。
夜と朝の境目の冷気が、肌に刺さる。
まだ朝とは呼べない。
だが、確実に夜は終わりへ向かっている。
──終わった、わけじゃない。
ただ、形を変えただけだ。
腹部の痛みは、まだ残っている。だが動けないほどではない。
それが、かえって現実を突きつけてきた。
自分は、生きている。
殺されなかった。
選ばれなかったのではなく
──保留された。
走馬に。
理久に。
そして、京香に。
「……」
喉の奥で、息を殺す。
黒い塔では、こんな時間はなかった。
夜明けは、ただ次の殺しの始まりを告げる合図だった。
終わる夜など、存在しなかった。
だが、ここでは違う。
障子の向こう。
かすかな物音。
葉月が、動いている気配。
──あいつは、まだ何も知らない。
いや。
知ってしまったからこそ、眠れないのか。
足音が近づき、縁側の向こうで止まる。
「……レイ」
呼ばれて、肩が揺れた。
「起きてたんですね」
「うん」
短く答える。
振り返らない。
しばらく、沈黙が落ちる。
夜明け前の空気は、言葉を重くする。
「……昨日のこと」
葉月が、言いかけて止まる。
「ごめんなさい。 俺、何もできなかった」
その言葉に、反射的に振り返る。
「違う」
即答だった。
何故──君が責任を感じる?
巻き込んだのは、私の方なのに。
唐突な命の危機に晒されても。
それでも──
「君は、生きていた」
葉月が、驚いたように目を瞬かせる。
「それだけで、十分」
「……京香さんと、同じこと言うんだね」
葉月は落ち込んだように、俯く。
視線を、外に戻す。
考えても、かける言葉が、見当たらない。
……こうなったら、ヤケクソだ。
言ってしまえば、戻れなくなる。
それでも、言葉は口を離れた。
「君がなんて言おうと、私は君を守る」
葉月は、目を丸くする。
「それが嫌なら」
静かに、続ける。
「強くなれ。 ただし──」
一瞬、間を置く。
「夜に、飲まれないで」
葉月の指が、ぎゅっと握られるのが見えた。
「……レイは、これから……どうするの?」
「私は」
夜明けの空。
薄く、光が滲んでいく。
「まだ、決めてない」
斬る理由も。
守る形も。
戻れる場所も。
だが。
「戻らない場所だけは、決めた」
それだけは、はっきりしていた。
葉月は、何も言わずに隣に立つ。
二人で、同じ空を見上げる。
遠くで、町が目を覚まし始めている。
何事もなかったかのように。昨日の夜を、知らないまま。
その夜を、誰が斬るのか。
誰が守るのか。
答えは、まだ先にある。
だが、確かなことが一つ。
この町は、もう。
戻れない夜を、内側に抱えてしまった。
夜明けの光は、その事実だけを、静かに照らす。
優しさを装ったまま、
何も答えをくれない光だった。
空はまだ暗く、鳥の声もない。
朝と夜の境目。
どちらにも属さない時間。
縁側に座る。
腹部の痛みは残っているが、動けないほどではない。
札はすでに剥がされ、代わりに布が巻かれている。
応急処置としては、十分すぎるほどだった。
──守られた。
その事実が、胸の奥に重く沈んでいる。
守られることに、慣れてはいけない。
それは分かっている。
分かっているのに。
視線の先。
庭の端に、人影があった。
「……起きてたか」
京二だった。
いつもの和装。
いつもの声。
「目が覚めて」
短く答える。
京二は、それ以上何も言わず、
私の隣、少し距離を置いて腰を下ろした。
しばらく、沈黙。
「京香は」
「夜明け前に出た」
それだけで、十分だった。
「……そっか」
空が、ほんの少しだけ白み始める。
「聞かないのか」
京二が言う。
「何を」
「これから、どうするか」
何も、答えなかった。
代わりに、庭を見る。
踏み均された土。
誰かが通った痕。
ここは、戦場ではない。
だが、戦いの気配は確かに残っている。
「……選択を、迫られた」
ぽつりと、言う。
「斬る理由を」
「そうだな」
京二は否定しない。
「それで、答えは?」
「まだ」
即答だった。
「今のままじゃ、斬れば壊す。
壊せば、戻れなくなる」
京二は、湯呑みを差し出してくる。
受け取ると、まだ温かかった。
「急ぐ必要はない」
「……でも」
湯気の向こうを見る。
「追ってくる」
「ああ、知っている」
「皆を、巻き込む」
「それもだ」
それでも。
京二は、静かに言った。
「それでも、ここは閉じないからな」
湯呑みを、握りしめる。
「……なんで?」
問いは、鋭くも強くもなかった。
ただの、疑問だった。
京二は、少し考えてから答える。
「帰ってくる場所がなければ、
人は簡単に壊れる」
それ以上、京二は理由を語らなかった。
目を閉じる。
黒い塔。
血の匂い。
斬る音。
そして、何も残らなかった日々。
──戻れる場所。
そんなものを、
自分が持っていいのか。
「……葉月は」
不意に、名前を出す。
「まだ、寝てる」
京二が答える。
「だが」
続ける。
「アイツは、もう気づいている」
少し考えて、息を吐いた。
「……巻き込みたくない」
「巻き込まれる覚悟を、
アイツはもう持っている」
痛いほど、真っ直ぐな言葉だった。
空が、はっきりと明るくなる。
朝だ。
「……私は」
立ち上がる。
腹部が軋むが、構わない。
「逃げない」
京二は、何も言わない。
「でも、戻らない」
黒い塔へも。
壊すだけの場所へも。
「ここで斬るなら」
言葉を、選ぶ。
「"守るもの"を、選んで斬る」
それは、誓いでも、決意でもない。
ただの、配置確認だった。
京二は、ようやく頷いた。
「それでいい」
満足そうに、京二はその場を後にした。
朝日が、神谷堂を照らす。
町は、何事もなかったように目を覚ますだろう。
誰も知らない。
夜に、何が起きたのか。
何が、始まったのか。
だが。
私は、確かに理解していた。
もう、分岐点は越えた。
戻る道は、選ばなかった。
斬る理由は、まだ定まらない。
それでも。
斬らずに逃げることだけは、
二度と、選ばない。
◆◆◆
神谷堂の裏口に立つ。
夜と朝の境目の冷気が、肌に刺さる。
まだ朝とは呼べない。
だが、確実に夜は終わりへ向かっている。
──終わった、わけじゃない。
ただ、形を変えただけだ。
腹部の痛みは、まだ残っている。だが動けないほどではない。
それが、かえって現実を突きつけてきた。
自分は、生きている。
殺されなかった。
選ばれなかったのではなく
──保留された。
走馬に。
理久に。
そして、京香に。
「……」
喉の奥で、息を殺す。
黒い塔では、こんな時間はなかった。
夜明けは、ただ次の殺しの始まりを告げる合図だった。
終わる夜など、存在しなかった。
だが、ここでは違う。
障子の向こう。
かすかな物音。
葉月が、動いている気配。
──あいつは、まだ何も知らない。
いや。
知ってしまったからこそ、眠れないのか。
足音が近づき、縁側の向こうで止まる。
「……レイ」
呼ばれて、肩が揺れた。
「起きてたんですね」
「うん」
短く答える。
振り返らない。
しばらく、沈黙が落ちる。
夜明け前の空気は、言葉を重くする。
「……昨日のこと」
葉月が、言いかけて止まる。
「ごめんなさい。 俺、何もできなかった」
その言葉に、反射的に振り返る。
「違う」
即答だった。
何故──君が責任を感じる?
巻き込んだのは、私の方なのに。
唐突な命の危機に晒されても。
それでも──
「君は、生きていた」
葉月が、驚いたように目を瞬かせる。
「それだけで、十分」
「……京香さんと、同じこと言うんだね」
葉月は落ち込んだように、俯く。
視線を、外に戻す。
考えても、かける言葉が、見当たらない。
……こうなったら、ヤケクソだ。
言ってしまえば、戻れなくなる。
それでも、言葉は口を離れた。
「君がなんて言おうと、私は君を守る」
葉月は、目を丸くする。
「それが嫌なら」
静かに、続ける。
「強くなれ。 ただし──」
一瞬、間を置く。
「夜に、飲まれないで」
葉月の指が、ぎゅっと握られるのが見えた。
「……レイは、これから……どうするの?」
「私は」
夜明けの空。
薄く、光が滲んでいく。
「まだ、決めてない」
斬る理由も。
守る形も。
戻れる場所も。
だが。
「戻らない場所だけは、決めた」
それだけは、はっきりしていた。
葉月は、何も言わずに隣に立つ。
二人で、同じ空を見上げる。
遠くで、町が目を覚まし始めている。
何事もなかったかのように。昨日の夜を、知らないまま。
その夜を、誰が斬るのか。
誰が守るのか。
答えは、まだ先にある。
だが、確かなことが一つ。
この町は、もう。
戻れない夜を、内側に抱えてしまった。
夜明けの光は、その事実だけを、静かに照らす。
優しさを装ったまま、
何も答えをくれない光だった。
0
あなたにおすすめの小説
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
道化たちの末路
希臘楽園
ファンタジー
母亡き後、継承権もない父と愛人母娘が公爵家を狙い始めた。でも私には王太子という切り札がいる。半年間、道化たちが踊るのを、私たちは静かに楽しんで見ていた。AIに書かせてみた第3弾。今回も3000文字程度のお気楽な作品です。
後の祭り
ねこまんまときみどりのことり
ライト文芸
母親を馬車の事故で亡くしたナズナは、馬車に乗っていた貴族の男性に、義理の娘として引き取られた。引き取られた先の子爵邸では、義母や義妹に傷付けられて泣いて過ごすこともあったが、懸命に生きていく。引き取られた裏には、別の理由もあったようで。
小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています。
出戻り娘と乗っ取り娘
瑞多美音
恋愛
望まれて嫁いだはずが……
「お前は誰だっ!とっとと出て行け!」
追い返され、家にUターンすると見知らぬ娘が自分になっていました。どうやら、魔法か何かを使いわたくしはすべてを乗っ取られたようです。
英雄の番が名乗るまで
長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。
大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。
※小説家になろうにも投稿
短編)どうぞ、勝手に滅んでください。
黑野羊
恋愛
二度も捨てられた聖女です。真実の愛を見つけたので、国は救いません。
あらすじ)
大陸中央にあるルオーゴ王国で、国を守る結界を維持してきた聖女ロザリア。
政略のため王太子と婚約していた彼女は、突如『真の聖女』が現れたとして婚約を破棄され、聖女の座を追われてしまう。さらに、代わりに婚姻しろと命じられた聖騎士からも拒絶され、実家にも見捨てられたロザリアは、『最果ての修道院』へと追放された。
けれど彼女はそこで、地位や栄光、贅沢などとはほど遠い、無条件に寄り添ってくれる『真実の愛』と穏やかな日々を手にいれる。
やがて聖女を失った王国は、崩壊へ向かっていき――。
ーーー
※カクヨム、なろうにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる