Brain/青の章

新田朝弥

文字の大きさ
10 / 16
第1章/暗号館の番人 a girl in sleet

1-⑨/Memories of snow in the rain

しおりを挟む
 日が傾き、
 空が茜色に染まり始めた頃だった。

「──神津さん。
 流石に、そろそろ帰らないと」

 更地の公園の縁で、僕がそう切り出すと、神津さんは少しだけ唇を尖らせた。

「……分かってる。さっきから何回も鳴ってるし」

 スマホの画面には、母親からの着信履歴がずらりと並んでいる。
 神津さんは観念したように通話ボタンを押した。
 次の瞬間。

「ちょっと藍! 今何時だと思ってるの!?」

 スピーカー越しに響く怒声に、思わず肩をすくめる。
 神津さんは「はい」「ごめんなさい」「今すぐ帰ります」と、しどろもどろに返事をしながら、完全に説教モードに入っていた。
 通話を終えた神津さんは、ため息をつき、申し訳なさそうに笑う。

「……ごめん。強制送還だって」

「うん。仕方ないよ」

「でもさ」

 神津さんは一歩近づき、真剣な目でこちらを見る。

「結末……ちゃんと聞かせて。
 全部」

「ああ。約束する」

「絶対だからね」

 念を押すように言って、名残惜しそうに手を振り、彼女は公園を後にした。

 ──静かになった。
 風に揺れる雑草の音だけが、かつて遊具があった場所を撫でていく。
 公園の中央へと歩み寄る。
 ここだ。
 記憶の中で、確かにここにあった。
 二頭の犬が、向かい合う形のシーソー。
 耳の横についた取っ手が、角みたいで。

「……双子のヤギ、か」

 誰もいない空間に、独り言が落ちる。胸の奥が、きゅっと縮んだ。
 しゃがみ込み、地面に手をつく。柔らかい土だ。遊具が撤去されてから、何年も経っているはずなのに。
 スコップなど無い。
 僕は無心で、手で土を掘り始めた。
 指先が──
 何か硬いものに触れる。

「……あった」

 掘り起こした土の中から、
 古い布に包まれた小さな箱が姿を現した。

 震える手で、包みを解く。
 中にあったのは──
 小さな人形。
 どこにでも売っていそうな、
 安っぽい、布製の人形。

 そして、少し色褪せたブローチ。
 花の形をしたそれは、記憶の中で、いつも美雪の胸元にあった。

 最後に、一冊のノート。
 ページを開いた瞬間、胸が締め付けられた。
 拙い文字。楽しそうな日。寂しさ。
 そして、自分の名前。

 ──"ソラくんと遊んだ"

 ──"ソラくんが来てくれた"

 ──"今日は来なかった"

 ──"また、来てくれるかな"

 その先は──
 もう、書かれていなかった。
 僕は、そっとノートを閉じた。

 視界が滲む。

「……ごめん」

 誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。

 これが、美雪の『たからもの』。
 価値なんて、計ることは出来ない。
 けれど、確かにここに、彼女の世界があった。
 
 箱を胸に抱き、立ち上がる。
 次に向かう先は、一つしかない。

 ◆◆◆

 もう日も暮れる。
 日中賑わいを見せたパーティー会場は、嘘のように空虚な静寂に包まれている。

 私は、静かに流れる噴水へ目掛けて、
 コインを一枚、投げ入れる。
 
 お姉ちゃんが言っていた──
 こうしていると、どこからともなく君が現れて──

 ふと、肌に冷たい感覚。
 また雨が降ってきた。
 ──ポチャン。
 コインが先か、雨粒が先か、
 泉の中心から、波紋が広がる。

 少し肌寒いが、風もなく、むしろ心地良い。
 目を閉じると、君と出逢ったあの日の場面が鮮明に甦る。

 ──「君、名前は?」

 ──「ソラ。アケチソラ。
 空がキレイな晴れた日に生まれたんだって」

 ──「そしたら私は逆だね。
 私は──」

 誰の、記憶?
 私? それとも──

「──やっぱり、ここにいたんですね」

 そんな私の回想は、
 あの子の足音と呼び掛けに掻き消された。
 やっぱり、来てくれた。

 ◆◆◆

 パーティーの開かれた中庭の噴水前。
 アリサさんは、そこで雨に打たれたまま佇んでいた。

「あら、明智様。ここは冷えます。屋敷内へ──」

「──キレイな雨」

 アリサさんの台詞を、遮る。
 掌を広げると、ポツポツと小さい雨粒が当たる。

「……昔、こんな話をした子がいたんです。
 自分が雪の日に生まれたから、美雪。
 それと一緒で、妹は、キレイな雨の日に生まれたから、この名前がつけられたって」

 もう、引き返せない。
 僕は、意を決して、その言葉を口にする。

「全て……思い出しました、アリサさん。
 いえ。
 城田 美雨しろた みうさん」

 アリサさんは一瞬、肩を震わせるが、俯いていて表情が分からない。

「美雪さんには、双子の妹がいました。
 ──貴女ですよね? 美雨さん。……いや、正確には、貴女は

 強い孤独が、人を分けてしまうことがある。
 僕が昔一緒に遊んでいた相手は間違いなく『美雪』だが、それは、もうひとつの人格、『美雨』と表裏一体の存在だった。

 流れる沈黙。
 一瞬にも永遠にも思えるその時間の中、アリサさんはゆっくりとこちらに顔を向け、優しく微笑んだ。

「ええ。その通りです。私の名前は美雨。美雪が、独りになるのが怖くて、生み出した存在」

 その声には、もう取り繕った明るさはなかった。

「でも、蒼空くんが来てくれるようになって、美雪は変わった。よく笑うようになって、寂しいって言わなくなって」

 噴水の水面に、夕焼けが揺れる。

「そのたびに、私は思ったんです。……ああ、私はもう、いらないんだって」

 声が、少しだけ震える。

「それでも、良かった。美雪が幸せなら、それで」

 ──けれど。

「あなたが、来なくなった」

 美雨は、唇を噛みしめた。

「美雪は、待ち続けました。
 あなたと会う為だけに、生きるようになって」

 そして。

「……限界が、来たんです」

 美雪という存在は、消えた。
 残されたのは、美雨だけ。

「最初は、あなたが憎かった。
 でも、調べて……知ってしまった」
 
 彼もまた、大切な人を亡くしたこと。
 自分のことで精一杯だったこと。

「だから、恨めなくなった」

 それでも。

「このままじゃ、美雪が可哀想すぎるでしょう……?」

 美雨は、真っ直ぐこちらを見据える。

「だから、せめて思い出してほしかった。美雪が、確かにここにいたことを」

「……その為の、暗号だったんですね」

「ええ。貴方自身がこの館に来て下さるかは、完全に賭けでしたが」

 沈黙の中で、僕は箱を差し出した。

「これが……
 美雪さんの、宝物です」

 美雨は、それを見て、息を呑む。

「……ああ」

 小さく、嗚咽が漏れた。
 彼女の世界で、一番大切だった存在。

「ごめん」

 僕は、深く頭を下げる。

「遅すぎました。でも……もう。忘れない」 

 顔を上げる。

「美雪さんのこと。君のことも」

 噴水の水音が、静かに響く。
 長い沈黙の後、美雨は、ほんの少しだけ微笑んだ。

「それで、十分です」

 夕暮れの中庭に、僕ら二人の影が、静かに伸びていった。

 噴水の水音は、もう止んでいる。
 それでも、耳鳴りのように、さっきまでの言葉が頭の中で反響している。

 ──美雪は、確かにここにいた。
 その事実だけが、胸の奥に残った。

「……行きましょう。ここは、冷えます」

 僕がそう言うと、美雨──アリサは小さく頷いた。
 その表情は、もう何かを期待するものではなかった。
 彼女の頬を伝うのは、雨の雫か、それとも……。

 ◆◆◆

 屋敷の廊下は、夜になると音を失う。
 昼間は人の気配で満ちていた空間が、今はただ広く、冷たい。
 その中央に、彼はいた。

 執事長──バトラー。

 背筋を正し、いつもと変わらぬ姿勢で、廊下の先に立っている。
 まるで、この瞬間を待っていたかのように。

「……話は、終わりましたか」 

 それだけを、彼は言った。
 声に、感情はない。
 労わりも、詮索も、拒絶もない。

「ええ」

 僕は答える。

「全部、聞きました。美雪さんのことも、美雨さんのことも」

 バトラーさんは、何も言わなかった。
 その沈黙は、さっきまで噴水の前で向き合っていた沈黙とは、まるで質が違う。

 美雨の沈黙は、語り尽くした末の静けさだった。
 けれど、この人の沈黙は──

「……あなたは、全て、知っていたんですよね」

 問いかける。

「パーティー会場で会った際、直接名乗っていない筈の僕の名前を、貴方は知っていた。僕のことも、彼女達のことも、美雪さんが、どんなふうに消えていったのかも。城田家の終焉を唯一目にした貴方は、事前に全てを知った上で、何も語らなかった」

 それでも、バトラーさんは否定しない。
 肯定もしない。
 ただ、目を伏せた。
 それが、彼の答えだった。

「どうして、黙っていたんですか」

 全てを話していれば、美雪は消えずに済んだかもしれない?
 そんなこと、今更言っても、意味は無い。
 それでも、聞かずにはいられなかった。

 長い沈黙の後、バトラーは、初めて言葉を選ぶように口を開いた。

「……私が仕えていたのは、
 “真実”では、ありません」

 一拍。

「“お嬢様の日々”です」

 その声は、微かに、震えていた。

「誰かに語られ、整理され、理解されることで、あの子の日々が“物語”になってしまうのが……私には、どうしても耐えられなかった」
 
 雨音が、遠くで響く。

「美雪お嬢様は、悲劇の主人公でも、謎の被害者でもない。ただ……誰かを待って、笑って、暗号を作るのが好きな、普通の、子どもでした」

 だから、と。

「だから私は、語らない役を選びました」

 その言葉で、ようやく分かった。
 この人は、真実を隠したのではない。
 "時間"を、守っていたのだ。
 沈黙は、逃避ではなかった。
 彼なりの、守り方だった。
 僕は、何も言えなかった。
 正しいかどうかなんて、分からない。
 でも、間違っているとも、言える筈がない。

 バトラーさんは、深く一礼する。

「これで、私の役目は終わりです」

 そして、静かに踵を返した。その背中は、老いた執事のものだった。
 けれど同時に──
 誰よりも長く、あの少女の時間を抱えてきた人間の背中だった。
 彼が角を曲がり、姿を消す。
 廊下には、再び沈黙だけが残った。
 けれど、その沈黙はもう、重くはなかった。
 語られた真実と、語られなかった想い。その両方を抱えたまま、僕にとっての物語は、ようやく前に進み始めたのだと思えた。

 ──不意に、強くなる雨足。
 ほんの少しの静寂の余韻は、窓に打ち付けられた雨粒の音に、かき消された。

 降り注ぐ雨の中で、雪の記憶だけが、確かにそこに残っていた。














 1-⑨/Memories of snow in the rain~雨の中の雪の思い出~

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

処理中です...