Brain/青の章

新田朝弥

文字の大きさ
11 / 16
第1章/暗号館の番人 a girl in sleet

1-⑩/after the rain

しおりを挟む
 カーテン越しの光で、目を覚ました。
 朝だと、すぐに分かる。
 柔らかい。昨夜まで張り詰めていた空気が、嘘みたいにほどけている。
 見慣れない天井。
 けれど、不思議と安心感があった。

 ──コンコン。

 控えめなノック音。

「……起きてるかい?」

 聞き覚えのある声だった。

「はい」

 返事をすると、扉が静かに開く。

「おはよう。よく眠れた?」

 昨日のコックコートとは違う、庶民的なエプロン姿のアザミさんが、そこに立っていた。
 昨日と変わらないはずなのに、朝の光を受けたその姿は、どこか違って見える。

「……はい」

 短く答えながら、僕は上体を起こした。

「朝食、簡単なもので良ければ用意してあるよ」

「ありがとうございます」

 一拍の、間。
 アザミさんは部屋に入らず、ドアの前に立ったまま、僕を見つめていた。

「……なあ、蒼空くん」

 その呼び方に、少しだけ驚く。

「一つだけ、聞いてもいいか?」

「はい」

「私のこと、?」

 やはり、だ。
 僕は、少し考えてから答えた。

「少し、ほんの少しだけですけど、違和感があったんです」

 ゆっくりと言葉を選ぶ。

「豊春さん、結婚指輪をしていました。それなのに、“奥様”の話だけが、どこにも出てこなかった」

 アザミさんは、何も言わない。

「それから、あなたの左手です。薬指に、指輪の跡がありました。昨日、厨房では外していましたよね」

 小さく、息を吐く音。

「決定的だったのは、ピアスでした」

 彼女の耳元で光る、ささやかな装飾。

「豊春さんが身に付けていた物と同じデザインですよね、それ。
 書斎にあった集合写真にも、
 二人は並んで写っていました。
 だから……もしかしたら、って」

 しばらくの沈黙。
 やがて、彼女──西園寺さいおんじ あざみさんは、肩の力を抜くように、微笑んだ。

「……流石だね」

「父とも、知り合いなんですか?」

「ああ。主人も含め、大学時代の同級生なんだ。まあ、今回の件については、私だけ蚊帳の外だったみたいだが」

「……蚊帳の外、ですか」

 思わず、そう返すと、アザミさんは肩をすくめた。

「そういう役回りだったんだろうね。豊春あの人は昔から、私に余計な心配をかけたがらなかった」

「豊春さんは……優しい人なんですね」

「いや、私が加わると話がややこしくなるってだけだろ」

 即答だった。
 少しだけ、苦笑が混じる。

「守るつもりで、何も言わない。
 背負うつもりで、誰にも預けない。
 そういうところが、桐弥の奴とそっくりなんだ」

「あー、分かります」

 "二人がそっくり"。思い当たる節がある。
 全面的に同意だ。

 ひとしきり愚痴をこぼした後、彼女は一度、視線を窓の外へ向けた。

「じゃあ、私はそろそろ行くから」

 そう言って、アザミさんはエプロンを外す。

「外出ですか?」

「まあ、自分の店にな」

「店?」

「こう見えて、ケーキ屋やってるんだ。大した店じゃないけど」

 不意に、名刺を渡される。

「パティシエ……」

 なんか、イメージと違う。

「なんか言いたそうだな」

「いえ、なんでもないです」

 やはり、イメージと違う。こんな威圧感を放つパティシエが、果たして他にいるだろうか。

 ──洋菓子店『AZAMI』。流行に疎い僕でも、名前だけは知っている店だ。大学の近くにあるが、今まで立ち寄ったことはなかった。

「後で、買いに行かせてもらってもいいですか?」

「もちろん。大歓迎だ」

 見下ろした窓の向こうは、晴天。
 雨はもう止んでいる。
 濡れた庭に落ちた淡い光は、まるで僕を誘っているかのような、眩しい輝きを放っていた。

 ◆◆◆

 一階へ降りると、エントランスで一人の少女が立っていた。
 神津さんだ。

「……先輩」

 制服姿で、少しだけ息を切らしている。
 ……そっか、今日は平日だ。

「迎えに来た。っていうか……連れて帰りに来た」

「ありがとう」

 それ以上の言葉は、出なかった。
 神津さんは一瞬だけ僕の顔を見つめ、それ以上、何も聞かなかった。
 問いたださない。慰めない。
 その距離感が、ありがたかった。

「結末」

 エントランスから外へ出る前、彼女が言った。

「約束、忘れてないからね」

「うん」

「今じゃなくていい。話したくなった時でいい」

 ひとつひとつ、確認するように、丁寧に。

「でも──」

 ふと、振り返る。

「思ったより清々しい顔してるから、安心した」

 彼女は、そう言って微笑んだ。

「清々しい……かな?」

 不意な台詞に、思わず、苦笑いが出る。
 朝の日差しに照らされた、そんな静かな一幕。

 ──探偵役は、もう終わり。
 今の僕は、ただの「先輩」でいい。

 ◆◆◆

 門の前までやって来る。
 バトラーさんの姿は、無い。

 門の手前でふと、中庭の噴水が、目に入った。
 
「あ、ごめん。ちょっとここで待ってて」
 
「なに? 忘れ物?」

「うん、そんなところ」

 小走りで、噴水まで向かう。
 その縁には、彼女が立っていた。

「美雨さん」

 自分が居ると思わなかったのか、彼女は心底驚いたようにこちらを見る。

「蒼空くん?」

「ありがとうございました」

「別に、お礼言われるようなことはしてないよ」

「いえ、大事なことを思い出すきっかけをくれたので。幾らお礼を言っても足りないぐらいですよ」

 大事なこと──一人の少女との、思い出。
 それらを心に仕舞っておくことは、
 僕にしか、出来ない。

 後悔はある。
 それでも、前に進んで、生きていかなくてはならない。
 その決意を、僕は固める。

 ──ふと、城田 昴のことを思い出した。

 八年前の、彼の死。
 事故だと、そう結論付けられた。

 当時の僕は、まだ子供で、大人たちの言葉を、疑う術も持っていなかった。

 けれど──
 何も感じなかったわけじゃない。
 現場には、今思えば見過ごせない違和感が、いくつも残っていた。

 それでも、今日改めてその話を聞いた時も、僕は踏み込まなかった。

 真実を知ったところで、故人が戻って来るわけじゃない。
 誰かを責めたところで、失われた時間が、埋まるわけでもない。

 ──そう、自分に言い聞かせた。

 だから、僕は知っている。

 真実は、必ずしも救いにならない。
 時には、人の心を壊すだけのものだ。
 だから、干渉しない。
 バトラーさんが、そうしたように。

 それでも。
 それでも、忘れてはいけないことがある。
 忘れてはいけないものまで、忘れてしまった時。
 人は、前に進めなくなる。

 だから、美雪のことは、忘れない。
 けれど、縛られもしない。

 それが、僕の選んだ答えだ──。

「一つ、変なこと聞いていい?」

 美雨さんが、唐突に質問する。

「はい」

「君は、美雪が生きていたとは思わなかったの?
 私を美雨だと認識したのは、何故?」

 確かに、美雪と美雨の姿は瓜二つ。今から「美雪は実は生きていました」と言っても、通じるだろう。
 でも、僕には確信があった。

「ヒントは、貴女がくれていました。
 "If you forget her, she will disappear"(彼女を忘れたら、彼女は消えてしまう)。
 貴女に貸してもらったメモ帳に、書かれてました。その意味を理解できたのは、随分と後になってですが。それが僕に対する、メッセージだったんですよね」

 美雨さんは答えず、ただ静かに笑みを浮かべる。

「後は──コインです」

「コイン?」

「貴女はここで、コインを正面から投げ入れてました。意外と知られてないのかもしれないんですけど、トレビの泉では、泉に背を向けて、後ろ向きに投げ入れるんです。その話は、美雪さんと会った際に、彼女にしていたので」

「なるほどね。それを知らない私は、必然的に美雪じゃないってわけか。……なんか、恥ずかしい。やり方違うんだ、コレ」

 美雨さんは照れ臭そうに含羞はにかんだ。
 続いていた緊張感が、少し解れた気がした。

「美雨さんは、これから──」

「あ、ごめん。もう一個、お願いがあるんだ」

「はい?」

「もう、呼ばなくていいから」

「………?」

「“アリサ”で。今は、それでいたいの」

 そう言って、彼女は微笑んだ。
 彼女も、前に進もうとしている。
 "城田 美雨"としてではなく、
 "アリサ"という、一人の人間として。

「分かりました。アリサさん。
 では、僕はこれで」

「うん。またね」

 その背中を見送ってから、僕は静かに踵を返した。
 雨上がりの空気は、少しだけ冷たく、澄んでいた。



 ◆◆◆

 雨上がりの庭には、もう誰もいない。

 ──ポチャン

 また、コインが落ちる音。

 彼と会うようになってから、
 美雪は、コインを二枚、投げるようになった。

 欲張りだなぁ、と思いつつ、
 彼女の思い出話を静かに聞く。

 ──今日はね、暗号を教えてもらったの。
 面白いから、今度やってみようよ。

 嬉しそうに語る美雪に、
 私は気になったことを尋ねてみる。

 コイン、どうして二枚入れてるの?

 ──これも、あの子に教えてもらったの。
 投げる枚数で意味が変わるんだって。面白いでしょ?

 ──一枚投げると、
 "またこの場所に戻って来れる"。

 ──二枚投げると、
 "大切な人と──













 1-⑩/after the rain~雨上がり~
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

処理中です...