Brain/青の章

新田朝弥

文字の大きさ
12 / 16
第2章/人形屋敷の呪い melting of snow

2-①/girl, again

しおりを挟む
 雨の気配が、完全に消えてから数日が経った。

 大学へ向かう朝の道は、拍子抜けするほど穏やかだった。
 濡れていたはずのアスファルトも、雲を引きずっていた空も、すっかり乾ききっている。傘を持たずに歩けることに、ほんの少しだけ安堵しながら、僕は駅へ向かった。

 ——もう、終わったはずだ。

 城田 美雪という少女のこと。
 彼女が残した時間と、語られなかった想い。
 それらは確かに胸の奥に残っているが、日常を侵食するほどの痛みでは、もうなかった。

 忘れない、と決めた。
 けれど、縛られもしない。

 そうやって、自分なりの折り合いをつけたつもりだった。

「──ヤバ。今日、レポート出す日よね?」

 背後から声を掛けられ、思考が現実に引き戻される。
 幼なじみの朱里あかりだ。

「ちなみに、そのレポート出さないと、単位危ういぞ」

「いやぁ……そうなのよねぇ」

 その反応を見るに、やってないな、コレは。

「いや、やってる。やってますとも。ちょーーっと添削だけお願い♡」

 そう言って、レポートを渡される。
 歩きながら、内容を確認する。
 ……確かに、最後まで書かれてはいる。が──

「添削どころか……全直しだろ、普通に」

「うわぁ……辛辣」

 ◆◆◆

 大学に着くと、朱里から高そうなチョコレートを手渡された。

「なにこれ?」

「お礼。この間『AZAMI』のチーズケーキくれたでしょ」

 ──『AZAMI』。アザミさんこと、西園寺 薊さんが営む有名店だ。
 西園寺邸での一件の後、寄らせてもらったが、さすが人気店、平日の昼間にも関わらず、長蛇の列だった。
 ご挨拶こそできなかったが、アザミさんの嬉々とした接客姿を、見ることができた。『人は見た目によらない』ということを、まざまざと痛感した。

 しかもよく見れば、このチョコレートも『AZAMI』の商品だ。
 あの大行列に、わざわざ並んだのか……。
 律儀な奴だなと思っていると、一限のチャイムが鳴る。

 講義を受け、学食で昼を済ませ、いつも通りの時間が流れていく。
 平凡で、退屈で、少し眠くなるほどの午後。

 ——それでも。

 胸の奥に、小さな棘のような違和感が残っていた。

 理由は分かっている。
 あの時、探偵として動いた自分。
 そして、「もう干渉しない」と、決めたはずの覚悟。

 どちらも、完全には噛み合っていない。

 夕方、帰り支度をしていると、携帯が鳴る。LINEだ。
 差出人の名前を見た瞬間、嫌な予感がした。

 ——矢吹 橙子

『至急。顔出して』

 簡潔で、要件だけを書いた文。
 簡潔過ぎて主語が曖昧だが、行き先は十中八九、明智探偵事務所だろう。

 至急、という言葉に、胸がざわつく。
 何かあったのだろうか。
 いや、違う。

 ——“また”だ。

 僕は、深く息を吐いた。

 もう探偵役は終わった。
 そう思っていたはずなのに、足は自然と上着を掴んでいた。

 ◆◆◆

 久しぶりに訪れた明智探偵事務所は、相変わらず雑然としていた。
 古い書類の匂いと、インスタントコーヒーの香り。

 ──いつものことながら、父の姿はない。

 急な呼び出しに、少しだけ居心地の悪さを覚える。

「蒼空くん、久しぶり」

 矢吹さんが、柔らかく微笑んだ。
 その表情は、どこか慎重だ。

「急に呼び出してごめんね」

「いえ……何かあったんですか?」

 僕がそう尋ねると、彼女は一瞬だけ視線を扉の方へ向けた。

「依頼人が来てるの」

 その言い方に、胸が嫌な音を立てる。

「……僕に関係、ありますか」

「うん。ご指名だから」

 矢吹さんは、はっきりとそう言った。

 ノックの音が、事務所に響く。
 促されるまま視線を向けると、扉が静かに開いた。

「失礼します」

 聞き覚えのある声だった。

 入ってきた人物を見て、思わず息を呑む。

 ——アリサ。

 いや、今はそう呼ぶべきなのだろう。
 城田 美雨。
 美雪の、双子の妹。

 彼女は、以前と変わらぬ落ち着いた佇まいで、僕の方を見た。
 一瞬だけ、視線が交わる。

 その目には、あの時のような切迫した影はない。
 けれど、完全に晴れているわけでもなかった。

「……こんにちは、蒼空くん」

「こんにちは」

 それだけの挨拶なのに、胸の奥が、かすかに揺れた。

 矢吹さんが、二人の間に入るように咳払いをした。

「では、改めて。今回の依頼人は、こちらの……アリサさんだっけ?」

 アリサさんは、小さく一礼する。

「お願いしたいのは……人形の供養、です」

「人形?」

 思わず、聞き返してしまった。

「はい」

 彼女は、膝の上に置いた鞄を、そっと抱きしめる。

「姉が……大切にしていた人形がありまして。処分する気にはなれなくて。でも、このまま持ち続けるのも、違う気がして」

 その言葉は、もっともらしかった。
 けれど。

 ——小さな違和感。

 彼女の声は落ち着いている。
 悲しみも、迷いも、整理された後のものだ。

 なのに、なぜ今になって、探偵事務所へ?

「普通は神社で供養、じゃないんですか」

 僕がそう言うと、アリサさんは一瞬だけ、言葉に詰まった。

「……人形供養で有名な場所が、あると聞いて」

「有名、ですか」

 矢吹さんが口を挟む。

「“人形屋敷”って呼ばれてるところ。正式な名称じゃないですが」

 人形屋敷。
 その響きだけで、背筋が少し冷えた。

「蒼空くん」

 アリサさんが、まっすぐこちらを見る。

「お願い。……一緒に来てほしいの」

 その視線には、試すような色が混じっていた。
 懇願でも、命令でもない。

 ——観察。

 彼女は、僕を見ている。
 探偵としてではなく、人間として。

 断る理由はいくらでもあった。
 もう関わらないと決めたはずだ。
 それなのに。

「……分かりました」

 口が、勝手にそう答えていた。

 アリサさんの表情が、ほんの一瞬だけ緩む。

 その時、胸の奥で、何かが音を立てて動き出した。

 ——これは、供養なんかじゃない。

 そう直感していた。

 けれど、もう一度だけ。
 僕は、探偵として歩き出すことを、選んでしまったのだった。

 ◆◆◆

 蒼空くん達を見送り、デスクのパソコンに視線を戻す。

 画面に写っているのは、通称──『人形屋敷』でお馴染み、『静形堂』。

「静形堂……」

 人形供養の施設だとは聞いたことあるが、ネットの掲示板では『心霊スポット』としてよく話題に挙がっている。

 静形堂のホームページを開く。いや、むしろホームページなんてあったんだ──と、軽くツッコミを入れてみる。

 管理人の爺さんの顔と、ずらずらと並べられた謳い文句が、見れば見るほどに胡散臭い。

 ──あなたの大切な人形、お預かりします。

 ──人形の安らぎの場所として、

 ──込められた想いを、解き放ちましょう。

「想いを…解き放つ……?」

 いやいや、
 怪しいだろ、どっからどう見ても。
 なんで普通に送り出してんだよ、私。

「調べる必要あり、か」

 この後予定あるんだけど……これも蒼空くんの為!

 ──でも。
 あの女の子も、
 私からすると、怪しいんだよなぁ。











 2-①/girl, again~少女、再び~
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

処理中です...