Brain/青の章

新田朝弥

文字の大きさ
16 / 16
第2章/人形屋敷の呪い melting of snow

2-⑤/A stopped clock and a silent melody(at 0:05〜)

しおりを挟む
 朝の光は、残酷なほど無機質だった。
 古い木造建築の隙間から差し込む陽光が、宙に舞う埃を白く照らし出している。

「──きゃあああああああ!!」

 静寂を切り裂いたのは、鋭い悲鳴だった。
 僕とアリサさんは、弾かれたように客間を飛び出し、昨夜の「奥の間」へと走る。

 そこで僕たちが目にしたのは、日常が完全に崩壊した光景だった。

 祭壇の前、昨夜と同じ場所に、管理人──久世 恒一はいた。
 けれど、その姿は異様だった。
 前のめりに倒れ伏した彼の後頭部には、重厚な木製の壁掛け時計が、まるで吸い付くように乗り上げている。
 畳の縁を、どす黒い液体がゆっくりと侵食していた。

「お父様! 嫌、お父様!!」

 泣き叫びながら遺体に縋り付こうとしている女性、
 久世 美緒くぜ みお
 彼女は乱れた髪を振り乱し、必死に時計を退けようとしている。
 その手は震え、血の気が引いて真っ白だった。

「……っ」

 隣で、アリサさんが短く息を呑み、僕の腕を強く掴んだ。
 指先が痛いほどに食い込んでいる。
 彼女の顔からは血気が失せ、今にも膝から崩れ落ちそうだった。

「見ちゃダメだ」

 僕は彼女の肩を抱き寄せ、視界を遮るように自分の方へ引き寄せた。
 胃の奥からせり上がってくる不快感を、奥歯を噛み締めて強引に飲み込む。
 僕だって叫び出したい。
 けれど、ここで僕まで取り乱せば、すべてが霧の中に消えてしまう気がした。

「……死んでる。即死だろ、これ」

 背後から、低く冷ややかな声が響いた。
 廊下の陰に立っていたのは、助手の真壁 隼哉まかべ じゅんや。彼はポケットの煙草を弄びながら、冷めた目で惨状を見下ろしている。

「……前から言ったんだ。あの柱時計、ネジが馬鹿になってて危ないって」

 美緒さんがその場に崩れ落ちる。
 真壁さんの態度は、主人に仕える者のそれとは到底思えなかった。

 僕は、アリサさんの震えが収まるのを待ちながら、惨状を眼に焼き付けた。
 ──違和感が、津波のように押し寄せてくる。

 まず、時計だ。
 文字盤のガラスは砕け、針は『零時五分』を指して止まっている。
 僕が昨夜、廊下でスマホを確認し、あの「鈍い音」を聞いた時間とほぼ一致する。

 けれど──記憶の中の情景が、激しくフラッシュバックした。

 ──『定刻です』

 昨日、到着した僕たちを迎えた際、彼はそう言って懐中時計を取り出し、壁の時計と一秒の狂いもなく時刻を合わせていた。
 十六時ちょうど。人形の並び、畳の目、時間の刻み。そのすべてを病的なまでに整えていた男。

 ……昨夜、お経が始まったのは『零時三分』だった。

 あの時、僕がスマホで確認した時刻。
 あんなに几帳面だった彼が、なぜ、零時ちょうどではなく、三分という中途半端な時間にお経を読み始めたのか。
 そして、そのわずか二分後に、時計は落ちた。

 視線を落とすと、久世の指先のすぐそばに、美雪の人形が転がっていた。
 昨夜はあんなに恭しく扱われていた「たからもの」が、今は埃まみれの畳の上で、無機質な瞳をこちらに向けている。

 どうして、そこに落ちている……?

 まるで、時計が落ちる道を案内したかのように。

「……蒼空くん」

 アリサさんが、震える声で僕の耳元に囁いた。

「匂う。……これ、お香じゃない」

「うん」

 血の匂いと、古い建物の匂いの混濁した空気の中に。
 場違いな、甘い──まるで香水のような匂いが、かすかな針のように混じっている。

 昨夜、僕が「本能的な拒絶」から思考をシャットアウトした、あの匂いだ。

 悲鳴を上げる娘。
 冷笑を浮かべる助手。
 そして、沈黙する人形。

 あの時、僕が欠伸をして見過ごした「二分間」。
 その間に、この部屋で何が行われていたのか。

 これは事故なのか。
 それとも──

 久世 恒一は、殺されたのか。
 あるいは。
 この「不完全な時間」の中に、自ら身を投げたのか。

「……警察を呼びましょう」

 僕は、震える美緒の背中を見つめながら、静かに告げた。
 その声は、自分でも驚くほど、探偵としての冷徹さを帯び始めていた。

 ◆◆◆

 警察を呼ぶ──そう口にしたものの、現実は僕たちの喉元に冷たい刃を突きつけていた。

「……嘘、繋がらない」

 美緒さんが震える手でスマートフォンを掲げるが、画面の隅には無情な『圏外』の文字が並んでいる。僕の端末も同じだった。山を登るバスの中では微かに通じていた電波が、この静形堂の敷地内では完全に死んでいる。

「外へ、誰か山の下まで行って……!」

 美緒さんの悲痛な叫びに、真壁が窓の外を指さした。
 いつの間にか、空はどす黒い雲に覆われ、強い風が木々を大きく揺らしている。
 それに加え雨音が、少しずつ屋根を叩き始めた。

「この天気じゃ、無理ですよ……。本降りになれば土砂崩れの危険もある。警察を呼ぶにしても、天候が回復するのを待つしかないです」

 真壁さんは相変わらず他人事のように言い捨て、美緒さんを冷たく一瞥した。

 まるで陸の孤島。
 この不気味な人形屋敷は、完全に外界から切り離された。

 ◆◆◆

 皆で固まった方が安全、との判断のもと、暖炉のある大広間に僕たちは移動した。

 美緒さんは、先ほどから遠くを見つめたまま動かない。様子からして、恐らく、焦点は合っていない。

 真壁さんは、暖炉の前で火を焚べながら、何やら独り言を呟いている。
 パチパチと爆ぜる音だけが、重苦しい沈黙を辛うじて繋ぎ止めている。

 僕はアリサさんの隣に座り、お湯を注いだカップを渡した。

「……ありがとう、蒼空くん」

 受け取った彼女の指先は、凍えるように冷たかった。

 外の雨脚は少しずつ強まっている。窓を叩く滴の音が、まるで誰かがこちらを覗き込んでいるような、不快なリズムを刻んでいた。

「……警察、早く来てくれるといいけど」

 アリサさんが小さく零す。その肩は、まだ小刻みに震えている。
 僕は努めて穏やかな声で切り出した。

「……アリサさん。少し、いいかな」

 彼女は顔を上げ、不安げな瞳で僕を見た。

「あの部屋にあった違和感のことだ。久世さんは、本当に『事故』で死んだと思う?」

 アリサさんは唇を噛み、しばらく沈黙した後、小さな声で答えた。

「……わからない。でも、あの時計の止まった時間……蒼空くんが言ってたこと、気になってる」

「そうだ。零時五分。そして、お経が始まったのは零時三分だった。あんなに正確さに執着していた久世さんが、なぜ中途半端な三分に始めたのか。……まるで、何かを待っていたみたいに」

 三分間のズレ。
 そして、現場に残っていた香水の匂い。

「……まだ。まだ何か、隠されてる気がする」

 僕がそう呟いたとき、
 ボーン、と、重苦しい音が屋敷を震わせた。
 九時を知らせる鐘だ。
 それは、まるで久世さんの死後──新しい管理人の就任を祝う人形たちの拍手のように聞こえて、
 僕は思わず肩をすくめた。

 ◆◆◆

 その頃。
 移動中の列車の静けさを切り裂く、猛烈な勢いでキーボードを叩く音。

 画面には、地図上に点滅する赤いドット。
 静形堂の位置を示すGPS信号だ。

「あーあ、やっぱりあそこ、完全にジャミング並みに電波死んでるわね」

 手元の午後の紅茶を、一口。
 タイピングを、加速させる。

「まだ繋がらない……。蒼空く~ん、早く気づけ~」

 リュックに押し込んだ、『特製お泊まりセット』の底──
 ただの"ビーナスのシャツ"じゃないんだから。

 私は再び、モニターの監視カメラ映像(屋敷周辺の古い公衆回線をハッキングしたものだけど)に視線を戻した。

「……さて。人形たちの夜は、これからが本番ね」

 窓の外では、雷鳴が轟いている。
 嵐の予感。

 孤立した山奥の屋敷で、止まったはずの時計の秒針が、再び動き出そうとしていた。
 ……などという独白でカッコつけていると。

「──お客様」

 ふと見上げると、
 ガタイのいい、車掌。

「他のお客様のご迷惑になります。お静かに」

「はい、ごめんなさい」

 私は猫を被った声で謝りながら、車掌が去るのを確認して舌を出した。
 この一分一秒を争うハッキングの最中に、マナーもへったくれもないわよ。














 2-⑤/A stopped clock and a silent melody(at 0:05~) ~止まった時計と、沈黙の戦慄~
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

処理中です...