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番外編
SS_01 ~カリマ
しおりを挟む婚約者であるラティーフさまが国へ帰ってしまった後、うちの姫――レイハーネさまは「今すぐユスラーシェに帰る!」と言い張り、宮殿は大騒ぎだった。
妹に甘いアーデルさまとナジブさまは、「準備が出来次第な」「なるべく急ぐからもう少し待て」と甘い言葉で宥めすかす。
唯一、彼女に厳しいイルハムさまだけが「王族の責務をなんだと思ってんだ、お前は!」と怒り、こんこんと説教をしていた。
責務とは言っても、アブタキア側に特別な催しや取り決めがある訳ではない。
王子たちはハレムを持ち、子が産まれると盛大に祝われるが、王女は他家に嫁ぐ身なので、基本は嫁入り先のしきたりに従うことになる。
イルハムさまの言う「王族の責務」とはユスラーシェの王族、つまりラティーフさまのことを指しており、要は「ラティーフ王子の体面を傷つけるな」と諭している訳だ。
肝心のレイハーネさまは、ずっとむくれたまま、そっぽを向いていた。
イルハムさまの言葉をそれなりに理解したのか、はたまた国王さまの泣き落としに屈したせいなのか――
レイハーネさまは結局、しかるべき日数を置き、ユスラーシェ側の準備が整ったとの連絡が来てから、出発することになった。
もちろん私――カリマも、姫さまと一緒にユスラーシェに行く。
乳母だった母と別れ宮殿に残ることを決めた時、すでに、いずれ嫁ぐ姫さまに最後まで付いて行こうと決めていた。
アーデルさまには「くれぐれもよろしく頼む」と言われた。イルハムさまにも「ラティーフ王子に捨てられないよう、お前がなんとか頑張れ」と激励される。
最後、ナジブさまには「本当にすまない。どうか最後まで見捨てないでやってくれ」と懇願された。
彼にお願いされるなんて。
俗っぽい私は、ナジブさまの綺麗なお顔を見ながら考える。
もし「最後に一度だけ抱いて欲しい」とお願いしたら――
今なら、ひょっとして話を聞いてくれたりするんじゃないの?
もちろんそんな馬鹿なこと、口にはしない。
一人でレイハーネさまの待つ部屋に戻りつつ、ため息を吐く。
(なんだろ。珍しく感傷にでも浸ってんのかしら)
自分はそんな湿っぽい性格をしてないし、ナジブさまのことは好きだけど、憧れで、そこまで思い詰めてた訳じゃない。
あんな発想が出てきたことに、自分で驚いていた。
向こうに行けば、めったに会うことはなくなってしまう。
別れに、一抹の寂しさを感じているのは確かだけれど――
部屋に戻ると、長椅子の上でレイハーネさまがうたた寝をしていた。
だが苦しげにウンウン唸りながら、眉間にシワを寄せており、私は慌てて側に駆け寄る。
「姫さま? どうしました!?」
でも彼女は目を堅く瞑ったまま、白くキレイな額に汗を浮かべ「……っ、や、ら!」と言葉の断片を口にする。
(うなされてる)
まだ眠ったまま、夢を見ているようだ。
それも、ラティーフ王子との別れを決意した、あの晩の夢を――
(トラウマになってるのね)
ラティーフさまが帰国してからの数日間、何度かこうして、姫さまがうなされているのを見た。
顔に傷のある男――シャヒードが、目の前でラティーフ王子に剣を振り下ろしたのだ。
彼女は愛しい人が目の前で殺されてしまいそうになる恐怖を味わった。
だから、それを見ていた自分や、話に聞いたナジブさまは、レイハーネさまが早くラティーフ王子の元へ帰りたいと言うのを強く止めることが出来ない。
「レイハーネさま、大丈夫。明日になればラティーフさまに会えますよ」
周辺国では普通、妻妾というのは貢ぎ物の一種で、わざわざ向こうから迎えに来ることはない。
それはユスラーシェも同じなのだが、ラティーフ王子は自らレイハーネさまを迎えに来るという。
(早速、甘やかされてる)
顔は恐いけど、優しい王子に愛されて、姫さまはきっと幸せになるだろう。
問題があるとすれば、それは多分――
「こらっ、レイハーネ!」
ドカンと大きな音を立て、部屋の扉が開かれる。
そんなことをするのは、ただ一人。
「イルハムさま」
「あ? なんだ、どうした。具合でも悪いのか」
昼間から長椅子で横になるレイハーネさまを見て、イルハムさまが目を見開く。
扉が開かれた音で目を覚ました姫さまは、寝ボケまなこをして周囲をキョロキョロ見回した。
「イルハム兄さま……? 何かあったの」
「何かって、お前明日出発だろうがっ! 親父が『レイハーネ、レイハーネ』ってうるせーんだよ。早く来い!」
姫さまはイルハムさまにズルズル引きずられていき、私はその後を小走りで追いかけた。
この婚姻で問題があるとすれば、それは国王マージドさまの『愛娘ロス症候群』だろう。
出発前からすでに症状が出ている。
以前は「お父さま、お願い」と何かしらおねだりしながら周りをウロウロしていた可愛い姫は、婚約してからというもの「ラティーフさまに会いたい」としか言わなくなった。
いきなりいなくなり、帰ってきたと思ったら完全に親離れしていたのでは、マージドさまもショックが大きいだろう。
(政務に影響がないといいけど)
そう思いつつも、アブタキアの王子3兄弟はそれぞれ個性的で有能だから、大した心配はしていない。
レイハーネさまは、出発前の残り時間を国王さまの側で過ごした。愚痴を零す父に、可愛い娘は最後の親孝行とばかり甘えてみせる。
翌日の朝。
予定通り到着し、馬車から降りるラティーフさまの姿を見て、待ち構えていた姫さまは駆け出した。
「ラティーフさまっ!」
「レイハーネ!」
全力で走った勢いのまま飛びついていく。
それくらいではビクともしないラティーフさまは、軽々と彼女を受け止め、片腕に乗せて抱き上げた。まるで子どもを抱くみたいに。
レイハーネさまは、満面の笑みでラティーフさまの首に抱きつき、頬を擦り寄せている。
その様子を遠くから見守っていた侍従たちが、背後でこっそり囁き合うのを聞いた。
「なんだろう、あれ。なんか見たことある」
「ああ……飼い主のことが大好きな……犬?」
「たしかに。姫さまの後ろに尻尾が見えるな」
「うん。全力でフリフリしてる」
私は思わず吹き出しそうになるのを、かろうじて堪えた。
(姫さま……"稀代の美姫"の名が台無しですよ)
だが、彼女は本当に幸せそうだ。
それを見て、嬉しくならないはずがない。
(良かったですねぇ、姫さま)
当分の間は戦もなく、平和な世が続いていきそうだし。
ユスラーシェに行けば、働き者の侍女が二人増えるそうだ。
(これで私も楽になるかな)
顔を上げたら、姫さまがこちらに気付き、ラティーフさまに抱かれたまま手を振った。
「カリマー! 早く早く! 出発するわよっ」
「えっ、もう?」
慌ててナジブさまを探したら、彼も顔色を変え、「ちょっと待て、レイハーネ! まだやることがっ」と叫んでいる。
(最後の最後まで――)
この姫の側にいて、楽になる日が来るなんて。
考えないのが自分自身のためかもしれない。
そんなことを思いながら、走り出した。
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