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第二章
迷い_05
しおりを挟むオーブリーが部屋を出て行き、再び一人になったラウルは自室の椅子に深く腰掛け、息を吐く。
(ようやく君に会える……シャルロット)
彼は目を閉じ、まぶたの裏に愛しい彼女の姿を思い浮かべた。
バランド家は元々軍人の家系だ。王家と血縁関係を結び侯爵を名乗るようになってからは、官僚としての役割を果たすのが主となっている。だがそれでもバランド家に生まれた男子は、幼少時から軍人としての知識や技術を徹底して叩き込まれる。戦となればいつでも軍を指揮し前線に立つ覚悟を持たされるのだ。
屈強な体格揃いの一族男子に比べ、ラウルは線が細く、本人も武力を身に付けるより知識を学ぶほうを好んだ。
母親の身分が低いこと。そして本人の人目を惹く麗しい容姿も相まって、ラウルは跡継ぎでありながら、一族の中では浮いた存在だ。
さらに幼い頃から年の三分の一ほどを辺境のビゼーで過ごし、母リュシエンヌの体調が戻るまで王都には戻らない。それを繰り返すうち、同じ年頃の貴族たちからも段々と距離を置かれるようになった。
とはいえ筆頭侯爵家の子息であるから、一挙一動には注目が集まる。他人からは、媚びてすり寄られるか必要以上に距離を置かれ、腫れ物みたいに扱われた。
そうなると誰のことも信用できなくなり、ラウルは感情を表に出すことを一切やめた。長い間そうしていたら、いつの間にか周囲から『氷面の伯爵』と呼ばれるようになった。
彼が思ったことや感じたことをそのまま見せられるのは、シャルロットだけだ。
素直で裏表のないシャルロットはラウルを慕い、真っすぐ彼の目を見つめ、傍にいると本当に嬉しそうな顔をする。
シャルロットと共にあるときだけ、ラウルは重責と孤独を忘れることができた。
会えなかった二年の間に彼女はますます美しくなった。でもラウルを見つめる瞳も、そこに滲む愛情にも変わりはない。社交界にもデビューしたし、あとは結婚さえ出来れば、彼女を常に自分の傍に置くことができる。
(だが正攻法では、おそらく無理だろう――)
双方の親たちが反対する気持ちは充分理解できる。かといって素直に従えるかといえば、それは全く別の話だ。
ラウルに取れる手段は、そう多くない。父ユベールにとって自分という駒がどこまで重要か――すべてはそれにかかっている。
(父が折れてくれるのが一番だが……簡単にはいかないだろうな)
自分の頑固さは、間違いなく父から受け継いだものだ。ラウルは先ほどオーブリーから言われた言葉を思い出し、苦笑を浮かべた。
――”どうか無茶なことはなさいませんように”
(無茶なのは初めからそうだ……)
自分のような立場にある者が、愛しい女性を妻に望むこと、それ自体がすでに。
「もう決めたんだ。悪いな……オーブリー」
ここにはいない有能な執事に向かって、ラウルは静かにそう呟いた。
***
エレーヌからの招待を受け、シャルロットはノーニスの湖畔にあるというフーリエ伯爵家の別荘へ行くことになった。手紙にはハッキリ書かれていないが、エレーヌがそこでシャルロットとラウルを会わせようとしているのが窺える。
一月あまり家に籠りきりでジッとしていたのが功を奏したのか、父も母も出かけることに反対はしなかった。
だが出発の3日前である今日――
シャルロットは伯母のリュシエンヌに呼び出され、彼女の話を聞くため馬車に揺られていた。
リュシエンヌから「どうしても会いたい」という伝言を受け取ったのだが、シャルロットの胸には不安しか湧いてこない。
だが無視する訳にもいかず、母マリアンヌからも必ず行くようにと言われ、シャルロットは王都郊外にあるヴェルネ侯爵家の別邸へと向かっていた。そこはラウルと二年ぶりに再会した、あのサロンが開かれた屋敷だ。
馬車を降りる時、シャルロットは緊張で足が震えるのを感じた。花の咲き乱れる見事な庭園を見ても、何かを感じる余裕がない。
彼女はメイドに案内されるまま屋敷の奥へ進んだ。だが一歩踏み出す毎に、足が重たくなっていくのを感じる。
(伯母さまの話って、やっぱりラウル兄さまのことよね……)
シャルロットは胸がぎゅうっと押しつぶされたかのように苦しくなるのを感じた。
二人の結婚を誰よりも反対するのは、おそらくリュシエンヌである。長年、望まぬ苦労を強いられてきたのは他ならぬ彼女自身だ。それをシャルロットも幼い頃からすぐ近くで見てきた。
メイドがドアの前で足を止め、シャルロットはハッとして顔を上げる。
「こちらの応接間でお待ちください」
彼女はそう言って扉を開き、中へ入るようシャルロットに促した。
そんなに広くはないが、侯爵家の別邸だけに調度品は豪奢なものばかりだ。
シャルロットは静かにうつむいたまま勧められた椅子に腰掛け、リュシエンヌの訪れを待った。
リュシエンヌは応接間に入ると、それに気づき立ち上がったシャルロットを見て、明らかに驚いた表情を見せる。
「まぁ……久しぶりね、シャルロット。すっかり娘らしくなって」
二年ぶりに会う伯母は、最後にビゼーの屋敷に来た時よりだいぶやつれて見えた。とはいえ、彼女がとても美しい貴婦人であることに変わりはない。
「ご無沙汰しております、伯母さま」
挨拶をすると、リュシエンヌはシャルロットをジッと見つめ、少し悲しげな表情をして息を吐いた。
「ラウルが……あなたをとても困らせているそうね。ごめんなさい、シャルロット」
その言葉に驚き顔を上げると、リュシエンヌはそっとシャルロットの背中に手を添え、座るよう勧めた。
リュシエンヌは向かい側のソファに座り、再びため息混じりに言う。
「あの子があなたに執着するのは……私のせいなの。昔からシャルロットだけが、あの子の本当に大切な友だちであり、家族であり、妹だったわ。そして今は……一番大事な恋人なのね」
シャルロットの心臓がドクンッと跳ねる。
(”恋人”――)
二人が愛人関係にあるという噂を、両親だけでなく伯父と伯母がどのように感じているのか――
シャルロットはそれを案じ、とても心苦しく思っていた。だがリュシエンヌは理解を示し、優しく語りかける。
「私には分かる。いえ、私だけじゃなくて皆分かってるのよ。あなた達の気持ちがとても純粋で、真剣なものだってことは。だって幼い頃から二人がどんなに仲良しでお互いを大事に思っていたか……見ていたもの」
「伯母さま……」
胸が締めつけられ、シャルロットは涙がこぼれそうになるのを必死で堪えた。だが次にリュシエンヌが放った言葉で、彼女は息を呑む。
「でもダメよ、シャルロット。ラウルとの結婚には賛成できないわ」
途端に打って変わり、息詰まる空気が流れた。
シャルロットはおそるおそるリュシエンヌの顔を見つめ、掠れた声で問いかける。
「伯母さま……どうしても?」
リュシエンヌは辛そうに眉根を寄せ、うなずく。
「お互いに想い合ってるあなた達と、私とは違う。身分が違うことで当然苦労はするだろうけど……それが理由じゃないの。もっと重要なことよ」
「もっと重要なこと?」
シャルロットが怪訝な顔をすると、リュシエンヌは真剣な表情で声を落とした。
「以前から王党派と共和派は対立していたけれど、ここ最近は特に酷いの。混乱は宮廷だけじゃなく、王都にも広がりつつあるわ。街外れで貴族の馬車が襲われる事件も増えてる」
シャルロットは再び息を呑む。その話の先の予測がつき、彼女の胸には絶望の暗闇が急速に広がっていった。
「近々市民が暴動を起こすのではないかという噂もあるの。今、王党派を分裂させるわけにはいかない。そのためにもラウルには王党派の……それもできるだけ力のある貴族と結婚して貰わなきゃならないのよ。それはヴェルネだけじゃなく国のために必要なことなの」
(国のため――)
シャルロットはうつむき小さく震えながらスカートの端をぎゅっと握り込んだ。
リュシエンヌは悲痛な面持ちでシャルロットに頭を下げる。
「本当にごめんなさい、シャルロット。せめてラウルに兄弟がいれば……」
(謝らないで、伯母さま)
シャルロットは涙を堪えるために唇を強く噛みしめ、首を横に振った。
「許して。あなたのことは娘も同然に思ってる。こんな風に苦しめたくはなかったわ」
(そんなことを言われたら……兄さまを諦めるしかなくなってしまう――!)
堪えきれずこぼれ落ちた涙を伯母に見られないように、シャルロットはジッとうつむき小さく肩を震わせた。
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