奥遠の龍 ~今川家で生きる~

浜名浅吏

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~思案の章~ 『花倉の乱(顛末)編』 天文五年(一五三六年)

第39話 久しぶりだね!

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「えっ? 宗太?」

 部屋に入ってきた静が、五郎八郎を見て腰を抜かさんばかりに驚いている。
 五郎八郎は静を連れてきた八郎三郎に下がるように指示。だが八郎三郎は静をじろりと見ると、危険ではないかと懸念を口にした。

「心配するな。匕首あいくちは没収しているんだろ? 八郎三郎、暫くこの部屋に誰も近寄れないようにしてくれないか?」

 「承知しました」と言って平伏し、八郎三郎は部屋から出て行った。
 五郎八郎は戸を開け、八郎三郎がかなり向こうの方の廊下で座っているのを確認し戸を締めた。

「友ちゃん、久々だね。色々と大変だったね」

 静こと友江はぽかんと口を開け、五郎八郎こと宗太の顔を、まんじりともせず見続けている。

「よく僕だってわかったね。いつ頃から気付いていたの?」

 友江は聞こえているのか聞こえていないのか微動だにしない。宗太が友江の顔の前でパンと手を叩くと、友江はビクリとして口をパクパクさせた。

「どうして? どうして宗太がここに? 何で? 松井五郎八郎って人はどこにいるの?」

 部屋の中をキョロキョロと見回し、友江が松井五郎八郎という人を探している。

 あれ?
 と言う事は、今の今まで気づいて無かったという事なのかな?
 てっきり自分が松井五郎八郎だと気づいてて話をしにきたのだと思ってたのに。

「僕がその五郎八郎なんだけど……」

 宗太の告白に友江は、「えぇぇ!」とかなり下品な声をあげた。

「嘘じゃん。またまた。だって土方城攻略の総大将だよ? そんな人が宗太なわけないじゃん。さっさと五郎八郎様に会わせてよ。交渉したい事があるんだから」

 あんたなんかお呼びじゃない。友江は足を崩し非常に砕けた態度で宗太を追い払うように手を振った。

「何なの、その交渉したい事って? そもそも今身一つなんだから交渉できるような材料なんて無いでしょ?」

 友江は少し頬を赤らめると、恥ずかしそうに視線を落とした。
 ふいに何かを思いついたらしく、そうだと言って手を打つ。

「ねえ宗太。あんた五郎八郎様と何かしら関係があるんでしょ? だったらさ、あんたからもお願いしてみてよ。仙ちゃんの命だけでも助けて欲しいって。その代わり私はどんな事になっても我慢するからさ」

 友江のその発言で、静として五郎八郎に懇願しようとした事が何なのかがわかった。友江は仙という娘を身を挺して守ろうとしているのだ。

「何でそんなにまでしてあの娘を助けたいの? だってこう言ったらなんだけど、友ちゃんとしてはえんゆかりも無い人でしょ?」

 宗太の指摘に友江は「縁も縁もある」と呟くように言った。


 ――あの事故の後、友江は懸川城の一室で目を覚ました。

 身に付けているのは下着のような白い薄衣一枚。
 それなりに自信のあった胸は見る影も無く、明らかに年下の誰かになっている。近くに置いてあった鏡を見ると中学生くらいの頃の自分の顔。

 心配して見に来てくれた人たちが全員全く知らない人で、ここが自分の知っている世界では無いという事を強烈に認識した。その瞬間、もう元の生活には戻れないかもしれないと感じ、涙が止めどなく溢れた。

 トイレに行っても紙も無いし、風呂に入りたくても湯も沸かしてくれない。食事は不味いし、甘い物が食べたいと泣いたら渡されたのは干し柿。

 狂ったように泣き叫んでいると、母親だという人が現れ頭ごなしに叱られ、折檻を受けた。その後は少しでも口答えすると頬を叩かれた。

 何でこんな目に遭わなければいけないんだと泣いてばかりの日々が過ぎる。するとある日、ついには座敷牢に閉じ込められてしまった。
 毎日のように癇封じだと言って服を脱がされ手足を押さえつけられてお灸を焚かれた。

 私の母親は何でも言えば話を聞いてくれたし、我がままを言っても怒られたりしなかったのに、この鬼婆は何一つ私の話を聞いてくれない。正直、気が狂いそうだった。

 そんな生活が半年ほど続いたある日、備中守という人が現れた。兄だと名乗るその人は、私に「嫁入りが決まった」と告げた。

 こいつは一体何を言っているのだろう?
 キョトンとした顔で首を傾げた。
 どこをどう見ても結婚などという歳じゃない。まだ子供から一歩だけ成長した程度に過ぎないのに。

 「嫁入りの話が出ては消え出ては消えして、やっと話がまとまった」と備中守はホッとしていた。
 相手は福島上総介の三男で孫九郎。
「遠江衆の結束強化の為に今川家の為に架け橋になれるように励んで欲しい」そう備中守は微笑んだ。

 先様に失礼の無いようにと、家中でも一番厳しく私に接してきたかずらという娘を侍女に付けられ、白無垢の衣装を着せられて土方城に連れて行かれた。
 結婚なんてまっぴら御免。輿に揺られながらそう思い続けていた。

 しかも土方城に到着してみれば、家中の者たちは明らかに歓迎してくれているというムードではない。
 祝言が終わった後にぼそりと聞こえてきた話で、これが政略結婚だという事を悟った。

「朝比奈家取り込みの為とはいえ、あんな気の触れた娘を嫁に娶るなど、孫九郎様も気の毒な事よ」

 初夜の嗜みとやらを蔓に叩きこまれ、平伏していると寝室に孫九郎が入ってきた。
 城に連れて来られて、ここまで孫九郎という人の声すら聞いていない事に今さらながらに気が付く。

「不束者ですが……」

 そこまで言ったところで孫九郎に乱暴に押し倒され、その後はただただ無言で粗末に扱われた。
 事が済むとまるで興味の失せた玩具でも捨てるよう放置される。当の孫九郎は背を向けて寝てしまった。
 はっきり言って屈辱的以外のなにものでもなかった。

 蔓に叱られ続ける毎日。そんなある日、手紙一枚を残し、蔓に自害されてしまった。侍女に諫死されたという話が瞬く間に土方城中に知れ渡ってしまった。

 それからというもの家中で完全に孤立。孫九郎にも相手にされない。
 風当たりは一層酷くなり、屋敷の縁側でただただ外を眺めて一日過ごすという日々を過ごす事が多くなった。


 ある日そんな私を気にかけてくれた娘が現れた。それが豊後守の娘の仙。当時は確か四歳だと言っていたと思う。
 私の何が気に入ったのか、仙は毎日のように庭に花が咲いているだの、雨が楽しい音をさせているだのと言って一緒に縁側に座って取り留めも無い話をしてくれた。

 この世界に来て初めてできた友達。そんな仙に私も徐々に心を開いていった。この娘の笑顔の為なら何でもしてあげたい、そこまで思った。

 結婚から七年、子宝には恵まれず、何度も離縁という話が出る。その都度、仙が父に何とかして欲しいと懇願してくれて、離縁されずにここまできた。

 そんな娘を城が落ちたからってどうして止めを刺す事ができるだろうか――


 そこまで言うと友江は瞳を潤ませ俯いて肩を震わせた。

「だからね、私はその五郎八郎って人の侍女でも妾でもなるから、仙ちゃんだけは、あの娘の命だけは何とか助けて欲しいってお願いしたいの。これまで何かしてもらうばかりで何もしてあげられてないから、せめて一度くらいは……」
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