奥遠の龍 ~今川家で生きる~

浜名浅吏

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『三河平定編』 天文十六年(一五四七年)

第69話 これからはそなたが主で

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 結局、東条城落城を持って、遠征してきた今川軍は一部を残し三河から撤収する事となった。

 雪斎禅師も尾張の情勢は少し時間をおかないと先行きが不鮮明と感じたらしい。あまり強硬な手段に出て竹千代君を害されでもしたら、それはそれで三河の支配に影を落としそうというのもあった。

 「竹千代を奪われたのは自分たちの失態であり、今川家の行動の足枷になりたくない」「もし竹千代を害された時には仇を討ってくれれば良い」と松平三郎は言ってくれた。だが今川家としては奪還を最優先。それが威信というものであるというのが雪斎禅師と五郎八郎の総意であった。

 予定通り安祥城は松平家に引き渡し、浅井小四郎と三浦左馬助は東条城へ。松井金四郎にはそのまま東条城に残ってもらい、尾張攻略の補助を行ってもらう事になった。


 駿府に戻り、少し体を休めた後、雪斎禅師たちはお館様に呼び集められる事になった。お館様が聞きたい事は三点。
 今後天下の情勢はどうなるか。
 北条、武田をどう扱っていくべきか。
 尾張の織田三郎を誰が支援しそうか。

 京の公方様は管領かんれいの細川京兆けいちょう家のお家騒動に巻き込まれ、長い間、近江内を転々としており、その治世の多くを近江で過ごしている。近江守護六角弾正少弼が庇護していて何度か京に入りはするものの、政情不安によってすぐに近江に逃れている。
 その公方様が一昨年、将軍職を嫡男の羽林様に譲った。明日をも知れぬ情勢から、何とか自身の子を次の将軍に就けようという意図があったのだろう。

 その後再度細川家で内紛が発生し、公方様たちはまたも京を離れ、近江に逃げている。

 細川右京大夫の配下に三好筑前守なる者がいる。元は阿波の国人に過ぎなかったが、この京での一連のごたごたの中で頭角を現してきたのだそうだ。どうやらこの者が細川右京大夫と仲違いをし、細川家は内乱状態になり始めたらしい。
 また公方様の身辺が荒れるかもしれないという情報が京からは漏れ聞こえている。

「健全な精神は健全な肉体に宿ると、羽林様は武芸に明け暮れていると聞きます。武家の棟梁としては頼もしい限りです。ただ、ここまで京の御所に戻れたり逃げ出したりを繰り返しています。これからの動きを見ない事にはなんとも」

 期待はするが未知数、それが雪斎禅師の見立てであった。
 もし羽林様が見どころがあるようであれば、尾張、伊勢、大和と制し、羽林様を御旗に幕府の立て直しをしていけばよい。そうでないのなら、足利一門衆として、当家がそれに取って代わってしまっても良いだろう。

 駿河、遠江、三河を制した今であれば、そういった行動も可能になってくる。尾張、伊勢まで制すことができれば、東海道の半分を手中に収める事になる。そこで公方様を抱き込む事ができれば、もはや歯向かう者はいなくなるであろう。
 今川家が天下に覇を唱える日も存外近いかもしれない。雪斎禅師はそう言って口元を緩めお館様を焚きつけた。

 ほくそ笑む二人に五郎八郎は「懸念点が多く、一筋縄ではいかないでしょうが」と水を差した。

「そうなれば領土が東西に長く間延びしてしまいます。本拠の移転も考慮する必要が出てきましょう。それと、北の武田家、東の北条家の動きにも注意が必要となってきます。さらに……」

 そこまで言って、五郎八郎は一旦話を区切り茶をすすった。お館様と雪斎禅師の顔を無言でじっと見つめる。

「この場に呼べる者を増やしていかねばなりません。寿桂尼様、雪斎禅師、それがし、勘助、それ以外にも数名を。できれば三河からも一名。そうする事で以前のように譜代だ外様だと家中でいがみ合わずに済むかと」

 五郎八郎の進言に雪斎禅師は難色を示した。「船頭多くして船山に上る」と言って。

「なるほど。確かにそれはあるかもしれません。では差し当たって朝比奈肥後守を呼んでみるというのはいかがでしょうか? 田原城攻めの話を聞くに若いながら中々に見どころのある者に思います」

 朝比奈肥後守の名を聞くと雪斎禅師は目の付け所が良いと納得。
 誰かが欠けてから腹心になりそうな者を探すのではなく、あらかじめ目星をつけておき補充していけば連続した方針での運営が可能だし、人材も育ちやすいかもしれないと五郎八郎は説明。

 そういう方向であれば、庵原右近、由比美作守、三浦左馬助、岡部五郎兵衛、松井山城入道を定期的に呼び寄せ、方針の擦り合わせを行うと良いかもしれない。
 雪斎禅師がぽんぽんと挙げていった名前に、お館様もその者たちであればと納得した。

「本来であれば五郎八郎がここにおるから、山城入道ではなく他の者にしたいところなのだが、如何せんあの者以上に外交に長けた者がおらぬからな。これからの難局を考えるとやむを得ぬ」

 そう言って雪斎禅師は五郎八郎の顔を見て苦笑いした。お館様も同じく苦笑いする。

「父上は嫌がっておいでですよ。寿命が縮むと言って。孫やひ孫とのんびり暮らすはずだったのにと、うちで酒を飲んでは愚痴ばかりおっしゃっていますよ」

 「付き合わされる家人たちも良い迷惑だ」と五郎八郎が言うと、お館様と寿桂尼は一斉に笑い出した。「重責を考えれば愚痴の一つだって言いたくなるでしょう」と勘助も笑っている。

「この先、北条家と武田家を同盟関係で雁字搦がんじがらめにせねばならん。それにはああいう肝の座った歴戦の者に、時には脅し、時にはなだめすかすといった事をやってもらわねばならぬ。弁が立つだけの僧では上手くはいかぬからな」

 「だから愚痴くらい聞いてやってくれ」と雪斎禅師も笑い出した。

「問題は尾張の情勢であるな。織田弾正忠の跡目争いだ。勘助、何かあれから情報は無いか?」

 お館様の問いかけに、勘助は「東条城から書状が来ている」と言って差し出した。書状は浅井小四郎からのもので、とり急ぎ一報という感じの内容であった。

 安祥城を出た織田三郎五郎が、守護代織田大和守の清州城へ転がりこんだ事が確認できたらしい。どうやら三郎五郎は、大和守家の家人坂井大膳だいぜんなる者を抱き込んで、守護である斯波しば左兵衛佐さひょうえのすけの追放を企んでいるらしい。

 犬山城主となった次男の織田安房守は、しきりに美濃斎藤家と接触を図っているらしい。
 古渡城の織田三郎は、先の戦で討死した守山城主織田孫三郎の子の市之助と接触している。
 末森城の八法師だが、そちらには、どうやらもう一つの守護代織田伊勢守と、伊勢国司の北畠天祐が接触しているらしい。

「この書状からすると、今の段階での最大勢力は嫡男の八法師、次いで長男の三郎五郎といったところでしょうか。次男の安房守は斎藤家が支援すれば八法師と肩を並べるかもしれません。三男の三郎はちょっと厳しいですね」

 勘助の報告にお館様と寿桂尼は納得しているが、雪斎禅師は全く同意していなかった。
 「今の尾張で気を付けねばならない人物が二人いる」と言い出した。それは、三郎のところの平手五郎左衛門と、清州城にいる坂井大膳。

「拙僧が五郎左衛門であれば、まず真っ先に次男の安房守を抱き込みます。そうすれば自分よりも少し大きな勢力と美濃一国の支援を受けられる事となります。三郎五郎と八法師が手を組んでいない以上、個別に撃破すれば良いと考えます」

 そうなった時点で尾張は、今川家、美濃斎藤家、伊勢北畠家の代理戦争の場となってしまうだろう。後々尾張を統治する事を考えたら、戦が長引くのはあまり好ましくは無い。
 雪斎禅師はそこまで言うと、「五郎八郎はどう考えるか?」と話を振った。

「それがしが坂井大膳であれば、斯波左兵衛佐を抱き込んで大義名分を得て陣営の切り崩しを図ります。亡き織田弾正忠は成り上がりです。その者がああいう事になったのは秩序を軽んじたからだと言えばなびく者は多いかと」

 ただし、雪斎禅師の予想にも五郎八郎の予想にも、個々人の性格や特性が加味されていない。
 坂井大膳が己が野望に任せて斯波左兵衛佐を殺めてしまうかもしれないし、三郎と五郎左衛門が仲違いするかもしれない。道三入道が好機と見て犬山城を攻め潰してしまうかもしれない。
 今の状態では何とも言えない。

「以前も少し言いましたが、三郎五郎だけでなく三郎と八法師にも接触して、竹千代君を返却すれば当家の支援が得られると思わせるのが良いかと存じます。竹千代君さえ返ってくれば、もはや弾正忠の子たちなぞには何の用も無いかと」

 武を持って全て踏みつぶしてしまえば良い。その為には美濃を武田家に牽制してもらわないといけないし、伊丹水軍に伊勢からの海路を封鎖してもらわないといけない。

 五郎八郎の方針に最初に納得したのは雪斎禅師であった。目標を見誤るところであったと。勘助もなるほどと賛同。だが、お館様と寿桂尼は何か言いたい事があるようだった。

「実は義母上からの要望でな、竹千代とともに斯波左兵衛佐の身も確保しておきたいと思うのだ。落ちぶれたとはいえ、あの者は斯波武衛家の当主。こういった者を確保しておくことで、当家は公方様を大切に思っていると宣伝ができると思うのだ」

 現に、京から公家が三河の吉良家を頼って避難してきていると聞く。こうした者を上手に利用していく事もこれからは大切になっていくだろう。

 いずれにしても暫くは様子見。兵たちにも休養が必要。そういう事で密談は終わった。

****

 お館様の部屋を退室した五郎八郎は、雪斎禅師に呼び止められた。「二人だけで話したい事がある」と言われて。

 雪斎禅師は小坊主に人払いを命じ、襖を静かに閉じた。五郎八郎の前に座り、茶釜で湯を沸かし、茶碗と茶筅を用意し、抹茶を立て始めた。

「五郎八郎、三河では申し訳なかったな。あのような重要な局面で病など得てしまって。最近、どうにも以前に比べて体が言う事を聞かんのだ。拙僧も五十を過ぎたでな。そろそろ天命を知る時期なのかもしれぬな」

 茶筅をしゃかしゃかと茶碗の中で動かし雫を丁寧に落としてから、茶碗を五郎八郎に差し出した。
 正直、お茶と言うと以前の寿桂尼の極苦抹茶を思い出してしまう。だが雪斎禅師の点てたお茶はほのかに甘く、苦味は非常に少なかった。

「これから拙僧は、後進の育成に励もうと思うのだ。拙僧亡き後も、しかと今川家がやっていけるようにな。その為、そなたにもこれと思う者を推挙してもらいたいのだ。それと、これからはそなたが拙僧の代わりにまず方針を述べよ」

 不安そうな顔をする五郎八郎の肩に雪斎禅師はそっと手を置いた。実に人の良さそうな笑顔で微笑む。出会った頃はこんな穏やかな顔は見せなかったように思う。

「なに、心配することは無い。そなたなら大丈夫だ。拙僧もそう簡単にはくたばってはやらん。差し当たって拙僧は北条家と武田家を担当するから、そなたは尾張を担当なされよ。頼んだぞ」

 五郎八郎はその場で平伏した。「やれるだけの事をやってみる」、それしか言葉は出てこなかった。
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