身代わり神子の、失恋のあと

さき

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 一体何だったんだろう。視点の定まった目で辺りを見渡すと、ろうそくに見知らぬ間取りが照らされていた。ここはどこだろう。内臓をそっと撫でられたような気味悪さを感じ、指先が自然と胸元へ向く。ネックレスを辿り、先端の指輪に触れようとして、それがないことに気づく。
「えっ、……え、えっ」
 何度繰り返して触ってみても、首から外して吟味しても、おもちゃの指輪がなくなっている。ベッドに目を凝らしても、手を這わしても、一向に見つからない。
「探し物か」
 気配もなく運び屋が戻ってきた。馬に乗っていたときには気づかなかったけれど、ずいぶんと背が高い。真っ黒な短髪と、筋肉質な体にフィットした黒い装いが、絵本のなかの悪者を彷彿とさせる。顔のどこかに刀傷でもあれば完璧だ。
「ねえ、ネックレスにしていた指輪を見なかった? たしかに綺麗に磨いていたけれど、あれはおもちゃなの。お金にならないから、もしあなたが持っているなら、返してもらえないかしら」
「オレは物盗りじゃなくて運び屋だ。あんた何も持っていないって言ってたけど、そんなに大切なら教えておけよ」
「だから、そうじゃなくて。ただのおもちゃなの」
「あんたにとっては必死に探すほど大切なんだろうが。……どちらにしろこの時間から探しに戻るのは無理だ、諦めろ」
 言い返す男の呆れ顔に、ミレは目を瞬かせた。諦めろと言われて胸がつかまれたように感じたのもつかの間、必死に探すほど大切なものだろうか、という問いに即答できなくなっていた。
 男はすぐ興味をなくしたように視線を外し、二つ持っていたティーカップのうち、一つをミレの方に差し出した。
「飲んで落ち着け」
 カップには、湯気ののぼる真っ黒な液体が入っていた。男が同じものを飲んでいるところを見ると、泥水ではなさそうだ。得体は知れないが、手のひらが温まると、不思議と心がほどげていく。
「ありがと、う?」
 言いながらミレは、しかしそもそも落ち着けない状況をつくったのはこの男だと思い出した。一口飲んだ後味が苦くて、ミレは盛大に顔をしかめた。
「なに、これ」
「黒苦茶。気分を安らげてくれる効用がある」
 運び屋は苦みを感じていないかのようにカップを飲み干し、続けた。
「今から国王陛下に謁見するから、せめて正気でいてくれ」
 ミレは絶句して男を見つめた。カップの中身がホットミルクでなくて良かった。噴き出してしまったのを、とても悲しく思ったはずだから。

 国王の肖像画というものを、ミレは新聞の号外紙で見たばかりだった。凛々しい眉の下、眦が下がっているが、眼光はするどい。鼻はすっと通っており、口元は髭に覆い隠され、微笑んでいるのか引き結んでいるのか分からない。年齢は記載されていなかったが、孤児院の院長よりは若そうで、上半身の厚みを見る限り恰幅がよさそうだった。
 自分と同い年のムカリ様のお父上なのだから、ミレにも父親がいたら、こんな風貌だったろうかと想像を膨らませていたところだった。だから彼が会うなりミレを抱きしめ、「娘よ」と言ったとき、現実と妄想の境界が曖昧になった。
 人払いされた王座に座るその姿は、肖像画より五歳ほど年上に見える深い皺を、広い額に刻んでいた。髪の色はミレと同じ栗色で、瞳は暗い青色だ。運び屋がミレを連れてくるなり、王は立ち上がり、ミレの肩を抱いた。ミレは運び屋に助けと説明を視線で求めたが、彼は腕組みして壁に背をもたれてしまった。
「あのう、私は孤児院育ちで、礼儀も学もないのですが、王様の娘様はムカリ様ではないでしょうか」
「ああ、ああ、そうだとも」
 王は大きく頷いたあと、ミレの肩を両手でつかみ、「そしてお前もだ」と言い切った。
「二十五年前の太陽祭のあと、先代ムカリ様と婚姻し、わしは国王となった。伝統通りに娘を産むべく尽力したが、九年ものあいだ子供に恵まれず、国王失格などと言われておった。やっと娘が生まれたとき、驚くべきことに、その子は双子だったんじゃ」
 双子のムカリ様なんて聞いたことがなかったが、まさか国王の言葉を否定するわけにもいかず、ミレは頷いた。
「先例のないことだったから、わしは慌てた。双子の神など災いの種じゃ。そして愚かなわしは、お前を孤児院に託すことにしたんじゃ。寂しい思いをさせて、申し訳なかった」
 王は、ミレの肩から手をはずし、王自身の膝にやると、この通りだといって頭を下げた。目玉が飛び出そうなほど見開いて、ミレは運び屋を振り返るが、運び屋は目を伏せたまま微動だにしなかった。
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