身代わり神子の、失恋のあと

さき

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「ウィリアムか、よく来たな」
 新しい客人の訪問に、国王の瞳からも、険悪な光が消えていく。
「陛下、ムカリ様、本日もご機嫌麗しく、恐悦至極に存じます」
「そんな堅苦しい挨拶はよい。呼び出してすまなかったな、息災だったか」
「お心遣い痛み入ります。昨日まで西端の町にいたので、登城まで時間を要し恐縮です」
「よい、よい」
 ミレは、ウィリアムが畏まっている姿を初めてみた。対照的に国王は気安く、まるで孤児院の院長が実孫と再会したときのような浮かれ顔だ。
 ウィリアムの向こうで、絨毯を挟んで並ぶ者たちがざわめきだす。あれが噂の、などという声とともに、あからさまにウィリアムとミレを見比べる露骨な視線が寄越される。当然ウィリアムも気づいているだろうが、彼は伏し目がちに微笑んだまま、国王に礼を尽くしている。
「正式発表までは曖昧な立場で居心地も悪いだろうが、我慢してくれ」
「我慢など、滅相もありません」
 ウィリアムの目が、ゆっくりとミレの方を向き、花が綻ぶように笑った。ミレは素性がばれないか恐れたが、ウィリアムと目が合ったとき、杞憂と悟った。彼の視線は、まさに神を見るような熱っぽさに潤み、ミレを通して何か別のものを見ているようだった。孤児院のミレがなりかわっているなんて、少しも疑う様子がない。
 国王の咳払いが聞こえると、ウィリアムの視線が外れ、王の間に静けさが戻ってきた。
「積もる話は食事しながらにしよう。それよりスチュアート領の孤児院のことだが、引き取り手が見つかったので、今日明日中にでも新しい家族のもとに引き渡し、院を解散としたい」
 ミレは思わず「え」と口に出しそうになった。寸前のところで堪え、唾と一緒に嚥下する。喉の奥が、予期せぬ刺激に小さく痛む。
「我が領の孤児院のことまでお気遣いいただき、感謝の言葉もありません。孤児らに家族ができるのは何よりですが……」
「うむ。国の慶事は、民にも還元すべきだからな。太陽祭のタイミングに合わせて里親を募っておったんじゃが、こちらの手違いで、実はすでに昨夜のうちに引き渡し済の子もおるらしい。領内が混乱しておらんとよいが」
 ミレは瞬時に、これが自分の行方不明を紛らわすための方便だと気がついた。ウィリアムの言う通り、孤児院のみんなに新しい家族ができることは、喜ばしいことだ。そのために今まで家族同然に過ごした院のみんながばらばらになるのも、仕方のないことかもしれない。けれど院を解散するのは、ミレの痕跡を消すための計略でなければ、一体なんのためだろう。自分のせいで、みなの生まれ育った場所が消えてしまう。
 ただでさえ心もとない足元が崩れ落ち、深い奈落に飲み込まれていく気分だった。あの場所は、家族同然の院長や友人と長年過ごした家で、ウィリアムと過ごした思い出だって詰まっているのだ。
「国王陛下のご高配には頭が下がります。すぐ遣いの者をやらせます」
 ウィリアムが国王のたくらみに気づかず、曇り一つない笑みを浮かべるのを見て、ミレの胸がまた痛んだ。自分にとってのかけがえのない場所でも、ウィリアムにとってはそうではない。黒苦茶を飲んでいないのに、口の中に苦みを感じた。
 どうしても寄ってしまいそうになる眉根を、意思の力で広げ続けていると、もはや自分がどんな表情をしているのか分からなくなってきた。それでも国王も、ウィリアムも気づかないのだから、大きな失態は犯していないはずだった。ミレは長袖の下で拳を握りしめた。
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