身代わり神子の、失恋のあと

さき

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「他国の学問に、ずいぶん詳しいんだな」
 思いがけない声が聞こえて、部屋の空気が張り詰めた。咄嗟に婚約者の背に庇われるが、その向こうから、燃える瞳の隣国の王子が姿を現す。今日も相変わらず紫の衣装が目を引くが、至近距離で対峙すると、緑の瞳の方が印象に残った。どこかで見たことがあるのに、思い出せない。
 視界の端で、従女が泡を食って頭をさげた。運び屋は隅に控えたまま動かない。
「王族の方が、何の知らせもなく訪問されるとは、驚きました」
「王族に対して無礼な物言いだな。現時点でお前はただの婚約内定者であって、次期国王ではない。口の聞き方に気を付けた方がいい」
 婚約者と王子は睨み合った。従女の顔が、真っ青を通り越して黒くなっていく。室内の空気が薄くなったと錯覚するほど息苦しい数秒が過ぎたあと、意外にも、先に視線を外したのは王子の方だった。
 王子は小ぶりの花束を手にしていた。婚約者との睨み合いを放棄した緑の瞳は、ミレの視線をからめとると、一直線に歩いてくる。婚約者がミレを抱き寄せるが、王子はその存在に気づかないようにミレだけを見ている。
「俺を忘れたか」
 瞳から突き刺すような鋭さが消え、泣き笑いのような顔になる。途端にミレは思い出した。双子の姉の夢に出てきた、緑の瞳の少年と隣国の王子は、どこか面影が似ているようだった。
 ミレが何も言わないでいると、王子はぶっきらぼうに花束を突きつけてきた。西端の村では見たことのない品種で、大小さまざまな花を咲かせている。ミレが思わず受け取ると、王子は小さく微笑んだ。そうしてそっとミレの頬に触れ、いぶかしむように首を傾げた。
 婚約者が「王子!」と抗議の声をあげ、ミレに触れる手首をつかむ。弾みで緑の瞳がミレから離れ、ミレはようやく瞬きを思い出した。
 王子はふんと鼻を鳴らすと、婚約者の腕を振り払って、出口に向かって歩き出した。
「お前、どこかで見たような」
 一度通り過ぎたあと、王子は振り返り、部屋の隅で存在を消していた運び屋に声をかけた。運び屋は驚きも睨みもせず、ただ王子の視線を受け止めていた。
 ミレは、何も言わない運び屋を訝しんだが、その答えはすぐに出た。王子がじっくり考え込んだあと、何かに打たれたように運び屋の胸倉をつかんだからだ。
「思い出したぞ、お前、エヴァンス家の倅だな。なんで生きてここにいる」
 壁に押し付けられたまま、運び屋は淡々と返す。
「オレに隣国の知り合いはいない」
「ふざけるな、その顔には見覚えがある」
 王子の拳が震える。運び屋の表情は見えないが、振り上げられる拳を避けようとさえしないので、ミレは思わず駆け寄った。アンクレットの鈴の音が鳴り、運び屋が驚いてこちらを見る。
 震える拳に手を添えると、王子は目をひんむいて、ミレを振り返った。
「なんでお前が、こいつの味方をするんだ」
 王子の瞳が揺れた。ミレは何も言えずにその瞳を見つめ返したが、しばらくして王子はくそと悪態をつき、部屋を出ていった。
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